西やん中洲にいます。

西やん67歳、日々の出来事独り言

私の回りで何かが…6 【女性が…】

2015-02-15 21:19:47 | 私の回りで何かが
やはり、福岡での事ですが。

いつも通り、帰宅するため電車に乗りました。乗車している時間が短いので、いつも座る事はなく、その日も車両の一番後ろのドアの辺りに立っていました。

ほどなくして、私の降りる駅に到着する直前。1メートルほど前に居た女性が、突然、バッタリと倒れました。しゃがみ込むとかではなく、倒れたんです。

もちろん、回りには何人も乗っていたのですが、最初に女性に駆け寄っていたのは私でした。回りの人は、驚いてとっさに何もできなかったのか、私が早かったのか。

とりあえず、声かけして、もうろうとしている様でしたが、抱えて起き上がらせて車外に。ホームに出て、近くに居た降車した人に、駅員さんを呼んでもらう様にお願いし、駅員さんが来るまで、女性をホームのベンチに座らせて、声かけしながら待ちました。

駅員さんが来て、女性に動けるかどうかを確認し、動けるとのことなので、とりあえず、駅の事務室まで駅員さんと両側から支えていき、ソファーに座らせました。

後は、駅員さんに引き継ぎ、帰宅しました。

こういう事もありました。

私の回りで何かが…5 【子供が…】

2015-02-15 20:36:57 | 私の回りで何かが
私が福岡に移り住んでからの事です。

福岡に引っ越した時、長女は小学校3年で、長男は幼稚園。次女は一才でした。

住まいは賃貸マンションで、通勤で通る道の途中に小学校があります。子供たちは、集団登校ではなく、近くの仲良しと登校するような感じでした。

長女が先に家を出たか、後だったかは忘れましたが、学校まで娘といっしょに行く事は、あまりありませんでした。

冬のある日、いつもの様に家を出て、駅に向かって歩いていました。前後には小学生が何人も歩いています。小学校までの道は片側一車線で、車道と歩道の境目は長めのブロックの様なもので仕切られているだけで、段差はありません。

私の数メートル前を、おそらく低学年の男の子が歩いていました。友だちと駆け足になったり、歩いたりしているように見えたのですが、突然、何かにつまずいて、ブロックを越えて車道側に倒れ、顔と言うか、頭を打ち付けました。

幸いに、車の通りは多いのですが、間隔が開いていて、運転していた方がすぐ気づいて止まってくれたので、車と事故することはありませんでした。

一番近くに居た大人が私で、すぐに駆け寄り、抱き抱えて、近くの一階が駐車場になっているマンションへ運び、着ていたコートを脱いで地面に敷ぎ、その上に寝かせました。
額から血が出ていたので、ハンカチで押さえながら、まわりに立ち止まって見ている子供たちに、『この子のお家知ってる人、家の人呼んできて』と叫んでいました。

あまり大きな怪我では無さそうでしたが、頭を打ったように見えたので、救急車を呼ぶ事も考えましたが、小学生なので家は遠くないはずなので、家の人が来るのを待つ事にしました。

ほどなくして、お母さんが来たので、事情を説明して、後を引き継ぎ、家に戻りました。
コートやスーツなどに男の子の血が付いたので、着替えて、改めて会社に向かいました。

その日、家に帰ると、かみさんから、男の子のお母さんがお礼とクリーニング代を持って来られたそうで、男の子は大事はなかったとの事でした。

そういう事がありました。


手術の思い出30 【3年後の間違いでした】

2015-02-15 19:10:31 | 手術の思い出
前回、異変が起きたのが事故の『3ヶ月後』と書きましたが、『3年後』の間違いでした。

大学を卒業して、社会人になってからの事です。きっかけと言うか、原因は覚えていないのですが、学校に勤めていた時にテニス部の顧問をしていて、夏の大会があり生徒の試合に立ち会っていたのですが、何かの原因で腰を痛めて、先に帰る事にしました。
ただ、会場から車を運転して帰るため、車に乗ろうとするだけで激痛で、運転中も痛みは治まりませんでした。

