( 「リニア・鉄道館」 名古屋・金城埠頭)
■2011/8/17
リニアだけでなくSLはじめ昔の急行電車や戦前の車両なども展示してあった。 私が嬉しかったのは、100系・200系の後ろにひっそりと置かれていた「0系 ドクターイエロー」 だった。
(寅)
( 「リニア・鉄道館」 名古屋・金城埠頭)
■2011/8/17
リニアだけでなくSLはじめ昔の急行電車や戦前の車両なども展示してあった。 私が嬉しかったのは、100系・200系の後ろにひっそりと置かれていた「0系 ドクターイエロー」 だった。
(寅)
( 名古屋・金城埠頭 「リニア・鉄道館」) 2011/8/17
■2011/8/17(水) 曇時々晴 小雨 暑
早起きして 大和八木から近鉄のノンストップ特急電車に乗って「名古屋」へ向かった。 思った通り、乗車率に余裕ありで50~60%といったところか。
この春オープンした「リニア・鉄道館」に足を運んでみようと お盆のピークを避けて本日決行。 名古屋までは、この特急で大和八木から約1時間半、片道3500円。
東海道新幹線とはまた違った感じで、奈良県・三重県のローカルな車窓が楽しめる。
長谷寺~榛原~名張~津~四日市~桑名~ そして木曽川を越えると愛知県、ん?見覚えある景色だと思ったら二月に蔵見学に行った「義侠蔵」近くの弥富あたりだった。
それにしても名古屋も暑かった。11時に着いた名古屋からは「あおなみ線」という新路線に乗り換え、終点の金城ふ頭駅まで、25分。降りてすぐのところに銀色に光った真新しい「リニア鉄道館」が見える。 隣は港で、大阪南港の資材置場のような雰囲気と似ている。
それほどでは無いと思ったが、それでもお弁当持参の小さな子供連れ家族でいっぱいで、鉄道関連は、どこに行っても動物園に負けないくらい人気。
まずは暗い中にSL そしてリニア車輛がどーんと展示してあった。 リニアだと東京~名古屋が40分で、東京~大阪までも1時間ちょっとになるみたいだけど、そして奈良にも停車駅の計画があるとワクワクしそうな話題が耳に入ってくるが、果たして開通した時 私はいったい何歳?
ここだけが、どうしてもひっかかってしまうな。
(寅)
( 万葉の四季彩号 JR王寺駅) 2011/6/3 21:28
■2011/6/3(金)
先週の金曜日もそうだったが、いくらアルコールを飲んでも、コーヒーを飲んでその夜を〆ることが多くなった。 それは、コーヒーに気持ち救われることを知っているから。
実は「お酒は万能ではない。」 そう感じた時は、私は即、珈琲に切り替えることにしている。 実は、今夜もそうだった。 午後9時10分、珈琲(カフェオーレ)を飲み終えると、帰路につくべくJR王寺駅に向かった。
JR王寺駅から新庄駅までは約20分の道のり。 5番ホームで待っているとしばらくして私の前に止まった電車は、コンペで選ばれたラッピングデザインの「万葉の四季彩号」だった。 車内に足を踏み入れると中吊り広告も奈良の特産物ばかり。 よその地域の人がこのポスターを目にすると 「へ~ 奈良ってそうだったんだ~」ときっと口にすることだろう。
このラッピングデザインをしたデザイナーもドア上広告面に紹介されていた。 富山在住のプロのグラフィックデザイナー横川雅子さん(だったかな)。 和歌山線を走っていたのを葛城で何度か目にしたことがあって、きっと女性がデザインしたんだろうな とは思っていたが、乗ったのは初めて。 まさか今夜この時間に乗れようとは・・・
珈琲の香りが余韻となって、四季彩号に乗車の夜。 宮沢健二ではないが、このまま車体が浮き上がって「万葉鉄道の夜」にでも誘(イザナ)ってくれれば最高だろうにと思った夜だった。
(寅)
( 「鉄道プラザ」 JR大阪STATION CITYビル最上階 ) 2011/5/3 撮影
■2011/5/4(水)
「地下二階以外は、私は立ち寄るところはなさそうだ。」とオープン早々のJR大阪CITYビルに対し乱暴な事を書いてしまったが、補足しなければならない。 できれば最上階まで上がっていただき庭園に立ち寄って線路を眺めていただきたい。 「線路は続くよ、どこまでも~♪」 現実には線路がどこまでも続いていないことを誰も知っていて、どこかの駅から乗ってどこかの駅で降りる。そんな人たちが集まる処が駅で、駅には始まりと終わりを感じさせる何かがあるものだ。
鉄道好きな方は、眺めた後、その最上階JTBの横にある「鉄道プラザ」に寄ってみるというのは、どうだろう。明日の「こどもの日」は、かなり賑わうかもしれない。 特急のヘッドマークが飾られた部屋で、ゴジラが立つ大阪の街を走る鉄道模型を眺めながら どこまでも続くような夢を語ることができれば最高だろう。
(寅)
(近鉄阿部野橋駅 さくらライナー)
■2011/4/8(金)
この春、若草色から桜色に衣替えした
「近鉄・さくらライナー」
内装も吉野の杉・檜を生かした内装になったとか・・
夜の阿部野橋ホームで、私と同じくほんのり桜色をしていた。
折角だから夜のさくらに乗って帰ろうと思って券売機に向かったが
さすがに金曜夜は、乗車客が多く禁煙席が空いてなく断念した。
これから来週にかけて 吉野の桜は満開に向かう。
さくらライナーで桜咲く吉野山へ!
