小さな町で幸せ探し

団塊世代の夫婦の日々・・
夫が生まれて育った故郷で暮らしています。
悲喜こもごものスローライフの物語。

明日を憂うより今日を生きる?

2014-12-05 18:55:05 | 日記
我が家、先祖伝来伝わった宗旨を持つので
この齢になって今更、宗旨替えをする気は全くないのです。
ただ、知り合って結婚した夫とは
たまたま同じ宗旨だったのは、幸運と言えるかもしれません。
私達夫婦ともに信心の深さは
ご先祖様には申し訳ないほどに薄っぺらいものです。
重篤な病に罹ったり・悩んだ時、宗教に助けを求めた人はいるでしょう。
また実際に、どん底の日々から救われた人もいることでしょう。
私、俄か信者なので、これ以上・掘り下げて語る資格はないのですが。

言いたかったことは

先日、布教活動で来た方が直筆で書いたものを置いて行きました。
その時、私は「小難しい宗教のことは判りませんので・・」と
お話を聞くことをヤンワリ拒否したのです。

このところあることで
鬱々とした日々をネガティブに過ごしていたのでした。
布教に回っている方が、置いて行った上の一枚に目を通してハタ!と。
私は単純に、この文言が今の私への進言になっていると感じたのでした。

「先のことを思い煩わない、今日を心配ごとで無駄にしない」

実は、近しい50歳台の人が重篤な病に罹り治療に向き合っています。
彼女は前向きで、傍目には淡々ととしているかに見える表情なのです。

それと近しいもう一人は、認知度レベル4。
あの理知的でサバサバした女性が物忘れだけならまだしも
被害妄想という当人には何とも苛酷で辛い症状を抱えています。

当事者二人が精いっぱいのことをしていたり
配偶者から心からの手厚い看護・世話を受けているのに
周囲の者(私)が、精神面だけで思い煩っている気がしてきました。
二人のためになるどころか、同情のような態度は
病と闘っている人の為には害にはなっても励ましにはならないのではと。

単純すぎるかもしれませんが、
このメッセージが私の神経を優しく撫でてくれたような気がしました。

だからって無論、宗旨替えをするつもりはありませんが。