遺伝屋ブログ

酒とカメラとアウトドアの好きな大学研究者です。遺伝学で飯食ってます(最近ちょっと生化学教えてます)。

夏草の賦

2021-10-16 23:27:28 | 読書

今日は寒くなかったけどなー。
gooニュース
全国的に雨日本海側を中心に強く降る所も

あす17日は今季一番の寒気流入 北海道は平地も初雪か 西日本の暑さも収まる (tenki.jp)
来週中頃は早くも次の寒気
北日本は荒天のおそれも(ウェザーニュース)

明日は今日よりも10度以上気温が下がるらしい。

久々に司馬遼太郎を読みました。

夏草の賦

四国を平定した長曾我部元親の物語です。まあ、四国平定してもあっという間に秀吉に屈して土佐一国に戻されちまいますが・・・・

物語の始まりは、彼ではなく彼の嫁さん。斎藤利三の妹、菜々です。斎藤利三といえば明智光秀の第一の家臣で、後に徳川家で大奥の基礎を作った春日局のお父ちゃんです。逆臣光秀の家臣の娘お福がなんで徳川家に雇われたかというと、家康が孫の乳母を公募したんで夫の稲葉正成を捨てて応募したら採用されたという命知らずな女傑であります。菜々は彼女の叔母にあたります。司馬遼太郎は、「この家の女系には思いきった性格の血が流れているのかもしれない」と記述しています。美濃から流刑地、鬼国とされる土佐へお嫁に行くのはすごい思い切りです。当時の長曽我部はまだ土佐を平定してなかった。一郡の領主でしかなかった。まあ、その状況で美濃の織田の重臣から姫を娶ろうとしたんだから長曾我部元親の慧眼もすごい。織田家はやっとこさ美濃に進出して岐阜城を作ったとこだった。四国を平らげた後は、大勢力となった織田家とことを構える可能性があるという考えだったのでしょう。彼の読みは毛利でも三好でもなく織田だった。

元親が一両具足という国民皆兵のシステムを作った理由は、土佐が陸の孤島で阿波や伊予へ進攻するときに圧倒的に兵が足りなかったから。ただ、土佐は背後が太平洋でどこからも襲われない。だから、民を全部兵にして阿波と伊予へ同時進攻した。土佐を空っぽにして。おかげで、農民の三男や四男でも手柄を立てて出世するチャンスが生まれたし、農民であっても戦に出るため土佐を自分の国として考える思考が生まれた。これが長曽我部が没落後に山内氏が入った後も続き、上士(山内侍)・下士(長曽我部侍)の二重構造が生まれ、幕末には下士層に志士が多数育った。商人であり下士の家で坂本龍馬のような人が育ったのは偶然ではない。
戊辰戦争で東北に侵攻した際に官軍の土佐軍を指揮していた乾退助(板垣退助)が、東北の農民が自分の国の侍が蹂躙されるのを安全なところで他人事のように眺めているのを見て、「これではいかん」と退助が憤慨したのもしょうがないことであります。東北は東北で武家と庶民の階層がかけ離れていた。国民全部を兵にする土佐や当時の長州とは気質が違う。

歴史もの小説は結末がわかってる。主人公の晩年がどう描かれるかが興味の一つです。
秀吉に屈した元親は人が変わったようにやる気をなくしてそのまま長曽我部を没落させてしまう。これは山内容堂が、鳥羽伏見の戦いの後、江戸に向かって侵攻する官軍に参加した土佐軍を見送って以降、完全にやる気をなくし、東京で買った徳川家の別邸で酒と女で土佐二十四万石の財産を全部飲み尽くし45歳で亡くなったことと同じ。土佐男の気質そのもので、燃え尽きたらサクッとやめてしまう。

ちなみに光秀による本能寺の変は長曽我部の陰謀の説がありますが、司馬遼太郎氏が存命の時代の後の現代、元親は信長の命に応じて伊予、阿波、讃岐を放棄することに同意していて、そのことを光秀は知らなかったことが定説になっています。元親はギブアップしていたんですね。夏草の賦では元親は徹底抗戦となってます。ただ、元親のギブアップを四国方面を担当していた(と自分は思っていた)光秀は知らなかった。まあ、光秀のおかげで信長は消え、元親による四国平定はなりました。秀吉に潰されますが・・・・戦うこともなく。

本日のお酒:SUNTORY THE PREMIUM MALT'S ダイヤモンドホップの恵み + 梵 純米大吟醸 氷温熟成 磨き三割八分

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うばい合えば足らぬ

2020-03-02 23:48:14 | 読書

天気図まじめに見てなかったんだけど、今日の午後前線が通過した?
傘マップ 3月2日(月)
お出かけに傘がいるエリア(ウェザーニュース)

浅野川沿いにツクシ(北國新聞)
まあ、平年よりも暖かだったんで、良かったんですが。

学校が休校になるってのは、世界中で起こっていることでして、日本の話題が親の収入だったりするのが情けないです。問題は子供の教育でしょう。
gooニュース
休校の今、皆さんに伝えたいことイタリアの校長が話題

カミュの小説「ペスト」が人気 新型コロナで1万部増刷(朝日新聞)
イタリアの校長先生がお勧めする図書はアレッサンドロ・マンゾーニの『婚約者(いいなづけ)』。彼はその書物に記述されている大切なところを概説してくれてます。「アレマン(ドイツ南西部)の人々がミラノに持ち込むことを健康裁判所が恐れていたペストが本当にやって来た。国中に広がり、多くの人が犠牲になった。」そして、そこに書かれていることは、外国人排斥、権威の衝突、最初の感染者探し、専門家への軽蔑、暴走する世論、馬鹿げた治療法、生活必需品の略奪、医療危機。今の社会に全て当てはまります。人類は全く進歩してません。日本人は疫病や天災について情緒的なことは語り継ぎましょうというのに、客観的な眼で見た人間のおろかさについては反省しようとしません。マスクが店頭からなくなるなんて、SARSの時も新型豚インフルの時にも経験しています。なのにまたやってしまう。
カミュの「ペスト」は読みました。前いた大学医学部の購買で買った本でした。今所属している大学の図書館にも入れるようにしました。医学に片足でも突っ込んでる人なら読むべき本です。

イタリアの校長先生はこう訴えました。「頭を冷やしなさい。集団妄想に取りつかれてはなりません。適切な予防で十分です。普段通りの生活を送りなさい。この機会に散歩して、良書を読みなさい。家に閉じこもる理由もスーパーや薬局に殺到する理由もありません。マスクは病気になった人だけ着ければ良いのです」

NHKが珍しくいい記事書いてます。珍しい♪
“うばい合えば足らぬ” 新型コロナウイルス 募る不安が… (NHK NEWS WEB)
巷の小売店で払底しているマスクやトイレットペーパーやお米に関する記事です。社会心理学の先生が「議題設定」と「スポットライト効果」ということばを教えてくださいました。「議題設定」というのは、買い物の行列や棚が空になっている状態を報道などで目にするとそれが世の中の人々の最大の関心事だと意識する。それで自分も遅れまいと同じ行動をとってしまうとのこと。「スポットライト効果」というのは、物がないという情報が親しい人から次々と入ってくると、正しいかどうかは別として、情報の確度が自分の中でどんどん高まってしまうということなんだそうです。心当たりがありますよね。
記事は相田みつを氏の作品で締めくくってます。「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」

人間って醜いですね。
「検査妨害」報道は誤認、感染研が声明…「発言趣旨誤解された」(読売新聞)
何がサイテーって、現場で頑張ってる人の足を「言葉」で引っ張る卑怯な行為。クルーズ船に押しかけた神戸大の先生もそうだけど、不満足な点があっても、あれがあかんこれがあかんと宣伝して物ごとが好転するわけではないです。PCR検査に関して感染研をdisっても検査効率が上がるわけでもない。テレビはそういうのを喜んで垂れ流すからメディアとしてはサイテーだ。報道した結果に責任取るつもりがないのが丸出し。

本日のお酒:若駒 純米 無濾過生酒 + 立山 特別本醸造

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まあ、仕事あるので

2019-08-21 22:44:55 | 読書
今日は休日出勤分の代休を取りました。朝はゆっくり起きて、眼科の病院に行ってきました。結膜炎です。体のあちこちがへたってて抵抗力無くなってます。もうしんどい。眼科へ行って飯食って、そんでから部屋でゴロゴロしてました。そんな体力でしたが、頑張って帰省してきた時の写真を『いでんや』にまとめました。 
gooニュース
21日(水)の天気引き続き大気が不安定、急な雨・雷に注意を
22日も全国的に大気不安定 秋雨前線と台風の動向は (tenki.jp)
今日発生した台風11号は水蒸気を前線に供給したりしてますが、直撃はなさそうです。週間天気を見ると土日の天気予報が好転していますが、どうにも南風が強そうなのでパラグライダーで遊ぶのはなさそうだな・・・まあ、仕事あるのでどーでもいいんですが。

さて、最近読了した本「ドナルド・キーン自伝」。
コロンビア大・ケンブリッジ大での大学教育編、米国海軍日本語担当編、戦後日本文壇との交流編てな感じです。米国陸軍は日本語担当を日系人兵士にさせていたようですが、海軍は日系ではない米国人語学エリートを使っていたらしいです。拠点はハワイ州ホノルル。キーンさんが初任務で戦地に行く際、船の行き先は言われておらず、てっきりどこかの南の島だと思ってたら、アッツ島という北の島だったそうで、えらい寒い思いしたらしいです。彼がその島に着いた時は日本軍は撤退した後だったらしいんですが、もちろんそれを確認するために情報を集めに上陸するのが彼のお仕事。上陸用舟艇の前のスラップが外れて氷の海に投げ出されたのが彼が最初に味わった「戦争の味」だったそうです。次に連れてかれたキスカ島では、日本軍が撤退するときに建物にペスト患者収容所の標識を落書きして去ってて、そのために彼らはサンフランシスコに連絡してペストの血清を送ってもらわねばならなくなり、数日間は体のどこかに斑点が出てこないか不安な日々を過ごしたらしいです。キスカ島からハワイに戻ると、次がとうとう沖縄への派遣。命がけでした。
〈以下引用〉
沖縄上陸前、一度だけ死と間近に遭遇した。ある朝早く、デッキに立っていた私は、空に黒い点のようなものを見つけた。それは、ぐんぐん大きくなっていくように見えた。しばらくして、それが神風特攻機であることに気づいた。明らかに特攻機は、船団の中で最大の輸送船である私の船を狙っていた。特攻機を見つめたまま、私は動けなかった。急降下してきた特攻機が隣の船のマストのてっぺんにぶつかり、水中に突っ込んでいなかったら、たぶん私は殺されていただろう。操縦士のわずかな計算ミスが、私の命を救ったのだった。


