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あの朝はもう来ない




夫は朝からとても機嫌がいいタイプだ。

わたしも血圧が低い割には元気だが、忙しい時間帯なのであまり構われるとイラっとくることもある。


先日の朝は余分な用事があったので、夫にわたしのことを構うなと少々きつく言ったら、彼は何も言わずに出かけてしまっていた。

誰とでも、こういう別れ方はしてはいけないと思った。
不吉なことは言いたくないが、もしこの朝が最後の朝だったら? 
後悔してもしきれないだろう。

これが最後かもしれないと常に思いながら生きるのは無理にしても、明るい笑顔とやさしい言葉で生きるのは無理ではないだろう...


...


もう前のことになってしまったが、こんなことがあった。

英国では同じく外国人の立場である母娘がいた。
お母様はポスドクで変わった人だったが、わたしと話が合わないこともなく、またお嬢ちゃんは抜群に頭のいい大人びた子で、不思議とうちの超無邪気な娘と大の仲良しだった。
母娘2人とも日本のことが...特に和食と、お嬢ちゃんはジブリが大好きだった。


ある日ロンドンで待ち合わせをした時に、お母様から、事情の説明もなくちょっと非礼な...いや、目が点になるような、と言った方が相応しいのか...驚きのワガママを言われ、こちらの予定が台無しになり他所にも大きな迷惑をかける結果になってしまった。
ロンドン南部のお宅まで車で送った時点で、またね、という月並みな挨拶をしながら「娘同士は仲良しでいいけれど、親のおつきあいにはちょっと距離を置いた方がいいのかも。ごく普通のコミュニケーションがしんどいから」という気持ちになっていた。
普段から「変わった人」だという先入観がわたしサイドにあったので、「何か特別な事情があるのでは?」とまで思い至らなかったのだ。
そう、事情や理由をきっちり話せば、大体のワガママは理解してもらえるというようなコミュニケーションの仕方が彼女は苦手だったのだから。
察してあげればよかったのだ...


それがその母娘に会った最期だった。

その翌日か翌々日に急に母国に帰ったと1週間ほど経ってから聞いたのだ。
もう英国には戻らないらしい、と。

なぜそんなに急に帰らなければならなかったのか、なぜ一言も話してくれなかったのか、わたしのツテも誰も知らなかった。第一、お嬢ちゃんは最後に会った日も事情は全く知らないような感じだったし...

ある人はビザが切れ、当てにしていた更新がされなかったのではと言い、ある人は母国の家族に重病などがあり、国を空けられなくなったのではと言い、ある人は研究費が取れなかったのかもしれない、と無責任に言った。
娘はお嬢ちゃんに何度もSNSやメールで連絡を取ったが、返事は来なかった。


あの日、娘がお嬢ちゃんにプレゼントしたトトロのルーム・ランプ(日本から取り寄せたのだ)くらいは持って行ってくれたろうか。

あの日、ムッとしたりせず、最後まで思いやりを持って接することができていたなら...
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