マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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南山城村・北大河原の寒供養

2019年07月21日 08時45分41秒 | もっと遠くへ(京都編)
前身は120人もいた大河原稲荷会を継いだ寿稲荷会。

本来なら大勢いる会員みなが山行きできれば良いのだが、この年は会員のほとんどが服忌にあったことから、会長のYさんとお手伝いする孫さんの二人になった。

その手伝いが嬉しいという会長に奥さんも顔を出して手伝っている「山ちゃん」食堂がある。

息子さんが新規創業した南山城村・北大河原にある「山ちゃん」食堂。

仕出し料理に弁当、総菜などの移動販売もする。

元々は会長と奥さんが商売していた「山本食料品店」であったが、平成28年5月に新装開店された「山ちゃん」食堂である。

1時間ほど前に作った寒供養のお供え

オヤマ(お山)に持っていくのは御供さんのケンサキ。



形が特徴のある三角錐からケンサキと呼んでいるアズキメシ(小豆飯)。

三角のケンサキはキツネとも呼ぶ。

方や丸く握ったアズキメシはタヌキの名がある。

それぞれ12個ずつを収めたオカモチにもう一つのアズキメシもある。

これもまた1個ずつ。

やや大きめに握ったオコゲのアズキメシも。

山行きさんが持っていく御供は他に頭、胴、尾の3分割した生鰯に油揚げもある。

オカモチは二つ。

本来なら二手に分かれてそれぞれの組が供えるからオカモチが二つ。

この日は孫さんが手伝う2人組。

山行きに向かう先は2カ所。

行先の方角は逆方向。

1カ所に一つのオカモチ。

神社へ戻ってから受け取るもう一つのオカモチに持ち替えて再び山行き。

2方向に参ることになった。

まずは神饌を供えた寿稲荷社へ参拝する。

小正月のカヤススキを見せてくださった渋久のOさんとともに参拝する。



ローソクに火を灯して神事する祭主は会長である。

寿稲荷社は、もともとすぐ横にあった建物に住んでいた信者さんがセンギョをしていたという。

尤も「とうこうじさん(※東光寺)」の山に住んでいた人が稲荷社を祀ってくれ、と頼まれて建てたようだ。

センギョは施行。寒中に山行きし、山に住む獣たちに施しをする、いわゆる寒施行(カンセンギョ)である。

信者さんがカンセンギョをしていたころ。

Yさんのお爺さんとともに稲荷社を監理していたようだ。

その後かどうか曖昧であるが、地区にあった40人の稲荷講とともに行うカンセンギョも組織団体は、いつしか大河原の稲荷講に纏まった。

昭和42年に神社を建てなおし、翌年の43年に簡素な拝殿を建てた。

そのときの寄進者数はざっと120人。

ここ北大河原だけでなく南大河原に、隣村の大字堂仙坊、野殿からも少人数だが加入していた大河原稲荷会である。

信者数は徐々に減りだして、さらにはもっと減った。

信者数は時代を経てぐんと減ったが、寿稲荷会として再出発された。



そのような状況下であったが、お爺さんの時代からもずっと“オダイサン”を務めてきたというYさんである。

祓えの儀、祝詞奏上など、神事を終えて山行きに向かうが、“おなごし”は付いていくことはない。

山から戻ってくるまで神社で待つ。

当初、足が痛くて山行きは厳しいと云っていたYさん。

そろり、そろりの山登りになると思っていたら、ひょいひょい動く。

二人の後を追いかけるのも難儀な急坂。

ほぼ道なき道を登っていくが、なかなか追いつけない。

孫さんは御供を入れたオカモチを持って“オダイサン”の後につく。

山慣れしていることもあるが、若い孫さんの動きはきびきびしている。

急勾配の山行きに、先頭を行くYさんは幣を振りながら登っていく。

積もった落ち葉で滑り落ちそうなところばかり。

獣しか通らないような道なき道を登って、ふと停まる。