彼が沖縄上陸した時には全く抵抗がなく浜には複数の民間人がいただけ、その中に小さな子供を連れている女性がいて、彼女が全く危険に気付いてない様子だったので、日本語担当の彼が子供を抱えて負傷者を収容する囲いの方へ連れて行ったそうなんですが、彼女が何を言ってるのか彼にはさっぱりわからなかったし、彼の日本語も伝わらなかったそうです。昭和初期の琉球弁は日本語をコロンビア大で学んだ人には無理だったんだろうな。 洞窟に逃げ込んだ現地の人々との接触についても書かれていますが、もうどうしていいかわからずオロオロしていたというのが彼の観察です。
まだまだありますが、まあ本を買って読んでください。彼にとっては軍から言われたミッションはあまりやりがいを混じるようなものではなく、兵士が残していった「日記」にすごく興味を持ったそうです。日本人は古くから上から下までよく日記を書く民族らしい。戦地から故郷に送られる手紙は軍の検閲があるので本当のことは書かれていない。日本兵の本音が知れるのが「日記」だそうだ。彼の日本人の日記に対する造詣は「百代の過客 日記にみる日本人」を読むとよくわかります。
東日本大震災後、彼は日本に帰化します。彼の日本人名は「キーン ドナルド」。「鬼怒鳴門」は彼の雅号です。まあ、呼び方はどうあれキーン先生の日本文学界を世界に広げた貢献は日本にとって「恩人」と言っていいでしょう。どんな分野にしても高等教育機関を充実させることがこういった恩人を増やす努力に繋がると思います。


本日のお酒:SUNTORY TOKYO CRAFT KOLSCH STYLE 2019 + 立山 特別本醸造 + 大分麦焼酎 IICHIKO SUPER 

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349冊までで

2018-10-18 23:39:19 | 読書
秋晴れ・・・だったみたいですね。
今年は変? 西ほど秋が深まる 1か月予報 (tenki.jp)
1ヶ月予報によると11月になると急激に寒くなるとか。多分北風の日が増えるんじゃないかと・・・いやだなぁ。

最近ニューズウィークが子供関係で記事を二つあげてましてな・・・
太るかどうかは幼少期の「菌」で分かる (NEWSWEEK)
〈以下引用〉
乳児のときの体重増加(将来肥満になるかどうかの重要な指標となる)が急激な子供は口内細菌の種類が少なく、脂肪の燃焼につながるバクテロイデス門の菌より脂肪の蓄積につながるフィルミクテス門の菌が多かった。

腸内細菌よりも口内細菌が重要だそうだ。記事中の「脂肪の燃焼につながるバクテロイデス門の菌より脂肪の蓄積につながるフィルミクテス門の菌」のとこがよくわからんです。
さらに〈以下引用〉
家庭で使用される洗剤や消毒剤によって腸内フローラが変化することが分かった。例えば、頻繁に消毒剤にさらされる子供は、脂肪を蓄積しやすいラクノスピラ科の細菌が多かった。
3歳時の体重測定では、消毒剤との接触が最も多い子供のBMI値が高く、環境に優しい洗剤類との接触が多い子供はBMI値が低かった。環境に優しい洗剤や消毒剤を使用している家で育った子供には、腸内フローラの変化と肥満の関連は確認されなかった。

記事中の「脂肪を蓄積しやすいラクノスピラ科の細菌」と「環境に優しい洗剤類」がよくわかりませぬ。脂肪の燃焼とか蓄積に細菌が関係あんの? そもそも記事中の洗剤や消毒剤が何の消毒剤かわかりません。食器用なのか服を洗うものなんか書いてない。
まあ細菌叢のバランスが大事っていうのはわかるし、食生活を映す鏡でもあろうかと思う。

これは当たり前なのか意外なのか・・・どっちなんだろ?
子どもの時に、自宅に紙の本が何冊あったかが一生を左右する:大規模調査 (NEWSWEEK)
そういえばうちには本いっぱいあったかなぁ・・・もっとたくさん買ってもらっとけば、今よりもっとマシに。350冊以上になると関係なくなるって話だから、349冊までで。www
〈以下引用〉
本がほぼない家庭で育った場合、読み書きや算数の能力が平均より低かった。自宅にあった本の数とテストの結果は比例し、テストが平均的な点数になるのは自宅に80冊ほどあった場合だった。ただし350冊以上になると、本の数とテスト結果に大きな関係性はみられなくなったという。
本に囲まれて育った中卒と本がなかった大卒が同じ学力
さらに、最終学歴が日本で言うところの中学卒業程度(13〜14歳)であっても、たくさんの本に囲まれて育った人は、大人になってからの読み書き能力、算数、IT能力が、本がほぼない家で育った大卒の人と同程度(どちらも全体の平均程度)だということが分かった。読み書きや数学の基礎知識において、子どもの時に本に触れることは教育的な利点が多いと研究者たちは述べている。
〈中略〉
これら自宅の本を必ずしも読めなければ効果がないというわけではなく、また単純に「本を読む」という行為によりこうした能力が伸びるというわけではなく、何が利点になっているのかを特定するのは難しいと研究チームは話す。「ただ本をたくさん読みなさい」というシンプルな話ではなく、大切なのは「子どもたちが、親や他の人たちが本に囲まれている様子を目にすること」だとしている。

小さい子にとって、本を読むというのは数学やってるようなもんだと思う。知ってる事実が少ないんで、記号を読解しながら頭の中で抽象と具象を組み合わせてく作業。本読んでなくてもそういうのがあるって意識があるのとないのではちょっとは違うんじゃないかなぁ。まあ、統計的な話だからね個別の話に落とし込むと間違うよん。とりあえず、本300冊買ってこよう(年齢的にもう遅い (^^; )。
それはともかく、院政時代には読み応えのある論文がいっぱいあったように感じるんだけど、今はデータがてんこ盛りなだけで「読ませる論文」をあまり見かけなくなったなぁ。まあ、僕のサイエンスが古くなって今に合わないんだろうけど。

