中さん

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日記(1.13)

2024-01-13 20:46:09 | 日常
1月13日   (土曜日)   ②    突然曇って来て雨 霙っぽい!

突然の天候激変が起こった。そんな天候では家の中でTVを見ることぐらいだ。
午前中はPCを使って”ちあきなおみ”の歌を聴いていた。

〇特に”朝日のあたる家”を変えた・”朝日楼”という女郎屋に働く女の悲哀を
 歌い上げるのはすごい。
他に”紅い花・紅とんぼ”も聴きごたえがある。
いつ聞いても感情のこもった語りかけるように歌うのが好きだ。
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◆14時ごろから急に雨。寒い午後になった。
大学ラグビー決勝戦をTV観戦。

前半20分過ぎたころ、雪と雨と雷で一旦ゲームが休止。
約1時間が経て再開。

帝京が明治を破った。
帝京のスクラムが強い。

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夕方から風が出てきた。結構強い。
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◆最近は歴史上の人物の”時世の句”を調べて楽しんでいる。
辞世の句とは、人が死を予見したときにこれまでの人生を振り返り、
この世での最後の文章として書き残すもの。

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多くの偉人の最後の句を知ることは各人の死生観に触れることであり、
この先の人生を考えるきっかけにもなるかも。
・・・ただ、凡人の自分にには理解も及ばないが・・!
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偉人の遺した言葉
【戦国編】激動の時代を駆け抜けた武将の辞世の句と意味
【幕末・維新編】動乱の中を生きた志士の辞世の句と意味
【女性編】美しい言葉で紡がれた歌人・有名人の辞世の句と意味
辞世の句には詠み人の生涯が映し出される
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多くは和歌や俳句・漢詩のような詩的な短文で詠まれています。

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以降はメモで少しづつ載せていく。
【戦国編】激動の時代を駆け抜けた武将の辞世の句と意味
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天下統一を果たした『豊臣秀吉』
貧しい百姓の家の生まれから天下人となった豊臣秀吉。
明智光秀を破り天下統一を果たした後には、
豪華絢爛な大阪城を築いて金の茶室を作ったり、
側室を何人も置いたりと、派手な生活をしていたことでも有名です。
そんな秀吉が詠んだ辞世の句が・・
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
   「人生はまるで露のよう(に儚い)。
    大阪での栄華の日々も、儚い夢のようだった。
」と読めます。
    時代を駆け抜け立身出世を果たした秀吉ですが、
    最後に振り返ったときには、今までのことが儚い夢のように映ったのかもしれません。
    また秀吉は臨終の間際に、遅くできた子どものことを心配していたことも知られています。
    栄華を誇った天下人でも、
    最期に思い出されるのは愛する家族だったようです。
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日記(1.13)