関西こそ元気を出さないと
その元気を東北へ!
満開の季節に閑古鳥は似合わない。
(寅)
( 熊本に向かう800系つばめ 「博多駅」 ) 2011/3/12撮影
■2011/4/4(月)
きっと多くの鉄道ファンが、今晩オンエアの
NHK-TV プロフェッショナル「仕事の流儀」を観たことだろう。
今夜は、人を笑顔にする列車デザイナーのカリスマ
水戸岡鋭治さんの特集だった。
九州には、水戸岡さんがデザインした(特急)列車が多く走る。
西戸崎を走ったアクアエクスプレスを筆頭に
昔熊本まで乗った787系「黒いつばめ」に
今度の新しい800系の「白いつばめ」は、
床にまでつばめをデザイン、縄のれんに、桜すだれの窓、
本革張りシート コストを抑えつつも贅沢だ。
熊本の「あそBOY」も鹿児島「指宿の玉手箱」も水戸岡デザイン
そして 和歌山貴志駅で乗った いちご電車・おもちゃ電車も
水戸岡デザインだったという事を今夜初めて知った。
確かに どれも乗ってみて楽しい気分にさせてくれる列車ばかり。
まもなく来るいちごの季節には、ちょっと貴志駅まで
たま駅長の顔でも見に行くとするか
(寅)
( さくら 「新大阪駅」 ) 2011/3/14 撮影
■2011/4/1(金)
地震・津波・原発事故とまさに負の連鎖が日本と言う国を揺るがしている今
これがエープリルフールの出来事ならどれだけ救われることか
と思っているのは、たぶん私だけではないだろう。
目の前に突き付けられた嘘でない現実。
年度替わりしても負の遺産は
実はこれからがスタート
即リセットとは
いかない。
現実とは、いかに非情であり無情なことか・・・
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4月1日の年度替わりを機にそろりとブログを再開しようと思う。
写真は、両手に荷物を抱え、「さくら」を降り立った3/14(月)夜八時頃の新大阪駅。
「先頭車輛の目が桜色に光ってキュート、夜の「さくら」だから夜桜ってところか」
降りるとまもなくして鹿児島中央行「みずほ」に表示が切り替わった。
これから鹿児島行きか・・・ 鹿児島に着くのは夜の11時過ぎだな・・・
まだ開通3日目だからカメラを構えて写真を撮っている人も多い。
3月3日に「ホワイトデーはさくらだよ!」と宣言はしたものの
11日の東北・関東を襲った大震災の衝撃シーンに
その日軽々しいことは、書けなくなってしまった。
私がレールスターで博多駅を降りたのが、3/11午後2時39分
その7分後に東北の大震災が起き、新幹線が止まった。
新幹線運転見合わせのアナウンスとTVニュースに
博多駅の構内には、大変な人だかりができた。
私が乗ったレールスターが、その日九州に
入れた最後の新幹線となった。
当然 翌日早朝の新幹線開通イベントは中止になった。
当然のことながら、楽しかったことを軽々しく書く気持ちもおこらず
3月後半、ブログ更新は休止させていただいた。
実は、この半月書きたいことも沢山あったが、
全てを書くタイミングではないとも思った。
釜石から着いて、乗り換えまでの2時間、町を歩いた大船渡
フカひれをごちそうになって宿泊した気仙沼
それら惨状を見るにつけ
あまりの変わりようにショックで書けなくなってしまった。
津波で22km分もの線路が、流出したとも聞いた。
無くなった駅舎も数多だろう。
ブログを再開するタイミングとして、まだまだ早いのかもしれないが、
ここ奈良県の一角からエールを発信できればと思う。
ともあれ、本日から4月・新年度がスタートした。
被災地の人たちの心の内を考えると心痛むが、ただ心痛めてるだけでは
何も進展しないままだ。被災者でない私は何かを始めないといけない。
私はこれから、月に純米吟醸酒四合瓶1本分を減らし、
その分を毎月の義援金に廻す。
まずは、わずかだが身の丈でできることから始めようと思う。
桜前線が、日本列島を北に向かっている。
(寅)
(はやぶさデビュー)
]■2011/3/5 (土) 晴
