ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

祝!ご成婚30周年 雅子様語録56

2023-10-19 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2008年5月3日 御料牧場へ

いつもの静養、いつもの場所ではありますが、愛子様は少しも笑顔を見せませんでした。

せっかく皇居からわざわざ馬を運んで馬車にして遊んだというのに。

実は入学早々、愛子様は学校生活に適応できなくて欠席を繰り返していたのです。

勿論、幼稚園もしょっちゅうお休みしていた愛子様なのですが、初等科では、より「やらなければならないこと」のレベルが増えて、それに適応出来なかったのですね。

 2008年5月11日 「粟の種まき」手伝いで参内

本来なら愛子様は学習院ではなく、療育を専門とした学校へ行くべきでしたが、雅子様のプライドがそれを許さず、むしろ学習院を「愛子様仕様」にして、何とか秘密を守ろうとしたのです。

 

 2008年5月16日 東京大学総合研究博物館特別展示「鳥のビオソフィアー山階コレクションへのいざない」

モノトーン素敵」

久しぶりの「公務」もどきでも、雅子様は少しも集中できないし、そもそも鳥に興味もありませんでし。

回りが見ても「失礼な態度」と言われる程気のない表情をなさっていました。

今の雅子様の心の中は、いかにして愛子様を「普通の子」に見せるかということで一杯だったのです。

私の子供なんだから優秀でないといけない」

「私の子供なんだから回りに尊敬されないといけない

そういう思い込みは、かつて小和田の父君が雅子様に強く要求し、そのプレッシャーで雅子さまは必死に父君の理想の為にしたくない勉強をして頑張った日々を思い出します。

結果的に同じことを我が子にしている・・・という事に気づかないのが雅子さまでした。

 

 2008年5月19日 学習院初等科遠足で葛西臨海公園へ

 2008年5月28日 来日中のウイレム・アレキサンダー皇太子と私的な昼食

 2008年6月8日 メキシコ大使館へ

とにもかくにも雅子様は気まぐれで、自分の要求が通らないとすぐに癇癪を起こします。

だから嫌だと言う事には触れないのがいい・・・というのが宮内庁の見解でした。

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祝!成婚30周年 雅子さま語録55

2023-10-14 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2008年3月6日 学習院幼稚園遠足

今の雅子さまにとって生きがいは「食べること」と「愛子様のつきそい」でした。

食べる事に関しては、夢に見ていた「食べたいものを食べたいだけ食べられる環境」これが一番の幸せでした。

さすがの雅子さまも独身の頃は財布と相談しながら外食していたものです。

でももはや、3つ星レストランだろうが、高級な中華だろうが食べたい放題。しかも時間g限られているわけではないから、ゆっくりと好きなだけ時間をかけられるという幸せです。

皇太子様は全くご注意なさいませんでしたし、東宮侍従達も両陛下だって今や雅子様に対しては腫れ物に触るような扱いですから、好き勝手出来ました。

食べる・・・というのは一瞬のストレス解消でしかないのですが

庶民が食べられないものを食べる」というのがステイタスなのです。

フランスのマスコミは、ついに雅子さまについて「食欲妃」というあだ名をつけてしまいました。ちょうどこの頃はスペインへ同行するかもしれず、ヨーロッパのマスコミも関心を持っていたのです。

外国から見た雅子様は「いつも高級レストランに行って長時間食べている」という事で、実に的を得たものだったのですが、雅子様はフランス語は読めませんし、誰もそんな情報は教えませんから、知らないままでした。

 

また愛子様の事は、大きくなればなるほど、実態が世の中に出てしまう恐れがあるのです。こればかりは死ぬまで秘密にしておかなくてはなりません。

その為には積極的にはりついて、マスコミや回りに何も言わせない事が大事だったのです。

 

 2008年3月14日 東宮大夫が3月11日、12日、14日に雅子妃と愛子内親王が電車で帰った事を報告

3日間の「電車で帰宅」もわざわざ庶民の真似をして喜ぶ、中世の貴族のような行いで、皇宮警察もはらはらしながら警護していたのです。

だけど、電車で帰宅は雅子さまにとっては懐かしい事ですし、Suicaをタッチするのが楽しくてしょうがない。

愛子様自身は全く興味はない様子なのですが、雅子様は大はしゃぎで改札を通っていくのです。

その様子は何とも言えず、違和感がある光景でした。

 2008年4月15日 学習院幼稚園卒園式

そしてついに、愛子様が学習院幼稚園を卒園されました。

その日もやっぱり愛子様は無表情で、楽しいも何も感情そのものが見えなかったのですが。代わりに皇太子様と雅子様が笑ってごまかすしかなかったのですが。

卒園と同時に園長の小山久子氏が東宮女官として愛子様付になりました。

どうしても断り切れなかったのです。

元園長を女官に引き入れた事で秘密保持は出来ると思った雅子様はずっと上機嫌でした。

 

 2008年3月21日 青山のイタリアン「セラン」でママ友とランチ

ママ友とランチも機嫌よくおでかけになりました。

その一方で、学習院初等科への締め付けも強化していきます。

愛子様の教室には鍵をかける。

・ICチップ付の身分証を携帯させる

・愛子内親王の担当教員以外は教室の中を見る事を禁止する

・愛子内親王に10人ものSPをつける

 

よもやそこまで要求されると思っていなかった学習院側は慌てました。

今まで沢山の皇族を受け入れて来たのですが、一度もこんな要求をした人はいなかったからです。

担任ですら、最初に決まっていた人を飛ばして、違う教官に変えてしまったのです。

さらにすごいのは、初等科に「貴賓室」が出来た事です。

この部屋は雅子様がいつでも訪問出来て、何をして過ごしても文句を言われないという部屋です。

なぜそこまで・・・・とは思っても、誰も「それは間違っている」という人はいません。

雅子様は初等科に自分の部屋が出来た事が嬉しくてしょうがありませんでした。

雅子様にとって「教室」というのは唯一自己表現できる場であるという思いだけはいつまでも頭の中に残っています。

つまり「生徒」「学生」であった頃の達成感や過去の栄光にすがりついているだけなのです。

 

 2008年3月26日 皇居で昼食会

 2008年3月29日 奥志賀スキー

毎年の奥志賀スキーもまた行われましたが、ホテルは以下のような張り紙を出したのです。

とにかく愛子様の実態を知られない為に、車を覗くな、部屋を探るなということなのでしょう。

皇太子殿下ご来訪による規制
本日は当ホテルをご利用いただき誠に有難うございます。
大変申し訳ございませんが、皇太子殿下ご家族が下記の日程でご来訪するにあたって規制がしかれます。ご協力をお願い申し上げます。
        記
3/29(土)ご来訪 時間 15時から15時30分
規制内容 通過中は部屋のカーテン及び窓を閉める。
        見学は当ホテル駐車場または、県警で指定した場所。
        車は頭を道路側に向けて駐車。また、出入の規制有り。
4/2(水) ご規制 時間 <黒く塗りつぶし>
規制内容 同上

