山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

一日中 野面で鍬振る 梅一輪

2013-02-28 18:46:22 | 農作業・野菜
 先月いただいてきた梅の枝に一輪咲いた。
 ここひと月ばかりは氷が張っていたのに。

 茶畑は魚入りの肥料を撒いていた。
 あと2回肥料をやるという。


留守していたとき、突風がすごかったようで、あちこちビニールフィルムが散乱。
 そのためソラマメが一瞬にして寒さにやられた。
 冬を無事通過すること自体いのちの戦い。

     
 今年になって二度目の草刈り。
 雑草も大地をしっかりつかんで離さない。
 土ごと雑草をかいて、雑草の山を形成。

             
 今年初めての畝ができる。
 ジャガイモを植えるので高めにしてある。
 あと、4箇所くらい作らないと間に合わない。

 春はあっという間に来てしまう。
 いつも追い越されてしまう。
 みんな待っていたからね。

 
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美術館みたいな渋谷ヒカリエ

2013-02-27 18:49:47 | 風景
久しぶりに渋谷に出かけた。
 昨年4月に開業した話題の東急系総合施設「ヒカリエ」を覗いた。
 ガラス越しから外を見たら、どんどん工事が進行形だ。

 開発が遅れていた東口だが、その先に国連大学・青山劇場をはじめ市民活動の情報センターも貴重な存在。
 あまり商業主義一色にしてほしくない。

 
 矢沢永吉が肺腑で歌う<アンジェリーナ>。
 「雨をポケットに詰めこんで  窓の都会を見つめてる
 泣かないで アンジェリーナ  そばにおいで
 心の壁を乗り越えておいで  Baby」

      
 松本隆の作詞が五感を震撼させる。  
 「愛してるお前を 背中越しにそっと抱いて
 孤独のボタンを 外してあげる
 誰もが傘で顔隠し 時に追われて生きている」

            
 作曲の矢沢永吉のメロディーがまた秀逸である。
 しかし、店内のレイアウトは感傷に浸るひまはない。
 アーティストが腕をふるって配置の競演を決めているからだ。

    
 積み木をポンと積んだ建物みたいだが、中身は重厚だ。
 ただし、労働者諸君には見るだけになりそうだ。
 (となりの消費者金融看板がせっかくの美観を台無しにしている)
 都会ばかりに資本が集中していて地下までも穴掘りしているが、ついでに、わが荒野の石も掘ってもらいたいものだ。

 今は春野に滞在だが、また週末には法事で都会人になる。
 ときどき、文化と資本と感性が集積された都会を見るのも必要だ。
 ただし、大地を忘れてはいけないと天の声。

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都会の樹よ水よ土よ

2013-02-26 13:40:18 | 風景
都会の風よ

作詞:高橋研
作曲:矢沢永吉

地下鉄につまったため息 吸い込みながら生きてる
顔の見えないこの街

プライドをおし殺すことにも
いつのまにか慣れている 俺に気付いたよ


少しだけゆるめたネクタイが ちっぽけな自由連れてくる
そんな毎日さ

都会の風よ 吹き飛ばした夢の
かけらはまだ残っているから


ビルの街 夕暮れの空が なぜか今日は目にしみる
明日もここで生きてゆくのさ

老いぼれたボクサーのように
思い出はまだ語れない 拳を固めるだけ

都会の風よ 冷たく吹くがいい
唇かみ 俺は生きてゆく


 このところ、車に乗るときは矢沢永吉の歌を流している。
 ロックのドラムに合わせて、動きが悪くなった指を開閉してリハビリ??。
 しかしこの曲の「都会の風よ」は絶叫調ではなく、静かな告発・決意型のメロディーだ。

            
 腹の底から心の風景を吐き出そうとする永ちゃんの魂が素敵だ。
 都会で苦悶する樹よ水よ土よ、ロックのリズムを叩き込むしかない!!
 それをしっかり聞こうじゃないか、ベイビー。


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子ども会の「つながり力」全開

2013-02-25 00:07:02 | 出会い・近隣
 タキさんの結婚披露宴に出かけた。
 彼が中学生のときからのつきあいだ。
 かれこれ20年近くの歴史のある自主的な子ども会でのつながりだった。
 彼がジュニアリーダーとなり、青年指導員となり、横のつながりも増幅していった。

