山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

キュウリを初めて収穫したが

2021-06-30 21:21:53 | 農作業・野菜

 キュウリの2回目の整枝や誘引をする。さっそく天敵のウリハ虫もやってきている。無農薬なので毎年、ウドンコ病の猛攻も受けてきた。葉の様子を見ながらツルの誘引を続ける。すると、20本はある苗のうち2本だけだったが初めてのかわいいキュウリがなっていた。

             

 しかし、葉をよく見ると、黄色い斑点が出てきているのがわかった。「べと病」だ。梅雨が長引くと発生する。雨や散水で土中のカビ菌が葉の裏につき気孔から侵入する。ほおっておくと葉が褐色になりどんどん落葉し収穫にも影響していく。そこで、少しでも斑点があれば容赦なく葉を伐っていくしかない。

                

 ウドンコ病のときも容赦なく葉を落していった結果、収穫はそこそこ順調だった。初めて収穫したキュウリは生のままソーメンに入れ込む。もちろん柔らかくて新鮮だった。「今年もこの調子でお願いします」とお祈りして胃に収めたのだった。体調がいまいちの和宮様も「塩麹で漬けこむからどんとこいですわ」と胸を叩く。来週後半からの収穫が待ち遠しい。

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幼体はポップアート、成体は枯葉かぁー

2021-06-29 22:39:26 | 生き物

 畑のそばでカラフルなイモムシを発見する。黒地に黄色・赤・白の極めてポップな幼虫だった。似ている模様には「セスジスズメ」という蛾にはときどき会うが、大きさが小さい。調べてみると、「ヒメエグリバ / 姫抉翅」(ヤガ科)だった。幼虫の食草の「アオツヅラフジ」は畑の周囲にいっぱいある。

    

 捕捉しようとしたら丸まってしまって防御態勢に入ってしまった。歩く姿を見たかったがこちらも作業の途中で忙しいのだ。ちょくちょくあることながら全体像は撮れなかった。また、ズーム撮影だとピンボケも少なくない。そのため、ブログに掲載できなかった記事もじつはわんさとある。

               

 成体は枯葉模様だった(画像はweb「奈良市北部・高の原の昆虫」から)。幼体の華麗さとは打って変わって地味な枯葉忍法を選ぶとはただ者ではない。外縁がえぐれているリアルが造形作家みたいだ。しかし、リンゴやナシなどの果汁が好きなので農家からは指名手配の対象にもなっているお尋ね者。このアーティストとどう付き合っていくべきかが悩ましいところだ。(2014.6.26/2019.8.22.blg参照)

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ダイヤより希少種のピンクダイヤモンド?

2021-06-28 21:12:13 | 植物

 なかなか入手できなかった「ボタンクサギ」(シソ科)に蕾がつき、一週間後にはついに花が咲いた。残念ながら「ピンクダイヤモンド」という園芸種しか入手できなかった。ダイヤモンドより希少種の「ピンクダイヤモンド」というほど、花は鮮やかだ。紅色の蕾からピンクの花に移行する色合いは、「クサギ」の花と共通する。

       

 ボタンクサギの葉は暗い緑色で魅力を欠くが、園芸種の「斑入りボタンクサギ」の葉は病的な気がしてしわしわがないほうがいい。しかし、もともと「クサギ」は荒野や藪に先行的に進出する「パイオニア植物」なのだ。つまり、生命力が強いというわけだ。したがって、地下茎やこぼれ種でどんどん子孫を増やしていくらしい。

 さいわい、アゲハ類の大型蝶は大好きな植物のようなので、バタフライガーデンの大谷翔平のような存在になってもおかしくはない。蝶の呼び込みはこれにかかっているといっても過言ではない。ボタンクサギだらけのガーデンになればそれはそれでうれしい。それまで草刈りがまに合うかどうか、後期高齢者のオイラの体力にかかっている。

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裸地を急速に侵出した雑草軍団

2021-06-27 22:35:54 | バタフライガーデン

 茶樹を抜根した跡の大地は草1本も生えていない裸地(ラチ)だった。第2期の抜根が終わったのが3月中旬のことだった。しばらく雑草が生えなかったのに安心していたら、ここ梅雨に入るや急速に雑草が目立ち始めた。草取りをホイホイやっている間は牧歌的だったが、今は手で草取りするのが間に合わなくなる。そこで、やっときょうから草刈機を導入することになった。

                    