もはや誰もが雅子様のいいなりでした。

皇太子様はすっかり諦めてしまわれ、好きなようにすればよいというお考えでした。

 2008年4月1日 3月31日付で学習院幼稚園園長を退職し東宮女官となった小山久子

ちょうどその頃。月刊「WILL」に西尾幹二による「皇太子様に敢えて御忠言申し上げます」という論文が掲載されました。

これははっきりと皇太子様に対する批判をぶつけた文章でした。

皇室というのは伝統がもっとも大事である。また皇室は国民と同じ船にのる船人であるのに、なぜ雅子様だけを大事にし、人格否定発言までされたのかという内容です。

最終的には「廃太子」という言葉も飛び出す程の衝撃で迎えられ、この後、いわゆる「皇太子様への批判」はつよくなる一方でした。

皇太子様もかなり悩まれ時々「どうしたらいいんだろう」と呟く事がありました。

一般的に気に入らない、生活が合わないなら離婚という手があります。

しかし、皇太子様にはどうしても小和田家の父君の助けが必要でした。

そもそも小和田家のせいでこんな風に批判される側になったのに・・・今は減っていく公務をどうしたらいいか、存在感が薄れていく一方の自分をどうしたらいいか考えあぐねてしまって。

可愛い愛子様の為にどうでも我慢しなくてはいけないのかと。

生まれてから批判された事などありません。常に「皇太子様は品行方正で平等でいい人」の筈。

それが「妻に引っ張られる夫」に成り下がってしまった。

皇室の伝統も重要な祭祀も全て無視する雅子様。

別れるのだったらそれ相応のものを頂くわ」と笑って言い切るすごみ。

こんな事、国民に知られたら「どうしてあの時、6年間も執着して結婚したんだ」と責められそうで。皇太子様はそれが嫌だったのです。

ただ、平和でそして紀子妃よりもちょっと美人で学歴が上の女性を望んだだけだったのに。

 

 2008年4月10日 学習院初等科入学式

いよいよ、愛子内親王は小学生になりました。

これから先の修羅の道を皇太子様はまだ知らないのでした。

 

 

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録54

2023-10-05 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2008年1月1日 天皇一家

いつものように年が明けました。

天皇家の元旦は大変です。

陛下は四方拝という夜中からの神事を執り行い、さらに賢所で歳旦祭に臨まれます。それが終わる頃には夜が明け、澄み渡った空気の中で国の安寧を祈るのです。

それから侍従達から祝賀を受け、「晴の御前」に箸を立てます。

皇室のおせち料理というのは非常に質素で、一般的に何も具が入らない関西風のお雑煮や、花びら餅などがあげられます。

朝から皇族方や政府関係者各国の大使館などから祝賀を受け、終了するのは午後2時半。

その間ずっと立ちっぱなしなので、相当な負担が強いられます。

それは皇太子夫妻や秋篠宮夫妻なども同様で、陛下に習うしきたりです。

でも、雅子様はとりあえずティアラドレスで参内し、一人で帰って来るのが常でした。

お帰りなさいませ。ご両親様と池田様がお待ちです」と女官に言われたので、とりあえずドレスのままダイニングへ行くと、小和田夫妻と池田礼子夫妻とその子供達が待っていた。

お帰り。さあ、皇太子妃殿下のお帰りよ」と母君は嬉しそうに言って、ほれぼれとそのドレス姿を眺めました。

あけましておめでとう。すぐ着替えるから待って

雅子様はそうおっしゃると、すぐに着替えに自室に入り、眠っていた愛子様は起こされ、着替えをさせられてダイニングのおじい様達に挨拶をされました。

池田家の子供達は、すでにおせち料理に手を付けていましたし、愛子様も挨拶する前に食べ物に目が行っていました。

一見すれば、どこにでもある元旦の光景かもしれません。

しかし、ここは東宮御所です。

皇太子家に限らず、秋篠宮家、他の宮家もそうですが、元旦は新年の祝賀を述べる客が多く、忙しいのです。2日は一般参賀があり、他にも色々行事が詰め込まれているので、お妃の実家が宮家を訪問するのは、7日を過ぎてからと決まっていました。

しかし、小和田家と池田家は元旦の朝から東宮御所にいたのです。

これは何も今に始まった事ではありません。

雅子様が体調を崩された時からずっと続いて来たことです。

大膳課が用意したおせち料理は来客用ですが、それを小和田家と池田家がほぼ食い尽くしてしまうので、毎年の正月、大膳課はめちゃくちゃ忙しいのでした。

やがて皇太子殿下も帰宅されたので、みなで乾杯し、楽しい正月が始まりました。

愛子ちゃんも小学生ね。おばあちゃまがランドセルを買ってあげましょう

ありがたいお話ですが、それは」と断ろうとした皇太子の袖を引っ張り、雅子様は「言わせておきなさいよ。どうせ買わないから」と言いました。

小和田夫妻は投資などで財をなしているわりには、身内にはお金を使わない一家でした。むしろ、どちらかというと、何もかも東宮頼みではあります。

静養に同行すれば宿泊費や交通費や食費も出して貰えるし、一家で高級レストランに行けばそれも全部東宮持ちです。いわば、国民の税金を使って小和田家や池田家は食事をしたり旅行をしているといっても過言ではないのです。

それでも、小和田の父君は公務員のせいか、「税金から」という意識はありません。

娘が親に尽くして何が悪いという感じです。

そのおこぼれに預かる妹一家も、陰で色々妃殿下を助けているのだからと自負していますし、「准皇族」という意識もあります。

 

今頃、両陛下は皇居でずっと立ちっぱなしで祝賀を受けている頃、夕方には愛子内親王を連れて参内しなくてはなりませんが、それまでの間はずっと小和田家の娘でいられるのでした。

 

去年から雅子様の高級レストラン通いは宮内庁の中でもマスコミの中でも問題になりつつありました。

予測できない行動が多い雅子様のせいで、レストラン側は予期せぬ残業を強いられたり、客をを断らなくてはならない。何よりも、その資金が全て税金という事が問題でした。

しかし、「好きな事する」のが治療なのだと信じて疑わない雅子様は好き勝手な行動を改めようとしませんでしたし、皇太子様も何も言いませんでした。

とにかく機嫌よく過ごしてくれればそれでいいのだと。

 

 2008年1月15日 皇居で食事会

 

 2008年1月25日 長野県行啓

長野国体開会式

そうは言っても、何とか公務をしてほしい東宮職としては、ほぼ無理やり、長野県での「冬季国体開会式」への出席を取り付けました。

雅子様はスキーなどで何度も長野県を訪れていますので、その点に関しては問題がなかったのですが。

1月25日、長野に到着した皇太子夫妻は早速小布施市を視察。

長野県の人達は、雅子様のあまりにもラフな格好に少し驚きましたが「これもご病気だから」と受け入れました。

翌日は開会式に出席したものの、雅子様は行進にすぐ飽きてしまい、隣の皇太子様とひそひそおしゃべりばかりしており、それがまたテレビを通して全国に報道されるといった有様。

