つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

秋の空

2010年09月29日 | 子育て
昨日の雨がウソのようにお日様がまぶしい。

子どもの友達のお母さんたちと話をした。
末っ子のクラスで夏休みから登校していないお子さんがいる。
休みの間に、自宅がもらい火にあい焼け出されてしまったということだ。

人として生きるに天から与えられた運命がそういうものであったと納得するしかないのでしょうが、
この子は祖父一人子一人で暮らしてきたお子さんで、
その頼りのおじいちゃんが火災現場から逃げ出したとたんに、心臓発作をおこし病院に運ばれたそうだ。
以来、その友達が今どうしているのか、元気にやっているのかも定かではないということだった。

長男の仲の良い友人に、働きながら二部に通い、夢の実現に向け頑張っている子がいる。
授業料、生活費、…。勉学となんとか両立し、学生生活も楽しんでいるようだ。
うちの子どもが親がかり、周りの大人がかりで学生生活をエンジョイしているのとは意味合いが違う。
その彼がいう「仕送りしてくれなんて言わない。授業料だけ何とかしてくれる家に生まれていたら、もっともっとやりたいことがある」彼の家は母子家庭で、まだ高校生の弟がいる。

彼が願うのは「俺が日本を変える」ということ。
この年の子どもで、この手の話を大人相手に、これだけはっきりとものを言うのを他に聞いたことがない。
子育てをしていて感じることの一つに、子どもには「可能性」があるということ。
それは長く生きてきたものにはかなわない素晴らしい事実だ。
その素敵な「可能性」をつぶしてはならない。

昨日はあんなにひどい雨だったけれど、今朝はこんなに明るい。
人生だって、必ずいい時が訪れるはず…。それを願ってやまない。



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育ち

2010年09月28日 | 日記
今日は忙しい。
午前中は、小学校に付き添いボランティアに出かける。
帰ってきて、午後からは娘の高校へ出かける。
私が出かけた後に末っ子は帰宅して、プールに出かける。
今は晴れているが、午後からはひどい雨になるらしい。
いつもなら自転車で行くが、天気が悪いのなら地下鉄で出かける。

親ばかであれやこれやと心配して、口数が多くなって末っ子を送りだした。
程なく戻ってきて、何を忘れたのかと思ったら「鍵」
私があれこれ口出した中に鍵はなかった。

折り畳みの傘がうまくいかなかったら…。
ジャンパー持って行きなさい。着なくてもいいから…。
プールの用意はしておくから…。
ウイズユーカードもう残がないから、お金置いておくから買っていくんだよ。
帰りは迎えに行くから、動かずに待っていてね。
寒いんだから、ちゃんと拭いて出てくるんだよ。

他にもあれこれ、あれこれ話すのを息子は黙って聞いていた。
黙って聞いて、自分で考えて、足りないものに気がついて戻ってきた。

私の出番はもうほとんどない。
あとは、彼の人生に近い人間として、泣いたり笑ったりするのが仕事だろう。

無我夢中でここまできた。
親の足りないところのつけを払うのは子ども。
申し訳ない気持ちでいっぱい。

それでも笑って出かけて行った末っ子に、やっぱりあれこれ心配の種はつきない。
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大野智ーFREESTYLE

2010年09月27日 | 本・・・
嵐の大野君の作品集です。
彼が絵を描いたり、立体を作ることが好きなのを知り、どんなものを作っているのか知りたくて手に入れた。あいにく全国を回ったという個展の折に、私は病院通いの日々だった。
作品がどうのという段階まではきていないようだが、
「作ることが好き」という発露が十分に感じられた。美術の世界に身を置く十分な資格を、大野君は持っていると思う。

私も昔、絵の勉強をした。いまだにその世界に魅力を感じる。
トップアイドルという仕事の傍らこれだけ「作ること」に時間を裂く、その情熱に脱帽します。
嵐でなかったら大野君は絵の仕事も芽が出なかったかもしれないけれど、
嵐でなかったら絵で成功していたのでは…と思わせるに十分の資質を感じます。

奈良美智さんとの交流があるというのも頷けます。
奈良さんの作品は本物です。奈良さんの美術家としての生き方も本物です。
奈良さんと響きあう何かを持つ大野君が、アイドルだけではなく、
作り手としても化けることを大いに期待します。

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国勢調査

2010年09月27日 | 日記
国勢調査の書類が届いた。
人がどうなっているか調べるのだという。国を挙げての調査だ。
私はあまり頭がよくないのでそこら辺がどうなっているか想像もできないのだが、
日本の国には戸籍があり、住民票があり、おまわりさんが交番に赴任になると管轄地区を一軒ずつ訪問するし、消防署には一人暮らしのお年寄りのリストがある…。他にもいろいろその手のものはそれぞれの必要に応じてあるはずだ。その上、この5年に一度の国勢調査だ。
なんで、行方不明のお年寄りが何万人という数いるのかわからない。

年金問題でも、それぞれの役所が勝手に作業をしていて、間違いをいかになくせるかということに意識を働かせていないことに不思議で仕方がなかった。
組織が大きくなると動きは悪くなる。いかに大元が全体を見回して無駄をなくすことができるかということが重要になるのだろうと思う。国民総背番号制が叫ばれて久しいが、今あるものを横につなげるだけでも大分よくなると思うのは私だけではないだろう。
ぜひ、お願いしたいものだ。
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手を挙げる

2010年09月26日 | 子育て
末っ子は小学校6年生。
「最後の」と冠がつく行事が次々と訪れ、終わっていきます。
参観日もあと数えるほどになりました。

末っ子のクラス。見た目は落ち着いています。
立ち回る子もいませんし、授業妨害するほど騒ぎたてる子もいません。
何か目に余るほどのいじめがあるというわけでもありません。
ですが、何か変です。
覇気がないといえばいいのでしょうか…。
反応がない…というのでしょうか。
うんでもすんでもないのです。手を挙げる子どもは決まった3人だけ。
あとの子は指されてもなかなか答えません。
教室は、時折動きがまったくなくなります。
先生の忍耐の時間です。

手を挙げるという行為は、確かに勇気のいるものです。
上の子どもの様子を見ていてもそれぞれに違いました。
長男は、自分の使命であるかのようになんでも手を挙げました。
長女は、ごく自然に得意科目では積極的に、不得意科目ではそれなりに。
次女は、できれば手を挙げたくない子どもでした。
末っ子は、今教室で手を挙げる3人のうち一人がこの子です。
でも、そういう状況が長いので、時に苦痛に感じることがあるようです。

全校で300人程度の小さな小学校です。
子どもたちは大人に守られて「井の中の蛙 大海を知らず」で、
その上「天の深さ」も「井戸の深さ」も見ようとしていないのでしょう。
授業が進まなくなることが学級崩壊というのなら、このクラスもそういう傾向は示しているのではと感じます。なんとかいい方向に向いてほしいと思って来ましたが、あと半年で卒業です。
担任の先生のミスリードもあったのかなあと考えてしまいます。
ですが、もう6年生です。「先生が悪い」だけで片付けられることではありません。
クラス編成というのは、教える側と教わる側の相性が一番の問題です。
相性が良ければ、水が流れるように物事が進みますが、
相性が悪いと何をしてもスムースに進みません。
でも、世の中相性のいい人とばかり仕事をするなどということが、あるはずがありません。
ものを教わるにはそれなりの礼儀があるはず。
それを肝に銘じて、わが子の残り少なくなった小学校生活を見守っていきたいと思っています。
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