本日のお酒:SAPPORO 黒ラベル 〈黒〉 + 酒魂手取川 純米吟醸 + 鹿児島黒糖焼酎 喜界島
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良いものは何世紀たっても

2016-12-03 23:51:00 | 読書
晴れました。高気圧どっぷりです。どこに行く用事もありません。おでかけなら土曜日なんですが・・・なんですが・・・
城下町冬支度 金沢・長町で薦掛け(北國新聞)
師走の風物詩のひとつ「薦掛け」です。毎年同じ記事で季節を伝えられるっていいもんですな。きっとこれは地方紙の大きな役割の一つだと思う。毎年同じことを季節の変化として伝える。こういう場合、「毎年同じこと」がポイントだ。「ああ、またこの季節が来たか」と思ってもらってなんぼなんだから。

トランプ氏はアジアに興味ないのかと思っていたら、とんでもない間違いでした。
習近平氏、キッシンジャー氏と北京で会談
Trump speaks with Taiwanese president, a major break with decades of U.S. policy on China (THE WASHINGTON POST)
中国、トランプ氏側に抗議=台湾問題で「戦略」見極め
トランプ氏、米国にドゥテルテ比大統領を招待 電話会談
共和党の重鎮キッシンジャー翁が中国の国家主席と会ってるタイミングで、共和党の次期大統領が台湾総統に電話で会談していました。キッシンジャー氏はニクソン政権時代に米中国交回復のために北京へ渡って毛沢東主席と直談判した人です。そして、その米中国交を結んでから米国は台湾とは断交していました。トランプ氏が蔡英文総統と電話で話をするなんてとんでもないことなのです。まあ、まだ着任していないので、トランプ氏はまだ私人ではあるんですが・・・大統領選勝利に対する祝意の表明を受け入れての会談ですから純粋に私人としてというわけではないですな。そりゃ、北京政府は怒ります。といっても、外務省が抗議しただけです。
同じタイミングでトランプ氏はフィリピン大統領とも電話で会談している。つい最近、北京を訪問して中国べったりのコメントを出していたドゥテルテ氏にちょっかい出しました。トランプ氏はいったい・・・ものずんごい外交素人か、それとも天災戦略家か、いやいやいやいや、天才戦略家か、よく分かんないけど面白い人です。

韓国がグダグダすぎて国際政治からおいていかれてるのが、意外と行幸なのかもしれません。トランプさんが電話かける相手がいません。そんで、北朝鮮もおとなしいです。笑 うっかりちょっかい出したら、韓国軍がどう反応するか分かりません。古来、追いつめられた政権が起死回生にうつ政策というと「戦争」ですから・・・まあ、実際にはなんもでけんと思う。彼の国は外に打って出たことはない国だから。
12月中旬にある日露首脳会談がどうなるかも気になります。周辺国はみなそうでしょう。今マスコミに流れている情報も、これがすべてだとか全部本当だとか誰も思ってないでしょ? 大山鳴動してネズミが一匹も出てこないかもしれませんが、東京とモスクワがガチの交渉をやってきた結果です。総理大臣が毎年使い捨てられてきた時代があったことを考えると隔世の感があります。フランスのオランドさんが次の選挙は出ないなんて言い出すから、安倍政権は今や西側先進国中随一の安定政権ですよ。

『罪と罰』出版から150年(ロシアNOW)
読んだことのある長編の中では、最高に難行苦行でした。なんせ登場人物の名前が覚えられなかった。笑 150年ってことは明治時代の作品だったんですね。それ考えると今でも通用するような人物描写は、本質を描いていたからなんだなぁ。古くなると読みづらくなる作品はあかんのです。良いものは何世紀たっても読める。
それにしても、この物語の終わりが何とも拍子抜けというか・・・でも、本来ハッピーエンドとかサッドエンドとかが作り物っぽいわlけで、物語の終わりをすっきりさせず、それでいて読み手に終わりを納得させる・・・人生なんて、劇的なことはないのです。『罪と罰』に結末が必要だろうかと自問自答すれば、そうではないと、そうでなくていいと、東の島国の弱小読者としては受け入れるしかないのです。

本日のお酒:SUNTORY THE PREMIUM MALT’S〈黒〉 + 菊姫 山廃吟醸
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On the Origin of Species

2013-08-01 22:34:08 | 読書
チャールス・ダーウィンの著作・・・いや、長編論文です。19世紀中頃に発表されました。
この3月に退官した上司の本棚からいくつか本をいただきまして、その中のひとつです。そのまた前の上司が退官した時も本をいただきましたが、それぞれに学者としての目指したものというか、夢というか、立ち位置というか、いろんなものが見えてきて興味深いものです。自分は一線をひいた時に、何が残っているんでしょうか・・・・SNSとブログは消去せねば。orz

てなわけで、『種の起原』上下巻を読破したのですよ。ほんとに味も素っ気もない、無味乾燥した文章でして、まじに辛かったです。砂漠でひたすら風紋の数を数えるような作業ともうしましょうか・・・・ま、こんな感じ↓

体制が進歩する傾向の程度について

自然淘汰は専ら、各生物が生存の全期間に曝される有機的および無機的条件の下で有益である変異の保存と累積とによってのみ作用する。終局の結果は、各生物がその条件に関連して層一層改良せられる傾向を持つことにある。この改良はいや応なしに世界通中の大多数の生物の体制を次第に進歩せしめるであろう。しかしわれわれはここにはなはだ込み入った主題に踏み込むのである。というのは博物学者は体制の進歩ということの意味について、未だ互に満足するような定義を下していないからである。脊椎動物では明らかに知能の程度と構造上人間に近づくことが用いられる。いろいろの局部および器官がその胚から成熟に至るまでの発育中に経過する変化の量をもって比較の一標準とするに足りるものと考える人があるかもしれない。