「仲がよろしい」と好意的に報道されるものの、頑張ろうとしている選手達が気の毒ではありました。

さらに、予定されていたスケート競技を雅子様はドタキャンしました。

寒いし、眠いし、お腹がすいたし、これ以上は我慢が出来なくなったのです。

行かないったら行かない」とホテルの部屋に鍵をかけ、皇太子様まで追い出してこもる雅子様を侍医ですら説得できず。結局のところはドタキャンを認めてしまいました。

 

 2008年2月13日 羽毛田長官が苦言 

宮内庁に激震が走ったのは2月13日のことでした。

この日は羽毛田宮内庁長官の定例記者会見があり、マスコミからの「雅子様の病状

」やドタキャン、レストラン通い等について両陛下はどう思われているのかと矢継ぎ早の質問が飛んだのですが、長官はそれに答えず次のようには発言しました。

天皇陛下の一昨年のお誕生日の記者会見で、愛子さまと会う機会が少ないことは残念だというご発言があり、皇太子殿下はそれを受けて、昨年の会見でこれからも両陛下にお会いする機会をつくっていきたいと思うとお述べになった。
 しかし、昨年一年を見る限りは、ご参内の回数は増えていない。両陛下も心配しておられると思う。殿下ご自身が記者会見でご発言になったことなので、大切になさっていただければと思う
 天皇陛下が皇太子であられた時代には、当時の両陛下がご在京で両殿下もご在京の場合、できる限りご一家で毎週一回、ご参内になるのを定例になさっておられた。
 (現在は)陛下がお招きになられる場合や、行事に伴ってご参内される場合を別にすると、殿下のご発意によりご一家でご参内になられるのは年に二、三回という程度にとどまっている。
 ――長官の意見か。
 私自身の気持ちとして申し上げているが、回数もさることながら、やはり会見でそういうふうにおっしゃっていただいているので。私だって「私がこういうふうにする」と言えば、できるだけそうなるようにする。そのことをちょっと申し上げた。まもなくご誕生日の会見も来るので。
 ――両陛下の気持ちは。
 (参内が増えず)どうしたんだろうということでのご心配はなさっておられる。これは間違いないだろうと思います。」

これはすぐに全国に報道され、マスコミが食いつきました。

要は、「愛子に会えない」発言し天皇陛下はなさったあとも、全然皇太子殿下は愛子様を連れて参内しないではないかという苦言です。

ご自分がした約束は果たして欲しい・・・これは非常に重くきつい言葉でした。

これに怒ったのは雅子様でした。

羽毛田の奴、何様なのよ。参内が増えていない?何度も連れて行ったじゃない

皇太子様も今回ばかりは雅子さまと同じ考えでした。

羽毛田は陛下を利用して自分のいいたい事を言ってるだけだ

じゃあ、しかえしすればいいじゃない。何よ。愛子に会えないなんてわざとらしく。正月と誕生日に会えれば十分じゃないの。毎週とか毎月とか、そんなの一般ではありえないわ。もういや。舅って何でこうもうるさいの

うっとうしいな。本当に。出来るだけ愛子を連れて行ってるのに」

そうやって自分の言う事をきかせようって魂胆じゃないの?」

そうかな」

そうに決まってるわよ。そうはいかないんだから

雅子様は怒りのあまり、そこらじゅうのガラス製品を粉々にしてしまいました。

一部が飛んで皇太子様の手を傷つけてしまいましたが、そんなの平気です。

「愛子は私の子よ。あんな年寄に取られてたまるもんですか!」

そんな大騒ぎの時、侍従が入って来て、この惨状を目にし、「こ・・皇太子殿下、お怪我を。すぐに治療を」と叫びました。

うん」皇太子様は、雅子様のように怒ってもすぐに収まり、気弱な部分を見せました。

侍医を呼んで。それと大野先生も」と侍従がいい、女官が走っていきました。

殿下。治療が終わりましたら陛下にご連絡を。そのような要請がありました

「え?陛下から」

「はい。何でも参内せよと」

もうすぐ殿下のお誕生日ですし、その日は参内するのに。なぜ今頃・・・

 

 2008年2月15日 皇太子殿下参内

結局翌々日には、皇太子様が一人で参内し、両陛下に会われました。

陛下としては、内親王の行く末が心配でならなかったのです。

このまま学習院に進ませていいのだろうか、本当にこのままでいいのか?

何事も国民に隠さない精神でいらっしゃる陛下は、ご自分の健康状態も隠さずに表してこられました。

しかし、東宮家のやる事は、事実を否定して虚を進めるといったもの。いわば嘘つきです。

皇后陛下はそれがいいのなら・・・と思っていらっしゃるようですが、陛下はこと、悠仁親王が生まれた事だし、愛子内親王の事実を公表し、適切な療育を受ける必要があるのではないかと思われたのです。

しかし、皇太子殿下は終始不機嫌な表情で、「プライベートな事ですし、雅子が悲しみますので、あまりおっしゃらないでください」と。

しかし、このままでは」

愛子は優秀なんです。普通の子より優秀です。それは変わらないんです。それの何がいけないのですか?」と逆にくってかかる始末。

本当にそんな事を思っているのか

思っています。愛子の教育は雅子に任せています。今のところ、それに間違いはありません。私達は幸せにやっていますので、これ以上の干渉はおやめに

陛下は体中の力が抜けていくような気がしました。

何という事を・・・すっかり取り込まれてしまったのではないか。

もう天皇と皇太子の間の溝は広くなりすぎてしまったようでした。

 

 2008年2月23日 皇太子誕生日

誕生日を前にして記者会見に臨まれた皇太子殿下は、件の問題について、次のように発言されました。

 

「両陛下の愛子に対するお心配りは,本当に常に有り難く感謝を申し上げております。

御所に参内する頻度についてもできる限り心掛けてまいりたいと思っております。

家族のプライベートな事柄ですので,これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います。

 

今もお話しましたように,これは本当に家族の内の事柄ですので,こういった場所での発言は差し控えたいというふうに私は思っております。

まさに取り付く島がないといった風情でした。

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もはや理解不能・・・ジャニーズも宝塚も皇室も

2023-10-04 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 理解不能で常識はずれな事がまかり通ってしまう裏側には、情報を受けた側の「思い込み」もかなりあるんじゃないかと思います。

きちんと情報を精査し、理解せず思い込みで記者会見などで質問する記者。

ゆえに「若い子を育てる=ジャニー喜多川を想起させる」なんてとんでもない事を言い出すんですよね。望月何とか見たいに執拗に「東山さん自身のセクハラは!」というのは、もう「東山は性加害者」と断定しての意見です。

そして今のマスコミの流れとして、少しでもジャニーズ側を庇うと「おかしなこと言って。ふぶきさんのような勘違いしている人は許せない」とか言い出すのです。

まず、一息ついて冷静に考えましょう。

先日、藤島ジュリー景子の手紙にもありましたけど、「メリーは従順な人には優しいけど、違う意見を言うと怒り出して潰してやる」という人で、ジュリー氏は過呼吸になりパニック障害になったと・・・・ああ、やっぱりなと思いました。

私、本当にそっくりな人を知っていて1年一緒に仕事したけど、彼女は猫なで声と怒りの爆発が瞬間的にやってくるので、回りはみんな怯えて思考停止になるんです。

反発したら退職に追い込まれました。つまり「ジャニーズの闇」の本当の加害者は、メリー喜多川だったのではないかとすら思います。

マスコミはそんな爆発するメリーに怯えて忖度するしかなかった。

理屈をこねまわして物を投げつける・・・非常識なのになぜ許されるのか、外側の人には理解できないでしょうけど、中にいた人はわかる。

なだめる為にはいう事を聞くしかないのだと。

それを一番よく知っているのは実は黒柳徹子ではないでしょうか?

