中さん

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日記(1.24)

2024-01-24 20:35:58 | 日常
1月24日  (水曜日)   晴れ   ②
昨日は負けたが”大の里 強い関取が出てきた。体の大きくルックスもよし。
楽しみだ。直観だが大関に一番近いのでは・・と思う。
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久々に”コロナビール”を飲む!

レモンを入れて・・泡がブワーと立つ。
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新聞のコラムに・・
★月探査機の月面着地成功で盛り上がっているがどうやら太陽電池パネルの向きが
良くない様子だ。それにしてもピンポイント着地と100m以内と聞く。
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搭載された SORA-ーQの開発のヒントになったのが海辺に残された
カメの足跡「クロール型とバタフライ型」の合成であると聞く。
超小型化された月面探索ロボットだ・・。


タカラトミーが開発元・・それに多くの関係者が参画されているらしい。

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★日本のモノづくり技術は大したものだ。何とか充電ができて月の画面を送ってほしい。

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日記(1.24)

2024-01-24 07:49:24 | 日常
1月24日  (水曜日)   晴れ
気温が低い。

寒気が凄いなあ~
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上毛 三山春秋
▼短歌と同じ形式を使って洒落や風刺を詠んだものを狂歌という。

〈富士の山夢に見るこそ果報なれ 路銀もいらずくたびれもせず〉鯛屋貞柳(たいやていりゅう)。
  縁起がいい上にお金もかからず疲れもしない。
  夢で見られたらこんなにいいことはないというわけだ!

▼狂歌は江戸時代に大流行した。
〈世の中は色と酒とが敵なりどうぞ敵にめぐり会いたい〉。作者は四方赤良(よものあから)である。
平賀源内から「戯作の才能がある」と言われ、19歳にして既に売れっ子だった
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 ▼大田南畝(なんぽ)や蜀山人、寝惚(ねぼけ)先生の別号があり、
  狂歌三大家の一人に数えられる。

  幕府の学問吟味(登用試験)を首席で合格して勘定所に勤めた。
  深い教養を持ちながら滑稽(こっけい)に通じ、
  狂詩や洒落本など江戸で流行した俗文学のあらゆる分野で活躍した。


 ▼大坂銅座に1年間赴任し、中山道を江戸に戻る途中で上州を通過している。
  五料の丸山坂(安中市松井田町)にあった「茶釜石」に興味を持ったようで、
  〈五料ではあんまり高い茶釜石ねうちを聞いて通る旅人〉と詠んでいる
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 ▼五料と五両、値打ちと音打ちがかけことばになっている。
 「鳴石」とも呼ばれ、石でたたくと金属的な響きがする。
  筆者もたたいてみたが、確かに不思議な音がした。

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 ▼70歳を過ぎても実直な役人として職務に励んだ。

  辞世は
 〈今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん〉
  こんなふうに最期を迎えられたら幸せかもしれない。
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★この狂歌、現役の頃・・確か30歳になったころ、
 会社顧問の新津先生が「人間・心の原点」という講義の中で
 教えてくれた。
非常に後々役立ったのを思い出す。
この狂歌の”死ぬとは”の文言を色々入れ替えて
”左遷・異動・減俸”などを入れてみて気持ちを備えた時期もあったなあ~!
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メモ
狂歌というのは、短歌の中でも皮肉や洒落を利かせて社会をおちょくったもののこと。
江戸時代では、この二首が有名ですね。
白河の 清きに魚(うお)の すみかねて もとの濁りの 田沼こひしき
 失策や賄賂疑惑などで失脚した田沼意次。
 その後を受けて白河藩主・松平定信が意気揚々と寛政の改革に挑むも、
 今度は厳しすぎて一般市民が音を上げたという有名な狂歌ですね。
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泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たった四杯(しはい)で 夜も眠れず
 上喜撰=蒸気船とかけ、ペリーがやってきた際のドタバタな世情を表した狂歌
 して、こちらもかなり有名でしょう。
上喜撰とは緑茶の銘柄である「喜撰」の上等なもののことです。
  喜撰法師という六歌仙に数えられる歌人の名からきています。
  緑茶はカフェインを豊富に含んでいる……というのは近年になってからわかったことですから、
  この場合は「あんな高いもの四杯も飲んで、
  この先、生活大丈夫かなガクブル……」みたいな感じでしょうか。
  なぜそんなにガバガバ飲む必要があるのかわかりませんが、まあもののたとえですから。
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橘洲・南畝・菅江の三大狂歌師
 上記の二首は誰が詠んだか不明です。
 社会や事物を風刺しているだけあって、狂歌は基本的にそうかと思いきや、
 全てが詠み人知らずというわけでもありません。
 橘洲もその一人で、こんな歌を詠んでいます。
 とれば又 とるほど損の 行く年を くるるくるると 思うおろかさ
  意味としては「歳を取ればとるほど損なのに、年の暮れや明けを祝っても仕方ないだろうよ」
  というところでしょうか。
  一休宗純作といわれている
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門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
にも似た感じがします。
 幕末に向かう世の中で、この狂歌という文学は一般にも文人にもウケたらしく、
 狂歌会などが頻繁に開かれていたようです。
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特に、橘洲と大田南畝(なんぽ)、朱楽菅江(あけら・かんこう)
 という三人の狂歌師が三大家といわれていました。
 ちなみに、この三人の他に狂歌四天王と呼ばれた人たちもいました。
 もう七本槍でいいんじゃないかな。
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 こんな感じだと、社会的にはマトモではない方たちのようにも思えますが、
 菅江は御先手与力という皇宮警察の幕府版みたいな仕事をやっていたバリバリの幕臣。
   南畝は幕府の登用試験で主席を取った超秀才です。
   さらには橘洲に至っては田安徳川家(御三卿の一つ)の家臣という、
   それなりに身分のある人だったりします。
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★やっぱり偉人であったのか!
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