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福島原発 下請け作業中の死亡事故1カ月 何でこげなことに 父母“説明きちんと”

2014-04-28 18:54:35 | 原発
          しんぶん赤旗                  2014年4月28日(月)

福島原発 下請け作業中の死亡事故1カ月
何でこげなことに
父母“説明きちんと”


 東京電力福島第1原子力発電所構内で、収束・廃炉関連作業中に土砂崩れで生き埋めとなり、作業員の安藤堅(かたし)さん(55)が死亡した事故(3月28日)から1カ月がたちます。安藤さんの郷里、新潟県五泉市で悲しみにくれる父親の文男さん(84)、母親のチエさん(82)に無念の思いを聞きました。(山本眞直)


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(写真)居間に置かれた骨つぼ、遺影の前で悲しみをこらえきれない堅さんの母・チエさん。手前は遺品のかばん=新潟県五泉市

 「なんでこげなことに」。残雪をかぶった遠くの山並みを見つめながら庭先でつぶやくチエさんの肩が小刻みにふるえます。

 堅さんは一人っ子でした。側で文男さんは「原発関係で働いていることは知っていたが、まさか掘削作業の先頭になってあんな仕事をしているとは聞いてなかった」。

「心配すんなね」それが最後の声
 堅さんはJR磐越西線でつながる五泉市の実家には週末ごとに帰宅、元気な姿を見せていました。仕事が終わった夜、よく電話をかけてきました。チエさんが両手で顔を覆いながらいいます。「事故の前の晩も電話があった。おらたちのことは心配ねえから、体に気いつけろよ、と話した。堅は“心配すんなね。ばあちゃんこそ体に気をつけて”と言ってくれた。それが最後の言葉になってしまった。もう声も聞けない」

 事故の翌日、離婚した妻と暮らす娘さん(32)が「お父さんに会いたい」と文男さん、チエさんと福島に向かいました。警察の安置所で堅さんと再会した3人は、その場で泣き崩れました。

 悲しみを必死にこらえる娘さん。ひつぎで眠る堅さんにすがって「なんでこげなことに」と号泣するチエさん。文男さんは「堅が笑っているようにしか見えなかった。包帯で顔をぐるぐる巻きにされているのに、そう思うしかなかったよ」と振り返ります。

 タクシー運転手をしていた堅さん。不況などで解雇。見つかったのが原発の下請け作業でした。

 残された堅さんの携帯電話には子どもの頃の娘さん、かわいがっていた犬の“花子”の写真が保存されていました。

 遺体を引き取った29日に五泉市内で火葬に付し、30日に遺骨となって“帰宅”。下請け関係者の姿はありましたが、東電、元請けの東双不動産管理からは誰一人、姿を見せなかったといいます。

 堅さんの依頼で両親の生活相談に応じていた日本共産党の猪熊豊市議にチエさんがつらそうにいいました。「まだお経もあげてねえ」

 猪熊市議は複数のお寺に相談、その日のうちにお坊さんからお経をあげてもらいました。

「怖かったろう」遺影前に何度も
 チエさんが居間に置かれた骨つぼ、遺影を前に目頭をぬぐいながら何度も口にします。「土砂が崩れた瞬間、どれほど怖かったろう。一月になるけど、毎日、眠れない。どうしても小さいときの堅のことや、いろんなことが頭から離れない」

 文男さんがいいます。「東電、元請けや下請け会社に、なんで堅があんな姿になったのか、安全対策はどうだったのか、きちんと説明を聞きたい」


 