自称「マッチの母」ですし、ジャニーズとはそれこそ長い付き合い。

彼女が知っていながら黙っていた事は責められないんでしょう?だって大物だから。

それに比べたら東山も井ノ原も赤子の手をひねるのと同じです。

毎日、あっちこっちのテレビ局を走り回ってる。相当なお金が手に入ったでしょう。

自分の子供を思うなら、過去は全て振り捨てて思い出すべきじゃなかったね。

諸悪の根源がいないのだし、後輩の活躍を阻害するような結果に至って悲しいとは思わないのかと。全て横並びの企業スポンサー達の態度に「ざまあみろ」とでも思ってるのかな。

で、当事者の会。この悪人顔の片割れさんが「誹謗中傷された」と訴えを起こしましたね。果たして本当に誹謗中傷だったのでしょうか。

お金が絡んでいるから出てきているのだろうと思うし、どれだけ搾り取れるか。

その基準がないのが問題ではないですか。

一言でいう「性加害」というけど、ジャニー氏の「小児性愛」は病気の類にあたり、本来ならパイプカットして行動制限させなきゃいけない類のものですが、昭和の頃に、そんな価値観すらなかったわけで。

なのに、その価値観がなかった事を責められてもどうしようもないのではないか!

たった一人の姪であり娘であるジュリー氏すらも傷つけて終わったのだから、これ以上は何もしない欲しいと思う。

さて、もう一つ理解不能なことが。

いわゆる宙組の娘役が自殺した事件です。

今回、彼女が出演する筈だったのは、「パガド」でこれは芹香斗亜のお披露目大劇場公演でした。彼女は初日から休演し、初日の次の日に自殺したと。

そえによって、宙組は8日まで休演。もしかするとずっと休みかもしれない。

この余波は花組にも波及して

東京の花組が3日に休演。

ネットでしか見てないけど、日曜日に星風まどかが泣きながら芝居をしていたらしい。

宙組は彼女の古巣であり、自殺した娘役を可愛がっていたとも。

また花組には同期もいるし、あらゆる事で心身の状態がよくない・・という事らしいです。

ネットでは、すでに月組移動が決まっている天彩峰里への批判が止まらず、文春の記事を鵜呑みにしている人が多いことがよくわかります。

でもいじめとされた事は「ヘアアイロン」の一つだけ。額に傷が残ってるの残ってないのと写真で色々言われていますが、なぜ今、自殺だったのかは誰もわかりません。

なのに、その一点だけをとらえて「虐めた」と決めつけているんですよね。

でも、そういう事ってどうしようもないので、跳ね返すしかないんですよ。

可哀想だけど死んではいけなかったのです。

だけどね。そういう事があって心が揺れ動いたから休演するっていうのもどうかと思うんです。

神田沙也加が亡くなった後も、すぐに朝夏まなとが代役がたって続演しましたよね。

猿之助が自殺未遂しても、すぐに代役が立てられた。

商業演劇というのは、そうであらねばならないんです。

なぜかって、プロだし、お客様からお金を貰っているのだから。

返金するからいい・・・という問題ではないんですよ。何度でも同じ公演を見る事が出来る人なんて一握りなんだもの。

そして、理解不能なのは皇室でも。

天皇皇后は、すでに「侍従の代拝」で終わっている筈のインドネシア訪問に対する武蔵野陵への参拝を行いました。

女性週刊誌に「お礼参り」と書かれていて笑ってしまったんですけど。

暇だったのか、やばいと思ったのか、それはわかりませんが、いきなり陵を参拝したわぇですね。

そして先日。

これまた急に一家で日本赤十字社を訪れて、関東大震災から100年の展示を見て、何と供花したんです。

天皇って皇太子時代から赤十字とは深い仲ではなかった?今頃?

時間は午後5時半。

この日は休館日だったにも関わらず、赤じゅうたんひいてお出迎えさせ、夕暮れ時におでましですよ。

皇后と愛子内親王はまるでお揃いの喪服を着ているようです。

実際は皇后のインナーは紺なんでしすけど、遠目には喪服にしか見えない。

パールのネックレスにパールのイヤリングですから。

しかも、絶対にマスクを外さないという・・・・

関東大震災が起こった日は9月1日。もう10月2日なんですけど急に興味を持ったんですかね。

いきなり3人で供花ですから。もはや理解不能、違和感しか感じない。

ドタ出?なぜ休館日、なぜ夜?なぜ喪服?ですよね。

しかも愛子内親王にとってはこれが初供花。

もうすぐ22歳。今まで何をして来たんだか。早く一人で伊勢へ行きなさいって。

季節外れに季節外れの事をするのが天皇一家流なんでしょうかね。

 

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現役ジェンヌが死亡

2023-10-02 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 

 週刊文春記事

 

突然の報に驚いてしまったというか、「は?」っていうか、何が何だかわからない状態ですけど。

先に大劇場公演宙組の「パガド」が初日から休演ということで、「コロナかな」と思いました。

ところが、翌日の1日に新聞報道が出たわけですね。

「兵庫県宝塚市のマンション敷地内で9月30日、宝塚歌劇団(宝塚市)に所属する俳優の女性(25)が死亡していたことが1日、捜査関係者などへの取材で分かった。兵庫県警によると、現場に争った形跡がないことなどから、自殺の可能性があるとみて調べている。

また宝塚歌劇団の木場健之理事長は1日、宝塚バウホール(宝塚市)で開催された「宝塚舞踊会」の開幕前、観客に向けて「劇団員の死に関する報道があった。謹んで哀悼の意を申し上げる」とあいさつしたという。

県警によると、女性は宝塚市湯本町のマンション敷地内の花壇に倒れており、近隣住民が9月30日午前7時ごろに110番。マンション最上階の18階に女性のかばんが見つかった。

宝塚歌劇団は「複数の出演者の体調不良が判明し、公演実施が困難」として、1日の宝塚大劇場での宙組公演「PAGAD(パガド)」「Sky Fantasy!」を中止していた。2日は休演日で、3日以降については改めて発表するとしている」

