( 「かけうどん」 うどん「藤義し」) 大阪・西田辺
■2014/4/28(月) 〈回想記〉
それは、丁度ひと月前 3月28日のこと。 時計は午後8時を廻っていた。 大阪・西田辺の『うどん 藤義し』からこのブログに「近いうちにお店の方に寄ってください。」というメッセージをもらっていたので、予定を早め店に寄ったのだった。
(その夜3/28 の「藤義し」)
まだ肌寒さの残る金曜日の夜。私が店に入ると藤原さんの「あー よかった。 今日、来ていただいて」 という安堵の第一声が耳に入ってきた。 私は、まもなく始まる消費税アップの件で、値付けとメニューの相談があるのだとばかり思っていた。
やがて藤原さんの口から出てきた言葉は想像すらしてなかったものだった。 「寅さん、実は明日で店を閉めるんですよ」 一瞬耳を疑った。 「えっ、今 店を閉めるて言われました? 明日で? えっ 何で?」
「実は・・・・ うちの売上の半分は、親子丼や天丼なんです。 その天ぷらと丼ものは、母がやっていまして、その母が体調を壊して丼ものメニューができなくなったんです。(できる目処もたちませんし・・・ 閉店を決意した次第です)」
もう閉めると決定したことなので、今までお世話になったお客さんには、閉店の挨拶をしておきたいとの気持ちから 連絡したとのことだった。
「やめるって? 困るな・・・どこか違う場所で、うどん店をやらないのかい? 」 私の後に来た常連さんの質問に 「やらないです。今はやめて肩の荷がおりた感じです」 との言葉に 「もったいないな~」と私と同じ言葉を発していた。
自分の中で、これにそっくりなことが以前もあったなと瞬時に思い出してしまった。 あれは確か・・・ 「近いうちにお店に寄ってください」 それはマスターの奥さんから私のブログに寄せられた連絡だった。 そうして寄ったら 「主人が長期入院することになりそうで、あと数日で店を閉じるんです。さっきテナントの大家さんに話して来ました。」 私が、たぶん大阪では初めて カレー専門店に純米酒「梅乃宿」を置いてもらった店 『カレーハウスCocotte』のこと。 今回もそれと似ている。( 気の合う相棒の体調不良で、一人では籠が担げなくなってしまった。 と江戸時代の籠かきに例えると近いか)
藤原さんに「では、知らせる意味で私のブログに閉店のことをすぐに書きましょうか?」と尋ねたら、「う~ん」と言ってすぐには書かないでほしい との意向だった。 たぶん店の後片付けもまだこれからだし、気持ちの整理にも時間がかかることだから、丁度1月して書く事にした。
正直、その夜から数日間、桜は咲き始めた頃なのに 私は落ち込んでいた。 店に機材に技術に投資してきてこれから商売というタイミングだっただけに 残念でならない。 藤原さんは私以上にそうだろうけど・・・何とも無念。
(「激安メニュー」 さすがに高騰した海老で天丼こそ値上げしたが、その他はオープン当時のまま)
その夜、藤原さんは、「寅さんには、応援していただいたのに本当申し訳ないです。」と何度も何度も 計十回以上も私に頭を下げた。 「そんな やめてください」私は、何もしてあげてないのに・・・
まもなくして昼食もここで食べたという近くに本社のある会社の社員が、残業の合間に最後だからと制服姿で夜も食べに来ていた。 「無くなると困るな~ お昼や残業でよく使っていたから 」と言っていた。
▼「野菜かきあげうどん (冷)」
私は、まず かき揚げの冷たいの それを食べ終えた後、藤原さんとしばらく話をして、
明日の最終日来れないからその分としてもう一杯注文することにした。
最後の〆は、基本の「かけうどん」
▼(私が「藤義し」で食べた最後のうどんとなった「かけうどん」
もちろんトッピングは、わたし流 スタンダードな一杯。)
最後に 藤原さんは私にこんなことを言った。 「寅さん いつもうどんができてから 時間をかけて写真を撮るから、食べ始め迄に 時間が経って、麺のびちゃうのにな~ 早く食べてほしいなと見てたんですよ。 それで、最近は、その分を計算して少し固めにゆでてたんです 」
「そうだったんですね」 そんな気遣いが嬉しい。
使っていたうどん機材は、うどん学校時代の友人がやる 東京・新宿の方のうど店に送るとのこと
( いつもうどんの熟成のタイミングにこだわっていた藤原さん この夜のうどん麺 )
藤原さんは、 「もう うどんはやらないです」 と私に言ったが、私は心のどこかで
いつかこのブログに「 寅さん、○○でうどん屋始めました。 今度はごぼう天メニューもありますよ」
そんな復活の連絡が入ることを期待している。 ともかくも 藤原さん、体を大事に頑張ってください。
http://blog.with2.net/link.php?1601745
(寅)