マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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本社データ送信に甘んじれば顧客をダメージする結果を生んだプライスカット大和小泉店

2019年10月21日 10時27分14秒 | ぽつりと
帰り道に立ち寄ったプライスカット大和小泉店

商品価格が下がっている可能性も考えられるので立ち寄ったスーパーである。

商品は数か月に一度は買い足しする創味食品の「創味のつゆ 1000ml入り」である。

出汁というか、つゆがむちゃ美味い。

濃い味のつゆはたいがいの料理に間に合うが、昨今は高額商品になってきた。

高いところでは800円台。

安くても758円くらいだが、たんまに特売がある。

毎日の新聞に配達されるスーパーのちらしにいつかは出てくると思われる特売情報。

欲しいときに限ってなかなか出てこない。

生活リズムとちらしリズムが合ってないから仕方がない。

で、あれば直接見にいくスーパー巡り。

数店舗の格安店には「創味のつゆ」は置いていない。

まず間違いない大手或いは中堅スーパーにある。

プライスカットもその1軒にあるから、愛用するドレッシング切れ補充も兼ねて立ち寄った。

これが、なんと、あるではないか。



税抜き特売価格は698円(税込753円)。

それ以下のときもあったが、現在の我が家の在庫状況はごく僅かだから、長くは待っておれない我が家の残り状況から決断した、買い、である。

店内をぐるっと巡ってドレッシング売り場。



その裏にあった商品棚にも「創味のつゆ」が並んでいたが・・・値段が税抜き832円(税込898円)。

あれっ、これって二重価格なの?、である。

たいがいこういう誤りはあるが、レジを通せば特売価格である。

たいがいというよりも、まず間違いなく特売価格が表示される。

そのときに気がついたらレジの人にこうなっているよと指摘させていただく。

お客がなんでそんなことを、と思われる人もいるかもしれないが、私の親切心はとにかく伝えて、他のお客さんに誤解されないように忠告の意味を込めて伝える、である。

気になっていたから頭にインプットされた二重価格表示である。

さつまあげにつゆで食べるラーメン、ナタリーおばさんのドレッシング、バラ売り3本のキュウリに袋詰め3本のなすびを買ってセルフサービスレジでバーコードをセンサーする。

