山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

親子でアウトドア遊び

2018-10-31 20:36:53 | 市民活動・まち育て

 プレイパークもどきを楽しもうと幼児連れ親子10組ほどが春野町天竜川河畔のキャンプ場に集まる。昨日は風が強くてきょうの焚き火が心配だったが、終日穏やかな秋日和となった。親子とも伸び伸びしているのが絵になる。

     

             

 幼児連れだと準備や運営が大変だろうと、おじさん3人組が助っ人にかけつける。タカちゃんは得意の鮎釣りで釣り上げた鮎を持参、自前で改造したコンロで焼き始める。山猿さんは急遽燻製チーズを持参し、かまどを補強して焼き芋を焼き始める。オイラは(大人向けだけど)コーヒーをいれたり、シイタケ・菊芋を焼いたり、うどんを提供したりのばたばた。

                

 お母さん方は子どもと一緒にこねこねパンを巻きパンにして焼いたりして楽しむ。子どもたちも最初はおとなしく遊んでいたが後半は河原近くで遊びだす。さいわい、川の水量が少なく川までの距離があったのが安心。

                

 午後はお父さんも参加してツリークライミングを楽しむ。高い所に登った自信が次のバネになるに違いない。この10組ほどの多くが移住組で地元のメンバーが少ない。自前でイベントやったりそれに参加したりという回路がなかなか開通しない。それはいつものどこの分野でもの課題だ。決められている定例行事には参加するがそれ以外は自分の意思で参加することはなかなかない、というのはオイラもいつもぶちあたっている壁でもある。

 それを少しでも前進させたい若いママさんたちだが、がんばれば頑張るほど地元から遊離してしまうのが現実だ。そこに日本の直面している深層が横たわっている気がしてならない。それが見えないから若者は渋谷に集まってハロウィン騒ぎをするしかないんだろうな。幕末の志士はこの現状をどう総括するのだろうか、なんてことを考えさせられたうららかな秋だった。

   

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デザインは日本の伝統・マツダの「ユーノス」

2018-10-30 18:15:36 | 自動車・エンブレム

 しばらくどこのメーカーだかわからなかったエンブレムだったが、マツダの「ユーノス」であることがわかった。1989年製造販売し、並みいる強豪メーカーの隙間を狙って開発した快心の車だ。その結果、「ユーノス・ロードスター」は2000年、「世界で最も多く生産された二人乗り小型オープンスポーツカー」としてギネスに認定。車全体のデザインのモチーフは日本の伝統にこだわったという。そのせいか、エンブレムは十二単の襟部分を表現しているという。マツダの会社エンブレムMをもじったロゴとも受け取れる。

 ちなみに、ユーノス(Eunos)とは、Euがラテン語「喜び」、nosは英語のNumbers「集まり」を表す「喜びのコレクション」という造語らしい。

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ルッコラががんばっている

2018-10-29 20:35:59 | 野菜・果樹

 夏野菜の姿が一掃されたわが畑で食べられるものといえば、と問われると返答に窮する。ナス・トマト・キュウリの御三家がないと確かに華やかさに欠ける。しかしそれは差別ではないかと怒られそうだ。そうだ、イタリア野菜「ルッコラ(ロケット)」がしっかり伸びてきているではないか。このところ毎日のようにゴマ油・酢・醤油をドレッシングしてバリバリとサラダにして食べている。

               

 育ちがゆっくりだったが、「トウガラシ」の赤が畑のあちこちで目立つようになった。おかずにはできないが収穫した赤い実を乾燥機にかけている。それを粉にして一味唐辛子を作る予定だ。

         

 先月サツマイモを収穫してその茎を畝の脇に捨てていたらそこから芽を出している。このイモヅルも栄養があるらしいが。ひょっとしてまたサツマイモができないかと皮算用しているが、来月には霜でやられそうな気がする。菊芋や空芯菜もすぐに収穫できるのでなんとかおかずになりそうな野菜の心配はない。

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焼き芋ならぬ「菊芋」だよ

2018-10-28 19:41:18 | 食彩・山菜・きのこ

 畑で野生化しているキクイモの2mほどの茎を伐採して、キクイモの収穫をする。収穫より食べるまでの作業が手がかかる。以前、「相葉マナブ」という番組でやっていた菊芋焼を想いだし、七輪で焼いてみることにした。

  

 何もつけなくても甘さは感じるが、三つの味付けをしてみた。バター、塩胡椒、醤油・味醂での味付けだ。バターがさすがの味だがそれぞれ捨てがたい。ややかたい皮は剥いて食べればホクホクして焼き芋に肉薄する味だ。菊芋は農協直売所では売られていることもあるがスーパーでは市販されていない。健康食品として注目されているがやはり手間がかかる。菊芋と焼肉が夕飯となった。

   

 

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悔しいから落花生を収穫する!?

