【気賀関所】きがせきしょ
【街道名】姫街道
【設置】1601年(慶長6年)
【廃止】1869年(明治2年)
【指定史跡】-
【場所】浜松市北区細江町気賀11560 地図
気賀の関所は箱根、今切(新居)の関所とともに江戸に対する重要拠点でした。
1605年(慶長10年)には気賀の町が大火に見舞われ、
町並みはほとんど消失しましたが関所は被災を免れました。
気賀の関所では何度も茅葺の屋根を瓦葺に改装する願いを出しましたが、
「権現様(家康)のとき茅葺であった」という理由で却下され続けてしまいました。
その後、100年以上経ってから瓦葺となり、規模と構造はほぼそのままに明治時代まで残りました。
1869年(明治2年)の関所廃止令により、ほとんどの建物が解体されましたが、
現在ではその一部が民家の屋根として残されているのみとなってしまいました。
気賀関所
右の茶屋でお茶を飲んだり、着替え体験も実施中です。
着物や甲冑を着て記念撮影が出来ます。
お抹茶
ここでは一席 300円(菓子付)をいただけます。
この日のお菓子は長野県小布施の落雁でした。お抹茶は冷茶も選べます。
冠木門(高麗門)
「東御門」、「大門」とも呼ばれ関所の出入り口にありました。
毎日明け六つ(午前6時)に開門して暮れ六つ(午後6時)に閉門しました。
家康くんと直虎ちゃんが出迎えてくれました
姫様館(気賀関所資料館)
江戸時代に公家や大名の姫様が通った東海道の裏街道は、
通称では「姫街道」と呼ばれていました。
現在「姫様道中」で使用している籠や、紀州徳川家の家来に出した食事のサンプルや、
諸道具や手形(関所通行許可証)などが展示されています。
姫籠
この姫籠は昭和62年に造られたもので、
「姫様道中」という姫様の行列を再現した伝統行事で、
姫街道を歩くというお祭りで使用する籠です。
その他、中村本陣の宿札や手形をはじめ、
関所・宿場に関連した資料が展示されています。
本番所
「本御番所」、「面御番所」とも呼ばれ通行の旅人や荷物を取り調べをしました。
御制札場
関所に関する様々な決まり事が掲げられています。
向番所
姫街道の要の関所で、入鉄砲に出女の監視を中心に通行する人や荷物の取り調べを
行なっていました。
天水桶
防火用に雨水を貯めておく桶。
気賀の町が大火に見舞われたことで火災の用心をしていたのでしょうね。
遠見番所
遠くを見張るために建てられたもので、当時上階には釣鐘が掛けてあり、
下の部屋には大砲が納められていました。
牢屋
遠見番所の中には牢屋も再現されています。
御要害堀
この堀は御関所警護のための設備で、舟で行き来する人も関所に入ることが出来るように木戸が設けられています。
また、この堀での網打等の殺生は禁じられていました。
町木戸門
この門は気賀関所西側にあって町木戸御門と呼ばれ、これより西側に気賀宿の町家が広がっていました。
井伊谷城、龍潭寺を訪れた後にドラマ館にやってきました。
気賀の町と言えばドラマの中では水に囲まれた土地のイメージでやってきましたが
船着場跡などは周囲で見られるもののテレビのセットで見るような光景とはまったく違っていて
子供に、「舟は?」などと言われました。
ドラマはドラマですからね。
でも舟が出入りしていたことは間違いないし、浜名湖もすぐ近くにあるのだから
もしかしたらドラマのような光景であったのかもしれませんね。。。
ちなみにドラマ館が設置されている間は気賀関所は無料ですので
ドラマ館に行く際はぜひこの機会に足を運んでみましょう
平成29年7月22日訪問
【街道名】姫街道
【設置】1601年(慶長6年)
【廃止】1869年(明治2年)
【指定史跡】-
【場所】浜松市北区細江町気賀11560 地図
気賀の関所は箱根、今切(新居)の関所とともに江戸に対する重要拠点でした。
1605年(慶長10年)には気賀の町が大火に見舞われ、
町並みはほとんど消失しましたが関所は被災を免れました。
気賀の関所では何度も茅葺の屋根を瓦葺に改装する願いを出しましたが、
「権現様(家康)のとき茅葺であった」という理由で却下され続けてしまいました。
その後、100年以上経ってから瓦葺となり、規模と構造はほぼそのままに明治時代まで残りました。
1869年(明治2年)の関所廃止令により、ほとんどの建物が解体されましたが、
現在ではその一部が民家の屋根として残されているのみとなってしまいました。
気賀関所
右の茶屋でお茶を飲んだり、着替え体験も実施中です。
着物や甲冑を着て記念撮影が出来ます。
お抹茶
ここでは一席 300円(菓子付)をいただけます。
この日のお菓子は長野県小布施の落雁でした。お抹茶は冷茶も選べます。
冠木門(高麗門)
「東御門」、「大門」とも呼ばれ関所の出入り口にありました。
毎日明け六つ(午前6時)に開門して暮れ六つ(午後6時)に閉門しました。
家康くんと直虎ちゃんが出迎えてくれました
姫様館(気賀関所資料館)
江戸時代に公家や大名の姫様が通った東海道の裏街道は、
通称では「姫街道」と呼ばれていました。
現在「姫様道中」で使用している籠や、紀州徳川家の家来に出した食事のサンプルや、
諸道具や手形(関所通行許可証)などが展示されています。
姫籠
この姫籠は昭和62年に造られたもので、
「姫様道中」という姫様の行列を再現した伝統行事で、
姫街道を歩くというお祭りで使用する籠です。
その他、中村本陣の宿札や手形をはじめ、
関所・宿場に関連した資料が展示されています。
本番所
「本御番所」、「面御番所」とも呼ばれ通行の旅人や荷物を取り調べをしました。
御制札場
関所に関する様々な決まり事が掲げられています。
向番所
姫街道の要の関所で、入鉄砲に出女の監視を中心に通行する人や荷物の取り調べを
行なっていました。
天水桶
防火用に雨水を貯めておく桶。
気賀の町が大火に見舞われたことで火災の用心をしていたのでしょうね。
遠見番所
遠くを見張るために建てられたもので、当時上階には釣鐘が掛けてあり、
下の部屋には大砲が納められていました。
牢屋
遠見番所の中には牢屋も再現されています。
御要害堀
この堀は御関所警護のための設備で、舟で行き来する人も関所に入ることが出来るように木戸が設けられています。
また、この堀での網打等の殺生は禁じられていました。
町木戸門
この門は気賀関所西側にあって町木戸御門と呼ばれ、これより西側に気賀宿の町家が広がっていました。
井伊谷城、龍潭寺を訪れた後にドラマ館にやってきました。
気賀の町と言えばドラマの中では水に囲まれた土地のイメージでやってきましたが
船着場跡などは周囲で見られるもののテレビのセットで見るような光景とはまったく違っていて
子供に、「舟は?」などと言われました。
ドラマはドラマですからね。
でも舟が出入りしていたことは間違いないし、浜名湖もすぐ近くにあるのだから
もしかしたらドラマのような光景であったのかもしれませんね。。。
ちなみにドラマ館が設置されている間は気賀関所は無料ですので
ドラマ館に行く際はぜひこの機会に足を運んでみましょう
平成29年7月22日訪問
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