出てきた表示が税込みの898円。

えっ、何を買ったのか。見直しても先ほど特売価格があった商品棚にあった「創味のつゆ」だ。

税抜き価格が698円なら800円台にもならないだろう。

こりゃもうお店のセッテイングが誤りしかない。

セルフレジに居た若い店員さんに優しい言葉で伝えた。

これって税抜き698円で売っていたけど、何かの間違いでは・・・。

商品を見て確かめることもなく、どなたかを呼び出しする携帯端末。

しばらくすれば高齢といえば失礼だが、私の同年齢くらいの男性店員。

ちょっと調べてみますと、一般売りの商品棚に行った。

戻ってくる様子がなかなかない。

その間の若い店員。セルフレジ中央の定員席でずっと携帯端末操作。

こちらに視線を合わすことなくなにかをしている。

話しているような気配もあるが、よくわからない行動をしている。

何分経っても戻ってこない。

時間はどれぐらいかかったことか。

戻ってきたその男性は税込みの898円の商品札を持って来てこれですか、という。

イラっとくる返答。

これは特売売りコーナーにあった商品。

そこの棚には税抜き698円!と伝えたら、そこへ歩いていった。

またもや戻ってこない。

とにかく「直ちに」という姿勢が見られない。

姿勢は歩きでなく、足早であればわかるが、もはやお客はおいてきぼり、である。

こうした長時間の待ち状態。

セルフレジには行列ができていても若い店員は身動きピクリともしない。

そこへもって無表情。

どなってやりたいが、そこはなんとか心を静めて・・・て、なんでやらなあかんねんと心の中では火が噴いていた。

そのうち戻ってきた高齢の男性店員。

まさか店長ではないだろうに。

原因を調べていたらしく、本社から送られてくるデータが一般料金のままだったという。

要は特売に並んでいた料金設定にはなっていなかったということだ。

お店に来た時間帯は午後5時10分。

記録はかーさんと交信した音声通話の時刻である。

創味のつゆの値段を伝えて承諾。

追加にキュウリは3本、ナスビも3本。

安かったら買ってという指令があった更新時間である。

プライスカットの価格設定ミスを伝えられたのは5時半を過ぎていた。

ということは、特売だと思って買った顧客がいるはずだ。

開店してから何人もの人たちがその価格ミスに気がつかずに支払っているはず。

店員さんにそういうことですよね、と云えば、オロオロすることなく、プライスカットのOカード(顧客カード)でレジを通しているので、創味のつゆのバーコードから支払った人がわかりますから、と。

誤って支払った顧客がわかれば一人、一人連絡させてもらって対処しますという。

そりゃ当然だが、Oカードなしで支払った人もいるでしょ。

こういったことは実は過去にもあったという店員さん。

そのときも2重価格だったが、ちらし表記の値段が誤っていただけだから、過払いは生じていない。

今回は税込み898円-753円=145円の過払いが生じている。

早急な顧客対応も急がねばならないが、こうなったのも本社データシステムがまずいまま放置したことだ。

いつもと違う特売、或いは2割引とか半額サービスシールを貼った商品もミステイクが出る可能性はある。

それだからではないが、私はどの店にいっても、どの商品であってもほぼだいたいの値段は頭の中にインプットしている。

レジ店員さんに任す場合でも、おかしいと思えばその場で指摘する。

私の思い違いもあるときもある。

セルフレジの場合はなおさらである。

バーコード読み取りする際には値札価格を見て通す。

一品、一品そうしているから誤りに気づく。

創味のつゆが問題を作ったわけでない。

どうか、整合性をたもつ人システムをやりなおさないと、また発生するかもしれない。

というよりもこんなことがあったと帰宅してかーさんに伝えたら、もう行けなくなっちゃうねと・。

実はプライスカットの価格がおかしかったのはまだある。

3本袋入りのナスビのバーコードを通したら238円の税込み価格が表示されたのだ。

これって5本入りの値段でしょ。

私が買った3本入りは税抜き128円。

税込み価格は200円以上にもならない。

どないかしてくれと騒ぎたくもなる。

その商品を持ってまたもや歩いて行動する高齢な店員。

これも誤っていましたと直入力レジ。

創味のつゆではシステムそのものの単価を補正していたが、ナスビはそんなことせずに直入力。

何故にそうするのか。

実は創味のつゆの単価補正がなかなか上手くいかなかった。

その補正をするのはセルフレジに居た若い男性店員。

何度もトライするが設定ができない。

高齢の店員さんの指示であれこれしてようやく設定しなおした。

その間の若い男性はまったくの無表情。

この店員、どういう気持ちで対応しているのか、、ぼさーと突っ立ったまま。

私は、ここにずっと立ちっぱなし。

疲れるどころか排尿も我慢できないくらいの対応時間。

そんなお客が困っているのに、なんら頭をさげることない行動にカツを入れたかったが・・。

ようやく対応がおわって残りの商品レジ通し。

半額サービスはどうかな。

冷や冷や顔でみていた高齢の店員さんはちゃんと表示されて安堵の顔。

あれからプライスカットのHPを拝見するがそれはない。

オークワが本社であるが、この日の価格設定トラブルによる過払いついての発表はない。

お詫びの一言もない。

もちろん大和小泉店のHPにもない。

企業情報にニュースリリースにも書いていない。

2度あることは3度あるかもしれない。

ちなみに創味のつゆはネットでも購入できる。

数日後に見たアマゾンでは940円。

いつかわからないが、その後に940円の参考価格を訂正し、857円に下げていた

一方、楽天市場では税込みで697円。

送料が別だから高くつく。

ところが、ここもその後の令和元年10月21日現在は、829円になっていた。

(H30. 5.15 SB932SH撮影)

