この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

7月の予定。

2016-07-31 22:11:52 | 日常
 7月の予定です。
 よーし、充実した夏にするぞー。
 ふっ、言ってて空しいぜ。


 7/2は映画『ウォークラフト』を観に行く予定です。ムビチケ購入済み。

 7/9は映画『死霊館 エンフィールド事件』を観に行く予定です。

 7/16からの3連休、、、どこかに遠出をしたいのですが、車のこともあってぜんぜん予定が立たず…。

 7/23は『ロスト・バケーション』の公開日。レイトショーにでも観に行けたら、って思っています。

 7/31は【国際渓流滝登りinななやま】というイベントに参加する予定です。

 
 とりあえずこんなところです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お買いもの。

2016-07-30 21:26:01 | 日常
 今日は明日の滝登りのためにスポーツショップでウェアを一式買ってきました。
 一応大会要項の参加注意事項には「服装は、長袖、長ズボン、運動靴で参加してください」とあります。
 この文言を信用するのであれば、上は長袖シャツ、下はジーンズ、靴はスニーカーで構わない、ということになりますが、少し気になったので1ヶ月ほど前大会事務局に「靴はスニーカーで構わないのですか?」と問い合わせました。
 すると事務員の女性は「スニーカーでも参加は出来ますが、出来たら川遊びにも使えるアウトドア用のシューズがよろしいでしょう」とのことでした。
 アウトドア用のシューズ、だと?
 当然そんなものは持っていないので福岡にあるスポーツショップで買ってきましたよ。店員が薦める物を買ったので7000円ぐらいはしたかなぁ。普段購入するシューズの軽く2倍以上はしましたよ(普段どんだけ安い靴を買ってるんだ)。
 そして1週間ぐらい前になって、服装は長袖シャツとジーンズでいいのかということが気になりました。大会事務局に電話で聞くと、「長袖シャツとジーンズでも構いませんが、出来たら伸縮性のあるスポーツウェアにしてください」とのことでした。
 伸縮性のあるスポーツウェア、だと?
 当然そんなものは持ってないので今日になって買いに行った次第です。


   

 ラッシュガードとインナーとスパッツで計10915円!!
 思わぬ出費だ!!
 1万円以上服を買ったのっていつぐらいぶりだろう、ちょっと思い出せません。
 まぁ必要なものだから仕方ないよね。

 気になるのは同行するまささんと越前さんにはこのことを伝えていないということです。
 いや、大会要項をよく読んで、当日水に濡れてもいい、動きやすい恰好で来てください、というのは伝えましたよ。
 でも、アウトドア用のシューズとスポーツウェアを持ってなかったらスポーツショップに買いに行ってください、2万円近くかかりますが、とは言えなかったのです。言えないよね?

 当日二人がどんな格好で来るのか、今から気になって仕方がありません。。。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

観光ガイドでは紹介されない東京の一面が垣間見れる『東京百景』。

2016-07-29 22:11:36 | 読書
 又吉直樹著、『東京百景』読了。
 
 人それぞれ、定義は違うと思いますが、自分にとって「傑作」とは映画でいえば再鑑賞が可能なもの、小説であれば再読可能なものを言います。
 映画であれ、小説であれ、一度見れば(読めば)充分!なものはどんなに面白くても自分には傑作ではないのです。
 よくネタバレを気にする人がいますよね。特に新作映画だとネタバレを気にしてその映画に関する情報をシャットアウトする人すらいます。
 自分はというとネタバレは気にしません。
 なぜなら究極のネタバレってその作品を自分の目を通して見ている(読んでいる)ことじゃないですか。
 100%この先どうなるか知っていても、再鑑賞(再読)出来る、それが傑作だと思うのです。
 傑作はネタバレを恐れない。

 その意味では作者の『第2図書係補佐』は本当に傑作で、何度読み返したかわかりません。読み返すたびに何かしら発見があり、新鮮な感動があります。最初の1ページから読んでもいいし、適当に開いたページから読んでもいい、気に入ったエッセイだけ読んでもいい、どう読んだって面白いものは面白いのです。

 本書は『第2図書係補佐』に比べたらわずかに劣るかな、でも充分傑作でこの先何度も読み返すことでしょう。
 そして幼い頃に一度と10年ほど前にもう一度だけ行ったことのある東京にいろいろと想像を巡らせ、そしていつか自分なりの東京百一景を刻みたいな、と思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死んでしまえばいいのに…。その2。

