いや~、とても天気がいいでございます💕at 万座温泉日進館
きっと氷点下なんですけど、風がなければちっとも寒くないですし、とっても気持ちがいいです。
ぶらぶらお散歩して、湯畑の方へぐるーっと歩いて行って、そこからはもう道がなかったんだけど、ゆけむり館から本館に上がれたんじゃないか?と。
今は日進館、ゆけむり館の宿泊予約できないので、もうやってないんだから通れないんじゃないか?と思いつつ、一応行ってみたら、めっちゃ行けた!
そして、めっちゃ温かく暖房してある!
どうやら従業員さんの宿舎として使ってるようです。なーるほど!
使わないとダメになるし、こりゃーいい考えですねー。
そんなわけで、ひっさしぶりのゆけむり館を通り抜けて、大冒険しながら、極楽湯という、露天風呂へ。
さー、ここからやっとクレメンタインに行きますからw
で、お先におひとり入ってらして、すっごいいい天気だし、周りに何もない露天風呂なので、きっととても気分が良かったのでしょう。
優し気な歌声が聞こえてきました。
どうやら「いとしのクレメンタイン」のようです💕
好きなのかな~💕思い出の曲なのかな~💕
とか思いつつ、せっかく歌ってるところをお邪魔してバツが悪いかな?とあえて気が付くように扉をバーンと閉めたけど、何しろ雪の重みでトイレの扉があかなくなるほど周りじゅう雪だから、全然聞えなかったみたいで、、、
なので、「こんにちはー!!」と言いながら入ってきました。
そしたら、妙齢のお優し気な女性。歌うのやめちゃったから、申し訳ないなーと思いながら、15分くらい入ってて、
出られるときに、ちょっぴりお話をして。数日いらっしゃるようでした。
んで、それからちょっとしたら、12時の町内放送かな?
その「クレメンタイン」がかかったんです。
そーか、、、さっきの女性はこれを聴いて歌ってたんだな~。
で、あとで旦那にその話したら、「いとしのクレメンタイン」って「テネシーワルツしか出てこない」っていうから、「オーマイダーリン、オーマイダーリン~」って歌ってあげたら、
それって、「ゆーきーよ!いわーよ、、みたいな歌じゃないッけ?」
あー、確かに。
アメリカ民謡に日本語の歌詞付けたんじゃね?
と言っても、西部劇みたいな曲なのに、「雪の山」ってなんか訳とも思えんな??とか思いながら、調べたらさ、
にゃーんと!!!!
鹿沢インフォメーションセンターのサイトからコピペしますよー。
雪よ岩よ われらが宿り── という歌い出しで知られる日本の有名な山の歌「雪山讃歌」。 雪山への素朴な思いを歌い上げたこの歌は、鹿沢にある一軒の温泉宿で生まれました。
この雪山讃歌はアメリカ民謡「いとしのクレメンタイン(Oh My Darling Clementine)」に日本語の詞をつけたものです。 作詞をしたのは西堀栄三郎(1903-1989)氏。 京都帝国大学の山岳部員だった西堀氏は、1927(昭和2)年1月、仲間と共に群馬県吾妻郡嬬恋つまごい村の鹿沢温泉に来ていました。 折しも天気がくずれて吹雪となり、一行は宿から身動きがとれなくなりました。 時間を持て余した一行は、退屈しのぎに山岳部の歌を作ることにしました。 曲は当時仲間内で愛唱されていた「いとしのクレメンタイン」が選ばれ、みんなで持ち寄った言葉を即興的に当てはめていったのです。
こうしてできた雪山讃歌は、雪山登山の生活と心情が簡潔にまとめられ、快活なマーチのリズムと相まって、次第に多くの人たちに親しまれるようになりました。
作詞者の西堀栄三郎氏は、その後、第一次南極地域観測隊の越冬隊長となり、1956(昭和31)年11月、隊員と樺太犬のタロとジロとともに南極へ渡ります。
鹿沢温泉には、雪山讃歌発祥の地を記念して、1971(昭和46)年、西堀氏直筆の台字による雪山讃歌の碑が建てられました。
こちらがコピペ元のページです。行ってみてねw
にゃーんとにゃんと!!
そして、嬬恋村(鹿沢があるとこ、万座も嬬恋村)では正午を告げる防災無線に「雪山讃歌」を流してると!!
ホホー!!!ここが、雪山讃歌の歌詞の生まれ故郷で、それがここでお昼に流れていたのかー!!!
全然知らなかった、、、それにこの作詩(みんなで出し合って作ったらしいけど、代表ね)の西堀さん言う方は、タローとジローが生きてた感動の南極物語
のときの南極観測隊だったと言うから、これまたにゃんとにゃんと!!
いやー、、、世の中にゃ知らないこといっぱいあるなぁ(;'∀')
お風呂であの女性が歌ってなかったら、気付きもしませんでしたよ。あはは。
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