マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

番条町のとんど

2010年03月04日 07時45分42秒 | 大和郡山市へ
番条町では2月1日は二ノ正月(旧暦の正月)と称して、各家でお雑煮をこしらえて神さんや仏さんに供えている。

翌日の二日はアズキガユを作る家もみられる。

その朝、正月三が日に飾られた注連飾りはそれぞれの地区のとんど場で燃やされる。

朝日がでる前、中地区の人がやってきて注連縄を燃やしている。



南地区でも同様の時間帯で燃やしている。

イチゴ栽培の前に来る人が多いというが今日のような天気では時間が遅くなるという。

北地区は2か所で、佐保川の堤防と熊野神社の東側で行われている。



番条町では2軒だけになってしまった竹で編んだ簾型の注連縄。

以前は各家でも作られていた。

その竹を燃やすとはぜてポン、ポンと音がした。

その音を聞いてとんど場にやってきて人が集まった。

現在は注連縄だけになってしまったので音は聞こえない。

各家が来やすい時間になってバラバラで行われている。

北地区の話ではとんどの火でモチを焼いていたという。

竹の先に挿してこがさんように焼いた。

それを家に持って帰って食べたら歯痛がおこらんとされていた。

不幸ごとがあった家はとんど場から少し離れたところでする。

南地区のHさんの話では戦後の十年ほどまでは大とんどをしていたそうだ。

子どもの行事で各家を回って藁束をもらっていた。

大人は藁を寄せて竹を組み大とんどを設えていた。

それは「虫追い」と呼んで1月31日にしていたそうだ。

北西地区の話では大晦日の日は各家で砂撒きをしていた。

集落に撒かれた砂の道。

そこから家に導いた砂道。

玄関まで敷いた。

各家でしていたのでまるで砂道のネットワークのようだった。

その道は「しょうがっつあん(正月さん)が馬に乗ってやってくる道」と言っていた。

佐保川にあった奇麗な砂州から持って帰って箕で敷いていた。

昭和40年ころから次第に川が汚れてきたので菩提山川から採ってきたこともある。

生活排水や護岸工事の関係で砂は汚れていった。

そのころ道路はアスフアルトになった。

自転車が滑るから危ないというので止めるようになった。

熊野神社境内で敷いていたかどうかは思い出せないようだ。

北東地区のとんどに来られた奥さんは「つながり」に紹介したお大師さん詣りのおじいさんの家だった。



写真を差し上げた時のお礼を言われた。

その奥さんは上仁興の出身。

秋祭りの「ヨミヤワーイ」と囃して子どもが相撲をすることを懐かしく話された。

数年前に取材させていただいたときの感動を覚えている。

これも何かの縁なのでしょう。

(H22. 2. 2 EOS40D撮影)