今井町の民俗・玄関飾る茅の輪

2019年10月20日 21時22分04秒 | 民俗あれこれ
出原眞さんが写真展をしているとFBが伝えていた。

展示会場は橿原市の今井町。

会場所在地はわかったが、教えてもらった今井西環濠駐車場までは歩いて10分ほど。

つい先月の平成30年4月15日に利用できるようになった環濠に黄色い花が咲いていた。

美しいアサザの花だった。

それに魅了されて来た道を戻っていく。

今井町の通りは軽自動車が通れるくらいの道幅。

趣きのある今井町集落に馴染みの人がいる。

今でも暮らしているのか、久しく会っていないから消息不明だったが、FBに突如として出現した名前。

同姓同名の可能性もあるが、メッセンジャーをしたが反応は返ってこなかった。

今井町のどこか、ある筋。

随分前の記憶ではどこの筋であったのか、まったく記憶がないが、ふと目に着いた郵便受け。

名前シールが貼ってあったからわかった彼の住まい。

たしか私より数年下の年齢であるが、定年は満了しているだろう。

ドアを引いてみれば動く。

呼び鈴がない家はそうせざるを得ないドア開け声かけ。

大きな声で何度かしてみたが反応はなかった。

ドアの向こうは奥行きが広い。

間口は一般的だが、奥行きがそうとう向こうになる。

何十年も前に一度訪れたW家。

修築するにも町全体が指定されているから勝手なことはできない。

景観状態を守りつつ、保護もしなければならない伝統的町屋の景観条件が「重要伝統的構造物群保存地区」選定。

平成5年12月8日に文化庁登録(※平成29年11月現在)された今井町は暮らすのも難しく難儀すると云っていたが・・。

彼の住まいする丁は3丁目。

さらに東へ行けば4丁目。



ふと見上げた玄関の表札掲げる輪っかはどこかで見たことのあるようなモノだ。

小型のそのモノは何かの材料で編んだ輪形状。

それに幣を付けている。

貴重な民俗史料になると思って画像記録。



拡大してみれば藁細工ではないことがわかる。

何かの葉っぱ。

・・・カヤの葉ではないだろうか。

そうであれば大阪・能勢町の天王区で拝見した茅の輪と同じである。

飾っていたお家は通りのすべてではなく数軒。

一軒、一軒見てきた軒数は4軒も。



色合い、風合いに手造り感のある茅の輪はずいぶんと年数が経ったと思われる。

崩れ方は経年劣化なのか。

前年なのかその前からずっと掛けているのか。

所有者に聞かなければならないが・・聞取り時間がないから諦めて、写真展会場の「にぎわい邸」に向かう。

さまざまなイベントにギャラリーや癒しの貸しスペースを提供する「にぎわい邸」。

施設は民間であろう。

写真展を見終わっておられた当主と思われる女性に尋ねてみる。

見たこともない形であるが、元会社の知人のW家はご存じだった。

筋違いの棟には伊勢講がある。

講の持ち物を持ちまわる営みは知っているが、この輪っかは見たことがないという。

もし、わかるようであればご一報いただきたく名刺を渡しておいたら、二日後の17日に携帯メールで伝えてくださった。

行事は6月30日に地元今井町の春日神社で行われる夏越の祓いだった。

茅の輪潜りをした参拝者は神事を終えてから、真菰で作られた小型の茅の輪を持ち帰って玄関に掲げるということだった。

ありがたい行事情報によって見立て判断は間違っていなかった。

良ければ行事も拝見したいと伝えたら、どうぞ、である。

またひとつ、奈良県内の民俗を記録させていただける。

ありがたく日程調整した。

ネットでさらに調べた今井町の伝統行事。

7月7日に春日神社で行われる行者講や7月15日の太神宮さん、7月23日・24日の地蔵講もあるとわかった。

今井町はだんじりが出る秋の祭りが有名らしいが、こうしたあまり関心が寄せられない民俗はすごく貴重だと思っている。

機会があれば是非とも取材させていただきたいものだ。

(H30. 5.13 SB932SH撮影)

今井町・黄色い花はアサザ

2019年10月19日 09時27分28秒 | 橿原市へ
知人の写真家さんがこれまで撮ったなかから厳選した古都奈良の情景を映し出す「古都の祭典&風景」写真展をすると案内されていたので伺った。

