「プロだから」って言葉は、私だけかしらないけど、いや、きっと多くのプロの人がちーっとは思ってるかもしれないけど、なーんとなく呪縛される言葉な気がする。
「アマチュア」って言葉もあるけど、アマチュアの中にもこれがまたいわゆる「玄人はだし」って人はどの世界にもいるもんで、これがトランペットとなると結構いるしね!
何か一つだけやらせたら、確実プロより上手い!なんて人はザラザラいる上に、またトランペットって楽器はさー、なーんとなくノミの心臓を持ちながら、オオカミの皮を被って肩肘張っていて、自信はないんだけど、自己顕示欲はあるなんて性格の人も結構いるもんで(…いや、スーパープレイヤーに近づけば近づくほど、「実るほどコウベを垂れる稲穂かな」となることもまた事実!!)、ヘタしたら「プロのくせに」くらいの空気もよく流れるから、結構勝手に呪縛されやすい気がするのであった。
んで、これはトランペットという狭ーい世界で言ったまでなんだけど、プロ同士においても、なーんとなくササッと現場に行き、ササッと合わせて、チャッチャっと出来る…みたいなことが「プロだよね!」みたいな空気がないこともない(と少なくとも私は勝手に感じていた)。
何気に、練習は何回でもいっぱいやりたいタイプの私としては、練習回数は時間やお金が許せば、何回あってもよく、やる中で磨けるものはいくらでもやりたい!!という人なり。。。
アメリカのプロ野球のピッチャーみたいに、「消耗品」と考えれば、このやり方は全くもって消耗激しく、生産性なしと判断されるであろうな。。。
でも、「Time is Money」的な空気に支配され、「え?もう一回やるの?!」みたいな空気を勝手に察知してしまい、なかなかもう1回!!と言えない感じだし、「え?もういいんじゃね?」となる感じに押されて、「そうか、この回数で出来るのがプロってもんだよね…うん。きっとそうだ…。。いかん…」と自分を悲しく感じることもあったりけり。
んだけど、朝。
私の頭の中に何かが突然降ってきた。
「プロだからこそ、納得いくまでリハーサルをして、納得できるものこそをお客さんに提供すべきじゃないのか?!」
急にすっきりした。
もちろん、何でもダラダラやっていいわけではない。プロであれば、日々次々と仕事に追われているわけだし、限られた時間や回数の中で(何なら当日や直前だけでも)ある程度のクオリティーを出す事ができなければいけない。
これは絶対的に「仕事」である以上、事実だと思う。その限られた中であるレベルを確実に維持するために、日々の個々の鍛錬が求められるわけで、瞬間的に考えたら、結構ぼったくりみたいなギャラに見えたとしても、そこへ至るまでにどれだけの努力をしてきたかを考えれば、むしろ安いくらいのこともあるわけで…。
とにかく日々の個人の鍛錬は欠かせない。いろんな知識なんかも含めてね。
でも、いつでも即席でパパっとってのだけじゃない、本当に本気でチームとして仕上げた、練られたモノをお客さんに提供するってことも絶対なきゃならないと思った。
合わせるだけなら1回でも出来る。でもすべての間を含めて練られたモノ。そういうのを、納得できるまで突き詰める…。
そんなことができる「仲間」ってのがむしろ大事なのかな?!そういう価値観を持った仲間を大事にする…
案外、ダンスユニットの方とか、伝統芸能の方とか、劇団の方とか、そういう人たちは、こういうところを徹底的にやってるんだろうな…と思う。
大道芸の方と一緒に練習した時に、体に入るまで何度も何度も、誰かが間違えたらまた1から…ってんで、内心辟易したことがあったんだけど(曲がキツくて死にそうだったからもあるけど)、今思えば、とても贅沢な時間だったと思うし、本当にそうありたいな、と思った。あのとき、「もういいじゃん」と思ったことが、情けなく感じる。
なんかちょっとしたお馴染みの寄せ集めみたいな仕事をしていると、段々「できればいいじゃん?!」みたいな風潮になってきちゃうし、またその一方で短い中でもキチンとあるレベル以上のクオリティーを出せる人たちが多いから、それで行けちゃってるところもあるんだけど、でもそこはもう一歩踏み込んでも良いのかな!という勇気が湧いてきた今朝の出来事でした。
「アマチュア」って言葉もあるけど、アマチュアの中にもこれがまたいわゆる「玄人はだし」って人はどの世界にもいるもんで、これがトランペットとなると結構いるしね!
