こんばんはー!!
3日連続、お風呂の中からお送りしております。すでに熱いです。
ところで!!
自分自身にも思うし、生徒に対しても別の角度から見てやはりそう思うこと、
それが「やり方なんぞ分からなくても良い」ってヤツ。
何を言ってるかって言うと、
まず自分に関しては、前は演奏を聴くとその人がやってる身体の動きがトレースできる感じがあって、それをやると何となく近づくなーって感じとか、あとは歌ってる感覚とトランペットが物凄く近かったんで、とにかく四六時中、これをどう歌うか、どんな流れにするかをイメージしまくって、あとはそれを実際にやってみる、、、それで回って感じがしてたんですけど、
今は音を聴くと、自分の現実とどれほどかけ離れてるかを思い知ってガックリして、それが恐怖に変わるみたいな困ったメカニズムになってましたので、そいつは捨てる事にして、
もっと単純に、「やり方」は考えず、ストレートに「こんな音を出す!!」ってことをイメージして、ひたすらそれを「やり方」は考えずに、とにかくストレートにそれをやる。。。って事にしてみたら、少しずつ良いぞー!!って感じになることが増えてきて、
つまり、上手くいかない状態が間に入りすぎてて、奏法に関してはそいつの情報の方が上回ってて、その状態を「回避」するには、、、って言う消極的なやり方か、「結局こうなっちゃうんだよ、、、」的な運命論的な感じになりやすくて、
なので、そんな風に感じる「やり方」は決してプラスを生まない!!ってわけで、ストレートに「こうしたい!!」って言うイメージを、私はやり方知らないけど、「脳よ、やれるまでがんばりなされ」と言う方法にして、私はイメージだけは残念ながら脳がどんなに諦めようとしたとしても、絶対にできるまで譲らないからね!!と言う覚悟で臨むことで、脳に良い意味で観念してもらって、「もうコイツにかかったらできるまで勘弁してもらえないんだから仕方ない。何とか出来る方法を編みだそう、、、」と思ってもらう作戦にする事にしました。
これね、何気に脳科学の学者とかはよく言うんだよねー。
「今の延長線上にはない、まだ見たことも聞いたこともないくらい、自分から遠い目標を立てて、でも誰が何と言っても譲らない覚悟で進んで行くと、どんどん道が拓けてくる」
神さま事の好きな人なら、「覚悟決めた時点で、その道のランクの高い指導霊みたいなのが付くから、何とかやれるようになっていく」
なんて言い方もする。
ま、どれ系であっても良いんだけど、どうやらそういうことで良さそうなので、私も腹くくって頑張ることにします。
まあ、確かに、、、覚悟を決めるかどうかは完全に大きい違いだと思う。
もちろん、ここで不完璧主義ってのもあるから、すぐに完璧に出来るなんてことは微塵も思わない(それは完璧に出来ないからっていちいち凹まないって意味ね)けど、何かしらの目標に向かって覚悟を決めて進み続ける、ってのは楽しいことだ。
んで、今度は自分が指導する立場から見たとして。
前にもチラリと書いたと思うけど、今の子たちは「間違う」とか「無駄」とか「損」とか好きじゃないし、怖がる。「正しい」とか「得」とか「楽」とかは好き。
本当は「間違い」や「損」や「無駄」なんか人生には1つもないはずなんだけど、
というのは、一見「失敗」に見えることでも、「そうやるとダメって言うことが『分かった』という大きな収穫」と捉えれば、こりゃー損でも無駄でも失敗でも無いのだ。
でも、正しさに拘ると、「やり方」「コツ」を手っ取り早く教えてくれ!!となりやすい。
自分で考えてやってみて、間違ってたら怖いし、怒られるのもヤだし、それなら言うなりにやった方がラク。
んー、今気づいたけど、それってつまり、自分のやったことの責任を取らないってことかもねー。
だって、やり方聞いて上手くいかなかったとするでしょ?そしたら、「教え方が悪い」「指導がら間違ってるんじゃないか?」っていう逃げ道的な気持ちがどこかにあるって気がするじゃん?
だから人に「やり方が分からない」と言って尋ねておいて、それなら説明するよ!と説明すると、正直ちんぷんかんぷんになったりして、分からないなら、、、とさらに詳しく付け加えたりすると、さらに混乱して、最後は「難しいですね」で、出来ないのは自分のせいじゃないっていうメンタルに落ち着く。
出来ない&混乱してることはある意味、めちゃくちゃシンドイはずなんだけど、自分で何とか頑張らなきゃいけないぞ!というどこまでやれば出来るのか分からないシンドさに較べれば、ラクではある。
「脳はサボりたい」
出来ない画期的な理由を見つけて、「ねー!!だから無理なんだよー」ってして、出来ない状態にいることを正当化して怠けようとする、、、
そういうシステムらしい。
それを見事に発動させちまうー!!!