展示会場は橿原市今井町の町内。

狭い路地になんとかいける軽自動車。

カーナビゲーションシステムが案内してくれる通りに車を進める。

会場に行きついたものの付近には駐車場がない。

停める公共駐車場は会場より遠い。

以前も来たことのある今井町の駐車場のだいたいの位置はわかっているが、そこに停車したとしても、再び会場に戻ってくるのはとても難しい。

会場におられたご婦人に尋ねたら、ここの通りをずっと西に行けば市営の駐車場がある。

どんつきではないがカクカクとしたクランク道がある。

軽自動車であればなんとか通り抜けるでしょうと云われて行った先は西に復原・整備された環濠がある。

今井町は戦国時代に造られた寺内町。

16世紀後半に埋められた環濠集落

一部発見された新・旧二つの時期からなる環濠。

新環濠は内と外の二重構造であることが発掘調査でわかった。

しかも、江戸時代から昭和初期まで利用されていたとは・・。

また、旧環濠は戦国時代まで遡るらしく、当時の規模は現在想定する以上に拡がっていたこともわかったそうだ。

旧環濠から新環濠への転換変遷は寺内町から自治都市・商業都市へ変貌してきた過程がわかる調査結果である。

つい先月の平成30年4月15日に完成・披露された広場整備の一環として新環濠の外濠幅に合わせて復元・環境整備したとある。

その濠に黄色いものがたくさんあった。

黄色の色は水面に浮かぶ夏の花。

どこかで見たことのあるような黄色い花。



イサザ・・いやいや、アサザだったかそれともアカザだったか・・。

その復原環濠より一歩向こう側にある公園施設。

公共トイレの恩恵もある場は織田信長本陣跡。

「天正三年亥(1575)年春将軍織田信長公御入ニナリ、時ノ当主今西正冬ヘ御褒美トシテ種々ノ物品ヲ下賜セラレタリ、其後同家ノ棟唱ヘ本陣跡は今ハ畑地トナリタルモ、其裔現主今西元次郎所ナリ」と記載されていると史跡案内板書に当時の図面とともに伝えている。

その辺りも綺麗に整備したお堀がある。

水辺並びに掘割景観が美しい奈良県景観資産の一つとして紹介されている場に黄色の花しょうぶが咲いていた。

さて、水面に咲いていた黄色い花である。

写真展を拝見して戻ってきたらすべての花が萎んでいた。

確証は得られないが、これはアサザであろう。

三宅町のゆかりの万葉花として紹介されているアサザ(※万葉集ではあざさ)と同じと思えるのである。

三宅町に訪れて取材先の方がくれはった1株のアサザは泥水付き。

自宅に戻ってすぐさま洗面器に移したアサザは数週間も生きていたが、突然のごとく、葉、根ごと消滅した。

なかなか育てるのが難しいと聞いていたが、その通りだったことを思い出す。

(H30. 5.13 SB932SH撮影)

雨天になった母の日は部屋喰い寿司盛り

2019年10月18日 09時28分17秒 | あれこれテイクアウト
とにかく雨が降らなければ外に出かけて、ほぼ毎日を部屋で過ごすおふくろの気分転換になる。

その思いは天に通じることなく雨は朝から降り出した。

西名阪道に入ったころにはワイパー作動が欠かせない状況になったが、愛車のフロントガラスはあめんぼう処理をしているから、時速70km走行ともなればフロントガラスに当たる雨粒は横に流れて前方道路がはっきり見える。

