昭和20年6月22日の御前会議で、ソ連に終戦の仲介を依頼すること を決め、
特使をソ連に送ったが、ソ連は既に国連に参戦する了解を取り付けており、
日本に「日ソ不可侵条約」の破棄を通知していたので、仲介の意思がないことを
知られないように、適当にごまかして時間稼ぎをしていました。
大本営と特使の間で、焦りを交えたやり取りが続きました。
そうこうしている内に、7月26日日本の無条件降伏を含む、全13条の
日本に対し 「降伏要求最終宣言」 ポツダム宣言が発せられます。
日本には7月27日に届きますが、ソ連の仲介に期待していた大日本帝国は、
即対応しなかったため、結果的に宣言を黙殺した と取られます。
日本の戦争遂行の最高機関は、大日本帝国の大本営でしたが、8月5日に
「最高戦争指導会議 としました。
この後の十日間、情勢は一気に動きます。
次回エビローグとして、この十日間を纏めたいと思います
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