単なるガラパゴス諸島漫遊記だと思っていた君、廊下に立ってなさい。

この書の中で、これでもかっつーくらいに『種』について考察して考察して考察しまくります。遺伝の知識なしにこれをやるもんだから、なんかもう歯がゆいというか、ムズかゆいというか・・・もちろん、このダーウィンの『種の起原』とメンデルの遺伝の法則(の再発見)があって、近代遺伝学が花開くわけでして、布団の中で寝っころがりながら読んでる僕なんかバチあたりもんなのです。正座してありがたく拝読せねばならなかったのです。
最後の語句説明の索引欄まで読み尽くしたんで、許してつかぁさい。orz

話題変わって、厚生労働省が31日に発表した『2010年の市区町村別生命表』の話題。
平均寿命が最も短い市区町村、男女とも大阪市西成区--男女の寿命の差も最大(マイナビニュース) - goo ニュース
平均寿命が一番長い長野県松川村は、最近あちこちのテレビ番組で紹介されてて、何を食えばいいとか、医療がどうとか、明るくにぎやかです。一方で、こういう統計とると当然最下位もあるわけです。申し訳なくて話題にしにくいんですが、マイナビニュースさんは勇者です。最下位は『大阪市西成区』という・・・・

「ああやっぱり」という思ったあなた、校庭3周走ってきなさい。

ちなみに、男の寿命ブービー賞は高知県土佐清水市でした。カツヲ食っててもダメなんかーい! せっかく摂取したDHA打ち消すくらい酒飲んでちゃダメだよ。俺が人様のこといえんけど。orz

本日のお酒:KIRIN LAGER
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明治天皇(四)

2012-05-02 22:28:09 | 読書
ドナルド・キーン先生の本、やっと最終巻読了しました。おいら読むの遅いんすよ。まあ、他にも2~3冊併読してるということもあるんですが・・・。w それにマンガも読めば、英語の論文も読む。それから今のうちに後期の講義が出来るようにちょろちょろと数式たっぷりの御本(教科書)をば。今度のは専門外のフィールドばっかしなのだよ。
それでいて、読まないモードに入ったらパタッと本読まなくなります。それもちょっとじゃなくて数年単位で本から離れたり・・・。

四巻は日露戦争日本海海戦から明治天皇崩御。
日本の作家と違って、欧米各国の状況もよく描かれています。当然、彼の国々にはキリスト教が普及していないアジアの有色人種の小国日本に対する蔑視の意識があったのですが、ロシアと同盟を結んでいたフランスはロシアが負けそうだと読んでいて、あんましこの戦争に関わりたがってませんでした。勝ってる状況でさっさと終戦するようにロシアに示唆してたほどでした。名高いバルチック艦隊でさえ、雑多な混成部隊で経験豊富な士官は皆無で水兵の大半は軍事訓練を受けておらず質が悪いという評価だったそうな。
終戦交渉はもっとも高度な外交です。日露戦争では日本が勝ったのですが、極東から遥か遠くのサンクトペテルスベルクの宮殿にいたロシア皇帝をはじめとする彼の政府には敗戦の実感がなく、敗戦国とは言えない態度で交渉に臨んできました。彼らには朝鮮半島や満州での兵達の血の匂いが届かなかった。同じ皇帝でも皇居を離れ広島の大本営に赴き、極寒の戦地のことを思い部屋に暖房を入れさせなかった日本の天皇とはエライ違いだったのです。
中国の旅順とか奉天とかを奪われただけでモスクワやサンクトペテルスベルクが包囲されたわけではないロシアは、負けたくせに賠償金を払う気もなければ、支配地を1メートルも譲る気がなかったという状況でした。しかし、日本もさらにハルビンからウラジオストックまで戦線を拡大できる財政状況にありませんでした。できたとしてもロシアの息の根を止めることにはならなかった。あの時、そういう計算が出来たのになんで太平洋戦争ではアホな戦線拡大を繰り広げて兵士の半分以上を戦いではなく飢餓と傷病で死なせるようなことをしたんでしょうか・・・同じ国とは思えん。
この交渉ではアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介が大きな役割を果たしました。最初、アメリカにはロシア贔屓の態度を取られるか心配されてたんですが、彼は新渡戸稲造の「武士道」を愛読書として何冊も仕入れて周囲のスタッフに配っちまうほどの親日でした。もちろん、彼のハーバード大時代の旧友金子堅太郎が米国に派遣されていたことが大きかった。同じいきさつでケンブリッジ大を出ていた末松謙澄が英国にも派遣されていました。明治政府の国際エリート育成に対するとりくみが功を奏したのです。そういう意味で、今の日本の状況はお寒い限りですなぁ。変な政治塾を日本のあちこちで作るより、これはという若者をどんどん海外にやらないと・・・・。
幸い、ロシア全権代表ウィッテは戦前から日本とは戦争ではなく外交交渉で解決すべきだという立場の人でした。しかし、8月28日ポーツマスでウィッテはロシア皇帝から日本の寛大な譲歩を待つくらいなら交渉を打ち切り戦争を続けた方がましとの電報をとうとう受け取ります。小村寿太郎は日本政府から樺太占領を認めさせて賠償金要求は撤回、もしそれさえロシアが飲まないならルーズベルトに樺太割譲撤回を勧告してもらい、「平和と人道のために日本がそれを受け入れる」というほとんど『負け』を意味する指示を受けました。結局、ウィッテはロシア皇帝の指示を無視し交渉を継続、小村は樺太全島を諦め北緯50度線で二分することを「平和と人道のために」受け入れました。条約締結を聞いてロシア皇帝は驚き茫然自失。ロシアも日本も国民はこの講和条約には全否定で怒ってました。日本では暴動を抑えるために軍まで出さなきゃいけなかった。この交渉の唯一の勝者はルーズベルト大統領だったとキーンさんは書いています。この業績で彼はノーベル平和賞を受賞しました。

