山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

長雨よし! 強風よし! やったー!

2022-11-30 20:54:09 | できごと・事件

 昨日は一日中、止むことがない本格的な雨だった。今朝はそこに強風だった。朝は一面靄に包まれいつもの山並みが消えた。和宮様は、「長雨や強風でゆうもじ(昨夜)以来、銀杏が落ちたようじゃが、様子を見てまいれ」とのお達しがあり、さっそく近くのイチョウの木の周りを見に行った。すると、落下して間もない新鮮なギンナンが道路に溢れていた。

  

 車の往来がすでにあってタイヤが通行した所はかなりのギンナンがつぶれていた。つまり、道路の中央と左右にはギンナンがしっかり落ちていた。なるほど、銀杏拾いのチャンスは今しかない。火ばさみで落ちたギンナンを慌ててバケツに集める。一本の雌木がかなりの量をまき散らしている。さすが、恐竜の時代、氷河期の時代から生き残っただけの生命力が彷彿としている。

        

 案の定、バケツ2杯分の過去最高の収穫となった。まだまだ実は残っていたが、バケツが満杯になったのでほどほどにする。ギンナンは、カリウムが多くタンパク質・脂質・ビタミンB/Eも豊富で、老化防止・高血圧・風邪予防・癌予防に効果がある。こんなに効能があるのに、近隣の人はあまり拾いに来ない。赤貧の我が家は山菜・きのこなどを拾ったり、木の実を採ったりして、糊口を凌いでいる。

         

 新鮮なうちに、柔らかい「外種皮」を取り除き、汚れやごみを除去する。箱籠の中でごしごし押し付けると外種皮が取れていくのがわかった。専用の機械もあるようだが、売りに出してるわけではないので、ゴム手袋で外種皮を除去し、強い水道水を流したら仕上げだ。これでやっと乾かしていけば完了となる。

 イチョウは、火事や震災にも強いことで、寺社に植えられたとともに、街路樹では一番多い樹木でもある。また、原爆を落とされた原野に最初に芽を出したのはイチョウだったとも言われている。それほどの生命力が困難な環境をかいくぐってきたのだった。都会の街中では、臭い・ゴミになると嫌われることが多いが、それを畏敬するくらいの心の余裕が欲しいものだ。

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「夢から醒めた夢」のかなた

2022-11-28 23:26:32 | 市民活動・まち育て

   先日、知り合いが出演しているミュージカルを見に行く。会場の緞帳は、鮎・茶畑・山並・森林・花・川など地域をデザインした見事な作品だ。間もなくその緞帳が開幕される。今回の原作は赤川次郎の絵本。劇団四季はそれをミュージカルにして1000回以上の公演に成功している。

 演出・脚本はパリジェンヌをめざしていた地元出身の松井茉未さん。「劇団限界集落」のネーミングはいかにも自虐的なイメージがするが、それを逆手に取った希望のミュージカルを目指している。地元出身者も移住者もともに希望を創り出そうという空気が舞台から発散される。出演者もスタッフも素人でオール春野町というのが魅力だ。

 

           

 夏から練習してきた出演者は、幼児も若者も高齢者もいる理想的な縦割り集団だ。昔はそれが家族の単位だった。現在は核家族となったが、そのうえに単身者が急速に増えてきている。そこには、孤独な人間のため息が聞こえてくる。そんな状態にした政治の力のむなしさを感じる。そういう現実を嘆くのではなく、そこから希望を見つけ産み出していく空間を共有しようというのがここの舞台にはあった。 

      

 「生と死、愛・友情」といった重厚なテーマが爽やかに展開していった。それは主人公役の地元中学3年生の女生徒のはつらつパワーによるものが大きい。それを松井さんの演出力で発揮されたのだと思う。それに、ミュージカルにはなくてはならないピアノ伴奏の岡本さんの的確な演奏も目立った。それらを温かく支えてきた春野文化センターの応援も、指定管理者となった民間力の柔軟さが発揮されている。「限界」を突破した出演者はきっと次も挑戦するに違いない。(画像は、天竜区ツイッターwebから)     

