山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

鍬の柄が折れて

2021-02-28 21:28:34 | 特産品・モノ

 風はまだ肌寒いとはいえ、陽射しはすっかり春のようなここ数日。あわてて畑の畝立てをする。しかし、長らく愛用していた鍬の柄が根元からぽっきり折れてしまった。最近はこうした道具類や機器類が壊れることが目立ってきている。人間も道具類もいよいよ世代交代を迎えてきたということかもしれない。

 植え付けを急いでいたので、すぐにホームセンターに向かい、「平鍬」を購入する。本当は隣の地区の鍛冶屋こと鉄工所で注文しようと思っていたところだったが。畑には丈夫な根っ子が残っていたようで本来なら平鍬ではなく、より厚手の鉄板でできている「唐鍬」がよかったが、保有していなかった。

     

 一枚刃がやや厚い平鍬を購入して使ってみる。新しいからスイスイ畝づくりが始まる。なんとなく柄の部分は今まで使っていたものより華奢に見えるがしょうがない。樹の材質までは考慮されていない。できれば。カマツカ・エンジュ・カシ・エノキなどの硬い樹が希望だが、きっとそれは鉄板の刃より高くなってしまうに違いない。

 資本の論理は自然の論理より優先されてしまう現実につい押されてしまう。今まで鍬の柄の材質まで表示している商品は見たことがない。忙しすぎる日常の日本はつい目先の効率・価格優先に流されてしまう。そうならないような視座をふだんから鍛えておかないと、とちょっぴり反省しつつなんとか畝を完成させていく。

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ハナモモをシンボルツリーとする

2021-02-27 18:01:19 | 屋外作業

 茶畑跡のシンボルツリーは枝垂れハナモモにすることにした。一本のモモに白と赤の花ができる「源平桃」や赤花の「相模桃」などの枝垂れハナモモを少しずつ植えてきたが、きょうは4本追加して9本となった。

                 

 今年はもちろん花見はできないがなんとか生き続けていってほしいものだ。ここ数年、知り合いの庭から頻繁に盗掘されることが起きているのであまり派手な花木や山野草は植えられない。

                 

 一本だけ通直の「矢口桃」の八重咲も植えたので、合計10本となった。これからは真っ直ぐのハナモモはもう少し増やしていくつもりだ。植えてから暴風と防寒を兼ねた行燈仕立ての肥料袋で囲い込む。そのため支柱だけでも50本近くにもなった。

  

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どこのマンホールなのか

2021-02-26 21:33:57 | 路上観察

 ひょっこりコンビニに立ち寄った路上で見慣れないマンホールを発見する。そこには「農排」という文字があった。漢字からして農業排水らしいが、とりあえず調べてみたら、「農業集落排水」というのだそうだ。要するに、都会でいう下水道処理管のこと。農村世帯の人が集まって農業用水の水質保全や生活環境向上を目的に作ったシステムのことらしい。だから、工業用水や畜産排水、さらには雨水は除外されている。

 しかし、中央のデザインの梅や松やスイセンの花の意味がわからないし、どこの市町村かもわからない。いろいろ探索した結果、「平成の大合併」(2005年)で、現在の静岡県磐田市に合併された「旧豊岡村」のものであることがわかった。中央の梅の花は、梅の生産地として有名な「豊岡梅林」を表し、村の木の「松」、村の花の「スイセン」をデザインしたものだった(昭和49年/1974/10月制定)。

                     

 松や梅があったので、「竹」を探したがスイセンしか見つからなかった。「松竹梅」じゃあまりに世俗的過ぎるよねとブツブツ言いながら、もう一つの疑問が湧いてきた。中央の「村章」らしきデザインは何を表現したものかがわからない。はじめは村の木の松葉を表現した家紋のようなものと思っていたが違っていた。

 ここからはクイズとなる。豊岡村にかかわる単純なデザインとなると。すぐわかった人は素晴らしい。答えは、「豊岡村」の頭文字「と」を、上下に配置するとこのデザインとなるのがわかった。確かに、「と」の字の切れている所を見て了解した。今は無き村の往時がここにしっかり残されている。心配りの行き届いたデザインに小さくも誇り高いムラの文化を感じる。

 

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リュウキンカとヒメリュウキンカ

2021-02-25 21:54:12 | 植物

 「森町」の農協から入手した「リュウキンカ(立金花)」は、いかにもキンポウゲ科らしく花と葉が美しい。若葉は山菜にもなるというが、キンポウゲ科植物は有毒が基本なのでやめとく。茎が直立しているのでこの名がある。小川や湿地が好きな花だけど、花びらはガクなのだ。正確に言えば花びらはない。

             