さて、こっから後は韓国併合の物語が始まるんですが省略~。長くなるし、いろいろと整理がたいへん。1点だけ。伊藤博文をハルビンで暗殺した安重根に対する研究はかなり深い。韓国民族の英雄として描かれている彼の姿とは全く違うものです。東アジアの三大国、清国、日本、韓国の同盟を望み、西洋列強からの脅威に対抗すること。反日というより、むしろ、ロシアに対する宣戦布告書で天皇の東アジアに対する意志を知り、ロシアに対する日本の勝利をワガコトのように喜んでいたらしい。詳しくは本を読んでくだされ。

1000年近く御所を中心とした京都の限られた範囲でのみ生きてきた日本の皇室と貴族達は、外国人を忌み嫌いそれ故に国内で攘夷派と開国派による血みどろのテロの応酬を引き起こしてしまいましたが、乗馬を好み酒に強くてやたらに記憶力が良く、皇室の禁を破って牛乳を飲んで肉を食べ、倹約家で継ぎのあたった軍服を身に着け、ろくな交通インフラもないのに日本中を行幸して周り、外国の要人と外交交渉をこなしもすれば、財政上の政策決定を大臣達に任され、辞めると言い出した総理大臣を説得し、戦で手足を失った兵士の傷に手を差し伸べ労る天皇を欧米列強の勢力が東アジアに届いた19世紀後半に日本が得たことは歴史的な奇跡と言えると思います。維新をなした偉人達は彼らの実力で生き残り、命がけでことを成したのですが、どのタイミングでどのような方が皇位に就くかは日本にとって完全に運なのです。もちろん、他の誰一人がかけても明治維新はならず、清国とロシアを倒し、英国と対等の同盟を結び、米国大統領に愛される国にはならなかったでしょうが、日本の作家はどうしても天皇を避けてるとこがあってバランスを欠いてます。ま、こういうことにうるさい人間がいるからねぇ。ドナルド・キーンさんも安部公房氏に明治天皇について執筆することを伝えたら、書けば右翼から脅迫に遭うだろうと忠告されたそうです。実際書いてみると、どこからも脅迫されず彼は意気消沈したそうな。w
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明治天皇(三)

2012-03-18 20:33:10 | 読書
昨夜、ツイッターで@runner933さんが明日の金沢ロードレ-スに出るとつぶやいてました。ツイートの中でコースを書いてはったんですが、地名をみても僕にはどこかわからんとつぶやいたら、彼が地図を添付したツイートをアップ・・・ええっと・・・んじゃ、おいら見に行かなあかんねんな、たぶん。w
早起きして見に行ってきましたよ。上の写真をご覧あれ!

さて、やっとドナルド・キーン改め鬼怒鳴門さんの『明治天皇』の三巻を読み終えました。この巻は明治15年からです。軍人勅諭を発して軍を『天皇の軍』とし、日清戦争から義和団の乱へと大陸で本格的な戦争を行うことになります。そして、アジア初の普通選挙による民選議会、そして、憲法の発布。外交では不平等条約『治外法権』の撤廃交渉が主な内容です。

戦争
武士階級ではなく広く国民から徴用された兵によって構成されてました。西暦663年の白村江の乱以来っすよ。あの時は朝鮮で惨敗しました。しかし、清国相手に連戦連勝。欧米では日本の方が弱いと考えられていたので、海外からは驚きを持って迎えられ、国民は平民出身の英雄が出る度にお祭り騒ぎだったようです。ただ、後の二次大戦で我が国が犯す失敗の前兆が早くも現れていました。ひとつは旅順で行った虐殺。このブログで呼んだ内容を書きたくはないので書きませんが、先に日本兵が惨殺されたからとはいえやりすぎてしまった。もうひとつは、山県有朋率いる第一軍が鴨緑江を渡って清国に入った時、兵站が伸びすぎたために大本営からそこに留まり営舎を設営するようにいわれたのに、勝手に進撃して海城まで至ってしまった。第二軍らの戦勝を知りあせったらしい。ここで清軍の反撃に遭い第一軍は劉大将の軍に包囲殲滅されそうになるのだけど、なぜか清国の司令部が劉大将の作戦を採用せず日本は敗北を免れました。日清戦争が勝ち戦だっただけに、反省を得ること無く50年後に大敗北を喫することになったと思う。この時、日本の大本営は広島にあり、天皇も広島にいました。この戦争には気が進まなかったそうです。宣戦の詔勅を公布した直後、「今回の戦争は朕素より不本意なり」と述べています。
この戦争の後、欧米に弱さを認識された清国は列強諸国にどんどん蹂躙されることになるのですが、中国民衆による義和団の乱が起きて清国人による反撃に遭います。これは清国政府も抑えることが出来ず、日本に助けを求めることになるのですが・・・・清国王からの新書の冒頭文が「大清国大皇帝問大日本国大皇帝・・・」で始まっていました。あちらから対等の扱いを受けたのです。日本から隋国の煬帝へ「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」とこっちからため口をたたいて相手の皇帝を激怒させて以来、1300年以上経ってやっとです。ま、今更って感じですが・・・。