2016-07-28 22:10:21 | インターネット
 昨日、なぜ突然あのような記事をアップしたのか、いぶかしく思った人もいたでしょう(いなかったかもしれないが!)。
 タイトルも不吉だし、内容もミクシィのコミュの荒れたトピックが削除されたってだけですしね。
 でも、アップしたのには自分なりの理由があってのことだし、本来であればアップしたくはなかったのです。
 なぜかっていうとどうせ記事にするなら、もう少し事の成り行きを見守りたかったし、出来れば両者を和解させたかった。
 それが出来たらカッコいいですしね(と自惚れてた)。
 それがなぜ急遽アップすることにしたかというとそれはやはりトピックが削除されてしまったから。
 トピックが削除されてしまった以上、同じ記事を書くにしても十日後では記憶が曖昧になって内容が適当なものになるだろう、そう思ったんですね。

 そして記事を書いた根本の理由はやっぱり「死ね」とか「死ねばいいのに」とか死を連想させる負の言葉は迂闊には言って欲しくないというのがあったんですね。
 別段「死ね」と言われたことが死ぬ理由のすべてではなかったとしても、最後の一押しになる可能性は充分あります。そうなったら取り返しがつかない。
 だから迂闊に言うべきじゃないんですよ、そういった言葉は。

 結局のところ、当事者の一方であるNさんが今後そういった言葉を口にしないのであれば、とりあえず自分の目的は達せられるので、直接Nさんのところに乗り込んでみました(ミクシィのNさん個人のページの伝言板に書き込みをした)。
 以下一部転載。

N「せぷさん Zってバカが死んだトコで、オレに何の関係ありますか?」
N「> せぷさん 追伸。 ”死ねばいいのに”って言った人間が死んだトコで無関係です。 乾杯するかもしれません。」
N「> せぷさん 文句あるのでしたら、ホラー映画コミュで堂々と書いてみては? こんなコソコソせずに。 オレもオマエの伝言晒しますし。 頭大丈夫ですか?」

 迂闊に「死ね」とか「死ねばいいのに」とか言うもんじゃないですよ、って忠告することが頭のおかしいことですかね?
 とりあえず、同じ日本人であっても言葉が通じないことはあるんだな、ということがよくわかりました。

 それから気になるのはもう一方の当事者であるZさんですよ(面識はないです)。彼女の最終ログインは三日以内になっています。つまりもう三日もミクシィにログインしていない。
 単純にミクシィにログインしてないだけ、とは思うんだけど、ついつい最悪の事態を考える悪い癖があって、、、何ごともなければいいのだけれど。
 まぁ二、三日後には最終ログインは5分以内って表示されるとは思うんですけどね。
 そうなればいいな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死んでしまえばいいのに…。

2016-07-27 22:06:14 | インターネット
 7月某日、ミクシィの『ホラー映画』コミュであるトピックが立てられました。
 トピ主の名前を仮にZさんとしておきましょう。
 Zさんはそのトピックで「私の書いた小説を読みたい人いる?」と呼びかけていました。
 正直、「はぁ?」ですよ。
 だって、ホラー映画好きの集まるコミュニティですからね。自作の小説を読んでもらいたいならミクシィには創作系のコミュはいくらでもあるわけで、そちらで読んでくれる人を探せばいいだけの話じゃないですか。
 ただ、別に不快には思いませんでした。非常識で、場違いで、自己中心的なトピックだとは思いましたけど、悪意は感じ取れなかったからです。
 まぁ誰も相手にしなければそのままトピックは流れていくだろ、そう思ってました。
 でも相手にする人が現れたんですよね。それが誰かというとコミュの常連であるNさん。
 NさんはZさんが場違いなトピックを立てたことが許せなかったようで、そのトピックにこうコメントしました。
「死んでしまえばいいのに…」
 これはアカンよね(なぜか関西弁)。
 確かにZさんがやったことは褒められたことじゃない。でもだからといって「死んでしまえばいいのに…」って言っていいわけがない。
 なぜ「死んでしまえばいいのに」とか「死ね」といった言葉を言っちゃいけないか?
 理由は簡単、相手がその言葉を真に受けて、本当に死んでしまったら責任が取れないから。
 幸いというべきなのかどうか、Zさんは「死んでしまえばいいのに」という言葉を真に受けて、自ら命を絶つような、そんな華奢なキャラではなかったのですが、それだけに以降、そのトピックは荒れに荒れました。火の粉はNさんの個人のページの伝言板にも飛んで、そこも荒れまくったようです。

