転載
人質の命を救うことを最優先しなければならない
身代金に関する4つの誤謬 - アダム・ドルニック教授
ニュース・コメンタリー
オーストリアのウーロンゴン大学の教授で国際テロの専門家として知られるアダム・ドルニック教授が、2015年1月13日付けの国際政治誌「フォーリン・アフェアーズ」のオンライン版に、「身代金に関する4つの誤謬」と題する論文を寄稿している。テロリストによる人質問題と身代金に関する一考察として注目に値すると思われるので、ここで簡単に紹介したい。
人質解放交渉などに関わった経験を持つドルニック教授は、「政府は身代金を支払ってでも自国民の人質を助け出さなければならない」と主張する。そして、人質事件における身代金の位置づけや「テロには屈しない(no concessions)」政策の持つ意味については、大きな誤解があるとして、その中でも代表的な4つの誤謬を紹介している。
まず最初の誤謬として「テロには屈しない」(no concessions)(=身代金は払わない)を掲げる政府が、一切の交渉をしていないと考えるのは大きな間違いであると、教授は指摘する。欧米の先進国はほぼ例外なく、政府が正式に身代金を支払うことはしていないが、デンマークやオランダの例に見られるように、政府は人質の家族や仲介者などを通じて、身代金の支払いには柔軟に応じている場合が決して少なくない。アメリカは世界でもかなり例外的にテロリストとの交渉を無条件で拒否する立場を強く打ち出している国だが、後に紹介するように、アメリカは人質を救出するための特殊部隊を擁していたり、実際の紛争当事者であるためにテロリスト側の人質や捕虜を抱えている場合が多く、捕虜交換には応じている。no concessions方針をもっとも厳密に打ち出しているアメリカでさえ、人質の救出を図ったり、人質・捕虜交換など一定の交渉の余地を与えているのだ。よって、「テロリストとは交渉もしない」方針を掲げた国の政府が、テロリストと一切の交渉をしていない考えるのは誤りであると、ドルニック教授は言う。
2番目の誤謬として教授は、身代金の支払いを拒絶することで、その国の国民がより安全になるという説にも、根拠がないと指摘する。特にアメリカは、身代金の支払いに応じれば、その国の国民はまた人質に取られる可能性が高まり、逆にそれを拒絶すれば、人質に取られにくくなると主張しているが、それを裏付けるようなデータは存在しないとドルニック教授は言う。教授は、テロリストが人質を取る場合、場当たり的な行動による場合がほとんどで、その場でテロリストが国籍によって人質を選り好みするような話は聞いたことがないという。また、人質を取ったテロリスト側の主な要求としては、人質や捕虜の交換がもっとも優先順位が高く、身代金は二の次の場合が多い。そのため、一度身代金を払った国の国民はその後より大きな危険に晒されるというのは根拠のない説であるとして、「テロリストとは一切の交渉しない」ことを正当化する側の論理を一蹴する。
3番目の誤謬として、身代金がテロリストをより強大化させてしまうという説にも、教授は疑問投げかける。確かに何億円もの身代金を支払えばそれがテロ組織の強化につながる可能性はあるが、身代金目的の誘拐の場合、人質が政府高官のような要職にある人物でない限り、テロリストは少額の身代金でも妥協する場合が多いと教授は言う。むしろ、人質を取ったテロリスト側の真の目的が身代金ではない場合は、最初に法外な金額をふっかけてくる場合が多く、身代金目的の場合、金額にはかなり妥協の余地があるという。
また、身代金を支払うことが、テロ組織を弱める場合もあると、教授は指摘する。それはテロリスト組織は多くの場合、「帝国主義との戦い」といった理念的な正当性を掲げている場合が多く、それが多くの兵士をリクルートしたり、場合によっては自爆テロのような自己犠牲まで強いることを可能にする原動力となっている。ところが、その組織が、実はカネを目当てに人質を取っている銭ゲバ集団であることが明らかになれば、その組織が理念的・精神的な正当性を失うことになると考えられるからだ。実際、フィリピンのイスラム過激組織「アブサヤフ」は2000年以降に相次ぐ人質事件で多額の身代金を得たことで、国民の支持を失い、今や大義を掲げるテロリストなどではなく、単なる犯罪集団のような地位に成り下がっているとドルニック教授は言う。