帰宅して、近くの整形外科へ。レントゲン等の検査をして、先生に診察していただくと、『何か腰に強い負荷をかけたような事はなかった?』と聞かれ、思い出したのが交通事故。私は助手席でシートベルトをしていて、左からぶつかられたので、体は運転席側に逃げているのですが、腰はシートに座ったまま。自分がどんな姿勢になっていたかは分かりません。先生も、それかもしれないねと。

治療は、腰の骨の間への注射。針か10センチ以上ある注射器で、うつ伏せになった私の腰を確かめながら針を射します。力を込めて。

その後は牽引。上半身と下半身を別々に引っ張ります。

完治までは3ヶ月と言われ、週に1回通院しました。最初の1ヶ月は注射がありましたが、その後は牽引だけでした。
可愛い看護師さんが居たので、それを楽しみに通院していましたが、3ヶ月を過ぎても、先生から治ったとは言われないし、もう痛みもないので、いつしか病院に行かなくなりました。

その後も、何度か腰を痛める事はありましたが、最初の時の痛みほどではなく、何日かで回復していたので、病院まで行く事はありませんでした。

それが、年を取るにつれて新たな異変が出る様になり、50歳前後で病院に行かなければならない事態になりました。

手術の思い出29 【他のバクダン】

2015-02-14 22:15:01 | 手術の思い出
狭心症は、私にとって大きな爆弾ですが、他にもバクダンがあります。

きっかけがそれかどうかは分からないのですが、わたしが学生の時です。

彼女の従兄が大阪に居て、免許取って、中古の車も買ったから、何処かに行こうと言う話になり、私が助手席。彼女が後部座席に座りました。

しばらく走った所で、吹田市の御堂筋線の高架下の信号にさしかかりました。片側三車線の道路の真ん中に地下鉄や道路が通る高架があります。その交差点を直進するつもりでしたが、大きな交差点で、入った時は青だったはずですが、反対側の車線に入る時には赤信号に変わり、左側の車が動き出そうとしていました。三車線の真ん中の先頭がトラックだったので、見えなかったのでしょう。トラックの影から乗用車が飛び出してきました。

その車は年輩の女性が運転していたのですが、おそらく、驚いた拍子にブレーキとアクセルを踏み間違えたのでしょう。結構なスピードで左真横からぶつかられました。

助手席の窓ガラス、後部座席の左窓ガラスが割れ、彼女は反対側に飛ばされました。

幸い、左のセンターピラー(後部ドアの付け根)の硬い所にぶつかられたので、皆ケガはせずに済みました。

だだ、私には三ヶ月後に異変が出ました。

手術の思い出28 【狭心症その後】

2015-02-14 20:56:33 | 手術の思い出
また番号間違えました。28でいきます。

狭心症の診断を受けてからは、掛かり付けの病院に月一回のペースで通院し、診察と薬をもらいます。

ヘルベッサーR ていう、血液サラサラにする薬は毎日飲みます。この薬を飲んでいるせいで、と言うか、狭心症のため、生命保険は切り替えができなくなり、更新しか出来なくなりました。

もう1つの薬は【ニトロゲン】と言う、舌下剤です。舌の下に入れる薬です。ニトログリセリンです。

狭心症の発作が起きた時に、舌の下に入れます。今のところ、自分で入れているので、まだましですね。自分で入れられなかったらヤバイかも。

ニトロゲンは常に小銭いれなどに入れて、持ち歩いています。

何度も発作は起こしていますが、ヤバイと思ったのは、家族と熊本に行った時の運転中。一般道だったので、脇に止めて、運転を交替してもらい、後部座席でニトロゲンを舌の下に入れて、発作の痛みが治まるのをじっと待ちました。

もし高速だったら。一人だったら。ちょっとヤバイかも。

それでも、中洲で遅くまで飲んだり、煙草吸ったり。自分の身体に優しくない私です。

『心臓の血管、2本一度に縮んだら、心臓止まるからね』
医者の説明でした。