  
 往時は6つの子ども会が自主的に作られ、それぞれ毎週の例会が運営された。
 普通の子ども会は月1回例会をやればいいほうで、会員すらさだかではない。

 その間に、指導員会議があり、合同行事の取り組みがあったりで、オイラは仕事をしながら帰宅が深夜になるのがしばしばだった。
 小中学生だったメンバーが青年になり、一時は全国に紹介されるほどの子ども会へと発展した。
 彼らの絆は、音楽等の文化を導入することで500人規模の文化祭をも満席にしたこともあった。

      
 タキさんの暖かい人柄はみんなをホッとさせる魅力があった。
 一見、へらへらしているように見えても、前向きに活動を推進している存在だった。
 その力は社会人になっても本領を発揮しているようだ。
 その延長に結婚がある。

           
 次々出てくる演奏や出し物やスライドショウーなどは、それを支える仲間の「文化力」「楽天性」「チームワーク」の底力を思い知らされた一日だった。
 オイラは仕事以外のこのきずなから多くを学んだ。
 以来、仕事と地域活動は両輪だということをモットーとしている。

 その彼らはすでに親となり子連れで披露宴に参画している。
 そうした活動の創生にオイラもかかわってきたことは今を生きる心の財産である。

         
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38年ぶりの風雪をともに織り込む

2013-02-24 00:08:40 | 出会い・近隣
 昨日は大先輩に38年ぶりに会うことができた。
 弁舌も行動も愛もすべてがキレがよく、あこがれの先輩だった。
 だから面と向かって会うなんて今までとてもできなかった。
 オイラの結婚披露宴の主賓挨拶をやってもらって以来の再会だった。

 
 そのうえ先輩は出版界の風雲児としてときどき新聞の片隅にも載っていた。
 いまもなお、現役を続投している。
 しかしその足跡を伺ってみると波乱万丈そのものだった。
 そのままドラマチックな小説になってしまうほどの人生だった。
 
    
 だから、しばらく人に語っていなかったオイラの深い傷も告白することができた。
 おかげで先輩との距離がぐいぐい縮まり、そのせつない陥穽をともに確認できたと思う。
 先輩は自分が背負ってしまった負の遺産を返済すべく日々を生きている。

         
 それはオイラの傷から大地に滴る血痕を、ため息ついて鍬で耕していく行為と似ている。
 先輩も「武兵衛がなぜ山里に身を委ねたのか、その理由がスラスラと解けた」と納得してくれた。

 先輩は負の遺産を感謝しているという。
 それを見直すことでもうひとつの回路、自分のあり方・これからの生き方を発見できたという。
 それは、オイラが傷を持っていることで、他人・考え方に対する視座・共感を発見できたことと同じである。


 時刻表を見る先輩の後姿には重いしがらみはなくなっているように見えた。
 それはこれからの人生を軽やかに生きようとする、輝く先輩そのものの姿があった。
 
 
 
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「ブールドネージュ」ってなーんだ?

2013-02-22 23:57:23 | 食彩・山菜・きのこ
 川崎宿に着いたところ、和宮様から下賜されたのが「ブールドネージュ」というものだった。
 ものの本によると、「ブール」とは「丸い」、「ネージュ」とは「雪」というフランス語だそうだ。
 英語だと「スノーボール」だという。
 粉砂糖を振りかけると見違える。

   
 和宮様じきじきに手作りされた苦心のお菓子(お下賜)である。
 外見はたまごボーロを少し大きくしたものだった。
 一口で食べられるのが良い。
 丁重にいただくと、たまごボーロの食感と似ているが硬めだ。
 アーモンドやカシューナッツの片鱗が高級感をかもし出している。

         
 「これは商品になりますね」と言うと、「オーブンが大きいと量産できるが手間を考えると赤字」だという。
 来客に食べてもらうと売れ行きがいい。
 このところ、パウンドケーキをはじめお菓子作りに目覚めた和宮様である。
 

      

      
      
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御殿場は雪景色が残っていた

2013-02-22 10:36:53 | 風景
 久びさに新東名をのぼる。
 ゆったりした道路といい、山なみが走る風景といい、その快適さについスピードが出てしまう。
 駿河沼津PAで手打ちざるうどんを食らう。
 そこそこの味だが和宮様が作る歯ごたえにはかなわない。