ただ、地道になれば高速は走れないから、あめんぼうの効き目がなくなる。

昼までに行くからと伝えていた通りの時間に着いた。

雨はなおキツイ降りになっていた。

しばらくはこれまでの近況などの確認。

部屋では動きを慎重にせざるを得ないが、改修工事などおふくろの希望する手当はしてきた。

たいそうなものではない改修工事は3カ所に据えた縦型支柱の手すりである。

この手当によって安心してトイレにも、或いはベランダの出入りも移動できる。

ラクラクではないが、安心できる手すりが心の頼りでもある。

通所サービス施設やヘルパーさんが伝えていた4月改正の介護料単価についてだ。

それらは3月の段階で聞いていたから、あとは資料を検証するだけである。

サインして認印。

次回の介護に手渡してとおふくろに伝えたら丁度の昼時間。

小さな、ちいさな一人用の円卓に広げた寿司盛り。

買ったお店は大和郡山にあるスーパートライアルの大和小泉店。

24時間営業は普段の生活に助かるシステム。

ただ、あまりにも早い時間であればお寿司や造り関係はショーケースに並んでいない。

時間を見計らって自宅を出る。

買い物は団欒の寿司盛りだけでなく我が家で食べるものも買いたい。

かーさんがいつも買っているのはクロワッサン。

それも甘味のあるクロワッサン。

甘味はメープル系である。

他店舗いろいろ食べ歩いた結果、これが一番というクロワッサンはスーパートライアル大和小泉店内で焼いている。

なんせここで焼いている食パンはできあがるころになれば店内で行列ができるくらいなのだ。

そんなことよりも、本日の母の日のお祝い寿司は何にする。

いつも買う巻き寿司系が見られない。

そういう日もあるが、この日は奮発して950円の生まぐろにぎりを第一に選ぶ。

おふくろは大のまぐろ好き。

にぎりも造りも、極端にいえば、ただそれだけでいい。

美味しそうな赤身のまぐろはおふくろ専用。

それだけでは物足りないから550円の鯖の棒寿司も籠に入れた。

鯖の棒寿司のサバの肉厚が実にいい感じだったから決めた。

イカのにぎりもあるが、この日はタコのにぎり。

生タコが気に入ってもあるが価格が330円。

お安い値段で良いものが食べられる。

この3品で3人前はちと寂しい。

これで〆たいと思って選んだ650円のにぎり盛合せ。

4品を小さな円卓に並べて、インスタントすまし汁に小皿も載せたい。

ぎりぎりいっぱいに載せていただきます。

どれもこれもむちゃ美味い。

しかもネタがごつい。

赤見まぐろなんてものは分厚いし大きい。

くるくる回転寿司屋なら三つ、四つのにごりになりそうなネタ。

おふくろはがっつり一口では無理がある。

ネタを少しずつ口にして切り分け。

それから寿司飯を食べる。

生まぐろにぎりは六つ。

とてもじゃないが、食べられないといって三つにした。

その代わりではないが、タコにぎりとか、鯖の棒寿司とかも食べるし、盛り合わせから一つ、二つ。

回転寿司よりも美味しい「鯛将のお寿司」。

シールに「ネタの鮮度が違います」とあるのは、スーパートライアル大和小泉店内にある魚屋さんだから断言できること。

これまで何度も食べてきたが、飽きない美味しさに大満足。

合計で2480円。

一人当たりの値段は830円にもならない。

もっと食べたいと思ってももうない。

お腹は8分でなく、9分埋まった。

二人で食べるよりも三人で食べるから、なお美味しくいただける。

(H30. 5.13 SB932SH撮影)

下永東城・F家の魔除けの宝扇

2019年10月17日 09時46分08秒 | 川西町へ
一週間前の12日に訪れた際に話してくれたFさんは、唐招提寺に出かけて魔除けの宝扇を手に入れてから苗代に立てると話していた。

うちわまきは午後3時から始まる。

先着400名であれば朝早くからでかけなくてはならない。

それを避けた抽選若しくは一般購入になるのか、この日は土曜日だけに大勢になるからどうしようかと迷っていた。

入手は一年中売っている一枚千円もあるが・・。

いずれにしても行事が終わるのは午後4時。

それから家に戻られてすぐにされるのか、それとも翌朝に・・。

呼び鈴を押したF家。

ちょっと一服されていたが、来られたのなら立てましょうと云って苗代田に向かわれる。

ご無理をいって申しわけなく思い。

苗代田は水に浸かっている状態。

周りの田んぼはまだ荒起こしをしていないが、ジュクジュク地。

足元がずぶずぶならないように足を運んで松苗・護符にイロバナがある処に立てた。

苗代に立てた団扇は威徳のある魔除けの団扇と呼ばれている。

蚊も殺さずに追い払う魔除けの宝扇の力によって田畑を荒らす虫を追いやる。



その考えもあって育ってきた苗代に育つ稲苗を虫から守るのに立てるまじないだというFさんはその故事にあやかってこの年も宝扇を立てたが、毎年するのが難しくなってきたと話していた。