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忘れていた柿を収穫

2022-11-25 21:07:22 | 野菜・果樹

 裏山で作業をしようとしたら、奥の方に柿が見えた。ここ数年、裏山も藪が広がって中に入れないようになってしまっていた。そのため、柿があったことをすっかり忘れていた。かなりの老木でもあり、日当たりも悪かったうえに、強剪定の洗礼も受けていたので十数個の柿を確保するのがそれまでの成果だった。今回も同じくらいだったが、カラスに食べられている柿もあった。

           

 渋柿ではあるが、品種はわからない。この樹も10年ほど前に偶然発見したものだった。そのくらい、目立たない成長の悪い柿の木だった。だから、甘柿か渋柿かわからなかった。実の先端が尖がっている渋柿の品種には、大富士・蜂屋・愛宕・大和・立石などが有名らしいがどれに当たるかも判らない。この柿の大きい品種が百目柿のようだ。とりあえず今年の収穫はこれだけ。

  

 渋柿といえば、吊るし柿をするのを忘れていて、へたを残さなかったのが失敗。そこで、家庭用食品乾燥機で乾燥することにする。普通、食品乾燥機には果実や野菜を薄くスライスして並べるが、干し柿にするので棚に当たる皿を外して、ヒーター部分だけを使う。その上側に丸網を二重に乗せてそこに剥いた柿を置く。そこに大きな箱の段ボールを全体にかぶせて加熱する。要するに、燻製づくりの要領だ。

    

 恐れ多くも、これらの作業やアイデアは和宮様自らすべてを担ったのだった。しかも、さっそくできあがった干し柿を御下賜くださったので、ありがたくいただくことになった。食べてみると、太陽光の恵みにはかなわないけれど十分旨味のある干し柿となった。山からの贈り物の自然の恵みがあらためてうれしい。加えて、山の幸に応えてくださった和宮様の素早い配慮に感謝するばかりとなった。

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最後は55cmの大物だった

2022-11-23 22:13:07 | 野菜・果樹

 霜がやってきたのであわてて残りの沖縄トウガンを収穫する。ところがその数日後、ハト麦の繁みの下にでっかい冬瓜を発見したのだった。その根っこは先月に抜根していたので、今まで水も栄養も補給されないままじっと耐えていたというわけだ。日当たりではなく繁みだったのが幸いした。

 さっそく、その長さを測ったら55cmほどだった。重さもずっしりだった。時間がだいぶたっていたのでもちろん、外皮の毛はなくなり、ツルツルしていた。白い粉の「ブルーム」に覆われていた。

         

 沖縄冬瓜は、生ごみを畑にまぶしたものから芽を出したものと思われる。その苗を畝に移植してツルを網に這わせながら育成したものだ。沖縄冬瓜は30cmほどの大きさで、表面は白いブルームはなくツルツルしている。核家族や老人だけの所帯には手ごろの大きさだ。そのせいか、生産量は沖縄が日本一だ。

   

 わが家では、冬瓜は毎朝の野菜ジュースの主要メンバーとなっている。それでも、食べきれないので知り合いに押し付けて食べてもらったりしてなんとか食品ロスにならないようにしている。料理では、スープがおすすめだ。夏は冷たいもので、秋や冬は暖かいものがいい。歯が悪い後期高齢者にとっては口に入れるととろけるような食感がうれしい。鶏肉との相性もいい。味噌汁にいれてもカレーライスにいれても齟齬はない。同居している食材の味を生かす謙虚さが素晴らしい。さて、来年もどこかで芽を出してくれると信じている。

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100本近くの支柱完了!!

2022-11-21 21:34:55 | バタフライガーデン

 近所に放置された竹が転がっていたので拾ってくる。残念ながら新品はない。カビだろうかまだら模様のものや柔な竹もあったが、廃材の活用だと思って活かすことにする。長いもの、短いものを2mほどに切って揃えたらなんだかんだ100本近くになった。

        

 これを数週間、草取りや剪定をしながら少しづつ樹の支柱として打っていく。太さもまちまちだったが90本はまちがいなく打ち込んだ。ということは、ガーデンの内周だけでも100本以上の樹木があることになる。それを抜根した茶樹が積まれている中央部にこれから植樹するとなると150本以上にはなるはずだ。

   