 宙組の休演は訃報を受けた後

 理事長の哀悼の意は新聞報道を受けたあと。

 

そしてHPには、新聞報道がなされてから。

 

昨日、宝塚歌劇団員の死亡に関する報道がございました。
謹んで心より哀悼の意を表します。
また、ファンの皆様ならびに関係者の皆様にご心配をおかけしておりますこと、深くお詫び申し上げます。

ご親族の心情に配慮し、詳細につきましては公表を差し控えさせていただきます。
今後は生徒の心身の状況を十分に配慮しながら、対応を検討してまいりますので、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。

 

これだけですよ。

仮にも現役の歌劇団の生徒が亡くなったのに名前すら明かさないというのは、観客に背を向けているのと同じではないか。

「生徒」とはいえ、プロです。ちゃんと組のプロフィールにも載っているし、活動していたわけでしょ。なのに、名前も出さず「遺族の意向」があるから差し控えますでは、全然答えになっていません。

 

96期のいじめ問題にも目をつぶった劇団。

そして文春にスクープされた時も知らん顔だった劇団。

宙組のいじめがあったかどうかって事はあまり問題ではないのです。

要は組をまとめられない組長やプロデューサーに責任があるのでは?

外からしか見ていないのに・・・と言われるけど芝居を見ていればわかります。

ここ数年の宙組が非常に士気が低下していて、技術的に問題があるということ。

長すぎるトップから3番手のせいだと思ったりもしましたけど、何かが裏で起こっている事は想像がつきますよね。

寿つかさ組長の退団も突拍子もない出来事でしたし、今回の天彩峰里の組替えも裏にあると思っていましたので。

 

いじめを認めているわけではないですよ。

ただ、私も先日、職員からこんな事を言われました。

公務員というのは、モラハラ、セクハラ、パワハラを乗り越えて強い奴だけが生き残る世界だ」って。

時代遅れとその時は思ったけど、今もやっぱりそういう事で心を病んで仕事が出来ない人が多々いることは確かです。私のような非正規の中でもそういう事はあるらしい。

医療関係でも、私が勤めて来た病院でもあの天野先生が虐めで干される、退職に至ってしまった事を考えると、負けたらダメなのか、負けるが勝ちなのかと考えてしまいます。

歴代のジェンヌ達もいわゆる「いじめ」は経験しています。

私もそういう話は沢山聞いていました。

無視して笑うか、言い返すか、技術を磨いてやり返すか・・・芸能界全てがそういう世界でしょうよ。

死ぬ前に退団という道もあったのではないかと思います。

自分が悩んで・・・というよりは、もっと違う理由があったのではないか。

回りが騒ぎ過ぎたせいなのではないかと。

花の25歳。お姉さんもジェンヌ。どんなに悲しいか。

それを思うと本当に残念です。

 

そして、すでに誹謗中傷の的になっている天彩峰里が気の毒でしょうがない。

文春記事に信ぴょう性がないということは、礼真琴の件で明らかになった筈。

何も語らずそっとしておくことが本当にジェンヌを守る事ですか?

それこそ東宝・阪急の圧力を文春にかけてやればいいのに。

これでは第二第三の犠牲者が増えるばかりだと思います。

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祝!成婚30周年 雅子様語録53

2023-09-20 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

どうしてあれをしてはダメとかこれをしてはダメとかいわれるんでしょうか。私には何の権利もないの?

真夜中、雅子様は受話器を握りしめています。

東宮家の電話は無料ですから、どこへなりともかけ放題。

とは言っても誰にでもかけているわけではなく、電話の先にいるのは大野先生でした。

人権意識がないっていうか、宮内庁って古くて馬鹿なんじゃないかと思います。うちの夫も、陛下のいいなりで信じられない」

今日はまたも一段と声のトーンが上がっているように思います。

これは相当なストレスなんだなと先生は思いました。

でも、夏もずっと那須で遊んだし、秋にも御料牧場へ行ったし、これ以上何が不満なのか先生としてはよくわかりません。

「自分が悪いのではないか」と落ち込む患者に向き合う事はあっても「自分の意志が通らない」と怒る患者への接し方は今一つわからないのです。

「怒りを鎮め、お経でも唱えれば」と言いたいところですが、雅子様としては大真面目なのです。

では、妃殿下は何をなさりたいので

そうね・・自由が欲しい」

自由・・それは皇室にいては無理では

皇室にいながら自由でいたいのよ。他の事なんか考えたくないの。おいしいものを食べたり、好きな所に行ったり」

労働は」

それって・・公務はやってるじゃないの」

日帰りだろうと、地方へは行った。愛想がないとか、ドタキャンしたとか言われるけど、仕方なくやってやってるのだから、それくらい我慢しろと言いたい雅子様。

一度、本当にお好きな事をされてみては」

医師としてはそういうしかありません。

好きな事をなさるご自分を肯定するのです

この「自己肯定」という言葉は雅子様にとってまさに渡りに船という言葉でした。

去年から、ほぼ一ヶ月に一度、高級フレンチで外食しているけど、その頻度をもっと上げようかな。今年のクリスマスはどうしよう。

そんな事を考えていると何やら楽しくなります。

大野先生はこれで電話を切る事が出来るかなと期待しています。

どうして雅子妃と言う人はこうも「長い」のか、時間を守る観念がないのは、雅子様特有の「癖」「障害」として見るしかないのだろうと医師は思います。

それを責めると、またも「なぜ時間を守らないといけないのか」という話になり、「周りに迷惑をかけない為です」などと言えば「自分が最上なのになぜ下の者に気を遣わないといけないのか」と悩み始める・・・とんでもない方なのです。

思えば、小和田の父君もご自分の「非」を認めた事はありません。

常に恫喝し、𠮟りつけ、あるいは物を投げてわからせる方針。

上にいる者の特権がそうなのです。

 

雅子様にはもう一つ、考えないといけない事がありました。

それは愛子様の事です。

大きくなるにつれて、無表情ぶりが目立つようになってきた娘に、とりあえず高い服を着せて、真っ当に見えるようにピッピとまりを横につけて写真を撮る。

そしてさらに「ご優秀に」見せる為に「愛子様は最近ではピアノの演奏にも興味を示し、皇太子様のヴィオラも弾いたりする」

つまり愛子様は音楽的才能がとてもあるのだ・・・という風に見せるわけです。

でも、それを続けるには味方が必要。

そこで、雅子様が目をつけたのは学習院幼稚園の園長である小山氏。

宮内庁の人間を差し向けて「愛子内親王が小学校に入ると同時に女官として東宮職に入って欲しい」と説得したのです。

そんな、恐れ多い」と断る小山氏に対し、「妃殿下のお望みを叶えないつもりですか」と半ば脅しまでかけたのです。

そうして美味しいポストにつけて、実際の愛子内親王の秘密保持に務める。

これも重要な事でした。

 