私にとって今朝一番のニュースは、何と言っても東北新幹線「はやぶさ」のデビュー。
私は、当時デビューしたての「はやて」に乗りに東北に行った。
雪降る盛岡で一泊し「はやて」で八戸の夜の屋台めぐり
翌日、大雪の青森に向かった日の事を思い出す。
それが丁度3月5日のことだった。
前泊の八戸を後にし、中継駅の吹雪く「野辺地」からただただ白い雪原を青森に向かった。
確かその青森県内を移動するだけで、特急電車なのに1時間ほどかかった。
東京から新青森が、3時間台だから今や隔世の感がある。
グランクラスなどは、分不相応だけど
今度は、この「はやぶさ」で
また巡ってみたい。
みちのくを
(寅)
( トワイライトエキスプレスに「日本海」のヘッドマーク JR大阪駅) 2011/2/24
■2011/2/24(木) 曇
「私はカモメ ならぬ 私は磁石」なのか・・・
会社から残業を済ませて家に帰ると 「鉄」の最新情報が入っていた。
まさか会社を休んで写真を撮れるはずもなく、
私の代わりに写真を撮ってくれた人のありがたさよ。
不思議と私のところには、「酒」と「鉄」の話しが舞い込んでくる。
神様は、きっと知ってるんだろうな~
私が「酒」と「鉄」には磁力を発揮することを
写真は、本日午前10:20頃のJR大阪駅ホームとのこと。
いつもは赤い機関車なのに今日は特別
トワイライトエキスプレスに「日本海」のヘッドマーク
これに引っ張られて目を覚ますとそこは「青森」なんて
なんとも素敵じゃないか
また行きたい
寝台特急で酒を飲みながら日本海
次は、こんなこと実践してもいいかな・・・
(寅)
( みずほ JR九州HPより) 2011/2/13
■2011/2/13(日) 曇時々晴
九州新幹線の「みずほ」・「さくら」の1番列車の乗車券が、
わずか15秒で完売だったとニュースになっていた。
嬉しそうに切符をかざして、何とも うらやましい限りだ。
新大阪から熊本まで2時間59分、鹿児島まで3時間45分の所要時間の短縮は
南九州がグ~ッと近づいた気がする。
熊本からは、大阪に「くまもん」が、奈良からは、熊本に「せんとくん」が
それぞれ観光大使として出張しているとのこと。
関西でも 熊本の「馬刺し」や「からしれんこん」、鹿児島の「豚の角煮」や「芋焼酎」が
今までよりはきっと身近になるだろう。
今年あたり 久しぶりの「天文館」もいいかもしれない。
もちろん 鹿児島だけは、47都道府県で唯一「日本酒蔵のない県」
ここだけは、芋焼酎めぐりとなりそうだが・・・ それはそれで
まずは、3.12の全線開通が待ち遠しい。
(寅)
( 近鉄阿部野橋駅 ) 2010/12/29 am5:00撮影
■2011/1/1 (土)
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
うまいものとの出会いが
一番のエネルギー
今年は、『質実冒険』の道を更に追究して参りたいと思います。
写真は、天王寺で28日夜から徹夜して、翌日29日am5:00の朝一番
「近鉄阿部野橋駅」のシャッターが上がると同時にホームに行って撮った写真
新年に向けた飾り付けがなかなかのものです。
さすがに人っ子一人 誰も写っていない超レアな状況です。
ゲートが開かれた瞬間
朝5:30の始発電車の時刻が静かに表示されて
人のいない構内の新鮮な気分を味わいました。
こんな気分を大切に 今年も 奈良・葛城山の麓から
風通信をおとどけして参ります。
(寅)
(東北新幹線「はやて」 新青森駅-東京駅開通) 2010/12/4 記事写真より
■2010/12/4(土)
東北新幹線が、新青森駅まで開通した。
あれから7年は経つだろうか、東北新幹線「はやて」が盛岡から八戸まで開通してまもなく
東北まで「リアス線銀河鉄道」と「はやて」に乗りに行ったことを思い出した。
雪の降る八戸の地を踏んだ夜、初めてそのメニューを聞いて食べた
真冬の「せんべい汁」の味を今も忘れていない。