ここ、にと、周辺に生えている青葉をつけた木を枝ごと手で千切って地面に敷く。

御供は直接のおかず。

センギョに供える作法は昔から、そうしているという。

まずはお祓い。



センギョの場を清めてから御供をする。

オカモチからそれぞれの御供を取り出して葉っぱの上に載せる。

ケンサキことキツネ、丸いタヌキにオコゲのアズキメシ。



頭、胴、尾の生鰯に油揚げを供えてお祓い。



丁寧に低頭されて次の場に向かう。

距離的にはそれほど遠くはないが、獣道のような山道は歩き難い。



そこも同じように場を祓ってから、葉付きの枝を数本折って御供敷きを整える。



キツネ、タヌキに生鰯と油揚げを供えてお祓い。

祓った幣を立てて山道を下った。



本来なら、もう1カ所あるお告げの場。

ここより、もっと、もっと上の奥になる。

そこは「とうこうじさん」の名がある山の上のほう。

足の加減もあるし、この年は一人でもう1カ所行かねばならないから、ここ留まりである。

ちなみに廃東光寺は南山城村田山の華将寺とともに柳生藩主の墓があったと伝わるそうだ。

山を下って、一旦は寿稲荷社に戻ってから、次のお告げの場に山行き。

持ち替えたオカモチを手にして山行きするが、次も近場。



春光寺・国津神社の真裏というか、真上のような感覚に陥りそうな崖っぷちの坂道を登る。

服忌でなければ参拝人数は多かった。

2組に分かれていく山行きの場であるが、さっきよりかは急勾配。

雨天後であれば、まず滑って登れない崖登り。

「こちらは若手組に任してますんや」という“オダイサン”のYさんは77歳。

何度も登ってきた崖登りは滑ることなくするする登る。

ここでも同じように葉付きの枝を敷いて御供さんする。



そしてお祓い。

雑木林の中は暗い。



時間帯は午後4時40分過ぎ。

1月半ばの夕暮れは早いから懐中電灯を持っての山行きである。

ここからもう1カ所。

そこを最後にセンギョは終わる。



この年はここも2カ所にしたが、本来はここも、もっともっと登ったところに御供している、という。

距離は長くなるから、例年戻ってくる時間帯はもっと暗い。

道なき道の下りは逆に危険を生むから、慎重に下りてくるようだ。



山に住む獣に捧げるセンギョの行為。

ここ大河原は害獣だらけだという。

山では猿たちがギャッ、ギャッ、ギャッと叫んでいる。

シカ、イノシシ、ハクビシンもおるし、川には大きなネズミ、でなくヌートリアまでいるという。

寒供養とも呼んでいる寿稲荷会のセンギョはこうして終えたら、今度はイキガミさんへのご褒美。

お神酒をよばれて口にするイロゴハンにオードブル料理。



「御供作りをしていた本郷コミュニテイーセンターに慰労会の準備をしているから食べて行きや」と云われてありがたく同席する。

ここに座ってと上座にお誘い。

昨年、そして、ついこの前に取材許可をいただいた寿稲荷会役員の83歳のMさんが、山行きできなかった会員に紹介してくださった。

持ち込まれたオードブル料理は、現在はYさんの息子さんが経営している“やまちゃん”食堂の手作り料理。

イロゴハンも美味しくいただいた。



早く帰りたいが、あまりの美味しさにお代わりするイロゴハン。

大鍋で炊いたイロゴハンが旨すぎる。

かつては四つ足のもんしか食べたらあかん、と云われてきた。

だから二本足の鶏すきをしていたという。

ジュンジュンのっている魚も美味しい。

そのジュンジュンというのは油の音。

昨年は、とても寒くて雪も積もったが、今日は温かったから助かったという。

人数は少なくなったが、今もこうして寒供養を続けてきた寿稲荷会。

希少な行事、伝統を継ぐ人たちに感謝申し上げる次第だ。

また、来年も寄せてもらうことになりそうです、と云って席を離れた。

(H30. 1.15 SB932SH撮影)
(H30. 1.15 EOS40D撮影)