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安全置き去りの原発新基準 笠井議員追及

2013-06-22 22:51:08 | 日記
しんぶん赤旗               2013年6月22日(土)
論戦ハイライト
安全置き去りの原発新基準 笠井議員追及
 21日の衆院原子力問題調査特別委員会で、原子力規制委員会が決定した原発の「新規制基準」についてただした日本共産党の笠井亮議員。原発再稼働ありきで、国民安全は置き去りの実態が浮き彫りになりました。
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計画だけで再稼働容認か 笠井氏
「対策は時間かかるから」 田中氏
 笠井氏は、新基準が国民から寄せられた意見も反映せず、事故の原因究明も終わらないなか、拙速に決められたものだと批判しました。
大気放出を前提
 笠井 国民から寄せられた意見を受けて原案から最も変更した点は何か。
 田中俊一規制委委員長 基準の技術的内容を根本から変更したものはない。電源車やポンプ車の予備の台数を電力会社が設定できるようにした。
 笠井 福島原発事故の原因究明はすすんでいるのか。
 田中委員長 現場は(放射)線量が高いので少し時間はかかる。
 笠井氏は、新基準が格納容器の破損を防ぐためとして、放射性物質を大気中に放出する「ベント」を行うことを前提の一つにしていることの問題点も、こうただしました。
 笠井 原子炉等規制法では放射性物質の「異常な水準」での放出による災害を防ぐよう定めている。田中委員長は最悪でも100テラベクレルに抑えるというが「異常な水準」の放出ではないのか。
 田中委員長 そういったことをせざるをえないこと自体が異常な状況だ。
 さらに笠井氏は、新基準で求められている「フィルター付きベント」設置や原発の運転期間延長に必要な対策について、書類上の計画が認められれば、完了していなくてもよいとする問題を追及しました。
ずさん実態次々
 笠井 工事の着工・完了はしなくても再稼働の申請を受け付けるのか。原発の運転延長を求めるなら、対策工事が完了してから許可を申請し、審査を受けるのが当たり前だ。
 田中委員長 実際の対策には時間がかかるので、(計画だけでよいと)そういう判断をしている。
 放射性物質をこし取るフィルターベントがなくても、また40年を超え老朽化した原発であっても、計画さえあれば再稼働や(60年までの)運転延長を認める―。新基準の骨抜き、ずさんな実態が次つぎと明らかになりました。
 さらに笠井氏は、重大事故が起きた際、周辺住民には避難を求めるとしながら、地域防災計画の策定が遅れていることを指摘し、こう追及しました。
 笠井 原発立地自治体や住民への説明は不十分だ。
 田中委員長 (防災計画は)稼働判断と(法的には)直接リンクするものではない。
 防災計画が整わなくても再稼働を認めるとする田中委員長。笠井氏は「まったく実態が伴っていない。国民の安全を置き去りにした新基準だ」として、原発の再稼働をやめるよう求めました。



「福島原発事故」何も進まぬ1年 政府に怒り 方針出して

2013-06-22 22:14:44 | 日記
 東京新聞より転載   2013年6月22日
【福島原発事故】
何も進まぬ1年 政府に怒り 方針出して

 東京電力福島第一原発事故の被災者を救うはずの「子ども・被災者支援法」が無力のまま、二十一日で成立してちょうど一年を迎えた。超党派の議員提出で、衆院、参院とも全会一致で可決したのに、政府は具体化のための基本方針さえ作らない。今月には復興庁担当者のツイッターでの暴言も明らかになった。同日、東京・永田町の参院議員会館に集まった被災者や支援者は、怒りと落胆の声を上げた。 (柏崎智子)
 「成立した日は、革命が起きたかと思うほどうれしかった。これで私たちの生活が少しでも楽になる、苦しみがなくなると期待したが、変わらなかった」。福島県郡山市から札幌市へ自主避難している宍戸慈(ちか)さんは振り返った。
 災害救助法の住宅支援があるだけで、生活は苦しい。その支援さえ、来年三月には打ち切られるかもしれない。
 福島市から東京都練馬区へ母子避難している二瓶和子さんは、二人の子どもを別々の保育所へ預け、高い保育料を払いながら日中働き、夜も子どもたちが寝静まると内職する。支援法に期待し、国会議員や担当職員のいる集会で発言してきた。「何が大変ですかと聞かれ続けたが、大変さは改善しなかった」
 浴びた放射線が将来どう影響するのか、未知の部分が多い。だからこそ、子ども・被災者支援法は、被災地にとどまることも、避難することも、避難先から再び帰ることも、すべて被災者自身の決定を尊重し、必要な支援をすると決めた。特に、経済的な苦しさの上、古里を捨てるような後ろめたさを抱えがちな自主避難者に希望を与えたが、一年かけて落胆に変わった。
 宍戸さんは「もう期待していない、という声を聞く。とても気持ちは分かる。事故から二年たつ間に被災者の状況はどんどん変わる」と話す。
 この日の集会には復興庁の担当者も出席したが、基本方針の決め方の見通しが語られることはなかった。
 それでも「前に進むしかないと思っている」。郡山市から静岡県掛川市へ自主避難した長谷川克己さん(46)は、声を絞り出すように話した。身ごもった妻や子どもを守るために、仕事も地域の役員もやめて避難した。「被災当事者を交え、基本方針を協議する場を、定例でつくってほしい。今更だが、話を進めてほしい。それが私たちの希望であり、復興庁の誠意だ」

あきらめず声をあげよう

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