むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

伊佐城(茨城県)

2017年08月18日 | 百名城以外の城
伊佐城いさじょう
別名中館
構造平城
築城者藤原実宗
築城年代1111年(天永2年)
指定史跡県指定史跡
別名筑西市中館522 地図

藤原魚名の子孫である藤原実宗が、1111年(天永2年)常陸介に任命され、
伊佐荘中村に居住し、この地に伊佐城を築きました。
また、伊達氏発祥の地がここ伊佐城です。
5代目の朝宗は奥州征討に武功をあげ、奥羽伊達郡を与えられ次男の宗村と
伊達郡に移り伊達氏を名のるようになり仙台65万石の伊達家の祖となりました。



観音寺入口

ここからでは城祉碑は見えないので一度ここまで訪れたのですが、ちょっと覗き込んで
「ここはお寺さん」と言って「伊佐城はどこ?」とぐるぐると周辺を探しまわりました。



再び「この辺りが城祉なんだけどなあ?」と戻って観音寺の本堂前まで来てみたら
ありました!城祉碑。


観音寺本堂

2013年に新しくなった本堂。
旧本堂は江戸時代のものでとても立派そうなものだったようですが、
見られかったのがちょっと残念。


観音寺山門

まるでお城にあったかのような城郭にお似合いの門ですが、
これは城の門ではなく観音寺の山門です。


土塁

ところどころに残る土塁。
わりと残ってます。


下館藩 主石川総管の墓所

1732年(享保17年)国替えにより伊勢国河曲郡神戸(三重県鈴鹿市)より
下館城に移って明治維新まで9代続いた9代目石川総管の墓がここにあります。
初代から8代目までは江戸下谷の大久寺に埋葬されています。
8歳で父の遺領を継ぎ藩主となり下館藩知事まで暦任して総管だけがこの地に
埋葬されました。
さぞかしこの地で重要な人物として親しまれ、総管もこの地を嘉としていたのでしょう。


延命橋

橋の下は道になっていて、かつては堀切であったと考えられます。


延命水

飲んではいけない延命水。
昔はこの水を飲むと長生きできるとか言われていたのでしょうが
現在は生活用水と一緒に流れている水なのか飲めるような状態ではないようです。
案内看板は文字が消えてしまい読めません。何て書いてあったのでしょう…。


伊達氏と言えば仙台や宇和島で有名ですが、この地が発祥であることは
あまり知られていません。
伊達氏発祥の地とは思いもよらない展開に驚きました。
現地に行ってもそのような主張はなく、帰宅して調べはじめて知った次第です。
伊達氏と言えば東北のイメージが強く、後に奥州の覇者伊達政宗を生み出す祖と
なることを伊佐城では想像する余地もありませんでした。
なぜ、伊達氏にのっからないのかちょっと不思議ですがこんな物語があるのも
歴史を追っていて面白いところですね。



平成29年8月12日登城


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