 2007年 12月1日 愛子内親王6歳

秋篠宮家に悠仁親王が生まれ、女性天皇の芽がダメになりそうな今、せめて「ご優秀な愛子様こそ天皇に」という流れを作らないといけません。

こんなに小さいのに音楽的才能にあふれ、作曲も出来るし詩も書く。漢字は読めるし計算も得意。

盛りに持った「ご優秀伝説」は嘘ではあるけど、そんな事をいう人は一人もいません。それこそが東宮の「力」なのでした。

 

 2007年12月9日 雅子妃44歳

雅子様のお誕生日には恒例の「医師団見解」が出されました。

妃殿下におかれましては、この一年も、依然としてご体調には波がございましたが、前向きに頑張られるお気持ちを強くお持ちになられて、真摯に努力を重ねてこられました。

そして、愛子内親王殿下の育児を中心に日常のご活動を続けられ、公私を問わず、ご活動にも広がりが出てこられております。

ご公務に関しましては、東宮御所や都内でのご活動に加えて、長野県と徳島県の地方行啓にもお出かけになりました。
 このようなご活動の積み重ねは、ご快復のために必要な自信につながるものであり、治療的に大きな意味があったと考えております。こうしたご活動の後には依然としてお疲れが残られますが、以前にくらべるとご回復が早くなっていらっしゃいます。
 適応障害は、世界的に広く受け入れられているアメリカ精神医学会の基準でも、長く持続することがあるとされているものであり、妃殿下におかれましても、なお治療が必要な状態が続いております。

しかし、ご自身のご努力はもちろんのこと、皇太子殿下のお力添えもあり、少しずつ着実に快方に向かっていらっしゃいます。」

毎年同じ文章しか思い浮かばず、しかしながらご自分の「肯定感」を強く打ち出す事は忘れませんでした。

 

いつもの年とは違うクリスマス。

それは「お買い物」でした。

雅子様は12月19日。南青山のお店を女官と一緒に訪れて、まるで子供のように商品を選んでばんばん買いあさったのです。

皇室では表だってクリスマスは祝わないものですが、そんな事、雅子様には関係ありません。小さい頃欲しかったもの、小さい頃から憧れていたツリーのオーナメントやらワインやら、それはもう楽しくて仕方なかったのです。

去年より大きなツリーも買うわ。部屋一杯をクリスマス一色にする」

そして妹の礼子さん一家も招いて盛大なパーティをしたら楽しいだろう。

高級なプレゼントに妹も甥達も目を丸くすることだろう。

そう考えるだけで楽しくなるのです。

 

 2007年12月19日 南青山でクリスマスのお買い物

そう言えば、冬休み前にママ友が言ってたっけ

今年の恵比寿ガーデンプレイスはバカラのシャンデリアがすごいらしいわよ」と。

それなら絶対に見に行かなくちゃ。

そこで、突如東宮職に「恵比寿へ行く」と言い放った雅子様。

恵比寿?何しにいくの?」と皇太子様はおっしゃいましたが、雅子様は

クリスマスなんだからイルミネーションを見に行くに決まってるじゃない」とお答えになりました。

でも、そんな所は沢山の人が集まるんだろう

だから何?関係ないわよ。皇宮警察がいるでしょ」と。

東宮職は仕方なく、マスコミを呼び、「一般客にわからないように取材を」と要請しました。

本来は、恵比寿ガーデンプレイスでイルミネーションを見たら、その足ですぐにウエスティンホテルのレストランで夕食をとるという日程だったのです。

しかし、マスコミが隠れて取材しているのを知ってか知らずか、東宮一家は堂々とバカラのシャンデリアの前で記念撮影を始めたのです。そして皇太子様や雅子様はそれぞれのカメラを出してパシパシ撮り始めました。

最初は全く一般客も気づかなかったのですが、さすがに一家が動き始めて気づき、ざわざし始めました。と、同時にSPが突如現れ、皇太子様達をぐるりと囲み、そのまま移動し始めたのです。

庶民は蹴散らされ、あるいは東宮家を追いかけるマスコミとぶつかり、せっかくの楽しい夜が一瞬でおじゃんになってしまう。

そんな国民からは別世界にいるような雅子様は、回りも見ずににこにこと移動し始めたのでした。

 

 2007年12月21日 恵比寿ガーデンプレイスクリスマス・イルミネーション

 2007年12月23日 天皇誕生日

そして、天皇誕生日。夜の「お祝い御膳」の後、またしても東宮家は外出し、今度は六本木のイルミネーション見物をしたのです。

さすがに、これにはマスコミも黙ってはいず、「東宮家はご自分達が動いたらどんな影響を与えるのかわかっているのか」と東宮大夫にくってかかりました。

しかし、大夫は涼しい顔で「両殿下はマスコミがどこにいるのかおわかりにならなかったようです」とにっこり笑いました。

12月24日のクリスマスイブには、池田礼子邸で、派手なクリスマスパーティが開かれました。勿論小和田家のご両親も一緒です。

東宮御所のクリスマスツリーは結局、東宮職員の目を楽しませただけで早々に片付けられてしまいました。

 

 2007年12月27日 両陛下主催の昼食会

こういった行動は、普通は両陛下から「お叱り」を受ける筈ですが、雅子様は叱られるどころか、昼食会では「イルミネーションは楽しかったの?」と皇后陛下に聞かれ、「そりゃ、バカラですから」と得意そうに雅子様が答える始末。

普通なら、聞かれただけで「しまった」と思う所ですが、まるっきり天然の雅子様の得意気な雰囲気にはもう誰も逆らえないのです。

もし、ここで注意などしたら、今度は何ヶ月ひきこもるかわからない。

両陛下はそれを恐れていたのでした。

 2007年12月28日 動物のお医者さんとフランス料理店「ロジェ」に

それをいいことに、皇太子夫妻は年末。

ピッピとまりの主治医を招いて、高級フランス料理店「ロジェ」で夜8時半から午前0時まで食事を楽しまれました。

三ツ星で有名なロジェ。

予約を取るのも一苦労なのに、東宮の威力はすごいもので、たまたま主治医が「ロジェの店長と顔見知り」だったのでいともたやすく店に入り、閉店が9時なのに、真夜中まで延々とワインを飲みほしたのです。

このような贅沢が東宮家に許される事自体、異例ですし、しかもマスコミに取材されていたとは。

さすがにこれは雅子様も予想外の事で、「マスコミってゴミだわ」とののしり、またも大野先生に長電話をして何とかおさまったのでした。

 

 2008年1月1日 天皇一家

 

 

 

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両陛下 豊かな海つくり大会へ

2023-09-18 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

9月17日から18日まで両陛下は「豊かな海つくり大会」出席の為、釧路訪問。

何でマスク?って思いますよね。マスクをするタイミングと外すタイミングが全然わかってないみたいな。

ここでもマスクなんです。

 

子供達が緊張して・・・・って感じで。つくづく子供に好かれない夫婦だと。

 