治外法権撤廃
日本にとってこの不平等条約の撤廃が悲願だったように習いましたが、日本国民の総意ではありませんでした。外国人も日本国内では日本の法の下に平等であるとすれば、彼らに住居の場所や経済活動等において平等にしなければいけません。それを恐れる日本人は少なくありませんでした。今だって、TPPの予備交渉に参加するかどうかだけでピーピー泣き言や降り掛りそうな不利益を述べ立てて対案もなく反対論をぶつ「立派な人たち」がいますよね。たぶん似た状況・・・。w しかし、当時の政府は外国に対する不安よりも外国と対等の立場を選択しました。今の政府とはエライ違いです。
実は、外国人も治外法権の撤廃を恐れていて、まともな法による裁きを受けられず、アジア人によって不当な逮捕や拷問を受けることを恐れていたそうです。しかし、意外と条約撤廃後は平穏にいったようで、これといったエピソードも無し。

二巻に出てきた若き明治天皇は伊藤博文や岩倉具視に譴責されたりもして国政に関わってきましたが、この三巻の時代になると、ことあるごとに大臣職を投げ出して難題から逃げようとする元武士階級の政治家達を叱咤する立場になります。病気と称して辞表を出されるたびに慰留したり代わりの者を検討しなければなりませんでした。日本の政治家がすぐにポストを投げ出すのは昔からの習い癖だったのですな。ただ、天皇だけはその地位を投げ出すことは出来ませんでした。

本日のお酒:KIRIN 麦のごちそう + 日栄 山廃仕込み + 雙喜 紹興酒
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明治天皇(二)

2012-01-28 22:31:27 | 読書
ドナルド・キーンさんの著作です。第二巻は東京行幸から西南戦争、琉球問題、グラント将軍来日、自由民権運動の時代、明治天皇の二十代。
廃藩置県は今の橋下大阪市長の唱える『大阪都構想』なんかがあまりにもちょろすぎて、「こんなのが改革?何言ってんの??」とふしぎになるくらいスケールの違う大変革でした。当たり前です。ついこの前まで特権階級だった200万人もの武士が一機に永久失業するかもしれない変革です。藩って270以上あったんスよ。なんで、道州制ごときの小さな変更が今は出来ないんでしょう。もちろん武士階級の多くは官公庁や地方行政で新たに雇用されて日本を支えたのは事実だが、変化に適応できなくて落ちぶれる者も多かった。そりゃ、内戦も暗殺も起こるっての。西南戦争での政府軍の勝利と人望を集めていた西郷の自刃が、決定的に不平士族の活動を封じてしまいました。それだけこの時代の西郷はカリスマ的な存在だったのでしょう。この戦争の後、近衛兵にも九州へ出兵したものがおり手足を失う負傷をした兵が出たのですが、明治天皇はその患部に手をやり「痛みはありますか」と尋ねて、近従を感涙させたそうな。当時の皇帝がそのような行為にでることは世界でもありえないことだったそうです。
この時期に早くも日本の抱える領土問題の種が発芽したのも、この本を読んで勉強になりました。ロシアとの樺太問題と清国との琉球問題です。結果として樺太は完全にロシアに譲り、その代わりに千島18島を得ました。国境はカムカッチャッカ半島の手前まであったんスよ。実は、この頃明治天皇の関心は普仏戦争にあって、政府から上がってくる戦況報告をwktkしながら待ち、侍臣を質問攻めしていおられたそうな。その後、ドイツ軍艦が横浜に寄港した時に艦長から普仏戦争での写真を献上され、「ご説明いたしましょうか」との申し入れを直ちに許して戦略はもとより戦後の結末にいたるまでを興味深くお聴きになられた。この時、天皇20歳。即位して5年目。貴人でもない一外国人をこういう用件で直接御前に呼びつけて戦争の話しをさせたのは日本史上前例がない。先の孝明天皇は京都の御所におられて神戸に異人の船が現れるだけでも大騒ぎだったのである。若いってすごい。
もうひとつの領土問題は「琉球」。説明しようとすると鎌倉時代まで遡らないといかんのだけど、要するに琉球は日本に支配されながらも中国には自分で勝手に朝貢して属国として認めてもらい、二重外交しながら巧いことやってきたわけですな。昔はそれで良かったんだろうけど、近代国家でそれはない。そこんとこのセンスが遅れていた。
問題の伏線は台湾で起こりました。台湾の少数民族に琉球の漁民が殺された。日本政府としては台湾が清国領であることは認めるので、清国に処罰してもらいたい。だけど、台湾のそういうとこまで清国の支配は行き届いてない。んなわけで、日本が台湾に上陸して処罰していいかと聞くと、それはあかんと清国は答える。そこでいろいろと外交交渉があったんだけど、その過程で清国と琉球は近代国家間の国際的な駆け引きに疎かったみたいです。その件の決着後、日本は廃藩置県の方針もあって琉球を沖縄県とすることにした。琉球は清国に対する朝貢を止め清国皇帝から冊封も受けない、そして、清国の年号「光緒」ではなく日本の年号「明治」を使うこととなった。ついでに琉球王一族は東京に上ることを命ぜられた。清国はもちろん怒り、外交交渉になった。清国側のポイントはもちろん、琉球国は独立国で日本の命令は認められないとのこと。しかし、前にあった台湾での事件での日清間の国際交渉が効いた。この交渉の時、琉球の漁民を日本人として扱ったのである。だ・か・ら、琉球は日本領と認めていたことになる。後から怒鳴ろうが喚こうが、これが国際交渉。ちなみに太平洋戦争後、中華人民共和国は沖縄諸島までを自国領としようとした気配があります。中国の歴史をひも解くといくらでも属国としての琉球国が出てくるのですから。でも、戦後沖縄を米国が占拠したので引いたらしい。彼らの野心は尖閣諸島で止まったりしませんよ。
先の大統領、グラント将軍(50ドル札の人ね)が大統領を退任して世界旅行に出て日本を訪れた。その前に清国を訪問しており、日本に琉球問題の件で口添えすることを依頼されていた。ところが、この人のいいアメリカ人は日本での歓待もあって、すっかり日本びいきになったらしい。明治天皇もすっかり外国人と対応することに慣れて、この陽気なアメリカンと懇意になったそうな。その頃、江戸城は火事で焼失していて、質素な仮御所に住んでいたこともすごく感動させたらしい。天皇は日本各地を行幸され民の貧しさもかいま見ており、無駄遣いを許さなかったらしい。当時の明治政府は貧乏で、外債を発行するか(つまり外国に借金するか)政府内で意見が割れた時に判断にゆだねられたのが、明治天皇の最初の政治判断だったそうです。その頃外債に関しては、グラントに欧州の国々につけ入れられるから簡単に発行してはいけないとアドバイスを受けていて、借金をせずに質素倹約をする断を下されました。今の政府はわざわざ東京の一等地に役人の宿舎を作りたがるんだからエライ違いですな。
琉球問題については、通訳だけつけて直接グラントとさしで交渉に及んでいる。国際問題の交渉まで若い天皇が出てきて役割を果たしたのである。この時の記録は通訳の簡単なメモ程度のしかないそうですが、琉球に関しては日本の主張を通したそうです。つい数年前まで京都の御所で和漢の歴史と和歌の勉強しかしてなかった若者が歴戦の軍人で元アメリカ大統領相手にである。明治政府自体は志があって血で血を洗う激動の世を生き残り幕府を倒した者達が作ったのですが、明治天皇は皇位継承すべく生まれついた人がなったのであって、選ばれたわけでもなければ、立候補したわけでもない。歴史が彼をこのタイミングで皇位につけたのだ。

