まつや清の日記 マツキヨ通信

静岡市議会議員 まつや清の日常を毎日更新!

「村の復興というより、ひとり、ひとりの復興を目指す」と飯舘村・菅野典雄村長

2011年11月25日 | ニュース・関心事
今日から3泊4日の福島ツアー、テーマは福島原発震災による子どもたちの置かれている状況を把握し、放射能に汚染されていない農産物を届け、浜岡原発に震災が起きたらどんな状況になるのかを改めて確認し静岡市を原発震災の被災地にしない道を探ることです。

今朝の富士山はとてもきれいでした。ただ、体調回復に向けひたすら眠るように努めました。そして、6時間後に福島市に到着。農産物127ケースが昨日の段階で山崎運輸さんにより福島県教育会館に届いていますのでまず、今日の飯舘村の分をバスに積み替えです。

そのあとに飯舘村の仮役場のある福島市飯野支所に菅野村長を訪ね、川俣町の幼稚園に避難している草野幼稚園にみかん、サツマイモ、水を届ける算段でしたが菅野村長との話がはずみ、草野幼稚園には行けず、もう一つの飯樋幼稚園に行き先変更でした。

「三宅村、山古志村の災害後の帰村率は65%でした。飯舘村は、それより低くなるかもしれません。普通の災害であればゼロから出発できます。放射能の場合はマイナスから出発するしかありません」のこれからの未来を憂いての菅野村長の言葉は重く聞こえました。

静岡市の横内小学校PTAから託された寄付金と小学校1年生が書いてくれた幼稚園児向け色紙を手渡しました。村長から未来の子供たちの為の「飯舘っ子基金」への想いを聞くことができました。そのあと、飯樋幼稚園に直行し、先生たちとの交流ができました。

今回のコーディネートは既にブログで紹介している「負げねど飯舘」の愛澤卓見さんと佐藤健太さん。佐藤さんは「ふくしま会議」の事務局長もやっておりこれまでと違った福島の実情を聞くことができました。次の取材があるとのことでゆっくりできず残念でした。

その後、飯舘村の現場視察をあきらめ、福島市の市民放射能測定所に向かいました。スタッフの丹治宏大さんに会い福島原発震災の風化への懸念や浜岡原発を抱えた静岡との交流することの意味について意見交換しました。また新しい人と出会うことができました。

飯舘村を突っ切った南相馬入りは意外にも線量計はそれほどの高い数値を示さず、これなら明日もここを通っていわき市入りができそうということと、今日見ることができなかった飯舘村の悲しい風景をしっかりと記憶に残そうと明日の計画を変更しました。