で、

釧路の希少動物の博物館ですかね・・・・ここでもマスク。

しかもピンクのパンツスーツ。パンツスーツ、夏はグレーとピンクしか持ってないんじゃ・・・・

皇后が近づきすぎないように花のプランターが置かれているんですね。

翌日、

本来なら2泊3日で北海道胆振地震の被災地に行くべきとの声があったらしい。

でも、その為にはもう1泊しなくてはならず、「体調の波」があるので無理と。

とにかく被災地が嫌いなのはわかります。

 

だけどさ~~2週間那須にいて、私などでもへとへとになる程遊んでいたのに、1泊追加して被災地に行けない・・・・

整合性ないなあと思います。

でも、これも「忖度」でしょ。

いつか暴かれた時、多分二人はいないわけで。

誰を責めたらいいのかって事になりますよね。

 

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祝!成婚30周年 雅子様語録 52

2023-09-13 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2007年9月22日 大相撲観戦

 2007年10月1日 オペラ鑑賞

 2007年10月6日 学習院幼稚園運動会

 2007年10月16日 初等科運動会見学

 2007年10月26日 徳島訪問

皇太子のみ大塚美術館視察。雅子妃ドタキャン

 2007年10月27日 阿波浄瑠璃鑑賞

国民文化祭開会式

 2007年10月28日 藍染体験

雅子様は特に愛子様を天皇にしたいとは思っていませんでした。

秋篠宮家に親王が生まれるまでは。

でも、親王の誕生が雅子様の心の引き金を引いてしまった事は確かです。

本能的に「自分達の将来はどうなってしまうのか」と漠然と不安を抱いたのです。

そこに小和田の父君の「皇太子が死んだらお前達は皇居から追い出される」の一言がかなり効いたのです。

ついこの間、皇太子様はポリープの手術をお受けになった。

いつご病気になるかわからない。

もしもの時・・・・その時・・・・皇位継承権のない内親王と二人、追い出される。そう考えただけで不安になります。

その不安を煽ったのか、払拭したのか、週刊誌には「愛子を天皇に」の記事が出てしまいました。

現在、皇室典範では女子皇族に皇位継承権はありません。

しかし、このタイトルは明らかに「愛子内親王に皇位継承権を与えよ」という運動の始まりでした。

雅子様にとってはとても都合のよいお話です。

娘が天皇になれば、自分は一生安泰でいられる。

そうすれば娘も自分もバカにされずにすむのだ。

なぜ「馬鹿にされる」という文言が浮かんだのか、ご自分ではわかりません。

でも、心の奥底にある潜在意識、つまりコンプレックスが言わせたものとしか解釈のしようがないのです。

ハーバード大を出た、英語が話せる、語学力抜群で優秀と喧伝されていても、真実の姿はご自分にはわかりますから。

だから一層、雅子様は自由気ままに振舞う事で、ご自分は権力者である事を内外にお示しになりたかったのです。

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録51

2023-09-07 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2007年7月17日 モンゴルから帰国の皇太子を迎える

雅子様における「内親王をだしにして、ご自分が経験したいことをする」という傾向は非常に強くなっていきました。

まるでおいしい果物の味をしったありのように、そこに向かって一直線にならずにはいられなくなったのです。

7月16日は新潟で新潟中越地震が起きたのですが、東宮一家は一切それを気にする事はありませんでした。無論、被災地にも行きません。

大事なのは、夏休みになってからの「愛子様の為のお楽しみ会」を何度も開く事です。

取り巻きの子供と親を集めて、東宮御所でごちそうを出したり、ミニ屋台を出したり、スイカ割をしたり。

一般庶民が都内では経験できないだろう事を見せつける事によって、みなが雅子様にくっついてくるようになったのです。

そりゃそうです。東宮御所に招かれると、おしゃれなんかせず、平服で行けて、ごちそうが並ぶテーブルで好きな時間だけ飲み食いする。

子供達は愛子様の相手をさせておく。なんて手軽で贅沢なのでしょう。

雅子様は、ご両親がそうしてくれたように「財力」を見せつける事で、自分や内親王に「お友達」を作りたかったのです。

本当の「友情」など、雅子様は信じた事はありません。

みな、どこかで悪口を言っているに違いないと思っていました。

あの子はチッソの会長の孫だってさ」と。

妹達は、それなりに表面的でもお友だちがいたし、互いが友達のようですが、雅子様はいつも孤独を抱えていました。

話すのが苦手、相手の言ってる事がわからない。空気を読めないからです。

母君はそんな雅子様の為に、パーティを開いて子供達を集めたり、トラブルが起きた時もお金を使って処理してくれたりしました。

だから、雅子様は、東宮御所に人を沢山招く事は罪ではないし、ごちそうを食べさせて、自分達の立場の優位性を見せればなびいて来ると思っていました。

「久しぶりに電車に乗りたい」と思えば、近い距離なのにわざわざSUICAを買って、内親王を連れて山手線に乗る。

こんな事を気まぐれにされたら警護の人間は困ります。

でも困る顔も、また雅子様にとってかけがえのない「娯楽」なのでした。

 2007年7月19日 山手線に乗る

 2007年8月10日 御所で食事会

8月11日には、御所で食事会がありましたが、翌日には東京湾花火大会を特等席で楽しみ、さらにメキシコ料理店で元外務省の同僚と食事をする。

「食べるか」「遊ぶか」の楽しい夏なのでした。

 2007年8月17日 那須静養

実はこの静養にはご自分達だけでなく、おとり巻の家族も何家族か混じっていました。

彼らとは待ち合わせして、りんどう湖やとうぶつ王国を回ります。

食事代などは全部東宮持ちで、彼らは雅子様達とおなじようなVIP待遇と警護を受けながら回ったのです。

8月23日 どうぶつ王国

8月24日 りんどう湖ファミリー牧場

 2007年8月26日 帰京

 

お楽しみはこれだけでは終わる予定ではありませんでした。

実は8月30日から9月4日まで奥志賀の中華系ホテルで静養をする予定だったのです。

奥志賀のホテルは民間施設で、最上階を全て貸切ります。

また、おとり巻お宿泊も持ってあげるという大盤振る舞いの予定でした。

しかし、那須の静養から帰ってすぐ愛子内親王は「静養疲れ」の為、熱を出してしまったのです。

熱さえ下がれば短くても奥志賀へ行きたいと雅子様は思っていましたが、そういうわけにもいかず、全ての予定がキャンセルされました。

もうっ!何でこんな時に熱を出すわけ?」と雅子様は怒りましたが、元々からだが丈夫ではない愛子様にとって那須での連日のお出かけは相当な負担だったのでしょう。

奥志賀のホテルは大損害を被りました。

最上階スイート全部貸し切り及び下の階には取り巻きの部屋、さらに警備用の部屋と、ほぼホテルを丸ごと貸切ったようなものなのに、突如としてキャンセルになってしまったのです。

しかし、皇室相手にキャンセル料を取るわけにはいかず、結果的には泣き寝入りでした。

そんな相手の迷惑など、まるっきり気にしないのが東宮家のスタイルになってしまいました。

 

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祝!ご税婚30周年 雅子様語録50

2023-09-04 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2007年6月1日 長野県訪問

雅子様は、とにかくどこかの御用邸か、奥志賀へ行くのがお好きで、自由な時間を満喫していました。

もう縛られた時間は嫌い」と堂々と公言しました。

私は皇室に入ったのは義務のようなもの。好きじゃないのになぜこんな思いをするの?」と毎晩大野医師に電話をし、

妃殿下は考えすぎなのです。あまり考えこまずにお薬を飲んでお休みください」

じゃあ、先生は主治医なのに私を見捨てるの?

