ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

勉強という名の免罪符、、、というか思考停止、、、

2023年10月08日 23時59分10秒 | 雑感
こんばんはー!!

いや~、これはワタシがそう思ってるだけで、実際は違ってたら良いなと思うんだけど、

なんだか「勉強」って名前が付いてると、すべてに勝る、すべてを犠牲にすべきもの、、、みたいな気分になっちゃいませんかー??

これが「学校」だったらそうでもない気がするけど、「テスト」「試験」「塾」とかだと、なんかすべての中で一番優先されてしかるべき、、、みたいな!

でも、これってホントでしょうか??ホントに「その勉強」はそんなに大事なモノなのかな?

あえて「その」って書いたところが、フジイ的にはミソというか、ちょっと考えたいところなんですけど、

「試験対策」とか「受験のための」とか「点数を取るための」とか、そういうのって、実際「勉強」なのか??

単に「すでに正解がある問題に答えてる」だけだったり、「正解」といわれてるモノを「当てる」みたいなヤツって、ホントになんかの役に立つんかな?と思っちゃうんですよね。

今って、科学でもなんでも「答えがある」「正解がある」って思われてる気がして、というか、言い方悪いけど、そう信じるようにマインドコントロールされてる、、、って気もする。

よーく考えたら、

答えがあるモノって、正直あんまりない気がしません??
それに答えがもう分かってるモノなら、自分の頭をフルに使って、いろんなデータを集めて、、、みたいなことする必要ないわけで、そんなチョチョイのチョイのモノに子ども時代を懸けても、面白くないじゃんか?

自分で「こうかもしれない?!」とあれこれ調べたり考えたり試したりして、今の自分なりの答えみたいなモノを出して、世に問うてみる、、、みたいなことなら、きっとオトナになってからも使える「勉強」なんじゃないかなぁ、、、

ましてや、

「こうやれば点数が取れます」みたいな「技術」を学んで、いったい何になりたいんだい?

そもそもの学校教育ってのは、

工場で単純労働が出来る人間を養成するために始まったらしい。

日本では、富国強兵、、、兵隊としての一定の統一された知識の習得、秩序などを学ぶために始まったとも、、、

きっと寺子屋とかの時代の方が、それぞれに合った学びをしていたんだろうな、、、

学校ってのはつまりは、平均化された、言われた通りに動く人間を作るために作られた、、、というのは言い過ぎかもしれないけど、実際そういう目的で始まったモノだと思う。

それが必要だった時代もあるわけで、それにそれが効果をあげてたこともあるわけだから、全部ダメってことじゃないけど、

いろんなことが、「考えナシに」なってきて、今いる中で良ければいいじゃんか?ってな感じで、物凄く先まで考えて「勉強!!」って言ってるように見えて、「勉強やッときゃー間違いないだろう」「勉強やらせとけば、何とかなるさ」という感じで、実はほとんど何も考えてないのではないか?

何も考えてない、、、というか、もっと言ったら、「何も考えたくない」といっても良いかもしれない。

先まで考えて行動すべき!!と思いながらも、実際そんな先まで分からないわけで、

でも先まで考えてる立派な大人を演出したいから、「勉強しなさい」って言って子どもに勉強させておけば、いかにも良い感じ💖ってところだったりして、

子どもの方も、それやっとけば、文句言われないし、肉体労働とか面倒くさいし、確かに勉強して成績良ければ何とかなる気がする!ってなところで、そこに甘んじてあとは考えない~!

ってなことになってやしないかなー??と思っちゃうんです。

実際、めっちゃ勉強してるーって子が、めちゃくちゃ深い洞察力とか感受性とか実行力とか人としての礼節があるかって言ったら、そうでもない、、、

だとして、何を育ててるんだ?ってことになったりしませんか?

テストの点数なんて、大人になったらなんの意味も持たないってのは、実は大人が一番よく知ってると思う。

いい大学に行ったら、良い就職先があるかも、、、ってのも、ぼちぼち果たして、、、ってところでもあるし、良い就職先に入ってもあっという間に辞めちゃう、、、って人も少なくないみたいだし。。。

そういうことを分かってるオトナもいっぱいいて、そういうことを分かって子育てされてる人もたくさんいらっしゃると思うけど、

チョイチョイなんだか可哀そうだな、、、って思うことがあって。

まぁ、余計なお世話だよな、って思うし、人それぞれいろんな価値観があるし、それぞれにいろんな学びがあってこの世に生まれてきてるわけだから、きっとその意味では間違いなんて全くないんだろうと思うし、

人のこと構ってる場合か?wwwって話でもあるんだけど、

でも、大人の方も思考停止の中でも「良かれ」と思って子どもに勉強を強いてることが多いから、何かしら考えるきっかけになったら良いなぁとも思う。

子どもの頃はさー、虫でも観察してたら良いんだよ!!

時間を忘れてありのままを観察したり感じたり、集中したり、自分の周りや自分の中の感覚をめちゃくちゃストレートに受け取って、感じて行く、、、というの、大事だと思うんだよね。

自然と繋がってる、、、という感覚も大切だと思う。
土とか、空とか、水とか、、、そういうものを時間を忘れて感じたり触れたりしておくことが、あとから絶対効いてくると思うよ。

「ハイ、1時間、土に触れなさい」とか、そういうんじゃなくてね!!

もっとプリミティブってのかなー、、、命ってのか魂ってのか、向き合う感じる時間、没頭する時間って必要だと思うよー

って、思いませんかー??

しっかり呼吸して、しっかり地面に立って、しっかり空も見る、、、

人間も「生きもの」だからねー

わ!!12時に寝ようと思ったのに、結構かかっちゃったな!
なんか説教臭い話になった!!!

いやさー、ホントに今を楽しく生きてほしいんだよねー。
無理するのと、満喫するのって結構違うと思うしー。

オトナは自分で決めたら良いから、自由で良いんだけど、やっぱり子どもは親次第なところがあるから、大人がちょっとだけ「今ここ」を感じて、ホントはどうだろう?と、周りの価値観に振り回されて思考停止になってないかな?って振り返ってみる時間取っても良いんじゃないかなーって。

おっとっと!!
寝まーす!おやすみなさーい!
コメント
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