長く書きすぎて疲れたっす。まあ、出来たばっかりの明治政府と即位したばかりの若い天皇のお話を読むと、小さなことも決められず実行に移せない現代の日本の抱える問題の根っこがこの頃からあったのだなぁと感慨が深いのでした。当時は果敢に決断し国造りをしていたのに、一度豊かになると出来なくなるもんですな。

本日のお酒:KIRIN 一番搾り とれたてホップ + SAPPORO SILK YEBISU
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明治天皇 (一)

2011-12-26 21:51:56 | 読書
ドナルド・キーンさんの著書です。角地幸男さんの訳。学者さんの書かれたものであるだけあって、論文のような作品です。あ、論文なのか? これ・・・。

ひと2011:あなたがいた ドナルド・キーンさん
毎日新聞のコラム記事に『3・11を境に多くの外国人が出国したが、「青い目」の学者が日本国籍を取得し永住する道を選んだというニュースは、多くの人々を励ました。』とありました。ほんにその通り。
国籍を移すことに実質的な意味はありません。それがなくともキーンさんは日本人以上に日本のことを知っている世界トップの日本研究者であり、日本の最高の理解者です。でも、あの震災発生を機会に日本帰化を決断された。その彼の気持ちで、本当に我が国と我が同胞(はらから)を愛してくれていたのだと、彼はただの『研究者』ではなかったのだということがわかります。その彼に日本人の一人として報いることが出来るとしたら、彼の著作を買って読むしかないでしょう。w

この第一巻は明治天皇というより大半が父の孝明天皇のことと明治維新について書かれています。日本の歴史読み物で一番不満なのは、日本人作家が『天皇』という登場人物に関しては巧妙に逃げている気がすることです。平家と源氏が台頭してから以降は確かに武士の世界を描くことで物語はなりたちます。しかし、幕末において孝明天皇と当時の公家についてきちんと表現されていないと全く片手落ちなのです。特に孝明天皇の異常なまでの異国人嫌いが血で血を洗う尊王攘夷の根源となったといっていいでしょう。ほとんど京都の御所に幽閉され、外の世界を知らない、いや、知ろうとしなかった天皇の好き嫌いが日本の歴史を大きく左右したのです。しかし、この混迷の時期が維新を貫徹させたといってもいいかもしれません。もし、簡単に幕府に丸め込まれて開国を認め港を早いタイミングで開けていたら、薩長の出番もなく、龍馬や弥太郎はさっさと外国へ渡って手広く商売をしてたかもしれません。(笑) 実際は攘夷のために外国人は受け入れられず、うっかりすると人斬りに殺されかねない状況が続き、日本に国を開かせようとしていた外国人達は体躯で圧倒的に劣るはずの日本人を警戒し恐れていたそうです。孝明天皇が35歳の若さで崩御された時、皇太子は10代で元服もしていませんでした。しかし、若き明治天皇は堂々と異人と謁見しただけでなく、外交官を招いて日本料理と西洋料理を饗するパーティーまで開いたり、閣議には積極的に参加、政務に没頭し、記憶力がよく、騎馬を好み、酒がやたら強くて、すんごい倹約家という日本史をどこまでさかのぼっても見つけられない君主でした。この巻の最後をキーンさんはこう述べて結んでいます。

父孝明天皇と同じわずか三十五歳で生涯を終えるようなことになっていたとしたら、この若者は単に王政復古の時代に君臨した天皇として記憶されることになったに違いない。長命と強い使命感が、この若者をついには歴代の天皇の中で最も名高い天皇に仕立て上げることになる。


庶民から君主にいたるまで、本当に上から下まで、あの時代にどうしてこれだけの人材に恵まれたのかふしぎでしょうがありません。それだけのポテンシャルがこの国の人にあるんだってことが、今の日本人を見てると信じられんつーか・・・・なんつーか・・・・

本日のお酒:立山 本醸造
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