そして4つ目にして最後の誤謬として教授は、身代金は払わないでも、他にも人質を救う手段があると思われていることをあげる。身代金を支払う以外に、人質を助ける手段がないことを認識すべきだというのだ。1つ目の誤謬の中でも触れたが、アメリカは特殊部隊による救出作戦を遂行する能力があると思われているが、実際は人質が殺される最も大きな要因が救出作戦であることは、テロ専門家の間では常識となっている。救出作戦は数十回に1回成功すればいい方で、失敗した場合、人質のみならず、救出に乗り出した特殊部隊の隊員にまで犠牲が出る場合も少なくない。
以上のような4つの誤謬を示した上でドルニック教授は、「身代金を払ってでも政府は自国民を救うべきである」と主張する。上にあげたように、実際は身代金を出す以外に人質を救う手立ては存在しないに等しく、身代金を払ったとしても、その影響は一般に言われているほど大きくはないというのが、教授の主張の主たる根拠となっている。
特に紛争地帯で危険な任務に携わる援助団体やNGOのスタッフやジャーナリストや医療スタッフが人質になった場合、政府はあらゆる手段を講じてでも彼らを助けることが重要だと、教授は言う。なぜならば、政府が「テロには屈しない」といった単なる原則論で彼らを見殺しにした場合、彼らの多くは危険な場所に行きたくても行けなくなってしまう。それは紛争地帯で日々の生活にも苦しむ住民への食料や医療などの人道的援助が行き渡らなくなることを意味し、教授の言葉を借りれば、テロと戦う上で最も重要な要素と言っても過言ではない「hearts and mind」(軍事ではない心の外交)が止まってしまうことを意味するからである。
フォーリン・アフェアーズのドルニック論文を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
人質の命を救うことを最優先しなければならない
身代金に関する4つの誤謬 - アダム・ドルニック教授
ニュース・コメンタリー
オーストリアのウーロンゴン大学の教授で国際テロの専門家として知られるアダム・ドルニック教授が、2015年1月13日付けの国際政治誌「フォーリン・アフェアーズ」のオンライン版に、「身代金に関する4つの誤謬」と題する論文を寄稿している。テロリストによる人質問題と身代金に関する一考察として注目に値すると思われるので、ここで簡単に紹介したい。
人質解放交渉などに関わった経験を持つドルニック教授は、「政府は身代金を支払ってでも自国民の人質を助け出さなければならない」と主張する。そして、人質事件における身代金の位置づけや「テロには屈しない(no concessions)」政策の持つ意味については、大きな誤解があるとして、その中でも代表的な4つの誤謬を紹介している。
まず最初の誤謬として「テロには屈しない」(no concessions)(=身代金は払わない)を掲げる政府が、一切の交渉をしていないと考えるのは大きな間違いであると、教授は指摘する。欧米の先進国はほぼ例外なく、政府が正式に身代金を支払うことはしていないが、デンマークやオランダの例に見られるように、政府は人質の家族や仲介者などを通じて、身代金の支払いには柔軟に応じている場合が決して少なくない。アメリカは世界でもかなり例外的にテロリストとの交渉を無条件で拒否する立場を強く打ち出している国だが、後に紹介するように、アメリカは人質を救出するための特殊部隊を擁していたり、実際の紛争当事者であるためにテロリスト側の人質や捕虜を抱えている場合が多く、捕虜交換には応じている。no concessions方針をもっとも厳密に打ち出しているアメリカでさえ、人質の救出を図ったり、人質・捕虜交換など一定の交渉の余地を与えているのだ。よって、「テロリストとは交渉もしない」方針を掲げた国の政府が、テロリストと一切の交渉をしていない考えるのは誤りであると、ドルニック教授は言う。
