中さん

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日記(1.20)

2024-01-20 17:34:23 | 日常
1月20日  (土曜日)        雨 
朝のラジオ体操と簡単矯正運動程度で一日が始まったが
今日は曇っていて何もできないのでTV観戦だ。
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14時半からラグビー「パナソニック」が三重ホンダと対戦
圧倒的な強さでパナが勝った。

世界の一流選手がここ日本で、まして熊谷の地で見られるのは嬉しいことだ。

これで6連勝だ。
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女子サッカーの準決勝戦 INAⅭvsちふれ埼玉を観る
延長で神戸が勝った。

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毎日新聞  余録
 自民党岸田派の名称「宏池会」は1957年に池田勇人が創設した際、
 陽明学者の安岡正篤が命名した。
 語源は漢籍の
「高光の榭(うてな)に休息し、以(もっ)て宏池に臨む」
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  余裕しゃくしゃくたる様子を表すという。
  後に首相となった池田も含め、輩出した首相は5人にのぼる。
  その伝統派閥の解散を岸田文雄首相が表明した。
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▲自民党各派パーティーに伴う裏金事件を巡り、
 岸田派は元会計責任者が立件された。
 首相は「事務的ミス」と釈明したが、自身のけじめを追及されることは必至だ。
 政権発足後もつい最近まで、派閥を離れずにいた首相である。
 突然の解散は「余裕ある様子」どころか、政権の危機に追い込まれての転換にみえる
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岸田派に続き最大派閥の安倍派や二階派も解散を決め、
 同調する動きが広がった。

 だが、首相は党総裁でありながら残る派閥に解散を呼びかけないという。
 なぜ、自ら責任を取ろうとしないのか!
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▲事件の捜査は、高額の裏金を受領した議員や派閥の会計責任者らの立件で終わりそうだ。
 ただし、事務方が一存で多額の違法行為を判断していたなどとは誰も思うまい。
 派閥幹部らがどこまで関係したのか。
 説明の不在に国民のいら立ちは募るばかりだ。
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▲宏池会といえば加藤紘一元幹事長(故人)が
 森喜朗内閣倒閣に無残に失敗した2000年の「加藤の乱」も思い起こす。
 それでも党のあり方を変えようとした挑戦だった。
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▲今度はどうか。まやかしの改革に終わらぬよう目を凝らして吟味したい、
 にわか派閥解消劇の行方だ。
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メモ
〇自民党の加藤紘一元幹事長(平成28年死去)が森喜朗内閣の打倒を目指した
 「加藤の乱」の収束から20日で20年となる。

  インターネットを駆使した世論戦術は「ネット政治」のさきがけだったが、
  党執行部の切り崩しに敗れた。

  今や会員制交流サイト(SNS)などネット環境は飛躍的に発展したが、
  世論はより多様化する傾向もある。「乱」から今の政治は何を学ぶのか。
(肩書は当時)
 「森首相に内閣改造はやらせない」

 平成12年11月9日夜、東京・虎ノ門のホテルオークラにある日本料理店「山里」。
加藤氏が政治評論家らを前にこう宣言して乱は始まった。
森首相の「神の国」発言などで森内閣の支持率は20%以下に低迷。
10年の小渕恵三前首相との総裁選に敗れ、
 非主流派となった加藤氏が盟友の山崎拓氏と野党の内閣不信任決議案に賛成しようと動いた。

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★派閥は言葉を変えて・・またまた”政策集団”ということになるかも!
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日記(1.20)

2024-01-20 10:14:02 | 日常
1月20日  (土曜日)   曇天  雪になる予報だが・・
曇った空で重い感じだ。
平地でも雪になるらしいので”雪用のスコップと長靴を準備しておく。
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昨晩は誘われて行田市の東和銀行支店の新生会主催の新春講演会のイベントに
参加させてもらった。17時45分からの講演だ。
場所は教育文化センター”みらい”。

落語家の ”桂 宮治” 師匠
「落語とコミュニケーション術」
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笑点のレギュラーになって随分人気もだが
元々人と接するのが嫌いであったとか。
私もネットで人物の状況は聞いていたが
それは事実であった。
奥さんが理解者で凄い人であったらしい。
30歳になって桂伸治師匠の門を叩き、弟子にしてもらったと・・
「人嫌いが」良くも落語家になったものだ・・


私も落語は好きな方でよく見る。
桂伸治一門は・・

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★私の若いころの時代は"
桂枝雀師匠  桂小南師匠をよく聞いた
特に枝雀師匠は会社時代に2度ほど本物を聞いている面白き人で
ジェスチャーも凄く、英語の講座もしていた。
こんな落語家はもう出ないと思う。

最近は桂三枝「文枝」師匠と時代が変化している
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不思議に思っていたことが・・
関東と関西の落語に、どういった違いはあるんですか?
どちらが落語の起源なんですか?だ。
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メモ
〇関西のほうの落語を、特に『上方落語』と呼ぶこともあります。
 ここでは便宜上、『江戸落語』『上方落語』と表現した上で回答させていただきます。
〇どちらも、江戸時代の1680年頃、東西ほぼ同時に発生したようです。
 江戸では鹿野武左衛門、京都に露の五郎兵衛、大坂に米沢彦八という噺家があらわれました。
 三人とも川原とか神社の近くとかの野天(つまり屋外)に天井のないかんたんな小屋を立てて、
 道ゆく人たちに謎掛けや小噺をしてみせ「辻噺」を聴かせて人気を博しました。
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 が、江戸の鹿野がこれを座敷に持ち込んで「座敷噺」を始めました。
 客層は、お金持ちの商人というような風流人・趣味人が多かったようです
 ですから自然と、粋で洒落ていて、人情を語ってホロッとさせるような話芸が喜ばれ、
 これが『江戸落語』の性格に、
 こんにちまで影響を与えていると思います。

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 上方の方では道ゆく不特定多数の人々の足を止めさせて聴かせようというのですから、
 笑わせ、喜ばせ、とにかくウケることを前提にしていました。

 小拍子や張り扇を鳴らし、三味線や笛、太鼓といった楽器も入ってくる等、
 とにかく賑やかに噺をしました。これが『上方落語』の性格に
 深く根ざしているように思います。
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ひと言でいうと、
★粋をたっとぶ『江戸落語』と、
★笑いに特化した『上方落語』ということが出来ましょうか。
もちろん『江戸落語』にも笑いはありますし、
    『上方落語』にも人情を描いたものはたくさんありますが、
     傾向として、そういう性格の差はあります。
  ことばの違いは、最初からのこと。
  どちらがいいとか、優れているとかではなく、
  話芸としての方向性に、大きな違いがあります。
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★19時半ごろには講演も終えて、軽食を近くでとって帰宅。
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