   
 相変わらず観光バスが横づけされている。
 平日だというのに団体客がひしめく。
 自然の素晴らしさと向かい合わないままそそくさとバスに乗り込む風景をにらむ。

         
 御殿場周辺は雪景色が残っていた。
 車中から見える白銀の富士山が絵になる。
 それをカメラに収めようと足柄PAによる。
 しかしあいにく雲が邪魔する。

                
 まったく自然とは人間の思う通りには動いてくれない。
 しかし、まわりの山並みにはまだらな雪の点描を見せてくれる。
 これはこれでいいのだ、と納得する。
 いつものスタバのコーヒーを飲みながらコンクリートジャングルに向かう。
            
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山田洋次イズム止まらぬ「東京家族」

2013-02-21 19:13:00 | アート・文化
 小津安次郎監督の「東京物語」は史上最も優れた作品と世界の映画監督が絶賛した不朽の映画。
 その古典の名作に挑んだ山田洋次監督の「東京家族」。
 その違いを楽しみに都会のスクリーンに駆けつけた。
 田舎から老夫婦が東京の子どもの家に上京するという基本的なストーリーは同じである。

     
 大きな違いは、末っ子に婚約者を配置したことだ。
 この存在が小津作品を越えようとする鍵でもある。
 「東京に来てよかった」と言っていた妻「吉行和子」が突然亡くなってしまう。
 また、経済と効率優先の都会・東京に翻弄されてしまう人間の切なさ。
 そんななかに、小さな光を灯すのが山田洋次の本領発揮なのである。

             
 頼りなさそうな末っ子「妻夫木聡」のやさしさ。
 しっかりもんの婚約者「蒼井優」のさわやかさ。
 二人の希望が頑迷な父「橋爪功」の心を開く。

 こうした小さな希望が一人になってしまった父を励ます。
 それは都会の風穴を穿つ希望に違いない。

小津監督は老夫婦の悲しさを社会に静かに告発したが、山田監督はそこに若い愛を注入することで閉塞の中の希望を託す。
 父が住む離島のつつましい風景がフェイドアウトする。
 それは狭っくるしい空間に住む都会の描写と対照的だった。
 なんども涙を拭ってしまった。
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ミニ農道の脇にリュウノヒゲを植えてみる

2013-02-20 00:17:46 | 農作業・野菜
 荒地のあちこちにリュウノヒゲが見つかる。
 それらをミニ農道の脇に集中させて移植してみた。


 掘り出した丸石も石垣として有効に使う。
 リュウノヒゲは冬でも葉を落とさないのがいい。

            
 昨年植えつけたリュウノヒゲがしっかり活着していた。
 よく見ると、青紫の実もしっかり着いているではないか。
 今回もこの調子に成長してくれれば言うことなし。

  
 数m近くにジョウビタキが視察に来た。
 なかなか人懐っこい。

 真相は、土を掘り起こすと中からちっちゃい虫が飛び出していく。
 これを狙っているらしい。

 おしゃれな色彩と控え目な鳴声が作業を応援してくれる。


                            

 
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山里を蒙昧として包む霧が森と人とを潤す

2013-02-19 20:06:46 | 風景
 このところ、雨模様が多い山里である。
 仕事に追われる人は舌打ちするが、森や畑は艶のよい緑を輝かす。

   
 霧の形は一つとして同じものがない。
 しかも、刻々と変わっていく。
 いにしえの人はそんな風景に人間の小ささを見た。

         
 人間の歴史の大半は戦争と権力闘争の歴史でもあった。
 そんな渦中にも変わらず不変の表情を見せてきた山の風景。
 心優しく、喧騒を避けた民は、山の抱擁で心を癒したことは確かだ。

               
 陽が沈むのを見ながら、明日への希望に心を寄せる。
 明日もまた、無事でありますよう祈るしかない。

 森を忘れた民は、心の置き所をなくし、凶行によって憤懣を充足しようとする。
 森の民・日本は今一度「森に帰ろう」としなければならない。
 森や山を見て感動できる感性を取り戻すことが、日本の再生への一歩となる。
 
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