2番目の誤謬として教授は、身代金の支払いを拒絶することで、その国の国民がより安全になるという説にも、根拠がないと指摘する。特にアメリカは、身代金の支払いに応じれば、その国の国民はまた人質に取られる可能性が高まり、逆にそれを拒絶すれば、人質に取られにくくなると主張しているが、それを裏付けるようなデータは存在しないとドルニック教授は言う。教授は、テロリストが人質を取る場合、場当たり的な行動による場合がほとんどで、その場でテロリストが国籍によって人質を選り好みするような話は聞いたことがないという。また、人質を取ったテロリスト側の主な要求としては、人質や捕虜の交換がもっとも優先順位が高く、身代金は二の次の場合が多い。そのため、一度身代金を払った国の国民はその後より大きな危険に晒されるというのは根拠のない説であるとして、「テロリストとは一切の交渉しない」ことを正当化する側の論理を一蹴する。
3番目の誤謬として、身代金がテロリストをより強大化させてしまうという説にも、教授は疑問投げかける。確かに何億円もの身代金を支払えばそれがテロ組織の強化につながる可能性はあるが、身代金目的の誘拐の場合、人質が政府高官のような要職にある人物でない限り、テロリストは少額の身代金でも妥協する場合が多いと教授は言う。むしろ、人質を取ったテロリスト側の真の目的が身代金ではない場合は、最初に法外な金額をふっかけてくる場合が多く、身代金目的の場合、金額にはかなり妥協の余地があるという。
また、身代金を支払うことが、テロ組織を弱める場合もあると、教授は指摘する。それはテロリスト組織は多くの場合、「帝国主義との戦い」といった理念的な正当性を掲げている場合が多く、それが多くの兵士をリクルートしたり、場合によっては自爆テロのような自己犠牲まで強いることを可能にする原動力となっている。ところが、その組織が、実はカネを目当てに人質を取っている銭ゲバ集団であることが明らかになれば、その組織が理念的・精神的な正当性を失うことになると考えられるからだ。実際、フィリピンのイスラム過激組織「アブサヤフ」は2000年以降に相次ぐ人質事件で多額の身代金を得たことで、国民の支持を失い、今や大義を掲げるテロリストなどではなく、単なる犯罪集団のような地位に成り下がっているとドルニック教授は言う。
そして4つ目にして最後の誤謬として教授は、身代金は払わないでも、他にも人質を救う手段があると思われていることをあげる。身代金を支払う以外に、人質を助ける手段がないことを認識すべきだというのだ。1つ目の誤謬の中でも触れたが、アメリカは特殊部隊による救出作戦を遂行する能力があると思われているが、実際は人質が殺される最も大きな要因が救出作戦であることは、テロ専門家の間では常識となっている。救出作戦は数十回に1回成功すればいい方で、失敗した場合、人質のみならず、救出に乗り出した特殊部隊の隊員にまで犠牲が出る場合も少なくない。
以上のような4つの誤謬を示した上でドルニック教授は、「身代金を払ってでも政府は自国民を救うべきである」と主張する。上にあげたように、実際は身代金を出す以外に人質を救う手立ては存在しないに等しく、身代金を払ったとしても、その影響は一般に言われているほど大きくはないというのが、教授の主張の主たる根拠となっている。
特に紛争地帯で危険な任務に携わる援助団体やNGOのスタッフやジャーナリストや医療スタッフが人質になった場合、政府はあらゆる手段を講じてでも彼らを助けることが重要だと、教授は言う。なぜならば、政府が「テロには屈しない」といった単なる原則論で彼らを見殺しにした場合、彼らの多くは危険な場所に行きたくても行けなくなってしまう。それは紛争地帯で日々の生活にも苦しむ住民への食料や医療などの人道的援助が行き渡らなくなることを意味し、教授の言葉を借りれば、テロと戦う上で最も重要な要素と言っても過言ではない「hearts and mind」(軍事ではない心の外交)が止まってしまうことを意味するからである。
フォーリン・アフェアーズのドルニック論文を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。