【多賀谷城】たがやじょう
【別名】下妻城
【構造】平城
【築城者】多賀谷氏家
【築城年代】462年(寛正3年)
【指定史跡】市指定史跡
【場所】下妻市本城町2 地図
現代では「多賀谷城」と呼ばれていますが、戦国時代の多賀谷城は「下妻城」と呼ばれていました。
かつてこの地は沼地が多く、下妻城は大宝沼と広砂沼に挟まれた島状の水城でした。
現在は主郭部分は多賀谷城祉公園となって市民の憩いの場になっています。
平和塔
公園によくある戦時中に亡くなられた方々の慰霊塔のようです。
本丸
公園のあるこの辺りが本丸とされ、本丸を中心に広大な土地を有していましたが
今はその遺構はここではほとんど見ることができません。
案内看板
公園内に立てられた案内看板。
多賀谷氏遺跡碑
高まりの上に立つ多賀谷氏遺跡碑。
土塁のようにも見えるこの辺りの高まりは、どうやら公園整備で造られたもので
遺構ではないという。
蔵屋敷跡
縄張り図を参考にするとこちら側が蔵屋敷跡と呼ばれる場所だったようです。
多賀谷城祉公園(本丸)には遺構と思われるものはほとんど残っておらず、遺構探しをするには
市内のあちこち(広い)の土塁や伝承の遺物を探し回るこことなります。
今回も急ぎ足で数多くの城祉を巡り歩くため、本丸のみの訪問となりあまりおもしろみのある
記事にはなりませんでした。
平成29年8月12日登城
おぼえておこう!
今回の参考書物紹介
定価:本体2800円+税
【別名】下妻城
【構造】平城
【築城者】多賀谷氏家
【築城年代】462年(寛正3年)
【指定史跡】市指定史跡
【場所】下妻市本城町2 地図
現代では「多賀谷城」と呼ばれていますが、戦国時代の多賀谷城は「下妻城」と呼ばれていました。
かつてこの地は沼地が多く、下妻城は大宝沼と広砂沼に挟まれた島状の水城でした。
現在は主郭部分は多賀谷城祉公園となって市民の憩いの場になっています。
平和塔
公園によくある戦時中に亡くなられた方々の慰霊塔のようです。
本丸
公園のあるこの辺りが本丸とされ、本丸を中心に広大な土地を有していましたが
今はその遺構はここではほとんど見ることができません。
案内看板
公園内に立てられた案内看板。
多賀谷氏遺跡碑
高まりの上に立つ多賀谷氏遺跡碑。
土塁のようにも見えるこの辺りの高まりは、どうやら公園整備で造られたもので
遺構ではないという。
蔵屋敷跡
縄張り図を参考にするとこちら側が蔵屋敷跡と呼ばれる場所だったようです。
多賀谷城祉公園(本丸)には遺構と思われるものはほとんど残っておらず、遺構探しをするには
市内のあちこち(広い)の土塁や伝承の遺物を探し回るこことなります。
今回も急ぎ足で数多くの城祉を巡り歩くため、本丸のみの訪問となりあまりおもしろみのある
記事にはなりませんでした。
平成29年8月12日登城
おぼえておこう!
今回の参考書物紹介
改訂版 図説 茨城の城郭 | |
クリエーター情報なし | |
国書刊行会 |
定価:本体2800円+税