 しばらくは静観していたのですが、火はくすぶり続け、よーやく沈静化するのかな、と思ったところに、Nさんが(アクセスブロックした)Zさんを再度挑発するコメントをして、そこで自分の堪忍袋の緒が切れ、次のようなコメントを書き込みました。

「沈静化する気配がないのでコメントさせてもらいます。
 空気が読めていなかったらごめんなさい。

>Zさんへ
 『ホラー映画』コミュにおいて「私の書いた小説を読んで!」というトピックを立てるのは非常識だと思います。
 自作の小説を読んで欲しいのであれば、いくらでもそれに相応しいコミュニティがあると思いますよ。

>Nさんへ
 Zさんに落ち度がなかったとは思いません。でもZさんが何をしたにせよ、「死んでしまえばいいのに…」というのはひどすぎます。トピックが荒れたのは偏にあなたのせいです。
 気に入らないトピックが立てられたのであれば、無視すればよかったのではないですか?

 禍根を残さないために両者とも自らの非を認め、相手に対して謝ってください。
 難しいとは思いますが、不可能ではないはずです。検討してください。」

 自分としては一番穏便に事を済ませる提案をしたつもりでした。
 しかし案の定というか、明日のジョーというか、思った通りには上手く事は運ばなくて…。
 Nさんからは返信のコメントがありました。
 内容は「自分のページの伝言板がZさんにこんなに荒らされたんですよ!」というものでした。
 笑止でしたね。だって伝言板がどれほど荒らされたとしても、最初にZさんに暴言を吐いたのはNさんの方なんですから。すべては自業自得ってものでしょう。
 なので、こう再返信のコメントしました。
「>Nさんへ
 最初にZさんに「死んでしまえばいいのに…」と言ったのはあなたですよね?
 最初に「死んでしまえばいいのに…」と言ったあなたにZさんを責める資格はないと思いますよ。
 どんなに伝言板が荒れたとしても、Zさんは「死んでしまえばいいのに…」に対して言い返しただけ、と考えられますからね。」
 自分としては正論を吐いたつもりでした。そしてベストな解決策を提示したつもりでした。
 しかしこの後事態は予想もつかぬ展開を見せました。

 1時間後ぐらいかな、件のトピックをチェックしようとしたら、「データがありません」と表示されました。
 な、何ですと!!
 誰かがトピックを削除したのです。
 トピックを削除できるのはトピ主であるZさんか、コミュの管理人だけです(昔はそうだったけど、今は副管理人にもその権限があるのかな?)。
 Nさんのコメントを咎めた直後にトピックは削除されたのですから、トピックの流れ的にZさんが削除したとは考えにくい。ならば誰かが管理人(もしくは副管理人)に削除要請を出したのか?
 しかし、荒れに荒れていた状況下においては誰も削除要請を出さず、自分が穏便に事を済ませようとした直後に削除って、本当に何やねん!って言いたくなります。
 削除されるって知ってたら、誰もコメントなんてせーへんねん!って(関西弁で)キレるっちゅーの。
 でももし削除依頼を出したのがNさんだったら、Zさんに暴言を吐き、トピックを荒らし、Zさんに無用の挑発をしたくせに、それがいざ風向きが悪くなったら即削除依頼したことになるのですから、Nさんには「死んでしまえばいいのに…」と言いたくなりますね。笑。
 まぁ100%Nさんがクロと決まったわけではないんですけれど。

 誰が削除依頼をしたのか、真相が明らかになる日は来るのかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正義の人。

2016-07-26 22:47:39 | 戯言
 本日未明、神奈川県相模原市の知的障害者施設で19人が刺殺されるという大量殺人事件が起きました。
 まずは亡くなられた方に哀悼の意を表し、遺族の方々にお悔やみを申し上げます。

 ミクシィニュースでのこの記事のつぶやき一覧に次のようなつぶやきがありました。
>元職員に何が起きて、ここまでの強大な恨みが元職場の利用者さん達に募ったのかが気になる。
>怨みからくる犯行なのだろうか。
 違うよね。これは怨恨による犯罪なんかじゃない。
 加害者はただ、自らの正義を執行しただけなのだろう。