 2面全体の草刈りは時間的に難しいので、雑草に埋まっていた「ソシンローバイ」の周辺の雑草を駆除していく。とくに、「メヒシバ」は草刈機で駆除しても根っこはかなり深く土塊をつかんでいる。そこで登場するのは、「ツルハシ」だ。これでジャンジャン削るように駆除していくが、続けていくと腰が持たなくなる。適当に休みをとって水分補給も忘れない。

          

 抜根した茶樹をフェンス代わりに積み上げて、その上に引き抜いた雑草を乗せていく。そうすればいつの間にか乾燥してしまう。やっと始まったばかりだが、「ローバイ」や「タチアオイ」の苗がこれで活かされていけば、次のプランが実施できる。予定では、芽を出しているコスモス・ひまわりなどの背が高くなる植物を植えていく。牛歩の一歩をほんの少し刻印するのがじじいの存在価値なのだ、と自分に言い聞かせる。      

   

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常緑のマンサクが気にいった

2021-06-26 22:53:29 | 植物

 新春の「マンサク」は心をときめかす効果がある。それで、小さなマンサク2本を植えていたが1本はシカの食害で息絶え、もう1本は葉だけが食べられいまはなんとか養生中だ。画像は最近購入した3本目の「マンサク」だ。マンサクの黄色い花も最近は園芸種が多くなり、花の色もその大きさも多様になってきている。このマンサクはまだ、どんな花が咲くのかは確認していない。10mくらいの大木にもなるので場所はよく考えないといけない。

             

 「マンサク」は落葉してしまうが、「トキワマンサク」(マンサク科)は常緑だ。最近は生け垣でよく目にする。それほどに生命力が強く、なによりも常緑であるのが魅力だ。しかも、花も樹木全体で咲いているように見えるのがいい。緑の葉に白黄色の花が基本種だが、紅花もある。

             

 人気があるのは葉が赤く、花も紅花の「ベニバナトキワマンサク」だ。これも1年中カラーの葉をつけてくれるのが魅力だ。これら紅白の「トキワマンサク」をバタフライガーデン2面のシンボルツリーにしたいと考えている。トキワマンサクは中国から偶然に持ち込まれた外来種と思われていたが、1931年に伊勢神宮で自生種が発見され、その後、静岡湖西市・三重・熊本でわずかな自生種が発見されている。

    

 開花時期も長く通年で鑑賞に堪えるところや初心者でも栽培できるのが魅力だ(上の画像はGarden Visionから)。マンサクの黄色の花と共に、紅白の花の「トキワマンサク」の競演が来年の春には見られるかなー。

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円盤に乗ったアシダカさん!?

2021-06-25 22:05:49 | 生き物

 昨夜、和宮様が驚いた顔で天井を指さした。その方向を見るとお馴染みの「アシダカグモ」が張りついていた。しかしよく見るといつもと様子が違う。白い円盤状の物体の上に乗っかるようにしていたのだ。和宮様は小さな声で「赤ちゃんの卵を抱いているのではないかのう」と示唆する。

 初めて見る「卵のう」だった。メスが年2回産卵する。卵のうには300匹くらいの卵が入っているらしい。これが一気に孵化すると3mmくらいの幼体が一気に出てくる。そうなったらかなり気持ち悪い。しかも場所が台所だから余計だ。

                     

 この卵のうを抱えてメスは1ヵ月ほど移動する。孵化した幼体はいっせいに散らばっていくので心配ないらしいが、生き残るのは僅かだという。無精卵や失敗した卵のうはメスが食べてしまう。自己責任の強いアシダカさんだ。人間よりよっぽどしっかりしている。

 蜘蛛の寿命はふつう1年くらいだけど、アシダカさんのメスは6年くらいを生き延びる(オスは4年くらい)。おかげでゴキブリは少ない。きょうは天井ではなく畳に遊びに来た。まさか昨夜のママではないだろうな。「産まれました」との挨拶か。それにしても、CDくらいの図体はあまりに大き過ぎる。

 

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春菊を「ローマ」と呼ぶ地域

2021-06-24 22:54:04 | 野菜・果樹

 春菊が防獣用の網をはみ出して花まで咲かせていた。そろそろ春菊は撤収かもとは思っていたが、網の外 まで花が咲いてしまったので、あわてて撤収作業を行う。それにしても、花はなかなかきれいではないか。それもそのはず、原産地の地中海沿岸界隈では観賞用として栽培されていたらしい。

                  

 春菊はシルクロードにのって中国に伝わり、野菜用として改良され日本に伝わったようだ。欧州ではその香りや苦みが不評だったようで、インド・東南アジア・中国などの地域限定野菜となっていった。そこで、下関市の安岡地区では、この春菊のことを「ローマ」と呼んでいる。ピーンときましたね。

         