 ガーデンに向かって左側にはアジサイを中心に、右側にはレンギョウを中心に植栽している。その70%は挿し木で育てたものだ。向かいのガーデンから移植したノリウツギは、抜根した茶樹の跡地に生まれた自生の樹木だ。そこに、山猿さんからいただいた山椒やクロモジなども植栽された。

   

 さらには、実生から育てたロウバイも130cmほどに成長した。花が咲くまでに7年はかかるらしいので、あと3~4年はかかるかもしれない。同じく、実生から育ったナンテンも雑草に追いやられながらもなんとか生き延びている。その開花も4~5年はかかるらしいので、数年後には開花するはずだ。来年の開花はまだ見られないが、アジサイ・レンギョウの開花は期待できそうだ。

             

 ガーデンの中央部分の一部では、芝桜がいまだにちらほらピンクの花が咲いている。また、コンニャクはすでに3年物を収穫、アシタバも2~3年かかったがなんとか収穫し初めて食味を堪能した。まもなく、ウコンの収穫が終われば冬の取り組み、つまり後かたずけ作業が始まる。

 雑草の海の中にいまや開削された道ができたことに希望がある。外周に植えたロウバイもしたたかに生きている。4~5年後には内側と外側のローバイが香る空間ができるはずだ。ということは、おいらも80歳代になっているということだが、どちらの命が持つかのせめぎ合いが始まっている。

     

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台風の爪痕いまだ癒えず

2022-11-18 22:21:32 | できごと・事件

 今年の9月末の23~24日にかけて静岡を襲った台風15号は、平年の9月の1か月分を超える大雨があって県内のあちこちに被害をもたらした。その大きな爪痕はいまだに復旧していない所が少なくない。

 わが家から数十分かけて車で国道を走ると、宙ぶらりんになったガードレールは当時のままだったが、やっと復旧工事が始まったばかりのようだ。             

 さいわい、わが家には被害はなかったが、山を背後に控えるわが家でもあるので、ある程度の覚悟はしていた。しかし近辺では道路の一部陥没があったり、増水がひどかったりの痕跡が見られた。被害の多くは川沿いが多かった。背の高い倒木などの流木がその周辺に大きな打撃を与えるのがわかった。 

  月に数回、わが家は1時間かけて街に買い出しや診療所に行く。その中心地の川にかかったコンクリート製の橋が橋脚ごと流されていた。ここにも、大量の流木がひっかかっていたらしい。そのため、堰き止められた川の流れが周辺に溢れ、まわりは泥だらけになったらしい。直後は土埃がひどかったという。川面から道路までの高さは4~5mくらいもあり、川がそれを越えてしまうとはとても想定できない。

 

 オイラが現場に行ったときは、すでに泥は撤去された跡があり、橋から出た鉄くずや土砂はまとめられていた。もちろん、橋の原状回復にはまだまだ時間がかかりそうだ。

 この川は、街中での親水空間を作ろうという意欲的な場所だった。階段状の親水護岸を整備してたおかげで、夏には親子連れのお客が殺到する人気スポットだった。そうした行政の意欲的な施工があっただけに、残念な被害となってしまった。

  

 台風15号以前に崩落があった崖の工事はすでに復旧が終わっていた。自然豊かな中山間地はその意味で自然の持つ両面の姿を見ることができる。自然派を自認??するオイラとしても自然の猛威の前ではアニミズムを信仰するしかない。それは先人の知恵・経験則でもある、と感心しきりのきょうこの頃だ。

 

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アジサイを救い出す

2022-11-16 22:31:15 | バタフライガーデン

 雑草の海がバタフライガーデンを支配した。背の低かったアジサイはついにその海に溺れてしまっていた。舌打ちしながら見えなかったアジサイの姿を手探りで探す。以前、草刈り機でアジサイを刈り取ってしまったこともたびたびあった。

            

 だから、今回はなるべく機械で一気に草刈りをしないで、鎌を中心に雑草をのんびり刈り取っていく。すると、絶え絶えになりながらもアジサイを発見する。生きていた。植え付けた当時とあまり背丈は変わらない。ほとんど、挿し木で育ったつわものらしくたくましい。全部で50本近くもある。

   

 目印と支柱を兼ねた竹を打ち込む。このけん引だけでも時間がかかる。種類もヤマアジサイ・西洋アジサイ・墨田の花火などが混在している。久しぶりに雑草が目立たないシーンが実現できて、うっとり(自己満足)する。また、一番奥の方に、トランペットツリー(ナス科)の花が咲いていたのに気づく。