(H30. 5.19 EOS7D撮影)

下永東城・F家の魔除けの宝扇立て

2019年10月16日 09時17分15秒 | 川西町へ
ほとんどの苗代田にイロバナ、松苗護符を立てている川西町下永の田園地帯。

東城地区は8カ所。

西城が7カ所。

圃場に2カ所もあった。

これほど多くの処にしているとは・・思っても見なかった事例である。

調査の最中に出会った男性。

さっきまで草刈りをしていたという男性の家もイロバナに松苗を立てていたという。

その男性は5月19日になれば唐招提寺に出かけていたという。

かつては民衆に向かって投げていた宝扇を手に入れたこともある。

たまたまであるが、ある年は4本も手に入れたという。

長身だったから、手に入れやすかったのかもしれないと話す。

手にする度にズボンのベルトに挿して、また手を挙げたら手に入った。

そんなこともあった唐招提寺の「うちわまき」。

今では抽選に当たるか、当たらないかで決まる。

当たれば持って帰って苗代田に立てると話していた。

年代ははっきりしないが、かつては隣近所の人たちも同じように唐招提寺の「うちわまき」に出かけて宝扇を入手した人がいた。

その人たちもまた入手した宝扇の苗代田に立てていたという。

(H30. 5.12 EOS7D撮影)