八戸から青森までは、野辺地(のへぢ)で乗り替えしたが、その野辺地駅前は、
胸元までの高さ雪が積もっていて、結局駅舎の待合室で
だるまストーブにあたりながら50分ほど待って
青森行き電車に乗り込んだ。
あの時、同じ青森県なのに八戸-青森は、かなり離れていて時間がかかるという
印象を持ったことも確かだ。
いよいよ 東京-新青森が本日開通。
かつて26時間かかっていたのが、3時間10分程にまで短縮されたとは
隔世の感がある。
青森市は、今「にぼしラーメン」で町おこし をやっているとのこと。
以前青森に行った時は、そんなメニュー耳に入ってこなかった。
あの時青森で食べたのは、「ほたてラーメン」だった。
今度は、新幹線で青森まで行って食べてみたい。
昨日の関西の暴風が、みちのく東北にまで行って
早速大暴れしているようだが、まずは、
「祝 開通!おめでとう。」と言いたい。
(寅)
( にちりんシーガイア号 「博多駅」)
■2010/11/21(日) 晴
和歌山のローカル線・TAMA電車には何度か乗りに行った。
できるなら春がいい。私は春の乗車をおすすめしている。
イチゴ畑を走るTAMA電がやはりベターシーズン。
駅にはTAMA駅長のファンが大勢いる。
多くの人に取り囲まれても
いたって平静で可愛い。
たいしたもんだ
TAMA駅長。
そのTAMA駅長のラッピング電車を博多駅構内で発見。
「885系 がんばれ宮崎 TAMAラッピング電車」
日経新聞のモノクロ記事で知ってはいたが
まさか実物を目にできるとは
なんともラッキーだ。
「にちりんシーガイア号」
宮崎にも何度か行って 肉・鶏・ひや汁などの郷土料理とそば焼酎に酔ったことがある。
畜産県宮崎の復興を願いTAMA駅長ともども
私もエールを贈りたい。
「がんばれ!宮崎」
(寅)
(500系新幹線 新大阪駅) 2010/11/20
■2010/11/20
来年の2月末で、「のぞみ」としての運行を終える500系新幹線
それ以降は、山陽新幹線の「こだま」車輛となるわけだが、
この車輛こそ新大阪-博多間3時間の壁を初めて破った
0系以降では、「夢の超特急」を
私に印象付けた
車輛だった。
天気も良く、新大阪駅のホームに早めに着いた私は
止まっていたこの車輛を最後尾から
最先端まで歩いて眺めた。
当然、数人ではあるが、この500系を
撮影している人が見受けられた。
ドイツデザインのこの車輛は、
まるでジェット機のよう
鉄でない私にも
感じた早さ。
凄!!
現在東京-博多間1日1往復のこの「500系のぞみ」
来年2月末最終までにはお気に入りの
酒とつまみをお供に
乗り込みたい
ものだ。
(寅)
( ブルトレ『あさかぜ』復活運行 博多駅) 2010/9/25 15:30撮影
■2010/9/25(土) 晴
かつて東京~下関を走っていた伝説のブルートレイン『あさかぜ』
確か運行を開始したのは、1956年。 当時は、「走るホテル」と言われた。
9/25 ED76の三連機関車という極めて珍しい連結で、ただ1日限り
門司港~博多間を復活運行した。
北九州~博多の沿線には、三脚や一眼レフを抱えた数多くの「鉄」が
集結していた。
博多駅の5番・6番ホームにも続々と「鉄」が集まって、まるで
磁石に吸い寄せられる砂鉄を想像したら正しいかと思う。
その砂鉄のひとつが、私なのでもあるが。
天に広がるいわし雲から優しい日差しがふりそそいでいて、関西より
九州の方が、秋の訪れが早いと感じていた15:30 その 「あさかぜ」は、
吉塚の方向からゆっくりとホームに入ってきた。
まわりでは連射シャッターを切る音、数々のフラッシュ、電子音と光りの
お出迎えは、まるでスーパースターの来福のようだった。
三連機関車のブルートレインは、極めて稀、果たして次に生で
見れるのは、いつだろう。
『あさかぜ』が昼、秋風に乗ってやってきた。
「秋風便乗朝風なり。」とメモ帳に書き留めた。
博多駅ホームで感じた風の過ぎ行くひとときに、懐かしく幸せな
気分を感じたのだった。
(寅)