 自らの裡に悪を知る者は悪を知るが故に悪に徹しきれないものだけれど、自らを正義と信じて疑わぬ者は悪を知らぬがゆえにどこまでも残虐になれるものだからね。
 その究極がアドルフ・ヒトラーなんだよ。
 ヒトラーは本気でユダヤ人や障害者のいない地球は素晴らしい世界になる、そう信じていたに違いない。
 でなければ400万人もの人間をガス室に送り込めるはずがないもの(400万人という人数には異説あり)。
 ヒトラー率いるナチス・ドイツは第二次世界大戦で敗れ、ヒトラー自身は自ら命を絶ったけれど、ヒトラーの子や孫たち、自らの正義を信じてどこまでも残虐になれる人間が今もそこかしこに、もしかしたら私たちのすぐそばにも、いる。
 
 こういう記事を書いてしまったばかりに今もそういった人たちの訪問が絶えない(偶然か否か、今日も来た)。
 その人たちの主張はおおむねこんな感じだ。
 知的障害者は社会に対して迷惑しかかけないから、処分すべきである。
 恐ろしいことをさらっと言うね。笑。
 自分も知的障害者が他人に迷惑をかけても構わないとは思わないし、見境なく暴力を振るう知的障害者は隔離されて然るべきだと思うけれど、社会に対して迷惑をかけるから知的障害者は処分するべきというのは、心胆寒からしめるものがあるよ。
 
 知的障害者は社会に対して迷惑をかけるから処分するべきだと考える人たちに尋ねたいんだけど、知的障害者を地上から抹殺したら地球は素晴らしい世界になるって本当に思っているの?
 あなたたちの正義はどこまでも残虐になれるものだってこと知っているの?

 自らの裡の悪を知れ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろと安請け合いをしてみる。

2016-07-25 22:14:27 | 日常
 日頃から何かとお世話になっているarigoziraさんから8月の16、17日に久留米のシティプラザで行われる第3回全国KAPLA大会に誘われました。隊長として。
 なぜarigoziraさんに誘われて、誘ったarigoziraさんではなく、誘われた自分が隊長になるのか、そこがまずわからなかったのですが、それ以前に16日だともうお盆休み、終わってるじゃん!と思って最初は丁重にお断りしました。
 けれど先日会社でお盆休みの日程が正式に決まり、今年はなぜか16日までお盆休みということになり(毎年15日までだったと思うんだけど)、16日だけの参加でよければ、という条件で大会に参加することになりました。もちろん一隊員として、ですが。笑。

 勝手に話を進めてますが、KAPLAってご存知ですかね?
 KAPLAというのは一言で言えば積み木です。
 従来の積み木と違うのはKAPLAは板状の形の1種類しかないのです。
 その板状の積み木を様々に組み合わせることで独創的な作品を産み出せます。
 大人から子供まで楽しめるKAPLAですが、欠点もあります。
 まぁ欠点というのは少々酷かもしれませんが、KAPLAを本当に楽しむためにはある程度広いスペースが必要だということです。それも出来れば板間。
 畳の間や四畳半の部屋でもまったく遊べないということはありませんが、KAPLAが(遊びとしての)本領を発揮するのはやはり広いホールなどだと思います。

 arigoziraさんには大会への参加要請に加えてハッとするような新作のアイディアも考えて欲しいと頼まれました。
 無茶ぶりするなぁと思いつつも、実はアイディアはあります。自分でいうのもなんですが、こういうのを考えるのは得意なんです。
 ただ、その新作のアイディアが実作可能なのかどうかはわからなくて…。何しろ手元にKAPLAがないので実作可能かどうか確かめようがない。
 先ほども述べたようにKAPLAを楽しむためにはある程度広いスペースが必要です。
 典型的な二階建ての建売住宅の我が家では、KAPLAを楽しむためのスペースがなく、KAPLAの面白さは認めつつも、その購入には至っていませんでした。

 大会のためにこの際思い切ってKAPLAを購入するか、と思わないでもないですが、大会の参加特典がKAPLA購入の5%割引券なんですよね。う~~ん、購入するかどうか迷う…。