 平清盛が推進した日宋貿易で春菊の種が下関・長門国に初上陸し栽培が始まったという。その流れの中でこの地域だけは春菊を「ローマ」と呼んだ名残が残っていたというわけだ。栽培は西日本を中心にされてきたものが昭和20年代頃から関東に普及し始める。オイラの子どもの頃はあまり食べた記憶は少ないので、そんなゆるやかな流れは確かに納得できる。

 花はいくつかの花瓶などにすべて活けた。葉はこのところサラダにして生食をしている。この苦みが山菜らしい深みを演出している。最近は欧米でも食べるようになってきたという。

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ダイミョウセセリのオアシス

2021-06-23 23:16:59 | 生き物

  裏の畑にある紫陽花の色の変化を見に行ったら、くたびれた「ダイミョウセセリ」(セセリチョウ科)が止まっていた。向かって左側の翅の一部が欠損している。ダイミョウセセリはわが庭によく来る常連でもあり、縄張りを主張する「占有行動」をとる。そうした縄張りを守るのが疲れたのか、紫陽花にじっとしていた。

 元気だと縄張りに入ってくるなというような飛び方をするが、さすがに傷ついていたせいかおとなしい。非武装で懸命に防衛する姿をよく出会う。黒地の紋付もだいぶたそがれている。それ以上に、人間だって相変わらず縄張り争いに明け暮れている。ときに相手を殺傷してしまうほどだから、ダイミョウセセリなんかの行動は可愛いもんだ。

 いまが旬のアジサイにすがっている姿が絵になる。さすが、大名の誇りを忘れないお育ちというわけか。人間も学ばなければならない。

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東インド会社とグラジオラス

2021-06-22 23:21:01 | 植物

 和宮様の勅命が出された。「グラジオラスが倒れないようにせよ」とのことだった。毎年、風の勢いでグラジオラスの茎が折れたり倒れてしまうことがあったからだ。まずはその周りの雑草の草取りから始まる。周りには花の苗もあるので草刈機は使えない。手作業で一本一本抜いていくしかない。これだけで一日が終わってしまった。翌日になって支柱をめぐらしたが手持ちの支柱のほとんどを使いきってしまったので、「アカザ」の硬い茎も急遽代用とする。

                         

 グラジオラス(アヤメ科)の原産は南アフリカだった。18世紀半ば、東インド会社がヨーロッパに持ち込んで以来普及し改良がおこなわれる。いかにもヨーロッパ人が好きそうな花だ。それが次にドイツ経由でアメリカにも伝わり、19世紀末にはカリフォルニアがその生産の中心になっていく。

 日本には幕末に伝わり、「唐 菖蒲」とか「オランダあやめ」の名前で栽培されるが普及せず、明治にはいってからやっと出回っていく。グラジオラスが東インド会社とつながっているとは驚きだ。大航海時代と現代のグローバル化とは共通点も多いが、人間の欲と格差拡大だけはとどまることを知らない。そしてしばらく、勅命なので草取りと柵づくりは引き続き手を抜くことはできそうもない。これからボチボチ花が断続的に咲いていくことになる。 

 

 

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世界でごぼうの食文化を独自に発展させたわけ

2021-06-21 23:08:30 | 野菜・果樹

  ミニゴボウの葉が大きくなってきた。間引きをしていないので思い描く太さには至らないのは予想できたが。1mもある長根種はとてもできないので、短根種のミニゴボウを植えたのはまずは正解だった。

           

 掘り出してみると案の定、間引きをしなかったツケが根っこの細さに出ている。さて、ゴボウの根を多様に食べているのは世界の中で日本だけと言っても過言ではない。平安時代には食材として紹介されている文献もあるが、中国から薬用として伝わったとされる。しかし、いくつかの縄文遺跡からゴボウの種が発見されていることから、すでにそのころには食べられていたと考えられる。

                      

 なぜ日本人だけがゴボウを食材として発展させてきたかについては、平安時代ごろ、特別なハレの日に神饌の供物として奉納されていたことも大きい。また、以前から、ゴボウを山菜として日本原産のアザミの「モリアザミ」(山ごぼう)を食べていた食習慣もあったようだ。江戸時代に入ってからは普通食になり多様なレシピが展開され現在に至る。こうしたルーツは、縄文人の体験的な知恵があったのではないかと推測する。

           

 今日では韓国・台湾でも当たり前の食材であり、中国・欧米でも人気が高まりつつある。さっそく、和宮様の快心のごぼう料理をいただく。柔らかい。ゴボウの奥行きが噛むごとに脳髄を刺激する。畏れながらお代りをついつい要求してしまった。

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