開戦は、その時の調子で始まってしまうこともあるが、
敗戦取り分け無条件降伏ともなると、なかなか飲めないものだ。
それは解るが、受諾の決断が遅くなればなるほど、
人命の被害は、加速度的に増えてしまう。
この戦争で、8.15より前に、冷静に考えれば、終戦を決断する
チャンスは何回もあったのだが、それを尽く逃してしまったのは、
日本軍人の愚かさと、封建的な家族制度に有ったと、言えるのではないだろうか。
今日は、日本が終戦交渉に入るチャンス、後に無条件降伏を受諾する
決断のチャンスとなる出来事、を時系列的に表示して置き、
後日その意味を解析してみたいと思う。
一 1942.6.7 ミットウエー海戦ボロ負け
二 1943.9.8 三国同盟の一つイタリヤ降伏
三 1945.3.10 東京大空襲
四 1945.3.26 米軍沖縄猛攻開始
五 1945.4.5 ソ連 日ソ不可侵条約府継続通告
六 1945.5.8 ドイツ降伏
七 1945.6.22 天皇、満州北方視察の参謀と陸海軍大臣招集会議
八 1945.8.6 広島原爆投下
(8.9) 長崎原爆投下
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