         

 たまたま奥は残された茶の木に囲まれていたので、風に弱いトランペットツリーには好適な環境だったのかもしれない。全身が有毒なので鑑賞するしかない。この仲間の木で、花岡青洲が麻酔剤として乳がん治療に使ったことで有名だ。

           

 五裂した花冠の先端には細い突起があった。正式名は「木立朝鮮朝顔」で、英名が「エンジェルス・トランペットツリー」という。「天使のトランペット」というわけだ。南米原産の熱帯植物だが、寒さにも強いというのが心強い。江戸時代に朝鮮経由で薬用として伝わったことから「朝鮮」の名前がついたようだ。今月に入り、草刈り機や鎌の活躍でなんとか荒野からガーデンらしくなってきた。希望の片りんが見えてきた。

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あまたの献上品続々!!

2022-11-14 21:37:06 | できごと・事件

 ここひと月の間、近隣から和宮様への献上品が続々と集まった。すでに、高貴な侍女からカボスの入った段ボールひと箱が大分から直送されたばかりだった。

 カボスは大分県が9割の生産量を占め、フグやなべ料理に利用されていることが多いが、和宮様はサンマや天然マイタケをはじめもっぱら野菜ジュースに利用している。大きさはテニスボールほどの大きさだ。それがそろそろ先月末に終わりそうだった。

    

 それがなんとつい最近、近隣から「スダチ」がどっさり届いたのだった。色や形はカボスにそっくりだったがゴルフボールくらいの大きさだった。スダチといえば徳島では9割の生産量を誇る。しかし、近隣ではその活用ができていないという。確かに、ミカンのようにはいかないが、わが家ではさっそく野菜ジュースに活用する。それで一日に2~3個は消費できる。 

           

 さらに、さらに、近くの茶農家から自前のお米10kgが届いたのだ。これも和宮様のご威光のせいであろうかと思われる。「農家自慢のお米」というわけで誇り高い農家の意気込みが伝わってくる。都会ではどんどん失われている「謙譲」とか「敬虔さ」とかいったものが、その農家の所作に込められている。

 

 しかも、しかも、釣り名人が近くの川から釣ってきた「鮎」も届けてくれた。骨を取ってくれて丁寧に天ぷら用に開いてくれている。それを和宮様は二度揚げして下賜してくれたので、バリバリモグモグいただいたのだった。お言葉に甘えて意地汚くもついつい何度もおかわりしてしまった。

  

 そのうえさらにまた、「里芋」や「ショウガ」も届いたのだ。里芋は段ボールいっぱいもあったので冒険遊び場で活躍しているメンバーにもお裾分けして食べてもらった。焚き火の直火によってダッチオーブンで蒸かしただけに、ホクホクした味が好評となった。また、金時ショウガも一抱えもいただいてきたので和宮様はショウガパウダーにしようと準備を開始したところだ。

 こうして、和宮様の御威光がじわじわと近隣に伝わってきたことを実感するばかりのこの頃だ。

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日本神話に触れてみる

2022-11-11 21:53:23 | 読書

 日本の神話にまったく関心が無かったので入門書を取り寄せた。それが、坂本勝『はじめての日本神話』(筑摩書房、2112.1)だった。さらにそれを補強する意味でイラスト・マンガ満載の谷口雅博監修『一番よくわかる・古事記』(西東社、221.7)と、沢辺有司『いちばんやさしい古事記』(彩図社、2020.7)を脇に置く。

 

  「古事記編纂の目的は、天皇家が神の子孫であることを示し、統治の正当性を主張するためであった」と、谷口氏の本で明確な説明があった。太平洋戦争終結まではこれが現実だった。古事記は、上・中・下巻の全三巻で、上巻は神話、中・下巻は天皇の事績を示し、国内向けに編纂されたので、万葉仮名で表記された。

  

 いっぽう、国家的な大プロジェクトの『日本書紀』全30巻は、中国向けの歴史書だったのですべて漢文で記されている。だから、神話部分は1~2巻のみの扱いだ。谷口氏ら神話研究者は、神話そのものをコンパクトにまとめ上げていて、イラストもわかりやすい。しかし、俯瞰的な神話や古事記の位置はわかりにくい。

