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進君のブログ




友人から、「子供の学校で、受験に役に立たない無駄な科目が多すぎると文句を言う親がいる」という話を聞いた。
受験は大人をそこまで追いつめるのかと思うと少しショックだ。

そういえば別の友人からは、「子供から、英語の勉強が将来役に立つのが分かるけれど、なぜ数学や楽器を習わなくちゃいけないのかと言われ」てどう対処したらいいのか分からないと保護者会で話題になった、と聞いた。
わたしは、「あなたはなぜ勉強するかが分からないの? 分からないから勉強したりお稽古をしたりして自分で答えを見つけるんですよ。人に聞くのはズルです(笑)。自分で見つけるんです」と言えと彼女に言った。
また子供がそういうことを言うのは万事絶好調の時ではなく、テストの点がたまたま悪かったり、お稽古でつまづいたりした時ではないかと思うので、そこをケアしてやった方がいいのかもしれない。


無駄が多いとおっしゃる大人も、なぜ勉強するかと問う中高生も、進君のブログをお読みになってはいかがだろうか。

進君は太宰治(太宰は誰かになりすまして「ブログ」を書いたら超々一流)の「正義と微笑」の主人公で16歳だ(後半で18歳)。子供はこれを読んで「オチが分からない」と言うかもしれないが、「ブログ」なのでオチはない、と言えばよろしい。あるいはオチは「自分で見つけるんです」。この「ブログ」の中で斎藤先生が進君に「ひとりでやれ!」と一喝するように。

最初の方、英語の黒田先生とお別れするこの部分...

「もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ。君たちも、たまには俺の事を思い出してくれよ。」(太宰治 「正義と微笑」、「パンドラの匣」収録)


他にも
「僕は今まで、説教されて、改心した事が、まだ一度もない。お説教している人を、偉いなあと思った事も、まだ一度もない。お説教なんて、自己陶酔だ。わがままな気取りだ。本当に偉い人は、ただ微笑してこちらの失敗を見ているものだ。けれどもその微笑は、実に深く澄んでいるので、何も言われずとも、こちらの胸にぐっと来るのだ。ハッと思う、とたんに目から鱗が落ちるのだ。本当に、改心も出来るのだ。説教は、どうもいやだ。」(同上)
...などと親として耳が痛いステキな箇所もある。


青空文庫でも読めるのでぜひぜひ。
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