2018-10-27 19:57:32 | 農作業・野菜

 四方をぎっちり網で囲んであった秋採りトウモロコシのほとんどを食べられてしまった。たしかにこのところ毎日アナグマらしき痕跡が畑のあちこちにあったので、当局はアナグマが犯人だとほぼ断定した。そういえば、網の隙間の緩い箇所があったことはわかっていたが当局はつい平和ボケしていたわけだ。

 試験的に早めのトウモロコシをちょっぴり食べてはいたものの、和宮様に献上する前に完膚なきほどにやられた怒りは収まらない。

 

 そこで当局は、毎日被害はないかを点検していたアナグマの大好きな「落花生」を急遽収穫することに決定。予定では11月早々だったが、いつも収穫直前に被害にあうことしばしだった。こちらは防虫網で囲んだ上に石を重しにし、さらに「木タール」を撒いておいたためかまずは被害はなかった。

  

 それでも、この畝の周りはアナグマの監視地点であったのはトウモロコシと同じで、周りを掘り起こした痕跡がある。なんとか、数年ぶりで無事収穫にたどりついたのをよしとしてまずはホッとする。問題はこれを天日干しする作業がこれから連日続く。天気が頼りなのだが、最近の天気は人間様の言うことは効かなくなった。

  

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行き止まりになってしまった道

2018-10-26 22:01:43 | 出会い・近隣

 わが家に隣接する道路の奥がいつの間にか通れなくなった。以前なら、Uターンできて通行はできていたが、今年になって通る人がほとんどいなくなって道路を雑草が占拠してしまったからだ。隣の地所は地主が草刈機で刈っていたが、今では90歳に迫る高齢者となり草刈りが止まってしまった。そのぶん、わが家が境界の草刈りをやっている。ただし、道路までは手が届かないうえに奥は空き家になっている。

            

 いつも通路になっていたわが家の畑への道もなくなってしまった。ということは、いずれわが家の畑も同じようにむかしの風景に「もどる」可能性があるということだ。過疎地の現実がここでも目の前に出現したということでもある。

 髙村光太郎は「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる」と叫んだ。それを援用すれば、「オイラの後ろに道がなくなった」状態だね。

 

 「もともと地上には道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ」と魯迅は口をかみしめた。道は補修する努力をしないと元に戻るということだ。魯迅は「希望とは地上の道のようなものだ」と喝破した。希望は向うからはやってこないのだ。私的な精神論だけだと、光太郎のように戦時体制の先鋒に突き進んでいく。魯迅のように社会的な視野を忘れなければ希望を共有していくつながりが形成できる。

 そんなことを想いだしながら、まずは目の前の道路をきれいにしていく。

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自生のリンドウが元気

2018-10-25 18:54:36 | 植物

 ススキだらけの荒地で発見したリンドウが毎年花を着けている。陽がかげると花は閉じるが日中は全開だ。リンドウの根っこは漢方で苦い胃薬として有名だ。

 日光・二荒山(フタラサン)神社にはリンドウにまつわる伝説がある。行者が、山奥の雪の下のリンドウの根っ子を掘っているウサギを見て尋ねると、「主の病気を治すため」と言う。行者も同じくリンドウの根っ子を掘り取って病人に与えると全快したという。それ以来、薬として活用するようになったと、さ。

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民衆史を提起した色川史学

2018-10-24 19:14:35 | 読書

 大河ドラマに象徴される勝ち組主体の歴史観が席巻している日本史。そこに無名の民衆の命がけの歴史変革過程を丹念に発掘した色川大吉。彼の講演と小論文を集めた『民衆史・その100年』(講談社、1991.11.)を読み終える。オイラの髪の毛が邪魔でしょうがなかったころ色川大吉の『明治精神史』を読んだときがあり、山村の土蔵の文書からの発見や長老からの聞き取りなど、歴史の掘り起こし過程が斬新だったのを想いだす。      

      

 自由民権運動が活発な1880年代、憲法草案が各地域で作られたものの現存の史料が散逸。それを岩手や五日市で発見していった色川氏の興奮と苦難が伝わってくる。武蔵五日市と言えば、オイラがむかしキャンプを毎年のように行っていた山深い場所だ。そんな山村に自由民権の学習結社や蔵書数千~万冊を保有する土蔵・豪農の存在があったのだ。キャンプ当時にそれがわかっていたらと今思えば悔しい。

      

 その若き民権家・千葉卓三郎の波乱の人生、民権運動に関与した北村透谷の自殺の真相、むかしの暮しに自己完結している従来の民俗学への批判など、色川氏の精力的で汗がにじむ情熱・苦闘が伝わってくる。「西郷どん」で視聴率を上げるのではなく、地域の歴史に貢献していた埋もれたリーダーを登場させる大河ドラマは実行できるかなー、NHKよ。

 

   

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秋はススキ。

2018-10-23 20:30:06 | アート・文化

 畑の隣はススキの解放区。毎年勢力が拡大していく。草刈機でばんばん伐っていくがやはり根っ子から除去しないと少なくならない。とりあえず、土間に活け花として飾ってみる。あとから和宮様が野菊を添えてくださった。長く飾っているとススキの穂がふわふわ落ちてきて周りに溜まっていくからその前までが賞味期限だ。葉を枯れさせないためにはハンドクリームを塗るといいらしいが、そこまでやろうとは思わない。玄関を開けると秋があるのは「いとおかし」。

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餅投げの餅をいただく

2018-10-22 20:39:02 | 出会い・近隣

 都会にいたときは地元の祭礼はほとんど行ったことがなかった。子どものときはみんなと行ったものの貧困家庭に育ったので縁日で買うお金がなくてだんだんと遠のいていった。それ以来祭りとか正月とかはワクワクするところではなく傷心の場となった。そんなことからか、近くの祭礼が昨日あったがやはり脚が向かなかったのだ。

 そんなとき、隣の師匠から「きのう神社に来なかったでしょ。投げ餅の餅があるから取りにおいでよ」と声をかけてくれた。孫がいっぱい取ってきたと言う。ありがたくいただく。師匠からこれで二度目のお裾分けだった。餅投げのルーツは建築の上棟式のときの神事・幸せのお裾分け、ということらしい。合掌。餅の販売は農協だった。

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