そうではありません。そうではありませんが、規則正しい生活も必要なんですよ。ご自分で努力しなくては」

努力してるわよ。もうどれくらい努力してると思ってるの?無意味な事ばかり。私は意味がない事はやりたくない

そんなどうでもいいやり取りがずっと続くので大野先生はすっかり参ってしまいました。さらに追い打ちをかけるように、週刊誌に「大野医師スパイ疑惑」が出てしまいました。

東宮御所の中では密かに噂もたっていました。

雅子様は、大野先生に恋をしているんじゃない?

あら、皇太子様はご存知?まさかね。寝取られているなんて」

仮に本当だとしても平気よ。皇太子様は意に介さないわ。あの雅子様が期限が良ければそれでいいんだもの

そもそもが広い東宮御所で別居生活しているようなものですから、皇太子様は雅子様がそんなに大野先生と親しくしているとは思いませんでした。

最も、妻にそれを聞く勇気すらないのですが。

大野先生が北朝鮮と癒着している疑惑はかなり大きく報道され、いくら関係ないと言っても週刊誌にしつこく追いかけまわされました。

東宮と親しくなるとこれだ・・・」と大野先生は思い、適度に距離を置く事にしたのです。

 

雅子様はそのつもりでも、宮内庁では何とか雅子様を公務復帰させたいと思っていました。

ですから、無理やり長野の「みどりの愛護のつどい」という地方公務を入れたのですが、そこでも大問題が。

最初は好きな長野に来られて嬉しい雅子様は、終始にこにこしていました。

ところが、その日の皇太子様との地元の工場を視察するのは「嫌」と言い出したのです。

向こうはお二人をお待ちなんですよ

何でこの私がそんな所にいかないといけないのよ。勝手に行ってくればいいじゃない。私はみどりの愛護のつどいの為に来たんであって、工場視察に来たんじゃないわよ」

雅子様は言い放つと、一人で部屋に入ってしまいました。

「雅子がああ言い出したら聞かないから」と皇太子様は自虐的に笑いました。

その笑いに宮内庁職員も皇宮警察も、一抹の不愉快さを覚えて黙り込みました。

一人いないだけで、警備の数を分散し、相手方に伝え、時間の配分を書き直す。それがどんなに大変か、雅子様はおわかりにならない。

結果的に、雅子様はホテルに残り、ラウンジでワインを飲んだり、庭を散策したりとやりたい放題で、警備の者はその度に振り回されてしまいました。

ホテルの従業員もうかつに皇太子妃と遭遇するとやっかいなので、仕事になりません。

でもそんな事は雅子様にはどうでもよい事だったのです。

 2007年6月2日 みどりの愛護のつどい

次の日のみどりの愛護のつどいは表面的にはうまくいったように見えましたが、その裏で、雅子様が関係者との食事会をドタキャンしてまたも大騒ぎになりました。

ああいう食事会は今後も出るつもりないから」と言い放ったのです。

関係者は驚くと同時に「何か粗相があったのか」とお付きに詰め寄るし、皇太子は「まあ、いいじゃないですか」と笑っているし。

みな釈然としない空気を持ちつつ食事会に臨みました。

長野県こども病院

 

実は皇太子様は先の健康診断で胃にポリープがある事がわかりました。

結構な大きさですが、悪性ではないと判断され、手術の日も6月5日と決まっていたのです。

驚いたのは両陛下です。

皇族方は年に一度の健康診断を欠かす事はありません。それというのも、少しでも体調不良が見つかれば国民が心配するし、何より公務に差し支えるからです。

ゆえに、両陛下も定期的に健康診断をして、その結果を発表してきました。

ところが、皇太子夫妻は何年も健康診断を受けていないというではありませんか。それは勿論、人に体を触られたりするのが嫌いな雅子様もせいでした。

ポリープが大きくなるまで気づかずにほっておいた事に、両陛下は非常に傷つかれ、また怒りを感じたのでした。

 2007年6月5日 東大病院に入院する皇太子

周囲の心配をよそに、雅子様は全く心配などしていませんでした。

むしろ、病気を理由に外出出来るのが嬉しいと言った感じです。

皇太子様のお部屋は東大病院の最上階にあるVIPルームで、まるでホテルのスイートルーム。

雅子様はすっかり気に入ってしまいました。

しかもレストランは精養軒が入っているのです。

手術を前に、食事制限がある皇太子様を横に、雅子様は精養軒のメニューをずっと見続けていました。

 

 2007年6月7日 東大病院に到着

手術は、腹腔鏡でやる手術ですから、あまり大げさではなく傷の治りも早いのです。

雅子様はそれを知っていますので、まるっきり心配する事もなく、精養軒からナポリタンやかつ丼を注文して食べながら手術が終わるのを待ちました。

皇太子がいない部屋は雅子様も宝物のような部屋に代わり、スマホ片手に食事して雑誌読んで・・・大そうリラックスしていました。

無事に皇太子様は手術が終わり、病室に帰って来た時はまだうとうとしていましたが、「寝てるわ~~」と雅子様は笑い、「このままで大丈夫ですね」と言いました。

看護師も医師も雅子様の言葉が理解出来なくて怪訝な顔をしましたが、雅子様は全然気づかずに、ただ面白そうに皇太子様の顔を覗き込んでいたのです。

 2007年6月9日 皇太子の見舞いに行く

 2007年6月9日 三四郎池を散策

9日は、マスコミも入れて一家の散歩が公開されましたが、どういうわけか雅子様も愛子様も何度もお着換えになり、雅子様の尋常ではないうきうき感が伝わってくるようでいした。

小さな愛子様は勿論、お父様の病気がわかる筈もなく、なぜここにきているのかもわからないような感じで、三四郎池で鯉にエサを上げても、やり方がわからないので袋ごとぼちゃんと投げ入れるような感じでした。

その日も、精養軒から注文を取り、まだ病院食の皇太子様を横に、雅子様と愛子様はごちそうを食べていました。

 

 2007年6月12日 退院

ようやく退院された皇太子様は、少しやせておられました。

けれど、7月にはモンゴル訪問も控えています。

雅子様はイギリスならともかく、モンゴルなんか行きたくありませんので、早々に「同行せず」と発表させました。

公務のえり好みはオランダへ行っても改善する事はありませんでした。

 

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