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hever castle




「城」と呼ぶにはあまりにもこじんまりとしたヒーバー城は、16世紀、アン・ブーリンが幼少期を過ごした城としてとても有名だ。

秋深まるイングランドの日曜日。
テューダー様式の城は小さいが、庭園は広大で、散策を楽しむ子供や犬連れの家族でなかなか賑わっていた。

わたしたちも4時間かけて湖の周りを一周した。




アン・ブーリンは、6回結婚を繰り返したヘンリー八世の2番目の妻で、エリザベス一世の母親である。

歴史を辿っていると、否が応でも歴史に名を残す女性の経歴や肖像に興味が湧いてくる。中でもアン・ブーリンは特別な印象を残す人物だ。

心変わりしたヘンリー八世が彼女を処刑(斬首)したというのも強烈ながら...

まずは彼女と結婚するために、ヘンリー八世は最初の妻、スペイン王女のキャサリン・オブ・アラゴンと離縁せねばならず、離婚には教皇の許可が必要だった。

すったもんだの末、ヘンリーは自分の好きにできるよう、イングランド国内においては国王こそが最高権力者であることを宣言、教皇庁と袂を分つ。
これがきっかけとなり、今も続くイングランド国教会が成立したのである。


王にそこまでさせた女が、たった数年のうちに、男児を産まないことや、贅沢がすぎるだのという難癖をつけられ、最終的には姦通罪や近親相姦や、黒魔術などの理由で斬首される。

あるいはプロテスタントだった彼女は、カトリックとの対立に巻き込まれたのかもしれない。
大きな権力を手にしたブーリン家と対立する他の勢力もあっただろう。

いずれにせよ、処刑の理由の一つは、ヘンリーが再び心変わりして別の女(ジェーン・シーモア)と結婚するために、だ。
今の感覚だとずっこけるしかないのである。




しかもアンの母親や、姉のメアリーもヘンリー八世の愛人であったという説や、アンは容姿ばかりか人柄も目立つところがなかったとか...
容姿はともかく、どこか魅力的なところがなければ王妃になんぞなれないと思うのだが、あまりいい評判は残っていないようである。

しかし何もいい話が残っていないことこそが、彼女が実際どんな人物であったのか、という興味をかき立てる。


ロンドンの地下鉄の駅、チャリング・クロスはナショナル・ポートレイトギャラリーの最寄駅で、構内にはアン・ブーリンの有名な肖像画が描かれている(本物はもちろん美術館に収蔵されている)。
その絵を見れば見るほど、その謎に惹きつけられる。

謎...ヘンリー八世もそれに惹かれたのかもしれない。




外観に比べると内部は驚くほど広い。
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