原発事故関連死(73)絶望 追い込まれた命 孫進学させられない 釣り仲間の誘いも断る

2014-04-28 12:19:11 | 原発
福島民報より転載

原発事故関連死(73)絶望 追い込まれた命 孫進学させられない 釣り仲間の誘いも断る

無類の釣り好きだった喜一さん。避難生活でふさぎ込み、新潟への釣りの誘いを断った
 東京電力福島第一原発事故の避難中に自ら命を絶った浪江町の五十崎喜一さん=当時(67)=は事故発生から約1カ月後の平成23年4月、郡山市の避難所から二本松市のアパートに移り住んだ。だが、不眠や食欲不振は改善しなかった。糖尿病の症状も思わしくなかった。5月初旬、妻の栄子さん(65)と南相馬市原町区のかかりつけ医に診てもらった。
 飲み慣れた薬を服用するようになってからは、少しずつ調子が戻ってきたようだった。栄子さんと霞ケ城や神社仏閣を散策し、買い物にも出掛けた。6月には、避難している仲間と新潟県に釣りに行き、約3カ月ぶりに趣味を満喫して笑顔で帰ってきた。
 このころ、母シズイさん(93)の認知症が進んだ。徘徊(はいかい)を繰り返す度に喜一さんらは振り回された。何度も薄暗くなるまで捜し回った。
 一家の大黒柱として、避難先での暮らしを守らなければならない。生活費をどうやりくりするか、悩ましかった。看護師の栄子さんは避難に伴い、浪江町のクリニックを4月末で退職扱いになった。毎月の収入がなくなり、預金を切り崩すしかなかった。住宅ローンも800万円近く残っていて、金利は増えるが返済を5年延期してもらった。喜一さんはため息をついて元の暮らしをうらやんだ。「浪江に帰りてぇな」
 浪江高津島校の3年だった孫の貴明さん(20)は、高校を卒業したら自動車整備の専門学校に通いたいと言っていた。学費を捻出し、仕送りを続けられるだろうか。希望をかなえてやれそうになかった。
 「ごめんな。こんなことにならなければ、専門学校に行かせてやれたのにな」。喜一さんがつぶやく。貴明さんは一家の置かれた状況をおもんぱかった。「じい、心配しなくていい。この状況では専門学校なんかに行っている場合じゃないから。おれ、働くから」
 幼いころから同居していた貴明さんをわが子のようにかわいがってきた。20年に長男純一さん=当時(35)=に先立たれたから、なおさらだった。喜一さんは「たー」、貴明さんは「じい」と互いを呼び合った。
 避難生活の中、貴明さんは「携帯電話代くらい自分で何とかするし」と学校帰りにスーパーのレジ打ちのアルバイトを始めた。頼もしくなったと喜びを感じる一方で、進学させられないふがいなさがあった。喜一さんは「情けねぇな。まったく、どうしようもねぇな」と栄子さんに漏らした。
 6月半ば、東電から自宅に損害賠償の仮払申請書などが届いた。賠償金をもらわなければ生活できない。だが、手続きが煩雑で、喜一さんは「読み切れないし、書き切れない」と頭を抱えた。
 7月になると、喜一さんは再び不眠に悩まされた。睡眠導入剤を飲んでも、あまり効果がなかった。食欲が減り、好物の白身の魚さえも残した。足のしびれも再発した。
 浪江に自宅があるのに避難区域で帰れない。避難生活で認知症になった母から目が離せない。孫に進学を諦めさせてしまった。住宅ローンも残っている。大好きな釣りも家庭菜園もできない。新潟への釣りの誘いも断った。日課の散歩にも行かなくなり、一日中、茶の間で横になっていた。眠っているのか、テレビを見ているのか。口を開くと同じ言葉を繰り返した。「いつになったら帰れるんだ。早く帰りてぇな」
 栄子さんが当時を振り返った。「夫は何でもかんでも抱え込んでいた。将来を見通せずに生きる希望を失ったんだと思う」

(2014/04/28 11:35カテゴリー:原発事故関連死)

水鏡に浄土の世界 平泉・無量光院池跡に水張り

2014-04-28 10:24:31 | 日記
岩手日報より転載
水鏡に浄土の世界 平泉・無量光院池跡に水張り

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 世界遺産「平泉の文化遺産」を構成する平泉町の無量光院(むりょうこういん)跡で27日、池跡に水を張っての期間限定公開が始まった。水をたたえた浄土庭園が周囲の自然と一体化し、美しい極楽浄土を思わせる景観をつくり出している。5月6日まで。

 無量光院は奥州藤原氏3代秀衡(ひでひら)公が宇治の平等院を模して建立したとされる。同遺跡の復元整備に役立てるため、町が2010年から試験的に水を張っている。

 27日は背景にそびえる金鶏山が風に揺れる水面に映り込む様子に、観光客が足を止めていた。初めて平泉町を訪れたという埼玉県深谷市の会社員(49)は「水が張られると趣があっていい」と見入っていた。

  
【写真=池に水が張られ、往時の姿をしのばせる無量光院跡】




(2014/04/28)

あきらめず声をあげよう

老いも若きも安心して暮らせる世の中を 最低年金月七万円 戦争する国つくりダメダメ 投票に行かなければ何も変わらない