親父の死に目に会えなかったことは書きました。台風でした。
母の時は…。
朝、一番上の兄から電話があり、母が亡くなったことを知りました。
母は、自分の希望で病院に付属する介護施設に入所していました。兄から来れる時に会っておけと言われ、かみさんとゴールデンウィークに私設会いに行ったこともありました。
母の死に目には、誰も会えませんでした。施設の人が夜の見回りに行った時に亡くなっていたそうです。苦しまなくて済んだようだということでした。
その時は、すでに福岡で、上の娘は熊本に嫁ぎ、息子は大学を卒業して東京で働いていました。
かみさんと、互いの仕事の調整をして、新幹線で新大阪経由で福井へ。母の時は、葬祭場で、お通夜に間に合うように帰りました。
実は、この時、台風が福井に向かっていました。息子も仕事の調整をして、新幹線で名古屋へ。特急に乗り換えて福井へ。息子を福井駅に迎えに行くと、息子の乗った列車以降は運休になりました。
葬祭場で、通夜を迎え、兄弟と交代で寝ることにしましたが、風かだんだん強くなり、雨も激しくなっていきました。明け方に台風は通過したのですが、風と雨は続き、それでもご近所の方を含め、多くの方々が葬儀に来て下さいました。
親父の時と同じで、私の親友が最初に来てくれて、お経をあげてくれたと、兄から聞きました。勿論、通夜も葬儀も他の偉いお坊さんといっしょにお経をあげてもらいました。
兄弟からは、親父の事があてので、台風はお前が連れて来たんだろうと言われました。
さすがの私も、母の時まで台風とは、と少しは落ち込みました。
葬儀の最後に、家族、親戚でお棺の中に花を入れるのですが、その時に姉が、『じいちゃん(親父の事)を20年近く待たせたけど、やっと側に行けるね』って。まだ激しい風雨の中、私も号泣しました。