でもじゃあ逆に、
例えば、、、
歌舞伎が地球に存在してることを知らない人がいるとしよう。
言葉で一生懸命説明してもらったり、マニュアル本を見たりして、あの感じできますか??って言ったら、本当に興味があって何が何でも!!って人はきっと何かしら出来るだろうけど、
は??歌舞伎??別に興味ねーし、、、って人に、マニュアル本あるから頑張れ!!って言っても、全く無理じゃろーよ??
でも、実際に歌舞伎見ればさ、なーんとなく雰囲気は分かってくるよね。たーくさん見まくれば段々勘所みたいなのも見えてくるよね??
ちょっとは自分なりにやってみたりして、うーん!!でもここは本当はどうやるんだぁー?!!
ってところで、「はい、マニュアル」ってなれば、うおおおおおー!!!!すげー!!!なるほどぉー!!!となるだろうし、その上、歌舞伎役者さんとお近づきになったり、直接ご指導頂けば、うひゃー!!!すげー!!これかー!!
ってなるよね。
ここに至る、下地っての?!やりたい欲求。目標。
これがあって初めて、「ヒント」が役に立つ。
それを自分の頭で考えることなく、「えー??やり方が分からない」って言ってたら、下地が無さすぎて、言われていることが何に繋がってるのかが、分からない。
そういう意味で、欧米みたいに生演奏が教会で頻繁に行われてたり、生活に密着したりしていると、頭に「イメージ」が相当できてる。だからそれをやりたいんだけど、どーすれば良いんだぁぁぁー!!!をレッスンなどで埋めていく、、、
でも、日本だと生で聴くとどうなるのか?とか、そういうのがあんまりわかんないけど、楽器を「やり方」で吹こう(弾こう)とする傾向が強くて、そうするとダメ出しはできるけど、目標があるようで実は「日本語」で思い浮かぶだけで、音は思い浮かんでないことも多くて、
だから何かやろうとすると、「やり方」が主導権を握ってしまって、でもそのやり方が何かステキな音と繋がってるかは全く定かじゃなく、単に「もっと真っ直ぐな音」なんて言われたら、「カラダ的に真っ直ぐに吹き込む」なんていう風にしちゃってみたり、
「どんな音出したいの?」なんて聞くと
「もっと綺麗な音が出したいです」
「そっかー!!どんな音が綺麗なのー??歌うとどんな感じ??」
「え????は??」なんてことになったり、
「今どうなってるー??」なんて聞くと、
「もっと腹筋使って腹式呼吸にしようと、、、」
「そっかー、、、それってどうやる感じ??そうするとどうなるのー??」
「え??うーん、、、」
でやってみると、それは何だ??みたいな事やってみたり。
出来ない自分が考える「やり方」なんて、正直ロクでもないものしか持ってないって思う。
どうせ考えたってロクなこと思いつかないんだから、それならいっそやり方は脳にお任せして、こっちはもっとこんな音だよぉー!!と司令を出し続けることにして、その中で、いろんな「ヒント」になる先人や先生方のお言葉なんかをフっと思い出して、そこをチェックしてみる。
その繰り返しを、「あたしゃー、あんたが出来るまで絶対容赦しないからね!!」と脳に要求を突きつけて、心を強く持って進む!!
脳はシンドイだろうけど、心は明るくいられる。
それで良いんじゃないかー??
と、そう思うのだよ。
案外、ちっちゃい子なんかは、失敗させまいと説明しちゃうと、かえって思ってもみない方向に進んで、大人慌てる、、、ってこともよくあるから、
見本を見せて、やってごらん!!
で、まあたまーにヒントくらいにするとちょうど良さげ。
ここで、今の子どもは、「やればすぐできる」「出来ない自分はダメな子だ」と思う傾向がすでにてんこ盛りに付いている場合が多いので、そこのケアが必要。
ん?ケア??いや、真実をお知らせすることが必要?!かな(笑)
そんなねー!世の中すぐになんて出来ませーん。
でも、だからって一瞬で「難しいですね」「無理」と言っちまうのは、あまりにもったいない。
すぐには凄く上手くは出来ないんだけど、ちーっとは出来るようになるんだよ。
だからその「ちーっと」を「やったー!!ちょっと出来た!!」と「大成功」として捉えて続けていくメンタルがあれば良いのだよ。
そこなー。それなー!!
本当、こりゃー自分も本当そうよ。ホント、このメンタル!!それこそが成功のカギなんだろうなー。
うん!!
みんなで楽しく明るく頑張ろうー!!
それでは、またも熱くなったので、本日はここまでー!!
それではまた明日ー。まったねー😊