山城町涌出宮居籠祭・大松明の儀

2019年10月15日 08時25分56秒 | もっと遠くへ(京都編)
座饗応の門の儀を終えてから始まる大松明の火点け。

その燃える状態を観たくて大勢の人たちが集まってくる。

境内は松明見たさにごった返していた。

大松明の下にかませた太目の樫の木。

二股の形の支柱である。

鉄骨櫓に吊るしたチェーンブロックで支えていたが、松明を燃やすには櫓は無用。

昔から、ずっとしてきた大松明を支える道具。

重さでやや斜めになった大大松。

その辺りに潜った一老が火を移して燃やす。

葉付きの桧を葉付きの樫の木にさし込む。

与力座の一人が火打石で発火させた火点けと同時にパチパチと音を出す役目がこの葉にあるという。

大和朝廷軍と戦った戦武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)軍は敗北。

敗れた安彦命は打ち首。

その首が飛んだ地は西方にある隣町の精華町・祝園。

首は飛んだが胴体は棚倉に残ったという古潭。

その胴体はとてつもない巨大化した大松明。

この夜の門の儀において燃やされる。

祝園で行われるいごもり祭にも松明が登場するが、同じように(※広地で)燃やされる。

敗北した者は成敗したが、その霊を鎮めるため、供養に燃やす、慰霊の儀であろうか。

火を点けた途端に大きな炎をあげて燃え上がる。

炎が大きい場合は豊作になるという大松明。



蛇の胴体も燃える、と声が聞こえた。

その前に祭壇を組んで、与力座一老とともに並んだ中谷勝彦宮司が祝詞を奏上する。

五穀豊穣を願う祝詞に籾、玄米、白米を松明火に投げ入れる。

この日の朝に拝見した細かく切った金色、銀色紙片とともに炎に投じる。

この作法を“ごまいさんまい(御撒散撒)”と呼ぶそうだ。エーエー ノートーと聞こえる詞らしい。

おそらくは、造営儀式(※上棟祭)に見られる大工棟梁が発声する“永々の棟(※えぃ えぃのとう)“と、同じように思えて仕方ない。

エーエー ノートーはどうやら発声的に「えぃ えぃ のっと」ともあるようだから、強ち間違ってはいないと思う。

これらの儀式を拝見することなく、先回りした四脚門で待っていた。

そこから様子を伺っていた大松明の儀。

大松明が燃え盛る。

かつては支えの太い樫の木を取り払って松明をどすんと落とし、ごろごろと引きずり回していたそうだ。

現在は、そうすることなく、安全性を選んで午前中に作っておいた小松明に採火、小分けした小松明移動に切り替えた。

小松明であればごろごろと引きずり回すことなく、白の浄衣を身に着けた2人が小松明を抱えて運べる。

尤も小松明といえども松明。



火の勢いが強くなった小松明の火を後方に行くよう駆け足で向かって四脚門の外に出す。

すぐさま立ち位置についた宮司と榊をもつ与力座一老。

炎が燃え盛る小松明の火に向かって祝詞奏上に由来を述べる。

そして作法は、大松明に向かって行われる“ごまいさんまい(御撒散撒)”と同じ作法。



ストロボの光が閃光するシーンを避けて・・・。

(H30. 2.17 EOS40D撮影)

下永・3町境界圃場の苗代の水口まつり

2019年10月14日 08時53分36秒 | 川西町へ
東城西城地区の在り方を拝見して、ふと思った。

集落北を流れる大和川の向こう岸。

広がる田園圃場がある。

エリアとしては相当な広さであるが、その圃場は下永が圧倒的な広さを確保しているが、隣村の大和郡山市の宮堂町や天理市の二階堂南姿町の領域もある。

もう一つのエリアに近鉄電車・ファミリー公園前駅の西側に県施設のまほろば健康パーク「スイムピア奈良」がある。

浄化センター公園内の施設であるが、そこもまた領域は下永と大和郡山市・額田部南町に分かれる。

それはともかく圃場に苗代田があった。

1カ所は幾度も見ていた水口まつりの護符。

昨年になってやっとわかった宮堂町のお札であった。

そこ以外の2カ所にあった水口まつり。

領域は下永に間違いない。

周辺ではトラクターが畑土を起こしている。

たぶんに水を張る田んぼにするのだろう。

その一角に見つかった水口まつり。

東城、西城地区と同様にイロバナに松苗を立てていた。

ここよりもう1カ所あったが、バッテリー切れ。



やむなくガラケーで撮っておいた位置情報覚え書き映像である。

(H30. 5.12 EOS7D撮影)
(H30. 5.12 SB932SH撮影)

下永西城の苗代の水口まつり

2019年10月13日 10時44分27秒 | 川西町へ
東城地区の苗代田を拝見して西側になる西城に向かう。

東城から西城へ行くには三つのルートがある。

八幡神社・融通念仏宗派の正念寺前の狭い村道を行くか、一旦は北に出て大和川堤防沿いの道を行くか。

それともぐっと南下して近鉄電車踏切を越えて結崎信号を北に行くか、である。

地図で見れば近鉄電車線路が東・西を分断しているようにも思える。

この日は、近鉄電車踏切を渡る大和川堤防沿いの道を利用した。

踏切を抜けてすぐ南側に集落が見える。

そこが西城の集落である。

その一角に苗代田があったので車を停めて近寄ってみた。

苗代田は白い幌でなく黒い紗を被せていた。



さらに近づけば枯れたイロバナが見つかった。

松苗とともに立てたときは鮮やかな花が開いていたが、今はもう・・見る影もない。

西城に東城と同じようにイロバナを添え松苗を立てているとわかった。

1カ所だけとは思えない。

西城の会所からさらに西へ行く。



そこに並んでいた苗代田のすべてにイロバナと松苗があった。



これは期待できそうだと思って、さらに奥へと車を移動する。



地蔵堂の向こうにあった苗代田は横に5連も並んでいたが、イロバナと松苗は3カ所だった。



おそらく苗代田を共同で利用する3家族のイロバナ、松苗であろう。

(H30. 5.12 EOS7D撮影)

