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モネを千枚売った男




Iventing Impressionism/The man who sold a thousand Monets

印象派の価値を見いだし後援し続けた画商デュラン=リュエルの功績を、印象派の作品群によって解き明かすというステキな展覧会に2回目行ってきた。

デュラン=リュエルに関しては何年か前にパリでも展覧会を見たことがある。
最近では「セカイ通信ロンドン」を書くために芸術パトロンについての本を読み返したのですごくいいタイミング!


デュラン=リュエル家は元々パリで文具店を商っており、絵の具を扱うことから画家との付き合いができ、1840年頃から本格的に画商となった。
最初はコローやバルビゾン派などを扱っていたが、普仏戦争下ロンドンへ避難していたモネとピサロに出会ったのをきっかけに印象派と深く付き合うようになった。彼はバルクで作品を買い、貧しい画家への援助を惜しまなかった。財政危機に陥った時、画家たちの提案で第一回印象派展覧会が開かれ(この時のモネの作品「印象、日の出」が揶揄されて「印象派」となった)、結果は散々であったが、その後、米大富豪の娘カサットの助力もあり、アメリカに市場を開拓したことが印象派成功の鍵になった。

今となっては一番人気とも言える印象派の作品は当時は全く受け入れられず、それどころか罵倒され続けたというのが「印象」深い。


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娘は最初「印象派は好きじゃない。物語がないから」と言っていたが、結局すごく楽しんだらしい。最近見て特に良かったレンブラント展やルーベンス展よりもおもしろかった! と。そうか、自分の狭い世界に印象派が隣接していなかったせいで、好きじゃない、と簡単に片付けていたのか。
この一言で、人ごみの中をハイヒールで牛歩したせいで足先が痛み出したわたしの気分も、印象派の空のように晴れたのである。

知性や教養というのは、何をどれだけ詳しく知っているかで測られるのではない。自分が何をどれだけ知らないか、自分は何に興味がないかをどれだけ詳しく知っているかで測られる。また、どこを当たれば欠けた知識が得られるか知っていることも重要なポイントだ。
すなわち、いわゆる知性的でない人や、または小さい子供が往々にしてknow it all(自分は何でも知っている)なのは知っている世界が単に狭いからなのだ(ああ、このブログのことだ!)。

両親から「こだわりがあるのは品のないこと」とよく言われたが、知性についても同様なのかも...


先週も書いたばかりだが、娘には「分からないもの」「興味のないもの」をどんどん見せ、アメーバのように世界を広げて行って欲しい。
印象派を頭から拒否し続けた当時のエスタブリッシュメントのようにはなって欲しくない、と。
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