中さん

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
kumagaya001nakanaka002

日記(12.13)柔道のルール

2016-12-13 20:36:11 | 日常
12月13日   (火曜日)   晴れ→曇り

柔道のルールが改正されるニュースが・・
今までみていてなんだか消化不良を起こすようだった
柔道のよくわからないルールであった!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
記事にもあった。
 「どうも、ねらいが優勢勝ちの判定へ持ちこもうとする気配が強く、おもしろくない」
 「審判の歯ぎれがよくならざるを得ないような『一本勝負』が見たいものである」。

   昭和35年4月の新聞に、4年後の東京五輪から正式競技となる
   柔道への不満の声が載っている。
   発言の主は、柔道小説の名作『姿三四郎』の作者として知られる富田常雄だった。
   
   56年後、今や世界的な競技「JUDO」となっても、同じ問題を抱えている。
   豪快な一本を狙うより、ポイントを積み重ね、反則勝ちでよしとする選手が、
   特に海外勢で目立つ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  そこで国際柔道連盟(IJF)は先週、
  4年後の2度目の東京五輪に向けた新たなルール案を発表した。

  現在は3段階ある技のポイントが、
  「一本」と「技あり」だけになる。
  さらに2度の技ありでの「合わせ技一本」も廃止される。


  柔道の始祖、嘉納治五郎は、力だけに頼らず、
  技の切れと精神力で取る、「一本」を重視した。

  今回のルール改正が、嘉納精神の原点に戻るきっかけになるのなら大いに歓迎する。
  実は、富田の父親の常次郎は講道館創立当時から、嘉納を支えてきた柔道家だった。
  富田自身子供の頃から稽古に励んできた。
~~~~~~~~~~~~~~~
  姿三四郎のモデルとなったのは、やはり嘉納の弟子だった西郷四郎である。
  身長151センチと小柄ながら、「山嵐」と呼ばれる必殺技で、
  大男たちを次々に投げ飛ばしたという。
 「平成の三四郎」の異名を取ったバルセロナ五輪の金メダリスト、
  古賀稔彦さんは、切れ味鋭い背負い投げを得意としていた。

  その教えを受けた「女三四郎」こと谷本歩実(あゆみ)さんは、
  オール一本勝ちで五輪2連覇を果たしている。



  東京五輪でも、一本にこだわる新たな三四郎の出現に期待したい。
==========
★ようやくスッキリ判定の柔道試合を見られそうだ!
JUDOから柔道へに・・・
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記(12.13)田島弥平旧住宅・・

2016-12-13 20:20:03 | 日常
12月13日  (火曜日)  晴れ ・・曇る

所用で、伊勢崎に出る予定が途中で変更になったので
深谷に戻る途中で天気も穏やかなので、前にも何回か行ってはいるが
近くの史跡を訪ねて時間を過ごすことにした。
~~~~~~~~
まずは、養蚕の卵の技術で名をなした田島弥平住宅に・・
史跡クラブでも来ているがもう一度、まずは利根川沿いの土手に登って・・1kmの利根川の土手幅を感じ取る


暖かく穏やかな日の平日だ・・訪れる人も数組でまばらだ。
係りに人も暇そうだ。
大正3年に作られたという土手を歩いてから・・
弥平住宅に・・大凡153年を経過した建物が・・ここは伊勢崎市になる?
昔は利根の中州にこれらの家があったということらしい。



係りの人が10分程のビデオをかけてくれた。

順路通り周囲を歩いて大きな田島家の大きな家々を見て回る。


瓦の紋も桐である。

前回、来た時のボランティガイドさんの説明を聞いているので良くわかる。
今回も更に個別に担当の方が詳しく教えてくれた。個人指導だ!
~~~~~~~~~~~~~~~~
ついでに・・・
すぐ近くが渋沢栄一の生家なので立ち寄ってみた。
中の家「なかんち」
池の清掃作業中であった。
 この屋敷は、渋沢家の住宅等として使われてきたもので、
      通称「中の家(なかんち)」と呼ばれています。
      昭和58年からは「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の
      学校施設として使用され、多くの外国人留学生が学びました。
      平成12年、同法人の解散に伴い深谷市に帰属し、現在に至っています。


今回は初めて裏手の方も少々のぞいてみた。

天候も少し曇ってきた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする