山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

原木シイタケの本伏せ完了

2017-02-28 21:43:24 | 農作業・野菜
 原木シイタケの本伏せを終了する。
 今までは「ヨロイ伏せ」というやり方でほだ木を並べたが、シイタケが採りにくいので今回から「ムカデ伏せ」にしてみる。

          
                                          
 今まで乾燥気味だったせいか、ヒイロダケやクロコブタケ?の害菌がすでについている。

    
                                      
 カミウロコダケやヌルデダケの雑菌も発見。
 隣に置いてあった昨年までのほだ木には、1cmほどのシイタケの赤ちゃんがポロポロ芽を出している。

 雨が降ってくれば一気に大きくなる。
 一斉にできてしまうので、食べきれなくなる。
 原木の生シイタケの旨みと厚さは菌床シイタケを圧倒する。
           
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ロゼットに梅に春の予約

2017-02-27 20:56:14 | 植物
 畑のあちこちに赤いロゼットが咲いている?
 ギシギシかスイバかはよくわからないが、地面にしっかり張りついて地温を逃すまいとしている。

                           
 したがって、この生命力の強さは侮れなくなる。
 まもなく、畑の耕作がはじまるがこのロゼットはなかなか除去しにくい。
 ただし、紅葉しているところが冬季に忍耐している現われでもある。

                              
 タンポポを一輪発見。
 カントウタンポポのようだが、寝ぼけているような開花だね。

    
 遅かったが梅の花を玄関前に飾ってみる。
 強風で枝が飛んでしまったときもあるが来年は2月初旬には飾りたい。
 春の到来が肌で感じつつある。
 きょうから耕運機で畑の荒耕を開始する。      
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集落の手打ちそば会

2017-02-26 20:45:04 | 出会い・近隣
 お昼前ウトウトしていたら電話がかかってきた。
 集落の婦人部のイベント「手打ちそば会」のはじまりだった。
 ほぼ集落の全世帯が参加する恒例のとりくみだ。
 男性陣はどちらかというと飲んでしゃべくるのが楽しみのようだ。

                            
 お土産でいただいた手打ちそばを夕飯に食べる。
 おでんの汁で食べたらなかなかうまい。
 今回は抹茶も混ぜた蕎麦も挑戦するなど、だんだんと手打ちそばのスキルが上達してきている。

       
                                 
 毎日が同じ繰り返しのように見えながら、時代の波は激しく浸透してくる。
 この集落の近辺には10軒くらいの店が往年にはあったが、今では1軒しか残っていないという。
 鼻たれ小僧の頃から70歳前後になったおやじたちの活力は健在だが、先行きは不透明だ。

 会場の公民館の横にはホトケノザが咲いていた。
 変わりなく春がそこまで来ている。
 
 

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シャガの花園に

2017-02-25 21:34:22 | 屋外作業
 数株しかなかったシャガが踏みそうになるほどに続々増えてきた。
 和宮様お気に入りの美しいアヤメ科の花だが、雑草のように生命力が強い。
 そのうちの半分近くを採取する。

                         
 道草山の上のほうに植えることにした。
 というのも、ススキやワラビや灌木が混在してふだんなかなか手入れができないゾーンだ。
 数年前まではイノシシの居住区でもあったし、いまだに荒れ放題だ。

                                         
 そこで、上側にシャガを植えてそれが下に増えていくのを待とうという作戦だ。
 瓦礫が多い場所だが、石垣でも侵入するくらいの生命力に期待している。
 花もじっくり見るとアヤメより美しいのに、個体が多いせいか邪険にされている面がある。
 シャガの花園は何年後であるかは未知数だが、荒地から花園への実現か楽しみだ。

道草山にはこのところ、腹が真っ赤で背中が黒いアカゲラが来ている。
 アカゲラのドラミングが畑に響いてくる。
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先駆的な「でく工房」「ひまわりシステム」

2017-02-24 20:59:35 | 読書
 身障者たちの生活用具のオーダーメイドのパイオニア、「でく工房」の力まない生き方が素敵だ。
 竹野広行『街の小さな木工所から』(はる書房、1985.2)の仕事に対する情熱とゆとりとが仲間を呼ぶ。
 物故した竹野さんだが彼が育てつながったネットワークは全国に広がっている。
 救われた身障者、救われた木工アーティストの存在は、竹野さんらの温かいまなざしが注がれている。

                                   
 読みながら、出版社の良心的な取り組みが儲け本位の大手出版社と違うのをひしひしと感じ入る。
 赤貧の暮しをしながらの著者たちの格闘と同じ目線を編集者たちからも感じる。
 売れなかったであろう本書だが、竹野さんらが切り拓いた世界は燦然と記憶され、雇用を生み出している。

       
 たまたま読もうとした本、日本・地域と科学の出会い館編『ひまわりシステムのまちづくり』(はる書房、1997.6)もなんと同じ「はる書房」だった。
 郵便局と福祉とが見事に提携したシステム構築のムラおこしだ。
 とくに、厳しい一人暮らし老人への声掛けや薬・日用品買物代行を郵便局員が担うとは画期的だ。
 当時の郵政省にも影響を与えたようだが現状は広がっているとは言えない。
 とはいえ、間違いなくセンセーショナルな中身であることは確かだ。

                                    
 残念なのは、執筆が饒舌な研究者らに頼っていることだ。
 そのため、現場のディティールやリアリティーが伝わらない。
 研究者やプランナーが中山間地に果たした役割は大きいものの、どうも一般読者にはわかりにくい。

 住民に密着したルポルタージュがあればもっと説得力ある感動が伝わると思うのだが。
 つまり、研究者・プランナー・行政マン・郵便局長らに続く市民リーダーが育たなかったのだろうか。
 その溝を埋めていく作業はどこの地域でもぶつかる壁なのかもしれない。

 とはいえ、郵便局の果たす役割の深さ、「ひまわり=日回り」の発想の転換になったことは間違いない。
 そこまで実現するにあたっての苦闘、住民間の軋轢などは伝わってくる。
 
 
  
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急いでほだ木を並べる

2017-02-23 20:48:13 | 農作業・野菜
 一昨年、道草山のコナラを伐採してほだ木をもらった際、シイタケの菌を打ち込んで井桁のまま積んだままだった。
 今年にはいよいよ収穫の本番であるのに、ほだ木の本伏をすっぽり頭に入っていなかった。
 いつものようにあわててほだ木を並べる。

                              
 竹を伐ってきて地面には伐採してあった杉の枝を敷いてさらにその上にシートを敷く。
 というのも、そこは雑草の解放区でもあるからだった。
 ほんとは日陰がいいのだがなかなか場所がない。

         
 なんとかほだ木を運搬してみたが全部はできなかった。
 運搬も修業だと思って雑念を排してひたすら運ぶ。
 いいリハビリ運動でもある。
 もう少しで完成だが、乾燥が続くとまずいのでこれもまた対策が必要になる。
 原木シイタケの旨さは間違いないので期待したいが、雑菌がすでについているのでとりあえずそれをナタで払いながらの作業ともなった。

 昨日からの雨で午前中は県道の一部通行止めが放送されたが、午後は雨が止んで解除となる。
 乾燥気味の天候が続いたので、キノコには恵みの雨だった。
 
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黒マルチを剝いでから

2017-02-22 20:56:09 | 農作業・野菜
 風は冷たいが春の到来の予感を感じさせるこの頃。
 わがぐーたら農園もそろそろ荒耕していないといつものように野菜の植付が大幅に遅れてしまう。
 まずは、ほったらかしだった黒マルチを除去する作業を開始する。

   
 しかし、絨毯のようにびっしりこびりついた雑草に手こずる。
 ツルハシで雑草の根っ子を掘り出しながら黒マルチを剥ぎ取っていく。
 根っ子の厚さも3cm以上はあったろうか、まるで絨毯を剥いでいく手応えだ。

                             
 はじめは雑草も土壌に混ぜ込めば肥料にするかという考えも持ったが、この雑草の厚さと幅からはとてもその考えは甘いように思えた。
 縄文人が焼き畑農業をやって肥沃な黒土を形成してきたのが意外に合理的であることを感じ入る。
 とりあえず、集めた雑草を燃やすか、生ごみと一緒に肥料にするか、などの選択を迫られる。

 前歯をブリッジすることになり、夕方歯医者でカタをとる。
 80分くらいかかって放免されたが、歯が入るのは10日後でそれまでは歯抜けジジイを演じなくてはならない。
 それまでは柔らかいもので食事だ。
 帰りに、さっそく刺身やうどんやおでんを買っていく。
 
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ウォーキングで野菜をいただく

2017-02-21 20:38:15 | 出会い・近隣
 郵便ポストまで歩いて行ってからの途中、近所の畑で作業中のおばちゃんに声をかける。
 風が冷たいなか、こちらは作業をあきらめていたのにおばちゃんはしっかり草取りをしていた。
 ホウレンソウがしっかり葉を伸ばしている。

                        
 すると、「野菜を持っていきな。あたしがいなくても収穫していってもいいからね。」という。
 ホウレンソウとフダンソウをいただいていく。
 この時期、葉物野菜がなかなか入手できない。

                         
 おばちゃんの畑の際には、クロッカスの花がもう咲いていた。
 同じ地域なのに、わが家と陽当たりが全然違う。
 スイセンの葉も所々芽を出している。

 最近、おばちゃんは物忘れが激しく病院通いをしているという。
 しかしながら、おばちゃんの畑はまもなく花で囲まれる。
 畑への優しさがすでにあふれている。
 
 
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行動しながら切り拓く女性の歩み

2017-02-20 21:26:03 | 読書
 午前中に『にらめっこ~仲間と生きる私』(七七舎、2017.2)という自費出版の書籍が届く。
 著者は数十年前地域活動をともにしていた土屋豊子さんだった。
 出会ったときは離婚して間もなく子育てに必死だったが、吸い取り紙のように地域の具体的な活動を担っていった。
 そのうちに、父母会活動をはじめ、あっというまに介護事業のNPOを立ち上げるなど地域で目ざましい活躍をしていった。

                                    
 離婚という障壁を行動で乗り越えていく姿に逆にまわりが救われた事例が少なくなかった。
 当たり前の主婦が、地域活動とその出会いを通して成長していく姿を、てらいのない文章でさわやかに綴られている。
 豊富な写真を中心に明るいカラーのイラストや罫線などのレイアウトが多用され、だれでも読みやすい構成となっている。
 というわけで、一気に読ませてもらった。

     
 先日放映した86歳の大道芸人ギリヤーク尼崎さんの命がけの踊りに対して、弟は「自分の生きたいことを貫くっちゅうことを見してもらったね。
 自分のやりたいことだけで、そこには人の輪っちゅうものがあってね、それに支えられているっていうこと」だと語った。
 そんな一途な生き方と土屋さんとがダブった。

                                       
 土屋さんらの自主上映会で見せてもらったドキュメンタリー「元気な亀さん」は、オイラの考え方にも大きな影響を与えてくれた。
 幼児から高齢者を一緒に保育し、さらに障害者や学童保育にも視野に入れた施設の発想は、いまだにセクショナリズムの行政・施設の在り方に一石を投じた実践の映画だった。

 土屋さんはすでに再婚して相変わらず旺盛なボランティア活動をしながらのさわやかな人生を日々満喫している。
 
 
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貝塚はシジミだらけだった

2017-02-19 20:02:53 | 歴史・文化財
 浜松の市街地に行ったついでに市の博物館に寄り、隣の蜆塚遺跡を見に行く。
 そこは広い公園になっていて竪穴式住居が復元されていた。

                             
 
                                 
 住居の入口は狭かったが中は風雨に強いのがわかった。
 貝塚はそのまま積まれていてそのほとんどがシジミのようだった。
 「蜆塚」という地名はここからきたのだというのに納得。

                                  
 またその隣には、ムラの「山神社」というシンプルな神社があった。
 つまりこのあたり一帯は汽水域であり、森に囲まれた住みやすい場所だったのに違いない。
 神木の太さからもかなり古くからの神社であるのが偲ばれる。

             
 興ざめだったのは、燈火塔のほとんどに「あぶない、さわらないで、のぼらないで」というトタンのカンバンがつけられていたことだった。
 気持ちはわかるが美観を損ねるダメージのほうが大きい。
 祭神は山の神である大山祇命(オオヤズミノミコト)。


 
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