こんばんはー!!
23時すぎに、なんでしょう??睡眠薬でも入ってた??って感じで眠くなっちゃって(;^ω^)で今頃復活しましたw
いやはや、今日もMDの要らないのは処分しよう!!ってんで、昨日とは別の棚をチェックしてて、
旦那の演奏会のMDもいっぱいあったので、「どーするー??」って尋ねたら、「全部捨てて良いよー」とのこと。
アタシャ、記録は取っておきたい💕って思っちゃうから、さすが思い切りがいいねーと、仕分けしてたら、
「1」「2」としかタイトル書いてないMDがあって、こりゃ何だろう?と再生してみたら、、、
旦那のやってるDuBrassっていうユニットの演奏会だったのよ!
会場のマイクで録音してたみたいで、かなりいい音で入ってて、凄く臨場感があってさ。
旦那が飛んできた!!
「あれ?オレ、昔の方が上手かったな」「結構思い切って吹いてるね」「男らしく吹いてるなー」
私としては、ダンナは今も進化してると思うけど、思い切ってるとか男らしく吹いてるとかに関しては、自分の演奏も含めて完全に昔の方が思い切ってるし生き生きしてるなと思う。
そして、今の例えばデジタル録音の機械、、、ウチでは2人ともタスカム(機種は違うけど)を使ってて、結構良く録れるはずだけど、それらで録ってる音よりも、MDの録音の方が「臨場感」や「息遣い」がめちゃくちゃ伝わってくる。
MDの前はカセットテープで録ってたじゃない?
カセットテープはもっと臨場感があったよね。。。
カセットテープからMDになったとき、「なんか音の成分が足りないな・・・」って凄く思ったものだよ。
でも、編集なんかに関しては、今思ってもめちゃくちゃ便利で、要らないところをカットするなんてのは、カセットテープではダビングするしかなかったけど、MDならチョチョイのチョイだった。
だからか、ワタシで言うと、2000年から2006年までの演奏のMDがめちゃくちゃたくさん取ってあった。
2007年からはどうしてたんだろう・・・usbメモリースティックみたいなヤツに録音できる機械とか、そー言えば使ってた気もするし、、、あー!思い出した、、、デジタルで録音できる、名詞くらいのサイズの機械を弟がもう使わないからってくれたんだな!
CDをダビングして、FMトランスミッションとか何とかで、車に飛ばしてカーステのラジオで聞く、、、みたいな、そういうための機械・・・
そんな~時代も~ああー--ったねと~
忘れてたわ~、、、そういうのあったねー。
そういう機械で録ってたから、だからもうMDみたいな形では残ってないんだ・・・なるほど。。。
でさ、
そのカセットテープから、MD辺りの時代の思いっきりのいい、ワイドな感じの演奏って、私たちに限らずもう今、あんまり聴かないなって思って。
私たちもそういう威勢のいい演奏じゃなくなってるけど、今ってスッゴクなんでも上手に吹く人がたくさんいる時代だけど、でも意外とみんなコンパクトでスケール的には小さいな・・・って気がしてきてさ。
我らも、自分で録音して動画編集するとか、まぁ嫌いな言い方だけど何かしらの「音源」作ろうとすると、マイクのレベルとか気になるじゃない?
イエーイ!!って吹くと、レベルオーバーしちゃって、バキバキになるから、マイク乗りが良い感じになるように、、、とか録音の音が割れないように・・とか。
それに世の中に溢れるYouTubeとかサブスクの音楽なんか聞いてると、そういう感じが普通になってきて、
そんな中で、ひっさしぶりに昔の録音なんか聴くと、あれ??このスピード感とかワイドな感じとか思い切りの良さって何だろー???みたいな。
そして、あああ、、、こういう演奏だったら、生で聴くって言う「エネルギー感」とか「広がり」とか、「人間性」とか「物語」とか、、、そういうのあるなーって。
今の子たちが使う「音源」って言葉。
私は人の演奏を「音源」って言って、「データ」のようにして取る(聞く)のって、なんかヤな考え方だなって思うんだけど、
こういう「広がり」とか「勢い」とか「エネルギー」とか「人間性」みたいなモノが相当希薄になった演奏は、もはや「データ」ってことなのだろうか・・・
これがいわゆるmp3の音源だからなのか?
それとも演奏そのものが今の時代を反映して、データ的なモノになっているのか???
それとも両方なのか??
それは分からないけど、ひょっとしたら、悪い意味の相乗効果にはなってるかもしれないな、って。
CDが出てきたとき、レコードと比べて、音がなんて薄っぺらいんだろう・・・って思った。
MDはカセットテープに比べて、何かが足りない・・って思ってた。
YouTubeはとっても便利だし、今まででは考えられないほど簡単に世界中の演奏を聴くことが出来るようになったけど、立体感とか、以前音楽に感じていた深みとかを感じるのがとても難しくて、もちろんサウンド感とか旋律とかは分かるけど、空気感とか内声とかそういうところまで聞き分けるのが凄く難しい・・・
ちっちゃな今思えばやすっち―いラジカセを手に入れたとき、仕事でもらったギャラのほぼすべてをCDにつぎ込んで、それを聴いては、その世界にどっぷりハマりこんでた日々・・・
ちゃっちいCDラジカセなのに、その向こうに素晴らしい世界が見えたんだよなー、、、
今、iPhoneを繋げば、カーステでもなんでもめっちゃサラウンドで聴くことが出来るはずなんだけど、実はあまり音楽を聴くのが好きではなくなってる。
たまーにはかけて、ああやっぱり音楽は良いな、もっとかけよう、って思うんだけど、次になると結局いろんな解説とか知識共用系のYouTubeをかけちゃうんだよね。
カーステにはCDプレイヤーが付いてないから、聴くとしたらどうしてもiPhoneなどを経由することになる。だからCD聴くなら家で聴くしかないな。
YouTubeなんかでチョチョイのチョイって音楽が聴けるようになったもんだから、ウチにCDがあったとしても、つい探すのめんどくさいから、ささっと検索してYouTubeで聴いて・・・
これってまさしく「音源」としての聴き方だよな・・(;''∀'')
あるいはAmazonミュージックとか、Spotifyなんかで音楽を「流す」。
自分で探すときは演奏家とかこだわるけど、こうやって「流す」ときは果たしてどなたの演奏か分からないウチに流れていく。
今までであれば、絶対に知ることが出来なかった演奏家の日常とか、お家での練習や演奏、おしゃべりなんかが聴ける、マスタークラスなんかもUpされてたり、、、そういう意味では、世界の音楽家を凄く身近にしてくれて、人柄や考えなどにも触れることが出来たりして、凄く便利で有難い。
でも、それが音楽を「音源」っていうレベルに下げちゃってる、、、音楽をデータにしてる、、、そんな気もしてきてる。
生きるエネルギーとか、生命とか、なんかそういうところから、「データ」になった・・・みたいな。。。
そんなことを思ったりしたよ。
みなさんはどう思いますー???