下永東城の苗代の水口まつり

2019年10月12日 09時45分27秒 | 川西町へ
時季的には一週間遅れになったが、現状はどうであるのか、確かめたくて帰路に立ち寄った川西町の下永。

かれこれ10年前、いや、もっと前に来たことのある川西町下永の苗代田。

そのときは何も見つからなかった。

時季的に合わなかったのかもしれない。

とにかく見つけたい苗代田の印し。

白い幌があれば間違いなく苗代作りをしていた証しになる。

下永の村落は新興住宅地に囲まれている。

駅前であればなおさら畑地のない住宅地。

そこを外して田園を探してみる。

都会的側面をもつ車道を走っていたら白い幌があった。

念のためと思って停車する。

近くに寄ってみれば、あった。



小さな点のように見えたそれは枯れた松苗である。

なにやら文字のある紙を巻いている。

まちがいなくそれは護符であった。

1カ所の苗代田が見つかった。

他にもあるだろうと思って旧村集落周辺にある田んぼを探してみる。

一本の筋を入ったそこは田園が広がる地であった。

車を停めたその場に苗代田があった。



その角に立ててあったイロバナは赤色、黄色に白色。

もひとつおまけにピンク色もある。

色とりどりのお花はカーネーションに菊花であろう。

常緑樹の葉もあるが松苗は見えない。

よくよく見つめたら常緑樹の葉に隠れていた。



たまたま通りがかった草刈り機を持つ男性に聞けば、先代の跡を継いだ若い人が苗代田を作っているという。

農業を継ぐ人が少なくなった時代であるが、代継ぎしたこの田主はしっかりしているという。

綺麗なイロバナを立てていた苗代田のことを話してくれた男性も苗代を作っていた。

尤も作ったのはこの日でなくて、もっと前。

5月の連休にしていたという。

その苗代田はどこになるのか。

厚意で教えてくださったその苗代田にもイロバナがある。

枯れた松苗の護符もある。

花はカスミソウに白い花のカーネーション。

実は松苗を立てたときは近くで採取した蕗の葉を広げて、そこに洗い米を落とすという。

落とすのは奥さんの役目。

いつ、どのようにしていたのか、見ていないから詳しいことはわからないという。

その男性が云った特別な扇。

特定の日になれば、その扇をもらいに出かけるという。

ここら辺りではうち以外にも何軒かがしていたが、今はもう・・という。

この年の1月4日は下永の八幡神社に居た。

平成19年10月以来、久しぶりに訪れた下永で何を取材するのか。

それはごーさんの護符である。

当時、務めていた宮座五人衆から聞いていた『年中行事覚書帳』に牛玉護符作りがある。

1月4日に集まった五人衆は近くに生えているカワヤナギの木を採取する。

正月を飾った神社門松を解体して松の葉を取りそろえる。



予め朱肉を塗って版木刷りした護符などを揃えてから作業する苗代に供える松苗作り。

作業の場は八幡神社拝殿である。

中央に「白米寺」を配置。

右に「牛玉」。

左に「寶印」文字のある版木であるが、刷るのは「牛玉」の部分だけである。



護符は本来ならば、すべての文字を対象に刷るが、ここ下永では「牛玉」だけである。

いつの時代にそうするようになったのか。

他の文字とあまりにも違い過ぎる刷り痕でわかるが、時代はわかっていない。



ここは下永の東城。

下永は大きく分けて東地区が東城。

八幡神社を境に西の地区は西城になる。



東城の田園地に多くの苗代田が見つかった。

そこにイロバナがある。



護符で巻いた松苗もある。

そこにあるもう一つの道具は鳥除け。



烏の死骸を模した鳥除けであるが、風が吹いてなければだらーり。

その場にもう一羽の烏もいたがこれも模造の鳥除け。

隣の畑に居た婦人に聞いた。

うちも苗代田をしてきたが、今ではJAの苗を購入するようになったから、ここは畑に転換したと・・。

歳がいったらそうするしかなかったという。

その当時は、ここらと同じようにイロバナも松苗も立てていたが、今はもう・・・

まだまだありそうな気配がするので、東城地区の田園を探してみる。

南側に苗代田が見える。



距離はそれほどでもない場に道を挟んで二つの苗代田があった。



いずれもイロバナに松苗を立てていた。



その田主と思われる人は雑草刈りに手を止めない。

その場はいずれ川水を引いて田んぼにするようだ。

そこから東側に足を伸ばしたが、イロバナのない苗代田が1カ所であった。

(H30. 5.12 EOS7D撮影)