夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

整いました! 駄洒落 ああ勘違い

2010-11-30 21:05:16 | うんちく・小ネタ

うさぎおいしかのやま

こぶなつりしかのかわ

日本人の一番好きな歌故郷の一節

これが、沼津市の子供たちはほとんどみんな

こぶなつりし狩野川だと思っている。

沼津市の中心を一級河川の狩野川が流れているから

あるタレント(彼女の名誉の為に名前は書きません)は、兎が美味しいのかと思っていたとテレビで発言していました。

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今日病院の前に開店した美容院に予約したら、こんなにオシャレなセニァカーになりました。

美容院の先生が、杖を入れる所に開店祝いのお花を活けて下さいました!

聞き間違い、覚え違いは楽しい。

ある奥様、ある日、「あの塾は、ワンツーマンで教えてくれるらしい」と、おっしゃる。

何度も、Гあそこの良い所は、ワンツーマンだから、子供が、良く理解できる」とおっしゃる!

『ひょっとして、マンツーマン?』と思いながらも、必死に笑いを堪えていた私。

1対1よりも子供1人に大人2人の方が子供が良く理解できるのかもしれない!

と言う私も、小学生の時、母校の愛鷹小学校校歌の、『昔を思えば、父祖の功(ふそのこう)』と言う一節を『昔を思えば嘘の様(ウソのよう)』と聞き間違えて覚え、何の疑いも持たないで、卒業式の練習で、印刷物を見るまで、六年間間違って大きな声で歌っていました!ウソじゃないと判った時の衝撃はかなりのものでした。これは、小学一年生には少し難し過ぎる歌詞だから仕方が無いですね。

卒業式には、六年生として正しく歌いましたので、ご安心下さい。

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秋は夕暮 清少納言 枕草子

2010-11-29 21:42:42 | 写真

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秋は夕暮。夕日のさして山のは いとちかうなりたるに、

からすのねどころへ行くとて、みつよつ、ふたつみつなどとびいそぐさへあはれなり。

まいて雁などのつらねたるが、いとちひさくみゆるはいとをかし。

日入りはてて、風の音むしのねなど、はたいふべきにあらず。

清少納言     枕草子

岩波書店  日本古典文學大系

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みつよつ、ふたつみつというところが写実を超えた世界とみられています。

随想とみるべき根拠の一つと言われています。

平安時代の美しい秋の夕暮れを想像して、何度も何度も読み返し、暗記しました。

私も見たものを簡潔に、表現してみたいと強く思いました。

岩波書店の日本古典文學大系は、国文学科では教科書です。

昭和47年1冊2100円もしました。

私が貸与されていた日本育英会の奨学金が月8000円でした。

母からの仕送りが、月3000円。

沼津と東京の東海道線の電車賃片道550円。

ハガキ5円。

昔何気なく私の本箱の古典大系を手にした知人に、Г書き込みがしてあるんだね」と言われたことがあります。

古典文學大系など、飾りものと思っていたみたいです。

昨年静岡県で、震度6の地震があり、崩れた本の下敷きになって、亡くなった方がいらっしゃいます。

本は私にとっては大切な宝物です。

けれど、私もかなり沢山の本を処分しました。

初めての慣れない東京生活で、色々なアルバイトをしまくって、手に入れた日本古典文學大系だけは別格です。


光る砂漠 矢沢宰の詩集を紹介します

2010-11-28 20:14:11 | 日記・エッセイ・コラム

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再会

誰もいない

校庭をめぐって

松の下にきたら

秋がひっそりと立っていた

私は黙って手をのばし

秋も黙って手をのばし

まばたきもせずに見つめ合った

矢沢宰詩集     光る砂漠より   18歳の時の作品

矢沢宰は14歳の11月3日から日記を一日も欠かさず書き続け、わずか21歳10か月の短い生涯を閉じました。

詩は14歳の10月ごろから書き始め、生涯に500篇残しています。

彼は7歳の時にはすでに腎結核に冒されていて、8歳の時に右腎臓を摘出。

彼の一生は、病気に苦しめられながらも、短い生涯の中で、詩と思索が満ち溢れた奇跡のような光を放っています。

彼の短い一生は、その詩によって、死後、時間と距離を超えて、タンポポの綿毛が風に吹かれて飛んで行くよりももっと広い土壌に、信頼と愛の種子を播きました。

       風が

あなたのふるさとの風が

橋にこしかけて

あなたのくる日を待っている


挨拶をしていますか?

2010-11-26 21:02:34 | 日記・エッセイ・コラム

挨拶という漢字は、てへんにム、矢、く、タと覚える。

中学校の国語の先生が、教えて下さいました。

読めるけれど、書けそうで、書けない挨拶という漢字。

わかっているけれど、出来そうで、出来ない挨拶。

Гお先に頂きました。」

今日11月26日は、いい風呂の日。

私の実家では、お風呂から出たら、必ず「お先に頂きました。次の方どうぞ。」と言っていました。(もっとも私はたいてい終い風呂でしたけれど)

もちろん我が家もです。独立した息子達も引き継いでいるみたいです。

さて次は「行ってらっしゃい」

二十年程前に、この地に引っ越して来ました。

私は三十代後半。

結婚以来十数年、毎朝夫の車が見えなくなるまで玄関ではなくて、道路脇まで出て見送っていました。

ある日、私のお見送りが、ご近所の評判になっているのを、お向かいの奥さんから聞いて、びっくりしました。

『何か特別の日ではないのに、毎朝御丁寧なこと』という感じでした。

そうなのです。

私は、いつも、これが、最後の別れと思って、挨拶しているのです。

私の父は、私が13歳の時、朝元気に出掛けて行って、昼過ぎに脳出血で倒れ、その夜には亡くなってしまいました。46歳の若さでした。

私達家族は、看病や、介護はもちろんお別れの挨拶も出来ませんでした。

朝いつものように、Г行ってらっしゃい」と挨拶を交わしたのが、父との最後の別れの会話なのです。

今私は、自分自身が、病気のため、いつもこれで今生の別れかもしれないと思って、挨拶をしています。

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今日の富士山

笠雲の上に大きな笠雲

二重の笠雲は珍しい!