中さん

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
kumagaya001nakanaka002

日記(1.22)

2024-01-22 20:43:07 | 日常
1月22日  (月曜日)    曇る  ②

午後は2時を回ってから明和町のコストコに買い物に出かける。

 自分の好みのもだけは先に買って、通常の食品は任せる。
 1時間ほど大きなカートを持って回る。今日はすいているので買いやすい!
 帰る頃は16時を回った。夕食代わりにフードコートで
クォーターパウンドホットドック 180円を3本ほど買う。安い!
  開業当初から変わらぬ価格を貫く、コストコフードコートの代名詞的商品!
  全長30cm以上あるバンズに、直径3cm以上あるソーセージがはみ出るように挟まれ
  温かい状態で提供されます。

フードコートに設置されているトッピングブースにて、みじん切りのオニオン、ピクルス、ケチャップ、マスタード、を好きなだけかけて食べられます。
飲み放題のソフトドリンクもついてくるのでお得感満載!
私、これが好きだ。
===========================
毎日新聞 余録

国民食・カレーライスの起源には諸説ある…
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇国民食・カレーライスの起源には諸説ある。
 インドではなく英国経由の「洋食」として日本にやってきたことは確かなようだ。
 褐色のソースが放つスパイスの香りは、ハイカラな香りもまとっていたことだろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
会津藩士から教育者に転じた山川健次郎は明治4年、
 国費留学生として乗り込んだ米国行きの船でカレーライスに出会っている。

 慣れない肉中心の食事と船酔いに苦しんだ末、勇気をふるって口にした。
 もっとも目当てはカレーの下の白飯だったと伝えられる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲簡単に、大量に作れて栄養もとれるとあって給食の定番だ。
 全国学校栄養士協議会が1982年、小中学校でカレーを統一メニューにした日にちなみ、
 業界団体がきょうをカレーの日」と決めた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲かつて「おせちもいいけどカレーもね」というCMがあった。
 おせちを味わう間もなく地震と津波に襲われた人々がいる。
 避難所となった石川県珠洲市の小学校で子どもたちが壁新聞を手作りしている、
 との記事を読んだ。ある日の特集は「炊き出しメニュー」の人気投票。1位はカレーライスだった

父親から叱られ夕飯がおあずけになった思い出を
 向田邦子が随筆に書いている。よりによって献立はカレー。
 台所から漂ういい香りに、涙をこらえながら雨戸を閉めた
と・・・

「ライスカレーの匂いには必ず怒った父の姿が、
  薬味の福神漬のようにくっついている」
(昔カレー)。
  能登の人々にも、避難所で食べたカレーの味を懐かしく思い出す日がきっと来る。
  そう願う。
=======================================
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日記(1.22)

2024-01-22 08:26:28 | 日常
1月22日  (月曜日)   曇りっぽい!

〇昨日は駅伝をTVで観戦。中学・高校生は区間が決められている。


埼玉が2位に・・頑張った。長野県が強い。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇日本航空の社長に女性が誕生。鳥取氏 頑張ってほしい。

★今度は機長が元CAの指示で・・か!
=======================
〇最近、芸能界や著名人が亡くなるなあ・・歌手の方が多い感じだ

〇他人事ではなさそうである。
=================================
上毛新聞 三山春秋に
 ▼中国では文人の書斎を文房といい、
  紙、墨、筆、硯(すずり)は
 「文房四宝」
と呼ばれる。

  書家が重視するのは筆で、その次が紙。
  展覧会に出品する作品には高価な中国製の画仙紙が使われる
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼練習には日本製の機械漉(す)きの紙を使うことが多いが、
  納得のいく作品は図らずも練習中に生まれてしまうことがあるから悩ましい。
 「練習用の紙というものはない。一枚ずつが真剣勝負」と、
  生活が苦しくても高価な紙しか使わなかったのが相田みつをである
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼足利市生まれ。18歳から本格的に書を学び、
  毎日書道展で高い評価を得た。
  書家として生きることだけを目指し、
  わずかに風呂敷や包装紙のデザインを手がけた他は副業を持たなかった

 ▼「誰かが作った詩や短歌を書にしても、作者の思いと自分の感動は一致しない」 
  と自身の言葉を作品にした。
 〈つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの〉
  すべてを肯定してくれる温かな言葉は競争社会に疲れた人々の心を温かく包んだ。

~~~~~~~~~~~~~~
 ▼〈たいせつなことはね いつでも前をむいて 自分の足で自分の道を歩くことですよ〉。
  28日で閉館する都内の「相田みつを美術館」を訪ねると、
  人々が自分と向き合うように鑑賞していた

 ▼桐生市で個展を開き、晩年は講演でたびたび本県を訪れた。
  ことしは生誕100年。〈しあわせはいつも じぶんのこころがきめる〉
  令和の時代にそのメッセージが再び輝いている。
==================================
★平成に入ってすぐの2月の大雪の時期に新潟の小千谷市で病魔に倒れた。
 待ったなし、O病院に運ばれ、もうダメかと自分でも感じたが・・不思議と何んとか助かって・・
 地元のK病院に転院して2週間ほど経った頃・・
 会社の先輩が3冊ほどの雑誌を差し入れてくれた
 〇その中に相田みつをの”<にんげんだもの>があって・・
  その内容と文字の感じがいい。形が心を打って、涙が止まらなかった・・
  子供がまだ小さかったので何もかも真っ暗になったなあ・・
  体がまだ立ち直っていないときに当時東京銀座の展示館に
  付き添いをしてもらいながら見に行った記憶は生々しい。
  その後も国際フォーラムに移っても何回か出かけた。
  ご子息の一人氏とも話が出来たのはラッキーであった。
  三十数年も経ってもその本は見えるところに置いてある。
  ★心を救う本であった
   自分が元気になってくると忘れがちな当時の気持ち。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする