中さん

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日記(2.3)

2024-02-03 16:35:33 | 日常
2024 2月3日   (土曜日)   晴れ 風は冷たいが天気よし
足慣らしに少し散歩。
ミニ工業団地が近い。

遊歩道もあって木々の間を抜ける。
冬場に赤い実をつける”クロガネモチ”の木。まだ実が少ない。

メモ:
・黐の木(もちのき)科。
・葉は革質で光沢あり。若い枝は紫っぽい色。
・冬に赤いきれいな実をつける。
「黒金黐」とも書く。
・樹皮から、「鳥黐(とりもち)」が取れ、
 また、葉柄や枝が紫色っぽいところから「黒鉄黐」の名がついた。
  (なんか、強そうな名前・・)
〇日当りの良いとこに植えてある梅の花が咲く。

早いなあ~!

生越梅林などに出かける指標にしているこの木だ。
多分2月20日ごろがいいかも!今年は近場に行こう。
コロナ前の年に曽我梅林に行ってみたが早すぎた・・
〇タイサンボクの木の大きい葉っぱが陽にあたって光る。大きな白い花を初夏につけ始める。
 
〇遊歩道を抜けてお寺さんに立ち寄る、写経の日であったので車が多い。
 

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畑に寄って立ち話。
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群馬 上毛新聞  コラム
▼直木賞作家、角田光代さんの小説
 『坂の途中の家』は刑事裁判の補充裁判員になった女性が主人公。
  裁判に参加する中で、実の娘をあやめた被告と自身の境遇を重ねていく。
  家族のありよう、葛藤を描いた心理サスペンスは生々しく迫ってくる
 ▼有罪か、無罪か。有罪ならどんな刑か。
  判断にたどり着くまで、議論し考え、迷うのは現実でも同じだ。

  最愛の娘を殺した母親は、私かもしれない。
  刑事裁判の補充裁判員になった里沙子は、
  子どもを殺した母親をめぐる証言にふれるうち、
  いつしか彼女の境遇にみずからを重ねていくのだった――。
  社会を震撼させた乳幼児の虐待死事件と<家族>であることの光と闇に迫る心理サスペンス
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 ▼「すごく長かった」「命の重さをひしひしと感じた」。
   京都アニメーション放火殺人事件の裁判員裁判で、
   判決後に記者会見した裁判員らが語った。

   殺人罪などに問われた青葉真司被告(45)に言い渡された
   判決は求刑通り死刑。36人が死亡、32人が重軽傷を
   負った事件
公判は23回に及んだ

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 ▼市民が参加することで司法への理解と信頼を高めるのが裁判員制度の狙いだが、
  審理の長期化に伴い辞退する人は少なくない。
  心理的な負担を感じる人も多いだろう

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 ▼県内の大学で裁判員について話したところ、
  〇公平に判断することや、
  〇人の人生を左右してしまう
   責任の重さを案ずる学生がいた。

 一方、
  〇「選ばれたら責任を果たしたい」
  〇「正確な情報から客観的に物事を捉えて審理したい」
という前向きな声もあった。
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 ▼「人が人を裁くのではなく、法が罪を裁く」
  ある裁判官の言葉だ。
  意義のある制度にするには仕事や育児・介護をしながら
  務められるような支援が必要だろう。

  制度開始から5月で15年となる。
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〇私も定年後に
直実市民大学と県主催のいきがい大学で学んだ”裁判員裁判制度”の事
 聞けば聞くほど、実際選ばれたらこと断ろうと思った。
 人を裁くのには十分な力量はない!
欧米の映画の裁判員制度も目にするが実際どうなのか?
コメント
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日記(2.3)

2024-02-03 10:35:18 | 日常
 2024 2月3日  (土曜日)   晴れ  冷たい朝だ!

 節分だ! 若い時は節分祭のイベントに出かけては
 それぞれの場所の雰囲気を味わったが
 今や炬燵の子守りになった。

 高尾山 薬王院の節分祭には多くの芸能人で”年男・女”が参加される。
 私が行ったときは”相撲の玉鷲関”ラグビードラマの山下真治”さんなどが来ていた。
 若かったなあ~・・
 最後に近く八王子に住居のある北島三郎さんが付き人に連れられて
 階段をゆったり上ってくる。
 ミーハーの私も家内も握手を求めて・・柔らかい手触りが残っている。
〇北島宅の近くが有名な八王子”うかい亭”がある。
 業務上何回か訪れたが・・当時は格式が高かった~!食べて疲れては本末転倒だ・・
 今は大丈夫だ。もう行かない・・。行けない・・。
〇余裕があれば・・横浜のうかい亭もいいかも!

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新潟日報  2日の 日報抄 記事
 海面に浮かぶように真っ平らな岩場が広がる。
 佐渡市沢崎地区の海岸には「隆起波食台」と呼ばれる不思議な地形が広がる。
 かつての海底が大地震によって持ち上げられてできたという。

 1802年に起きた「小木地震」である
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▼巨大な揺れは地盤の隆起を引き起こした。
 港ははるか沖まで干潟になってしまい、
 その場所は後に田になったと伝える文書が残っているという。
 家屋の倒壊が相次ぎ、火事も起きた。犠牲者も多かったようだ!
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1964年の新潟地震では、震源に近い粟島が1メートルほど隆起した。

 やはり海岸が干上がり、砂浜に残された船もあったという。
 島にはそれまで水田があったが、山から水が引けなくなり、
 稲作ができなくなった。
◆粟島は新潟出向時、家族で村上の港からフェリーで行って
 海水浴場に近い民宿に・・小さい島でそれなり楽しめる。
 当時は地盤隆起のことなど思いもよらぬことであったなあ~
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▼能登半島地震では隆起によって、
 半島北側の海岸線が約90キロにわたって沖側に移動した。
 上空からの映像を見ると、以前の海底が陸地になり、
  延々と続いていた。自然の猛威に言葉を失った
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▼輪島市で確認された隆起は最大4メートルにもなった。
 海底が干上がり、船を出せなくなった漁港もある。
 本県と同様、日本海の恵みを享受してきた地域だ。
 「これからどうすれば…」。ぼうぜんとする漁師の姿が切ない
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▼港の復旧に向けた道筋はなかなか見えない。
 復旧を諦めざるを得ない港もあるかもしれない。厳しい現実が横たわる。
 一方で、海底の隆起は天然の防波堤となって津波の被害を軽減させた面もあったようだ。
 先人は自然の営みに適応して生きてきた。これからも、そうあるべきなのだろう。
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大の里(写真左)は二所ノ関親方の指導で力をつけている

大相撲初場所で新入幕にして11勝を挙げ、
敢闘賞を受賞する活躍をみせた西前頭15枚目・大の里(23、二所ノ関)が、
 2月1日に相撲教習所を卒業。新入幕の初場所で横綱、大関に挑戦するという
 異例の活躍だったが、スピード出世のために髪はざんばらのままだ
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元稀勢の里の部屋というのがいい!。
 大の里には、複数の部屋からの誘いがあった。
 多くの相撲部屋が都内にあるなか、
 茨城県にある二所ノ関部屋入門を決意するにいたったのは、
 元横綱稀勢の里である二所ノ関親方の存在が大きかったという。
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「大の里は新潟県の高校出身。
 そのため相撲に打ち込む環境は都会よりも
 静かなところのほうがよいと考えていました。
 二所ノ関部屋の環境は相撲に打ち込むのには
 最高の環境だと抵抗はなかったようです。
 昨年3月に大の里の入門が決まったときには、
 よほど嬉しかったのか、二所ノ関親方はとても上機嫌だったのが印象深いですね」
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「相撲の才能も光るものがあると言われています。ひとつ、
 二所ノ関親方が気にしているのは、精神面に弱い部分があるところ。
 大事な一番になると十分に力を発揮することができないこともあって、
 現役時代に同様の指摘をされていた親方は
 『何もそんなところまで(自分に)似なくていいのに……』
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〇大の里の実家は石川県にあり、1月1日の地震では、親戚の家にも被害が出たそうです。
 近々、慰問にも訪れる予定だそうですが、
 『自分が頑張ることで大好きな故郷の人たちを励ましたい』、
  というプロ意識も原動力になっているようです」
  大の里のスケールの大きな相撲が、被災地に希望を届ける。
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