こんばんはー!!
今日は、ダンナも誘ってまたも荒神山に登ってきましたー!!
めっちゃ爽やか💖
ついに旦那も山登りが好きになったようです!
何しろ気持ち良いし、体調も登った方がなんだか血の巡りが良くなって良い感じ!登らないと、モヤモヤするぜw
そんなちょうどいい感じの運動になる場所があって、とっても最高です!
ところで、
さっき、お風呂の中で柳田國男、唯一の焚書という「神道と民俗学」って本をちょいと読んでたんですけどね、
とっても研究とか採集とか文献とか、そういうモノに関する深い言葉があってね、
ついつい文献ってのが大事って思っちゃうけど、
民俗学において、「文献」として残っているモノというのは、「あまりに当たり前だったこと」は書くに値しないという気持ちが当然あって、凄く稀なこととか、変わったことはわざわざ書いておかないと、、、という気持ちゆえに書かれている可能性が非常に高いと。
で、時代と共にその行事なりお祭りなり風習なんか自体が薄れてきて、もはや「何が当たり前で普通」なのかが分からなくなった時に、「文献」に書かれていることだからと持って来ると、それは凄く稀だったり特別だったりすることだったりして、当たり前だったことではない可能性がある、、
本来は「普通」とか「当たり前」だったことこそが、その民族の風習なり行事だったりするわけだけど、文献のみに頼ると、そういうミスリードが起きてしまう。
もちろん、文献というモノはもうなくなってしまっているものを書き留めてくれていることも多いわけで、とても大切ではあるけれど、それのみでは大事なことを見落としがちで、文献のみでなく、広くその地域の人の覚え伝えている事や、文献以外の資料や文化財のようなもの、、、そういうモノにもいろいろと目を向けて、問うていくことが大切だ。
また、地域の人に話を聞くと言っても、そのタイミングや雰囲気、どんな気持ちのときに興が乗って、いろいろと思い出して話してくれるかなども、聴き手の力にかかっている・・・
またついついそんなのは簡単なことだと決めつけたり先行研究があるからってそれに疑問を抱かないというのでは、研究としてはよろしくなく、まずは疑ってみて、それが事実と分かったら、それまで以上にしっかり信じて行く。
1つだけの何かが出てきただけで、すべてを決めてもよくない。他のこととの整合性も出てきて、初めてそれを決めて行く。
(以上フジイ的要約w)
そんなことが書かれていて、しかも素晴らしい文体で、いやはや、、、すごいもんだなと、、、
でね、
まだこの本の初めの方であって、民俗学の研究に対する考え方みたいなのが書いてあるところしか読んでないんだけど、
こういう考えや研究の仕方ってのが、今とっても大切なんじゃないかなーと。
というのも、
子どもたちと話してると、本当に「点数を取って」「いい学校に行って」「お金が稼げるようになる」みたいなことを考えて、めっちゃ勉強してるんだけど、
今の教科書に書いてあることって、
最新研究からは20年遅れてる、と言われてる。
NHKの放送なんかは、さらに言うに及ばず、、、今はテレビないから良いけど、いろんな放送見てると、あまりに時代にも科学にも反していて、吐きそうになってたwww
でも、今って教科書やNHKの言ってることを「真実」として勉強してるわけでしょ??
それって、ヤバイナーって思う。
教科書が20年遅れてるってのは、仕方のないことだそうで、それってのも最先端の研究はまだ完全な「学問」になっていないから、これが世の中のコンセンサスを取れるようになるまでに20年かかっちゃう、、、そうなってからようやく教科書に載る・・・だから20年遅れる、、、
歴史とか、いろんなモノが、もう教科書時代遅れ、、、
歴史なんか昔なんだから変わるわけないじゃん?なんて思ってるんだとしたら、そりゃーヤバイ!!
考古学とか、人類の歴史とか、日本人のルーツとか、文化がどう伝わってきたかとか、、最新研究はもう全然思ってるのと違う。
科学なんかも、もう今は量子論とかじゃん?
そんなの、ショージキもはや「は?あなた大丈夫??」って言われかねないようなことが、実は「最新科学」だったりするわけで、、、
実験では、まだ短い時間でしかないらしいけど、「過去は変えられる」というのが実験で証明されてるって。
これは量子論では、めっちゃあるってのね。
人間の思考がいろんなモノに作用するとかさ、
普通に聞いたら、「頭狂ってる??」って言われかねないけど、それも実験結果が出てるってんだから!!
そういうことを知ったり、今やってることを疑ったりすることなく、単に教科書に書いてあることをいかに暗記するか、みたいなテンションで勉強してたら、あとから「は???どーゆーこと???」ってなると思うんだよねー。。。
いや、そういう「努力する」ということや「暗記する力」みたいなのを付けたかっただけで、内容なんか別にどうでも良い、、、というなら、まったくアリだと思うんだけど、
自分で考えたり、調べたり、疑問持ったり、、、そういう力の方が、圧倒的に必要で、
なんとなく分かったような感じだったり、それっぽく説明できる、、、みたいなのって、怪しげな「有識者」みたいな感じになりそーよね。
ま、ワタシもあれこれ見聞きはしてるけど、スッゴイ研究してるわけじゃないから、何とも言えたもんじゃないけど、
丸暗記みたいな勉強はしたくないね。
なんで??
どうして??
これってどういうこと???
それを考えたい。
今日も、山に登ったりしてると、自分が思ってる位置関係と、実際の位置が結構違ってたりして、地図で見ても良く分からなかったり、いったい何がどうなってるんだ??って、あっちを見たりこっちを見たり、マップでチェックしたり、、、
細かい変な道も歩いてみると、予想もしてなかったようなことになったり、大雑把に見ていたのでは、まったく思いもよらない、びっくりするようなことばかりが起きて、
分かってるツモリっていったい・・・って、しょっちゅう思い知らされる。
勉強って、そういうどーでも良さそうだとしても、自分で発見して、そこにいろんな資料とかデータとかも組み合わせて、そしてまた自分で見て確かめて、、、みたいなことが一番なんじゃないかなー。
紙の上で、ただ単に暗記なんかして、点数なんか気にしてたらさ、
世界に打って出たときに、すっげー虚しい気がする。
なんも勉強してなくて、それで虚しいならしょーがないけど、物凄く子どもの時代をつぎ込んで勉強したつもりが、何だったんだ??ってなるのは、もったいなく思う。
そんなことなら、日本の神話でも調べて、日本人としてのアイデンティティをまずしっかり持って、それから、日本の自然をたっぷり味わって、身体も作って、目も養ってさ!!それからでもいいんじゃないかー??
って思うのでした。
「神道と民俗学」は何しろ、GHQによって、焚書とされた本だからね、きっと日本人にとって大切なことが書いてあるんだと思う。読むのが楽しみよw
↑
ワタシが読んでるのは、これじゃないけど、これもきっと同じ内容!
それでは、明日早いから寝まーす。おやすみなさーい!
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