 いっぽう、鉢から芽を出して咲いたこちらは、「ヒメリュウキンカ」。外来種のようで、紫葉・八重咲・白花と園芸種も多い。こちらは他の苗に混じって昨年の3月に突然花が咲いた。外来種はできるだけ育てないようにはしているが、それを金科玉条にしているわけでもない。そのため、凍結にも強い丈夫な花のようなので、茶畑跡の霜が降りる所にほかに影響しないよう混植しないで株分けしてみようかと思案中。

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鉄も石も木も動員して

2021-02-24 21:54:48 | 屋外作業

 裏山から運んだ丸太を半割にしようと始めたが、スイスイとはいかなかった。そこで少ない脳細胞を結集して周りにある材料を投入する。これでも後半の取り組みなのだ。基本はナタとクサビだけどそれだけでは足りなかった。

                 

 まずはナタで打ち付け、そこの亀裂が大きくなると鉄のクサビをねじ込む。さらに丸型の太いクサビや木っ端を打ちつける。最初はハンマーで叩いていたがついには「カケヤ」の出番となった。古いナタ・鉄のクサビ・丸型鉄クサビ・木材・石もかたっぱしから動員。

                 

 カケヤの効果が大きいことがわかった。最後の方は丸太が曲がっていたのでてこずる。そろそろ暗くなってきたので焦りながらもカケヤを頼みとする。メリメリと音がしていくのが希望の証。

                 

 ついに半割成功、間にあう。枯木とはいえ、そこそこ水分もある。割ったものを茶畑跡の土留めの一助とするのだ。石も木材もそれぞれの大きさで存在感を示してくれた。縄文人は鉄も使わずに丸太を割っていったことを想い入る。

   

 恐竜の顔をした半割れは、全体から見ればほんの一部だが、土留めとしての役割を果たしていくだろうことを期待する。まずはめでたしめでたし。

 

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アカゲラとコゲラが同時に

2021-02-23 21:03:52 | 生き物

 裏山の老木にキツツキがやってきた。距離があったのでピントがいまいちだが、アカゲラだ。カーンカーンと樹をつつくドラミングが大きく響いたのでカメラを向ける。するとそれがわかったのか逃げられてしまった。その近くの樹に移動してしばらく隠れていたのでシャッターを切る。

              

 逆光なので色がわからなかったが、パソコンでお腹が赤いのがわかる。後頭部の赤色を見たかったが確認できなかった。きっと赤色のないメスかも知れない。

             

 尾羽の外側は、白黒のまだら模様が鮮やかだ。「アオゲラ」はそこが黄緑色をしている。残念ながらその後ドラミングの音は聞き損ねたが、近くにカラスがいたせいかアカゲラも落ち着かない。

    

そのうちに、 雀ほどの小さい「コゲラ」がやって来た。キツツキでは一番小さい。大都会の街路樹でときどき目撃していたことがあった。わが家からキツツキの大小を一気に観られたのがラッキーだ。

                 

 「コゲラ」は、幕末のシーボルトが持ち帰って標本をもとに命名されたという。体は小さいが立派なキツツキの体形は守っている。枯木もキツツキにとっては重要な畑でもあるわけで、外観が悪いといって伐ってしまうのは疑問だ。そのままにしておくのも大切なのだ。「断捨離」だといってばんばん捨てていくドライさが前々から気になる。「活かす」工夫が必要な時代なのだ。       

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足踏み脱穀機の部品をいただく

2021-02-22 21:54:02 | できごと・事件

 きのこの師匠から下賜された足踏み脱穀機は、現役として去年大活躍した。近隣でも、注連縄づくりやソバ・大豆の脱穀にも現役なのだ。最近では大型機械でなんでも一気に仕上げてしまうが、家族農業の立場からすると、この明治から連綿と続いているガソリンや電気を使わない足踏み式脱穀機が手ごろなのだ。まさに脱炭素社会そのものの再来でもある。

 そこに、師匠から足踏み脱穀機の部品が宅急便で届いたのだった。というのも、一昨年に修復に成功したもののまだU字金具の欠損があったり取れてしまったり、板が古くなったりがあったので、処分を検討していた師匠に無理を言って送ってもらったのだった。

             

 とくに、U字金具は歯抜け状態でもあったが、市販されていないようなので入手に困っていたのだ。コロナさえなければ、飛んで行って引き取りにいくところだったのに。宅急便に出すとなるとその手間が意外に大変なのがわかるので、師匠の手を煩わしてしまったのが悔いるところだ。

           

 部品がこれだけあれば、もう一台復元できそうな量だ。技術のないオイラができるかどうかは別として、こんな貴重な部品があること自体素晴らしい。むかしは、一家総出でしかも夜なべ仕事で使っていたらしい。そんなレガシーを大切にすることがコロナ時代を生きるヒントなのかもしれない。師匠にまたまた深謝。 

 

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焼却跡を小鳥のオアシスに

2021-02-21 20:55:42 | 屋外作業

 前の住人がゴミを焼却していた跡を整備する。裏山の近くを掘り出すと灰をはじめビニール類やアルミホイルなどのただれたゴミが次々出てくる。しかも、そのそばには茶碗などの陶器類・小さい電化製品・瓶をはじめ燃えないゴミも埋まっている。今まで少しずつ処分もしてきたがまだ半分くらいしか処分できていない。むかしの人は、土中に埋めたり燃やしたりするのは普通のことだったのだろうか。

 掘り出しているうちに、ドラム缶の残骸が出てきた。きっと以前はドラム缶の中で燃やしていたのに違いない。それがクラッシュしてその上に小さい風呂釜のような丈夫な鉄の容器があった。この中でじゃんじゃん燃やしていたようで、灰の層が30cm以上もあった。

           

 しょうがないので、床下換気口のカバーをはずしてそこに灰の残土を捨てる。残土をバケツに入れて焼却跡と往復する。量にしてバケツ数十杯はあったがそれでもまだ全部は採りきれない。そのうちに、この跡地に最近この裏山によくやってくる小鳥のオアシスを作ることにする。

          

 まずは石を集めてその上にもらっていた切り株をセットする。腰掛にしていた切り株が野鳥のレストランのテーブルにいかが、というわけだ。たまたま、盆栽の平皿があったのでそれに餌を入れる。皿の前後には川から拾っていた流木を置く。すべて、もらったものや拾ったものばかりだ。

          

 買ったものは小鳥の餌だけだった。さて、これで小鳥たちはやってくるだろうか。完成したのが夕方になったのでその成果はこれからだ。ちょうど、トイレに行く途中の廊下からこのオアシスが見える。最近は、アカモズ・カケス・ゲラ・コジュケイ・ジョウビタキ・ツグミ・ヒヨドリ・ホオジロなどが見られるが、この顔ぶれの誰が来るかが楽しみとなった。

 

 

 

 

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春を手繰り寄せてみるのだが

2021-02-20 23:23:15 | 風景

 都会ではとっくにスイセンの花が咲き出しているというのに、わが畑のスイセンはやっと芽が出てきたばかり。よくみると花の蕾も用意はしているようだ。そのすぐそばには毎年出てくるスイセンは申し合わせたようにまだ惰眠最中の様子だ。

        

 庭にはアウトドア用のシンクがあり、その水道でカッターの刃の研ぎをやろうと蛇口をひねったが水は出てこない。予報では春並みの気温だと報道するが相変わらず寒さは変らない。

                   

 久しぶりの「つらら」には感動はするが、寒風はジイジにはこたえるのだ。こういうときは体を動かすに限ると畑で黒マルチのカバーを掛けてみるが風で飛ばされそうになる。「春よ来い」と呼んではみるがどうも生返事のようだ。

   

 風が強いのが気になるが、夕方茶畑の抜根をやってもらっているA君に暖かいコーヒーを出そうと、七輪でお湯を沸かす。そこいらに散乱している木っ端を燃やしながらコーヒーブレイク。直火は心と体を暖かくする。取り留めない話をしながらも茶畑跡の構想を話題にしてみる。枝垂れハナモモを植えてから跡地利用については近所からいろいろ関心が出てきているようだ。    

 

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樹皮剥ぎがひどくなってきた

2021-02-19 22:16:14 | できごと・事件

 最近はシカやイノシシの気配がなくなっていたので安心していたが、鳴き声や姿は確認できないものの畑の周りに野生化していた「タラノキ」の樹皮が食べられていた。こうした食害があると、形成層をやられ樹木が枯れてしまう危険性がある。

  今まで、柑橘類・桑の木・桜などがやられてきたが、やはりその結果は成長が遅くなるし、若い樹は見事に枯れてしまう。興味深いのは、タラノキやユズの樹は棘があるのに食べてしまうのが不思議だ。それほどに追い詰められているということなのかもしれない。また、芽が出てきた葉物野菜もきれいに食べられてしまう。個体数が増えてきて食べ物がないということなのだろうか。

               

 学者によっては、シカの上位にいた狼がいなくなったことが大きいので狼を復活すべきだと主張する人もいる。この対策としての妙案はなかなか見当たらない。せいぜい、網や柵を張ったりの弥縫策しか浮かばない。実際、柑橘類や枝垂れハナモモは網を張っているし、野菜も侵入しないよう柵をめぐらしたばかりだ。10年前には考えられないことだった。畑に柵をすることなんか景観が悪くなるばかりだ。ウィズコロナじゃないけど、経済効果と自然との共生の道を国家プロジェクトで根本策を示してもらいたいものだ。

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