マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

下永東城の苗代の水口まつり

2019年10月12日 09時45分27秒 | 川西町へ
時季的には一週間遅れになったが、現状はどうであるのか、確かめたくて帰路に立ち寄った川西町の下永。

かれこれ10年前、いや、もっと前に来たことのある川西町下永の苗代田。

そのときは何も見つからなかった。

時季的に合わなかったのかもしれない。

とにかく見つけたい苗代田の印し。

白い幌があれば間違いなく苗代作りをしていた証しになる。

下永の村落は新興住宅地に囲まれている。

駅前であればなおさら畑地のない住宅地。

そこを外して田園を探してみる。

都会的側面をもつ車道を走っていたら白い幌があった。

念のためと思って停車する。

近くに寄ってみれば、あった。



小さな点のように見えたそれは枯れた松苗である。

なにやら文字のある紙を巻いている。

まちがいなくそれは護符であった。

1カ所の苗代田が見つかった。

他にもあるだろうと思って旧村集落周辺にある田んぼを探してみる。

一本の筋を入ったそこは田園が広がる地であった。

車を停めたその場に苗代田があった。



その角に立ててあったイロバナは赤色、黄色に白色。

もひとつおまけにピンク色もある。

色とりどりのお花はカーネーションに菊花であろう。

常緑樹の葉もあるが松苗は見えない。

よくよく見つめたら常緑樹の葉に隠れていた。



たまたま通りがかった草刈り機を持つ男性に聞けば、先代の跡を継いだ若い人が苗代田を作っているという。

農業を継ぐ人が少なくなった時代であるが、代継ぎしたこの田主はしっかりしているという。

綺麗なイロバナを立てていた苗代田のことを話してくれた男性も苗代を作っていた。

尤も作ったのはこの日でなくて、もっと前。

5月の連休にしていたという。

その苗代田はどこになるのか。

厚意で教えてくださったその苗代田にもイロバナがある。

枯れた松苗の護符もある。

花はカスミソウに白い花のカーネーション。

実は松苗を立てたときは近くで採取した蕗の葉を広げて、そこに洗い米を落とすという。

落とすのは奥さんの役目。

いつ、どのようにしていたのか、見ていないから詳しいことはわからないという。

その男性が云った特別な扇。

特定の日になれば、その扇をもらいに出かけるという。

ここら辺りではうち以外にも何軒かがしていたが、今はもう・・という。

この年の1月4日は下永の八幡神社に居た。

平成19年10月以来、久しぶりに訪れた下永で何を取材するのか。

それはごーさんの護符である。

当時、務めていた宮座五人衆から聞いていた『年中行事覚書帳』に牛玉護符作りがある。

1月4日に集まった五人衆は近くに生えているカワヤナギの木を採取する。

正月を飾った神社門松を解体して松の葉を取りそろえる。



予め朱肉を塗って版木刷りした護符などを揃えてから作業する苗代に供える松苗作り。

作業の場は八幡神社拝殿である。

中央に「白米寺」を配置。

右に「牛玉」。

左に「寶印」文字のある版木であるが、刷るのは「牛玉」の部分だけである。



護符は本来ならば、すべての文字を対象に刷るが、ここ下永では「牛玉」だけである。

いつの時代にそうするようになったのか。

他の文字とあまりにも違い過ぎる刷り痕でわかるが、時代はわかっていない。



ここは下永の東城。

下永は大きく分けて東地区が東城。

八幡神社を境に西の地区は西城になる。



東城の田園地に多くの苗代田が見つかった。

そこにイロバナがある。



護符で巻いた松苗もある。

そこにあるもう一つの道具は鳥除け。



烏の死骸を模した鳥除けであるが、風が吹いてなければだらーり。

その場にもう一羽の烏もいたがこれも模造の鳥除け。

隣の畑に居た婦人に聞いた。

うちも苗代田をしてきたが、今ではJAの苗を購入するようになったから、ここは畑に転換したと・・。

歳がいったらそうするしかなかったという。

その当時は、ここらと同じようにイロバナも松苗も立てていたが、今はもう・・・

まだまだありそうな気配がするので、東城地区の田園を探してみる。

南側に苗代田が見える。



距離はそれほどでもない場に道を挟んで二つの苗代田があった。



いずれもイロバナに松苗を立てていた。



その田主と思われる人は雑草刈りに手を止めない。

その場はいずれ川水を引いて田んぼにするようだ。

そこから東側に足を伸ばしたが、イロバナのない苗代田が1カ所であった。

(H30. 5.12 EOS7D撮影)