2024-01-13 11:31:18 | 日常
1月13日   (土曜日)   晴れ

麹で漬けた大根もすっかり薄黄色い沢庵に姿を変えて
美味しくなった。砂糖を多めに使うというコツも覚えた。

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材料は自作で農園で毎年100本以上は作る。土さえ十分に柔らかくしておけば
真っすぐな形の良いものが出来る。
昨年15㎏を2回行ったので沢山ある。あっちこっちにおすそ分けをする。
ひと樽分が空いたので朝から洗い作業を行った。
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重石の15㎏2個がこのところ随分重く感じるようになったなあ~!力が衰えている。
今日もカミさんが友達とランチと言って沢山の沢庵を持って行った。
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本来の沢庵は糠と塩で漬けるのであるが、家人の要望で麹で漬けている。
メモ;
ある日、沢庵和尚は、徳川家光に
 「和尚、余は近頃何を食べても、味がなくて困る。なにか口に合うものがあれば食べさせてくれ。」
と求められました。
「それはおやすい御用でございます。明日午前10時ごろ、拙僧のところへおいでください。
 もっとも当日は、私が主人で殿は客、わがままを言われても困ります。
 それだけはご承知ください。
 また、どんな用があってもご中座されません様お願い申し上げます。」
と答えました。
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 家光は喜んで帰っていき、翌日家光は沢庵のところへやってきました。
  時は、12月下旬、夜明けごろ降り出した雪で一面の銀世界でありました。
〇沢庵は家光を茶室に案内し、
 「しばらくお待ちを。」と引き下がってしまいます。
 ところが待てど暮らせど一向に和尚は出てこない。
 朝の10時から待たせておいて、昼になっても現れない。
 3時になっても現れない。
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家光が腹が減って目が回りそうになった頃、
和尚が出てきて、
「遅刻致し恐れ入ります。沢庵手製の料理、何卒ご賞味ください。」 と、御膳を差し出しました…。
〇お膳を見ると、黄色いものが二切れ皿に乗り、椀が添えてあるばかり、
 他には何もない。
 椀の蓋をとってみたが、中には飯が入っており、湯がさしてありました。
 それでも家光は腹が減ってたまらない。
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「和尚、馳走になるぞ。」と大急ぎで椀を抱え込み、
 カツカツと食べ出しました。「おかわり。」
 家光はようやく腹が一杯になったとみえて、やっと箸を置きました。
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そして、「時に、和尚。この黄色いものは一体何であるか。」と問うと、
「それは大根の糠づけでございます。」と沢庵は答えました。
「ほほう。」と、家光がすっかり感心してしまった時、
 沢庵はおもむろに姿勢を正してこう言いました。
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「上様は征夷大将軍という御位、人間の富貴この上なく、
 されば結構なるものを毎日お膳に供えて、
 それに口がなれて旨味がございませぬ。
〇つまり口が贅沢になっているからでございます。
 故に今日、空腹待ち、かような粗食を差し上げたのでございます。
 上様は怒りもなく、「美味じゃ。」とのこと。
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 「以後、空腹になるのを待ってお食事されるとよろしゅうございます。
  とそれとなく将軍を戒めました。
  後日、家光は沢庵を招き、
  貯え漬けならぬ「たくあん漬け」として一般にもこれを貯えさせました。
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たくあん漬は、沢庵和尚が考案されたと伝えられています。

宗鏡寺では、地元の子供たちと一緒に、沢庵和尚伝承の製法で、たくあん漬を作っております。
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新潟日報  日報抄  記事

 「冷や水を浴びせる」という。
 物事を始めようと意気込んでいるところを妨げる。
 ことしは年初に、能登半島地震に揺さぶられた。冷や水どころではない。
 被災地には連日のように冷たい雨や雪が降り注いでいる
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▼現地の惨状を伝える日々の紙面やニュースに心が痛む。
 犠牲者は増え続けている。
 交通が寸断され集落の孤立も続く。
 寒さに震える人々がいる。
 被害の全貌はいまだに明らかになっていない。
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▼本来なら正月は、
 昨年の一切合切をリセットして心機一転、
 新たなスタートを切る好機だった。
 心機一転を英語にすると
「turn over a new leaf」ともいう。

 leafは書物のページも意味するから、直訳すれば「新しいページをめくる」となる
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▼希望とともに新年のページをめくったとたん、
 こんな惨事が待ち受けていようとは。
 忌まわしい現実をリセットしたい。
 詮ないことと分かりつつ、

 そんな思いで避難生活を送っている人もいるかもしれない
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災難は馬に乗ってやってくるが、歩いて去って行く〉。
 北欧のことわざを思い出す。
 発災は一瞬だが、その影響は長く残る。
 関係者の懸命の努力にもかかわらず、
 依然として多くの人々が厳しい環境に置かれている。
 切なさが募る
=====
動詞のleafには、植物が葉や芽を出すという意味がある
 被災地はいずれ、復興に向けて歩き出すことになる。
 新たな芽吹きの時が来ることを信じたい。
 冷や水を浴びせられようと、地道に復興のページを一枚ずつ繰るのみだ。

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