現役のころは、スポーツ少年団に関わり、
リタイヤしてからは、ボランティアをやったりで、
で地域に気の合う友人が、結構出来ました。
古い友人たちとも、年一程度親睦会をやっています。
先日も、ある関係、団体のOB会をやり、飲んで食べて、
だべくりました。
その中の話題の一つに、日本人の名前が難しく、
取り分け外国人には、「覚えた漢字の読み方に無い、
読み方がある」「{辞書にない読み方がある」
等の不満があるという話がありました。
昔、客先の偉い方の苗字が、特別な読み方をしていて、
間違えると機嫌が悪くなる、と聞かされていて、
会議中随分緊張した経験があります。
全く迷惑な話です。
迷惑な話もありますが、「意味解んねえよ」
と言いたく成る苗字は、沢山ありますね。
以下はこの話題で、座が盛り上がった私の話です。
日本は農耕民族で、資金力は石高で表しているように、
田圃は高い関心事だったですね。
その証拠に、日本人の苗字には、田が付くものが多い。
思いつくものを拾ってみると、
山田・谷田・高田・岡田・坂田・川田・野田・林田・森田・木田・
岩田・石田・砂田・土田・肥田・浅田・等々。
赤はこの三つのグループは、田んぼにはぜったいかかせない、
水利が念頭に有って、苦労されたと思います。
青は周りの環境を、意識されたのでしょうか。
黒は田んぼの特徴、俗にいう、いい田んぼか苦労が多いが、
その割に収量が少ないとか…
このサングルーブでは、不合理な苗字があります。
一つは、坂田さん
坂では、水を張ろうとしても、上の方は水が溜まらず、
下の方は、根に日光が当たらず、田んぼになりませんね。
坂に田んぼを作った場合、これは棚田と言いますね。
これは苗字の不思議な一つです。
二つ目は、浅田さん
浅いということは、土の層が薄いということで、
作柄が良くないと言うことです。
何故負の減少をとらえて苗字にしたのでしょうか。
三つめは、平田さん
田んぼは平らでなくては駄目なのは、坂田さんの
話で分かりますね。
何故当然の苗字をつけたか、これは稲田さんでも同じ、
稲を植えてお米を作る以外、目的はないのですよね。
奇妙な苗字の続きは、まだ続きました。
思い出させてくれて(人''▽`)ありがとう☆
それだけで、この記事を書いた意味がありましたよ。
TVでも、時々氏名の番組やっていますよね。私は大好きです。色々と説明をお聞きするとなる程なぁと思います。皆が名字を持つ様になったのは結構最近、明治維新後なのですよね。なんか、もっと昔からあったような感じがします。
ただの同級生ではなく、おつきあいをされていたおじょうさん・・・
思いがけない副産物が有って、嬉しいです。
N+Kでやっていることは知っていますが、
私の方はその隙間を這って、進んでみようと思っているんですよ。
確かに、昔はあまり高い望みを盛ったり、夢をかけたりせずに、
その人が他人に判別できればよかった程度のようですね。
なかったですね。
浮いた話と結びつく名前は。
韓国人も、嘆いていました。
ハングルでは、読み漢字一つに、読み一つなのに、日本にはいくらでもあると言って。
女:おんな、ひと、ひめ、
男:おとこ、かれ、ひと、との、
楽しみにしていたんですよ。残念!
確かに、日本語は、漢字開かなカタカナがあるうえ、
特に固有名詞は、世界中の人々から、評判が良くないですね。
そうそう、形容詞も大変ですね。
いしゃに、ぐわいの悪いところを正確に伝えるのにはいいけど、
通常の生活には、意味のないものが沢山あります。
日本のグローバル化を、阻害している大きな要因の一つですね。
「田」は、今では「水田」を意味しますが、本来は「耕作地」の意味の様です。或いは「油田」とか「塩田」など。「稲田」は「水田」なので、正統性が有る様な気がします。
https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/08d0b0a4e21ba705e8faea33658d6fb5
ご指摘は御尤もとも思いますが、この記事を書いた主旨は、
漢字の成り立ちを検証するものではなく、時代考証としては、
一般町民に、苗字が許された時代、町民の殆どが、字が読めず、
戸惑っていたと考えられますね。
従って、現代のように、氏名に夢や期待を
込めて、命名するどころか、
逆に面倒臭いことだったと思います。
だから、苗字は付けたけれど、浸透するまでは、
~町一丁目の徳田〇平さんの息子さんなどとは言わず、
苗字を省いて、三本松の〇平さん所の次男坊で、
通用していたのだと思います。
そんな訳で、どの時代にベクトルを合わすかによって、
記事の中身は変わるだろうと思います。
この辺をお汲み取り頂ければ有り難いですが…
これからもどうぞ、む宜しくお願いいたします。
日本人の識字率が低かったと云う認識は「GHQの政策」の結果だと思います。
江戸時代の識字率
https://www.pt-jepun.com/history/kiji8907.html
識字率が50%でも、一家に一人以上は字が読める事になり、家族の苗字を決めるには問題は無いように思えます。
「どこそこの何兵衛」で人の名前を言っていたのは、当時の人は殆ど引っ越しをしなかったので、地名の方が分かりやすく、苗字を必要としなかったと思います。江戸後期になってからは人の移動が激しくなり不便になった為、やむを得ず苗字が必要になったからではないでしょうか?
一日迷いましたが、放置するのも失礼だし、返事を書けば、
時代考証に、大きな乖離がある二人にとって、
双方、納得いく到達点に達するかは、乖離が大き過ぎるような、気がします。
生煮えの状態では、納得いかないかもしれませんが、
ここで矛を収めたいと思いますが、如何でしょうか?