tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

休日・休暇は、人間生活の「彩り」

2024年05月06日 15時16分42秒 | 経済

今日は月曜日ですが、振替え休日で今年のゴールデンウィークの最後の休日です。

もう長い間毎日が日曜日で、べたに休日・休暇の人生ですが、子供や孫が、孫やひ孫を連れて遊びに来ると、途端に家の中が大騒ぎの賑やかさになります。

こうして身内が集まると、嘗て現役時代に子供を連れて親のところに遊びに行ったときの記憶などもよみがえり、やっぱりこうした休日は、平凡な日常が忽ちお祭り気分になって些か草臥れるけれどおも、休日・休暇はいいもだといった感じになってきます。

日本経済が元気で、日本がアメリカに次いで世界第二の経済大国になったころ、外国からのやっかみか、日本特有の自虐的な発言か解りませんが「日本人は、ウサギ小屋に住む働き中毒だ」などという言い方がはやりました。

確かに地価の高騰で日本人の家は小さく狭く、外国の友人が来て、もう少し大きな家にした方がいいんじゃないかなどと言うから、そういう時は家の値段を言ってやるとビックリして、お前は金持ちだということになるんだ、などと友人が言っていたのを思い出します。

話が逸れましたが、やっぱり日本人は、働くことを苦にしない(働き中毒?)、どちらかというと仕事を楽しむという意識が強く、キリスト教世界の「労働は原罪にたいする罰」という意識とは違っている様で、標記の休日・休暇についての認識も違うといえそうです。

それでは日本人は仕事ばっかりだったのかと言いますとそうではなく、日本では古来祭りが盛んでした。日本は四季の変化がはっきりしていて、生活の基盤となる労働(昔は農業が主体)は、季節の変化に従うもので、その季節を示す山河の自然の中にはあらゆる所に神様が住んでいるのですから、春夏秋冬祭りの種は尽きません。

今に至る日本中に多様な祭りが残り、観光資源として大きな役割を果していますが、祭りは神(自然)に感謝する気持ちを表し、自然に返礼をするという「非日常」の儀式の日々です。生きるために働くという日常との中にそうした時を季節ごとに持つのです。そうした行事を生活の中の「彩り」として年々繰り返すことは人の心、気持ち、精神のリフレッシュという人間生活のバランスの維持回復に大きく役立っていたと思われます。

多くの祭りの中には上下の差別のない無礼講や、倫理や道徳から多少逸脱しても人間の本性の発露を認めるといったいろいろな要素が組み込まれているのです。

非日常の「祭り」を持つ事によって、改めて労働の日常に孜々として取り組む心のバランスが回復されるといった人間生活の知恵がそこにはあるようです。

日本人は欧米人の様に夏季に4週間の有給休暇を活用してリゾートに行って読書や海水浴や散歩などでのんびりと過ごすのではなく、一週間程度に分割した有給休暇を取って、観光地で忙しく見学をして回っているが、あれでは却って疲れに行くようなものだなどと言う見方もあるようです。

休日・休暇にいかなる価値を期待し、それをどう実現するかは大きくは伝統文化の違い、更にさらに個人個人の価値観の違いによるでしょう。しかしそれらは労働という日常から逃れる非日常の希求という意味では多分共通なのでしょう。

人生の中の長い時間を占める労働という日常に織り込む「非日常」というのが休日・休暇の意義とすれば、その意義に労働からの脱出を求めるか、労働と異なる自発的活動に求めるか、その在り方は、労働に対する認識の相違から来る違いはあっても、人間生活の中の彩りを増やし、心のバランスの確保を齎すという意味で大変大事な時間ではないかと感じるところです。