何か一つだけやらせたら、確実プロより上手い!なんて人はザラザラいる上に、またトランペットって楽器はさー、なーんとなくノミの心臓を持ちながら、オオカミの皮を被って肩肘張っていて、自信はないんだけど、自己顕示欲はあるなんて性格の人も結構いるもんで(…いや、スーパープレイヤーに近づけば近づくほど、「実るほどコウベを垂れる稲穂かな」となることもまた事実!!)、ヘタしたら「プロのくせに」くらいの空気もよく流れるから、結構勝手に呪縛されやすい気がするのであった。
んで、これはトランペットという狭ーい世界で言ったまでなんだけど、プロ同士においても、なーんとなくササッと現場に行き、ササッと合わせて、チャッチャっと出来る…みたいなことが「プロだよね!」みたいな空気がないこともない(と少なくとも私は勝手に感じていた)。
何気に、練習は何回でもいっぱいやりたいタイプの私としては、練習回数は時間やお金が許せば、何回あってもよく、やる中で磨けるものはいくらでもやりたい!!という人なり。。。
アメリカのプロ野球のピッチャーみたいに、「消耗品」と考えれば、このやり方は全くもって消耗激しく、生産性なしと判断されるであろうな。。。
でも、「Time is Money」的な空気に支配され、「え?もう一回やるの?!」みたいな空気を勝手に察知してしまい、なかなかもう1回!!と言えない感じだし、「え?もういいんじゃね?」となる感じに押されて、「そうか、この回数で出来るのがプロってもんだよね…うん。きっとそうだ…。。いかん…」と自分を悲しく感じることもあったりけり。
んだけど、朝。
私の頭の中に何かが突然降ってきた。
「プロだからこそ、納得いくまでリハーサルをして、納得できるものこそをお客さんに提供すべきじゃないのか?!」
急にすっきりした。
もちろん、何でもダラダラやっていいわけではない。プロであれば、日々次々と仕事に追われているわけだし、限られた時間や回数の中で(何なら当日や直前だけでも)ある程度のクオリティーを出す事ができなければいけない。
これは絶対的に「仕事」である以上、事実だと思う。その限られた中であるレベルを確実に維持するために、日々の個々の鍛錬が求められるわけで、瞬間的に考えたら、結構ぼったくりみたいなギャラに見えたとしても、そこへ至るまでにどれだけの努力をしてきたかを考えれば、むしろ安いくらいのこともあるわけで…。
とにかく日々の個人の鍛錬は欠かせない。いろんな知識なんかも含めてね。
でも、いつでも即席でパパっとってのだけじゃない、本当に本気でチームとして仕上げた、練られたモノをお客さんに提供するってことも絶対なきゃならないと思った。
合わせるだけなら1回でも出来る。でもすべての間を含めて練られたモノ。そういうのを、納得できるまで突き詰める…。
そんなことができる「仲間」ってのがむしろ大事なのかな?!そういう価値観を持った仲間を大事にする…
案外、ダンスユニットの方とか、伝統芸能の方とか、劇団の方とか、そういう人たちは、こういうところを徹底的にやってるんだろうな…と思う。
大道芸の方と一緒に練習した時に、体に入るまで何度も何度も、誰かが間違えたらまた1から…ってんで、内心辟易したことがあったんだけど(曲がキツくて死にそうだったからもあるけど)、今思えば、とても贅沢な時間だったと思うし、本当にそうありたいな、と思った。あのとき、「もういいじゃん」と思ったことが、情けなく感じる。
なんかちょっとしたお馴染みの寄せ集めみたいな仕事をしていると、段々「できればいいじゃん?!」みたいな風潮になってきちゃうし、またその一方で短い中でもキチンとあるレベル以上のクオリティーを出せる人たちが多いから、それで行けちゃってるところもあるんだけど、でもそこはもう一歩踏み込んでも良いのかな!という勇気が湧いてきた今朝の出来事でした。