 いろいろ迷うといえば11月にサナトリウムで行われる《『不思議の国のアリス』出版151年記念展》もそうですね。
 去年《『不思議の国のアリス』出版150年記念展》が行われた際は「160年記念展の時は自分も参加しますよ」と軽く請け負いました。
 それがまさか毎年行われるとはね。笑。
 作品のアイディア自体は頭の中にあります。でもそれがちゃんとした形になるのかどうかまではわからなくて…。
 記念展は11月なのでまだ時間があるといえばあるのですが、普段まともに絵を描かない人間がそれなりの作品を製作しようと思ったら3ヶ月でも短いような気がします。
 まぁ記念展の方は別に自分が参加しなくても開催に問題はないので作品が完成しなかったら参加しなければいいだけのことなんですけどね。

 とりあえずはKAPLA大会をどうするかだなぁ。
 あ~、迷うなぁ。。。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人見知りの人は必読!『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込み』。

2016-07-24 23:02:52 | 読書
 若林正恭著、『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』読了。

 一説によると日本人の6割は人見知りなのだそうです。
 人見知りが6割もいてよく社会が成り立つもんだなぁと感心してしまいそうになります。
 まぁこの6割っていうのを鵜呑みにしちゃいけないんですけどね。
 なぜかっていうと、「あなたは人見知りですか?」という質問と「あなたは自分のことを人見知りだと思ったことがありますか?」という質問では当然答えが違ってきますから。
 前者は現在の自分がどうなのかを問うてるのに対し、後者は過去にそう思ったことが一度でもあるかを尋ねています。
 6割の日本人を人見知りとするためには後者の質問をしたのでは?と睨んでますけどね。違うのかな。
 ともかく、日本人には人見知りが多いというのは間違いないようです。

 自分はといえば、人見知りではないですね。
 人見知りって分かりやすく言えば、初対面の人に対して上手く話せないとかそういうことじゃないですか。
 自分は初対面の人だから上手く話せないとか、そういうことはないです。
 初対面の人とも話せるのか、羨ましいな、器用な性格をしているのだな、そう思った人は間違いです。
 自分が初対面の人とも普通に話すのは、回数によって対応を変えるということが出来ないからです。
 この人と会うのはもう5回目ぐらいかな、じゃあそろそろ親しく話してもいいかな、そういう判断が出来ないのです。
 この前もサナトリウムで初対面の女性にバンジージャンプをしたときの写真を見せていたら、不思議子ちゃんから「初対面の女性に写真を見せるのはちょっと(やめておいた方がいいですよ)」と窘められました。
 自分はその時、何度目だったら写真を見せても構わないのですか?そう問いたかったです。
 自分はおそらくそういった常識的な判断が生涯出来ないだろうな~。

 さて個人的なことを書いちゃいましたが話を戻します。
 本書は人見知りの自覚のあるお笑い芸人、オードリー若林正恭のエッセイです。そしてエッセイであると同時に成長記でもあります。
 お笑い芸人が書いたエッセイですから基本笑える内容になっているのですが、同時に成長記でもあるので感動も出来、さらに泣けるところもあります。
 特にハガキ職人Tのエピソードはグワッと来るものがありました。

 この本は人見知りの人は必読だと思います。
 だけでなく、対人関係で悩んだことがある人は読んだ方がいいですよ。
 つまり、老若男女誰にでも広くお薦めってことです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

序盤の波に乗り損ねた『ロスト・バケーション』。

2016-07-23 23:35:17 | 新作映画
 ジャウマ・コレット=セラ監督、ブレイク・ライブリー主演、『ロスト・バケーション』、7/23、Tジョイ久留米にて鑑賞。2016年25本目。


 映画は一人で観に行くことが多いのですが、最初から「一人で観る!」と決めて見ることはりません。
 一応数少ない知り合いに声はかけるんですよ、今度、『○○』っていう映画を観に行くんだけど、よかったらどう?って。
 でもだいたい、「あー、その日はちょっと…」とか「その映画はDVDで充分かな」と言われて断られます。
 そういうとき、自分は「ふっ、愚か者め」って思いますね。
 自分が人を誘うとき、観に行く映画にはそれなりに面白い映画であるという自信があるので、その面白い映画を劇場で観る機会を逸するのは愚か者じゃないですか。
 まぁ歪んだ自尊心がそう思わせているだけですが。涙。
 ともかく、『ロスト・バケーション』も観る前は(面白さに)自信がありました。