  

 その意味では、アウトローのような沢辺氏の本は神話・古事記の位置づけが客観的で的を得ている。それらの傍証を得ながら、坂本氏の神話論はわかりやすい入門書だった。坂本氏はこの神話・古事記の世界がもたらす現代的な意味合いとは何か、「今ここにいる」とは何かという世界の根源について半分以上のページを割いているのが特異だった。

  

 坂本氏は、大きな時代の転換期の中で、何が変わっていくのか、変わってはいけないものは何なのか、そういう本質的な問いかけが『古事記』にあるという。その根底には、人間と自然との関係だったのではないかと問う。「神話の関心がより自然の側に向かっていたのは、人知を超えた自然の力が絶大だった」ため、「日本の古い神々がそうした自然の中に棲息していたのはそのためです」と提起する。

   

 西洋の神は唯一絶対の存在の傾向があるが、日本の神は悪さも戦争もする弱点だらけの存在だ。人間的ともいえる。しかも、「八百万の神」と言われるくらい神様の数も多い。世界でも珍しいくらい、他の神を否定する一神教ではない多神教の世界。その柔軟性というか、世俗性というか、それで救われる・縛られないことも少なくないことは確かだ。

  

 沢辺氏は、古事記や日本書紀の中に「東国」のことや「富士山」についての記述がないことを指摘している。その理由は、朝廷の支配圏外であったということで、オイラがこだわっているまつろわぬ敵・「日高見国」の存在があったからだと思う。

 神話の物語についても、解釈や背景にはいろいろな興味ある情報があるが、初心者のオイラにはまだ消化しきれない。今回の読書で神話の流れについてはだいぶ整理されてきたことは確かだ。手始めとしての漫画やイラストの意味もばかにできない。未解明の背景が多く、神話・古事記の迷宮の深さが魅力的だった。

 

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5000年後の天体ショーだった

2022-11-09 22:11:22 | できごと・事件

 昨日は久しぶりの皆既月食だった。しかも、太陽→地球→月→惑星がそろうのは442年ぶりだという。さらに、その惑星が天王星となると、なんと5000年ぶりの皆既月食だという。こりゃー、見ておこうとデジカメ片手で夜空を見上げる。19時少し前にはすでに部分月食が始まっていた。

           

 19時過ぎになると、赤銅色が濃くなりまもなく完全な月食となっていく。手が震えてピントがあわないのが難点だ。それにしてもこの赤銅色の不気味さは迫力がある。中世では忌(イ)むべき対象としてその光に当たらないよう隠れたらしい。

          

 西行は、「忌むと言ひて 影に当たらぬ 今宵しも 破(ワ)れて月見る 名や立ちぬらん」と『山家集』でつぶやいている。<世間のひとは月食を不吉なこととして光に当たらぬようにしているが、私はむしろ余計に見たいと思わずにはおれない。それで、奇人変人の評判がたってしまうかもしれないが。>と好奇心を露わにしている。

     

 19時12分ごろ、なんとか、月食をカメラに収めることができた。残念ながら、天王星は望遠鏡ではないので確認できず。月をどう見るかは、西洋と日本は大きく違うようだ。西洋の満月といえば、「狼男」に変身するのが有名なように満月はマイナーなイメージがある。

             

 それに対し日本では、満月は縄文時代以降から豊穣と畏敬の対象だった。銀閣寺は4時間以上をかけて茶事や歌会を開催する。桂離宮は月を見るための建物・装置として建造した。自然と人間との喜怒哀楽をこめながらもその無常観をも「観照」するものだった。

            

 21時半ごろからは赤銅色がなくなり、いつもの三日月となった。月面飛行・月面着陸は人類の夢というが、科学調査だけにしてもらいたい。人類のあさましいいがみ合いは月面でも戦われることは必至だ。だから、マスコミは無批判に宇宙飛行士を讃えるのがとても疑問だ。

 中世の貴族が月を愛でたように自然豊かな庭や森から眺めるのがふさわしい。現代人はその意味では退化してきているのではないか。そうしたことを考えると、日本の自然に対する畏敬というもの、アニミズムというものの再評価をもっと世界に発信すべきではないかと思えてならない。

 

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