ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

CMの妙・「空白の一日」

2007-11-01 19:56:29 | 野球
黄○酒造のTVCMで背景が真っ白の前に2人の人物が現れて会話するのがある。
オヤと一瞬思ったが、あの29年前の「空白の一日」騒動を思い出すきっかけになった。

高校野球の投手として抜群の成果を残した江川卓投手は、1973年ドラフト会議で阪急ブレーブス(現在のオリックスB)に指名されたが、慶応大学進学を希望して拒否。しかし慶応大学には入学できず結局は法政大学に進学した。
そして1977年ドラフト会議で巨人Gの指名が確実という中で、指名順が上位のクラウンライターズL(現在の西武L)が江川投手の指名権を得る。しかしまたもやこの年も九州は遠すぎると入団を拒否して、アメリカに野球留学をしてしまった。
ところが翌年の1978年ドラフト前日に江川投手は巨人Gと電撃入団契約を結んでしまう
当時の巨人Gは「江川投手はドラフト会議が定義する、学生や社会人ではない。さらにドラフトが規定する交渉権は、次回ドラフト会議の前々日に喪失するので、この日は自由に入団契約が出来る筈だ」というのだった。いわゆる「空白の一日」論だ。
しかし当時のコミッショナーの金子さんは、巨人Gの入団契約は無効の裁定をする。怒った巨人Gはその年のドラフト会議をボイコットしてしまう。しかしその中で行われたドラフト会議では今度は阪神Tが江川投手の交渉権を獲得する事になった。
巨人Gは自チームが入らないドラフト会議の無効を訴えて抗戦する。そして1リーグ制の採用などを画策する。
球界は紛糾するが金子コミショナーは「江川投手の巨人入団契約は無効とする」「阪神Tが獲得した交渉権を認める」との最終裁定をする。同時に異例の事ながら「江川投手は阪神Tに入団した後、巨人Gへトレードする」との裁定を下ろすことになる。
この裁定で当時の騒動の幕引きを図ったのだ。そしてコミッショーナーは辞任をしてしまう。
そして当時の巨人軍のエースだった「小林繁」投手が、キャンプ地宮崎に向かう羽田空港から急遽呼び戻されて、江川投手とのトレードを通告される。
その年の小林投手は阪神Tで巨人Gとの対戦で8勝するなど、悲劇の選手と見られたが意地を見せる事になる。
一方の江川投手は「エガわる」(無理を通そうとする)の流行語が示すように、ダーティーなイメージが出来あがる。
この空白の一日を教訓に、国会でも希望球団入団の是非が論議されたりした。その結果はドラフト会議の改正や、FA制度の採用、希望入団枠の設定などが行なわれてくるきっかけになった。

そして29年ぶりに回顧する2人の会話に、酒は人を近づける、酒は時を近づけるのナーレションがながれる。
この「空白の一日」の出来事が巨人G(読売新聞)の球界支配の構図と、アンチ巨人(朝日新聞)の長く続く抗争の発端となって今も続いている様に思うのだ。

コメント
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