 で、実際観てどうだったかというと、面白いことは面白かったけど、正直ちょっと引っ掛かるところもあったかな…。
 まずどこが引っ掛かったかというと、ヒロインのナンシーは亡き母から教えられた秘密のビーチに向かう際、人の好いスペイン系の農夫のオッサンの車に乗せてもらいます。道中ナンシーはこれから向かうビーチの名前をオッサンに尋ねるのですが、オッサンはほんの一瞬前まで「スマホで写真なんて見ていないで、窓の外を見なよ、素晴らしい風景が広がっているだろ」とか調子のいいことを言ってたくせに、ナンシーの質問には無視するんです。しかも二度も。
 なぜオッサンがビーチの名前を教えようとしないのか、自分にはとても不思議でした。見ているときは、そっか、ビーチの名前を教えないことが後々の伏線になっているんだろうなぁと思いました。結局伏線でも何でもなかったのですが。
 っていうかですね、亡き母から教えられたビーチの名前を娘が知らない、正確には調べてなかったというのはおかしくないですか。
 今どきネットで検索すれば簡単にわかりそうなものだけど。
 さらに言えば名前も知らないビーチまでの道案内をナンシーはどうやって頼んだっていうんでしょう?
 たまたま行き着いたのが目的のビーチだったからよかったものの、もし違ってたらどうするつもりだったのか?
 またナンシーは帰りは一体どうするつもりなのかとオッサンから聞かれ、曖昧に微笑んでやり過ごしました。
 当然自分はナンシーが帰るための算段があるのだろうと思いました。誰かに迎えを頼んでいるとか。
 しかし最後まで見てもそういった様子は窺えません。ナンシー、どうやって帰るつもりだったんだ…。
 本作は一人岩場に残されたナンシーと巨大な人食いザメとの死闘を描いた映画なのですが、仮にナンシーがサメと戦うことがなかったとしても、帰りの道で行き倒れになってたんじゃないの?と思っちゃいましたね。
 ナンシーとオッサンの会話は序盤も序盤だったんですが、序盤の波に思いっきり乗り損ねました。
 今述べたことは重箱の隅をつつくような真似だってことは承知しているのですが、脚本でどうにでもなったことじゃないのかと思うと作品自体高い評価が出来なくなっちゃいますね。

 何だか辛口なコメントを書いてしまいましたが、序盤のそこさえ乗り越えれば、あとはまぁまぁ楽しめる映画にはなっています。
 何といってもビキニのねーちゃんがウエットスーツを着たり脱いだりするだけで、もう充分だ、っていう気にはさせられます。笑。
 夏を堪能したいという方にはお薦めです。

 
 お気に入り度は★★★☆、お薦め度は★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィットの水漏れの件、その後。

2016-07-22 21:33:33 | 日常
 水漏れの件でホンダのディーラーに預けていた愛車のフィットが帰ってきました。まぁ帰ってきたというか、正確には会社の帰り引き取りに行ったのですが。
 検査の結果はというと、水漏れはどうもルーフからではないとのこと、どこから水漏れをしているのか、はっきりさせるためにはフェンダーを外したり、カウルを外したりといった、もっと大がかりな検査が必要だとのこと。
 この検査報告に自分はちょっと考えてしまいました。
 というのも、今回フィットが水漏れをするようになって、水漏れが直らなければ買い替えるしかない、その際新しく購入する車の候補からフィットは外さなければいけない、というふうに考えていました。
 フィットに続けて乗って、次も水漏れしたら嫌ですからね。
 けれど、水漏れしているのは自分が去年事故を起こした際に破損した左後ろのカウルからかもしれないのです(確定ではない)。
 自分が事故を起こして、そこから浸水している(かもしれない)のであれば、それを理由にフィットにはもう乗らない!というのはあまりにも身勝手ですからね。
 なので、次期購入車からフィットを外すというのは止めにしました。
 というか、水漏れが直らないのであれば、即買い替えというのも止めておきます。
 もうちょっと気長に消費税が増税されるまでに買い替えることにしようか、ということにしました。
 消費税の増税、いつでしたっけ?(←社会人失格の発言)
 ともかくフィットともそして水漏れとももう少しの間付き合ってみるつもりです。
 自分なりに修繕できるところは修繕してみよう、、、もっと水漏れするようになるかもしれないけど。笑。
 
 あと、カーディーラー巡りもボチボチしていこうかと思っているところなのですが、新車で150~200万円程度でお薦めの車があれば教えてください。
 消費税増税までに車を買い替えるというのは確定なので。
 よろしくお願いします。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする