ふぶきの部屋

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安倍総理演説全文

2015-04-30 14:10:00 | 政治

 とりあえず、安倍総理のアメリカ訪問は成功したらしく、それで韓国が

怒っています。

安倍総理演説全文

「議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、

1957年6月、日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、

次のように述べて演説を始めました。

「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、

民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。

以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理として初めて

お話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。

お招きに、感謝申し上げます。

申し上げたいことはたくさんあります。

でも、「フィリバスター」をする意図、能力ともに、ありません。

皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。

マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー。

民主主義の輝くチャンピオンを大使として送ってくださいましたことを、

日本国民を代表して、感謝申し上げます。

キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。

大使の活躍に、感謝申し上げます。

私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。

日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。

私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。

家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル・フランシア夫人、寡婦でした。

亡くした夫のことを、いつもこう言いました、

「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。

ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。

彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。

デル・フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、

たくさんの人をひきつけました。

その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。

のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。

上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、

正しい見方なら躊躇なく採用する。――この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、

先輩大物議員たちに、アベは生意気だとずいぶん言われました。

私の名字ですが、「エイブ」ではありません。

アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。

民主主義の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、

ゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。

農民大工の息子が大統領になれる――、そういう国があることは、

19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。

日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。

出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。

先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。

神殿を思わせる、静謐な場所でした。

耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。

一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4

000個を超す星が埋め込まれている。

その星の一つ、ひとつが、倒れた兵士100人分の命を表すと聞いたときに、

私を戦慄が襲いました。

金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。

しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。

家族への愛も。真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が

心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。

歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。

私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。親愛なる、友人の皆さん、

日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、

深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。

みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。

70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。

近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。

こう、仰っています。「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。

その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。

もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。

かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ

、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。

これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。

熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。

スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。本当に、ありがとうございました。

戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。

みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。

これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません

。アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。

みずからに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。

焦土と化した日本に、子どもたちの飲むミルク、身につけるセーターが、

毎月毎月、米国の市民から届きました。

山羊も、2036頭、やってきました。米国がみずからの市場を開け放ち、

世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、

最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。

下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、

やがて中国が勃興します。

今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。

一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。

そして繁栄こそは、平和の苗床です。

日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、

いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場を

つくりあげなければなりません。

太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。

過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。

許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、

世界に広め、根づかせていくことができます。そ

の営為こそが、TPPにほかなりません。しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、

長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。

経済規模で、世界の4割、貿易額で、世界の3分の1を占める一円に

私たちの子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません

日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。

米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。

実は、いまだから言えることがあります。

20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。

血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、

農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。

ところがこの20年、日本の農業は衰えました。

農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。

日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。

私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。

60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。

世界標準に則って、コーポレート・ガバナンスを強めました。

医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となりこじあけてきました。

人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。

女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。

日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。

親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を

見てください。

日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、

道なし。確信しています。

親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、

アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。

省みて私が心からよかったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。

その道こそは、冒頭、祖父のことばにあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択に

ほかなりませんでした。

日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、

最後には冷戦に勝利しました。この道が、日本を成長させ、繁栄させました。

そして今も、この道しかありません。

私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、

米国の「リバランス」を支持します。

徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。

日本はオーストラリア、インドと、戦略的な関係を深めました。

ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。

日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は各段に安定します。

日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、

28億ドルまで資金協力を実施します。

アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。

第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。

第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。

そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。

太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海に

しなければなりません。

そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。

私たちには、その責任があります。

日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。

実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、

はるかによくできるようになります。

この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、

日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。

戦後、初めての大改革です。

この夏までに、成就させます。

ここで皆様にご報告したいことがあります。

一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外務大臣、

中谷防衛大臣と会って、協議をしました。い

ま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする

仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。

それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。

きのう、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。

皆様、私たちは、真に歴史的な文書に合意をしたのです。

1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。

後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。

その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。

カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。

これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、

これまで以上に責任を果たしていく。そう決意しています。

そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。

国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、

日本の不動の信念です。

人間一人一人に、教育の機会を保障し、医療を提供し

、自立する機会を与えなければなりません。

紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。私たちの時代にこそ、

女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。

自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、

その両方の蓄積は、いまや私たちに、新しい自己像を与えてくれました。

いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。

繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、

日本の将来を導く旗印となります。

テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対し、と

もに立ち向かう時代を迎えました。

日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、

深い信頼と友情に結ばれた同盟です。自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、

この先とも、新たな理由付けは全く無用です。

それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、

私は心を揺さぶられました。

「落ち込んだ時、困った時、目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。

たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。

2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。

日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。

そして、そのときでした。

米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。

本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子どもたちに、支援の手を差し伸べてくれました。

私たちには、トモダチがいました。

被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、

大切なものを与えてくれました。――希望、です。

米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、

希望である、希望でなくてはなりません。

米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、

「希望の同盟」と呼びましょう。

アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかによい場所にしていこうではありませんか。

希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます。ありがとうございました。

本当は心配していました。謝罪してしまうんじゃないかと。

でもそういう流れにならなくてよかった。

この文章を作った人は非常にウイットにとんでて、いかにもアメリカン・ジョークが好きで

それでいてしめるところはしめる・・・日本人にはない感性を持っていますよね。

アメリカをおだてて持ち上げて「希望」というアメリカ人が大好きな

前向きな言葉を列挙する。

彼らの琴線に大いに触れたのではないかと思います。

従軍慰安婦の問題は最初からなかった事。朝日新聞の報道は全部ウソであった事。

これは世界的な事実です。

にも関わらず、韓国や中国、そして在米韓国人は嘘を真実にしようとしています。

なかったと100回言っても認めず、世界中に宣伝しています。

もっと早く嘘の芽を摘んでおけば、こんな風にはならなかったのにと思います。

いわゆる「自存自衛の戦争」が「侵略戦争」であったという間違いは

戦後70年にわたって定着してしまいました。

今さらそれをいくら「そうじゃなかったのだ」と言っても。覆すのは難しい。

例えば大化の改新で殺された蘇我氏は、今もって「悪人」の印象を持たれているでしょう。

最近になって歴史家たちが「蘇我氏こそが保守派だった」と言っても誰も信じない。

イメージとして定着しているからです。

皇后陛下と雅子妃も同じです。

一旦、「悪いのは香淳皇后&旧皇族・華族」「悪いのは宮内庁及び両陛下」のレッテルをはられたら

どこまでも「おかわいそう」はついて回る。

事実をつきつけられてもにわかには信じられない。

そういうものなんですよね

じゃあ、どうしたらいいのか。

やっぱり「証拠」をつきつけていくしかないでしょう。

慰安婦問題に関して言えば、大方の慰安婦は朝鮮人の手によって

誘拐されたり売られたりした女性の事で、その当時の写真や記事などを

探して探して丁寧に貼って行くとか、「真実の慰安婦展」をやってみるとか。

あ、それいいかも。「真実の慰安婦展」水間氏の写真を大きく引き伸ばして

時系列に列挙して説明をつけて。

日本にだって「からゆきさん」がいたんだもの。それと比較して

「哀しい女性の歴史」を学ぶことも必要じゃないですか?)

 

皇室も同じですよね。

先日、行った講演会のようなものを地道に続けていく事で、一人でも多くの方に

皇室の歴史的意義をしって頂き、尚且つ、今の東宮家の惨状を確認して

頂く。これが大事なのではないかと。

 

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秩父宮妃のティアラが皇后陛下に?  1

2015-04-30 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 ゴールデンウイークまっただ中、嫁公務・妻公務・母公務お疲れ様でございます。

ブログを始めて11年目ですか。

最初は子育て中心に書いていたと思いますが、そこから宝塚やドラマの話になり

今や皇室中心になってしまい「ふぶきのブログってこんなんだっけ?」と

思われる方も多いかと思います

とはいえ、宝塚や舞台も見ますしドラマも同様。

講演会後の二次会でみなさまが、私の時間の使い方を質問されてて。

ドラマを1・3倍速で見てると言ったら驚かれていましたよねーー

本は職場の行きと帰りに読みます。

いつも1,2冊は鞄に入れているので重いです

ブログを書きながらテレビを見て・・・の日々。本当はよくないのはわかってますけどね。

さて。

皇族のティアラについては以前、書いた事があります

→ こちら

 

かなりだぶる部分もあるのですが・・・ご容赦を。

専門家ではないのでよくわからないのですが、日本は「髪飾り」に関しては

あまり発展しなかったような気がします。

簪 → 邪を払うもので神事に使われていた。花をそのまま髪に刺したり。 

髪を束ねているもの・・・+横に長い櫛が邪を払うんですよね。

奈良時代まで → 唐風

すみませんっ!資料がないので「天上の虹」を参考にさせて頂きました。

平安時代以降 → おすべらかし → 簪文化消滅

戦国時代以降 → 武家社会で簪が隆盛

一方。

中国や朝鮮では女性王族の髪型は巨大化する一方。

 満州族代表西太后。両把頭と呼ばれる髪型。鬘です。

 李氏朝鮮では「カチェ」と呼ばれる大きな鬘をつけています。

肩布が王妃の証。簪は王妃と側室では違っていたようですね。

何が言いたいかというと、あちらでは髪型・簪等は「女性の格付け」だったんでしょうね。

位が高ければ高い程、鬘も大きくなり簪の質もよくなるというか。

日本も大奥などでは、女中達の位によって使える簪の質が違ったようです。

 

しかし、宮中では・・・上も下も同じ髪型です。

じゃあ、どういう所で「格付け」があったのでしょうか。

多分、それは天皇が住む「清涼殿」からみて一番近い部屋に住んでいる人が

最も位が高いという事でしょうか。

それから衣の色。純白は皇后の色だそうですし。

しかしながら、近代になるまで日本では頭の上に何かを載せて歩くという

経験はあまりなかったものと思います。

 

ヨーロッパにおけるティアラの歴史は古く、ギリシャ・ローマ時代までさかのぼるそうです。

 これが原型。月桂樹の葉をかたどったアポロンの髪飾り。

生者から死者への敬意の印として捧げられました。

最高位の者に捧げられる、神性のあるものとして神様に捧げられる。

(簪の歴史と似てますよね)

それがやがて「富と権力の象徴」として女性の頭の上に輝く事になります。 

イギリス王室を例にとると、ティアラの歴史が古いイギリスでは

歴代のお妃や王女様のティアラが沢山残されて、きちんと保存されているようです。

それを多少は加工したりしつつも、おおむね、そのままの形で受け継ぐ。

・・・という事なんですよね。

例えばキャサリン妃のティアラ

大元はこっち エリザベス女王のお母様のティアラ

 マーガレット王女もつけてます。

 ダイアナ妃のティアラ

 大元はこっち。エリザベス女王のティアラ。

毎回、新調しない代わりに、大昔のティアラを借り放題(無論女王の了解は必要ですが)

日本のティアラの歴史はせいぜい130年かそこら。

でもヨーロッパのティアラの歴史は・・・・・

そう考えると、ティアラ後進国の日本、随分頑張ったと思うんですけどね。

 日本のティアラ第一号。外国製の「星のティアラ

星の部分が外れて、ネックレスにもなるという優れもの。

昭憲皇太后のこのティアラが皇太子妃に受け継がれ

 貞明皇后に・・・・そして香淳皇后に。

さらに 現皇后に・・・・(さっぱりみないけど)

後にミキトモトが国産のティアラの製造技術を会得。

以後、日本でもティアラは全部新調するというよりは、そのパーツを使って

リメイクする・・・・というのが主流に。

例えば上記の貞明皇后がつけているネックレス。

 これがティアラになって

 こうなった・・・・・

さらに 皇后に受け継がれ(さっぱりみないけど)

 

疑惑のティアラの大元は

 香淳皇后のご成婚記念で作られた1923年。

それが 美智子妃に受け継がれ

 今や行方不明。

ちょっとちょっとーーー

これってただのヤフオク売却事件じゃないですよ。

日本の歴史的遺物が売られたって話。本当にあるのかどうか調べないでどうするの。

文化遺産が消えたって話なんですよっ!!

ちなみに

 第二ティアラは1960年製

「質素で倹約家」といいつつも皇后陛下はしっかりご自分だけのティアラを作製。

が・・・ プラチナがブリキに変わった疑惑。

そりゃ、日本にはティアラ文化はないけどね。

こんな大事な事が見過ごされていいのか。

イギリスをはじめ、ヨーロッパの出来事だったら「犯罪」になるんですよ。

なのに日本は「皇室の事は見ない・聞かない・調べない」

「皇室に限ってそんな事ある筈がない」

「きっとどこかに保管されている・・・・でしょ?仮に売っぱらってもそれは皇室の自由」

てな話。宮内庁が「あります」といえば、なくてもある。

まるで今の皇室の姿そのものじゃありませんか。

いわゆる小菊のティアラや星のティアラが「皇后」にしかつけられないもの・・・という

格付けがあるなら真実は雅子皇后誕生以後にしかわからないし、

もしかしたら永遠にお目見えしないかも(私達が生きている間には)

悠仁親王のお妃の代になって初めて「それは・・・・紛失した」と真実が

語られる日が来る?っていうか、それまで皇室はあるのか?

日本はどうしてこうも文化財保存に意欲がないのかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」183(華燭のフィクション2)

2015-04-29 07:00:00 | 小説「天皇の母」181-

女官部屋がざわついているのに気付いた女官長は

そっとドアの外から様子を伺った。

いよいよ明日はノリノミヤの結婚式という日。

東宮家でも結婚の儀、その後の茶会の儀への参加

準備が進んでいた。

とはいえ、昨日の皇居での食事会にも参加しなかった皇太子夫妻は

目出度い日の前日であっても「普通」を貫き、それぞれの部屋に

引きこもっている。

マサコが食事会に出なかった理由は表向き「アイコの具合が悪い」という事だった。

確かにアイコは風邪気味ではあったが、別段気にする病状ではなかったし

ゆえに侍医も呼んでいない。

にも関わらず、アイコを盾にしての不参加は、裏から見れば

東宮夫妻が宮の結婚をあまり喜んでいないという事になる。

皇太子からすると、前年12月の突然の婚約発表はまさに寝耳に水だった。

まさか両親である天皇と皇后まで、噂一つ自分に持ってこなかった・・・という

事がショックだった。

正式にどうなるかわからなかったの」と皇后は言い訳をしたようだが

この件に関しての英雄はアキシノノミヤだった。

よりによって弟の学友と妹が結ばれようとは。

これではやり方が「藤原氏」ではないのか・・・・などと余計な気を回す。

もっともそう吹き込んだのヒサシに他ならなかったのだが。

弟君がご自分の学友を妹君にめあわせるという事は、皇太子殿下への

挑戦ではありませんかな。うちのマサコは学習院を出ておりませんので

学習院閥など作りようがありませんが。

アキシノノミヤは妃も学習院。後ろ盾は常盤会でしたな。学友を取り込むとは

頭のいい宮様で」

例の人格否定発言以来、東宮からは学習院関係の学友達はどんどん去っていた。

頼りになるのはOBオーケストラのみ・・・という状況下において、

アキシノノミヤ家にはいまだ、そんな連中が出入りしているのかと思うと腹が立つ。

アキシノノミヤ様は皇位継承権第2位の方ですし、後々殿下が即位されれば

学習院閥を広げて権力を握るでしょう。後々、宮様のお子達が交流・・・という事も

ありますし。うちのアイコ様が不憫ですなあ。あちらの内親王方の方が

いい目を見るという事も考えられるし」

皇太子は心が重く沈んで行くのを感じた。

アキシノノミヤ家の2内親王の方が、アイコよりずっと利発である事は知っている。

アイコでは将来的に太刀打ちできないだろう。

「大丈夫です。所詮、あちらは地方公務員。それほどの学歴があるわけじゃなし。

華族に連なるとはいっても傍系であるし。私達がおまもりします

ヒサシの声は少し甘くなった。

皇后陛下をお許しになって下さい。陛下が殿下に何もおっしゃらなかったのは

多分、恥ずかしかったからですよ。親なら自分の娘には最高の縁をつけたいと

思うもの。陛下とて同じ。私共などは恵まれましたからな。最高の婿に嫁がせる

事が出来て幸せでした。庶民の私ですらそうなんですから陛下なら。

きっとイギリス王室とかベルギー王室などに縁付かせようとされていたのかも

しれませんよ。それが果たせなかったので気落ちしていらっしゃるのです」

そうかもしれないと皇太子は思った。

そうなると「恨み」の気持ちは母というより、この縁組をまとめたアキシノノミヤへ

行くもので、弟とは顔を合わせたくなかった。

ゆえに夕食会欠席は「抗議の欠席」でもあったのだ。

 

そんな雰囲気は東宮内にも広がっている。

常識派がいる一方で「アキシノノミヤ様って政治家だったのね」と

くちさがない女官達の噂にもなる。

そもそもキコ様を選んだ時点でそうなのよ。野心家のお妃よ。いつも張り付いたように

にこにこ笑ってわざとらしい。大学に入った時から宮様狙いだったって

話しよ。好きで皇室に入ったんだもの、適応できて当たり前よね

そうそう、殿下のお子をおろした事があるんですってよ

それ、私も聞いた事ある

と、いつの間にか信憑性のない噂話が部屋中に広がり、喧々囂々となる。

それもこれも東宮家が暇だったからなのだが。

 

しかし、今回は少し様子が違うようだった。

女官長は部屋に入り、大きな声をだした。

一体、何を話しているの。御役目はどうなっているの?」

申し訳ございません。女官長」

女官の一人がすぐに謝って散会しようとした。

ちょっと待って。何を話していたの?」

女官長が引き止めると、女官達は待ってましたとばかり集まってくる。

なんていうか・・・明日の妃殿下のドレス、本当にこれでいいのかなって」

明日のドレス。

それは結婚の儀に着る「お長服」と茶会で着る赤いドレスの事だった。

何か変?」

私達庶民は、結婚式とか披露宴に花嫁と同じ白は着ません。

っていうか、着ちゃいけないんです。でも皇室はいいのかなと。

皇室って私達庶民とは違ったしきたりがあるから」

そうそう、庶民は目出度い時は紅白の幕だけど、皇室は白黒だったり」

だから間違いではないのよ。きっと」

女官達のいう事はもっともな話しだった。

マサコが着る予定の「お長服」はゴージャスなアイボリー色だったのである。

無論、ノリノミヤの衣装も多分純白だろう。

つまり花嫁と皇太子妃が同じような衣装で式に出ると言う事なのだ。

他の妃殿下方はどうなんですか?」

こういう場合、一応、皇后以下、各宮妃から衣装の色が教えられる。

皇后はグレー、アキシノノミヤ妃は薄いブルーの予定だった。

ほら、やっぱり白じゃないわよね」と誰かが言った。

花嫁と同じ色っておかしくないですか?これは白といっても

金に近い白でとても豪華なものです。下手したら花嫁さんよりゴージャスに

なってしまうのでは」

いいんじゃないの。皇太子妃殿下の方が身分が上なんだから

そうよそうよ。マサコ様がそれでいいっておっしゃるんだから

女官長は軽く頭痛を覚えた。

いいわけないのだ。女官長として一応、白はやめるべきだと進言したのだが

聞き入れなかったのはマサコ。

最近のマサコはどういうわけか白にこだわりをみせ、買う服は

みなその色目だった。

夏でも冬でも白。季節感もへったくれもない。

白が一番自分に似合うと思い込んでいるかのようだった。

赤い方はどう?茶会は着物だって聞いたけど、どなたか洋装の予定はあるかしら?」

「さあ・・・私は着物としか」

「きっと全員着物よ。どうしてマサコ様は着物じゃないのですか?あとであれこれ

言われませんか?」

これもまたマサコ自身の希望だった。

結婚の儀の後の披露茶会では全員が着物で出席する様にとのお達しで

それは随分前から決められていた。

女官長もすぐにマサコの着物を誂えようとしたのだが

私、着物を見ると気持ち悪くなるのよ」と言い出したのだ。

き・・・気持ち悪くなる?」

そう。あんなに窮屈でみっともない服ったらないわ。合理的じゃないもの。

なのに色がどうの、扇子の位置がどうのってうるさい事ばかり。

どうして日本の民族衣装はああも地味で動きにくいのかしらね。

チマチョゴリの方がよっぽど動きやすいわよね」

いくらなんでもそれは皇族のセリフではないのでは・・・・と女官長は

喉まででかかった言葉を飲み込む。

着物は負担だって言ってもらうわ。オーノ先生に。医者の判断なら

誰も文句言えないもの

という至極簡単な理由でドレスになったのだが。

まさか「赤」を選ぶとは女官長も思わなかった。

出来上がったドレスを見て「これではどっちが主役かわからない」と

思ったのは女官長だけではないだろう。

なんせベルベッド地の真紅のドレスだったのだから。

用意された靴はバックストラップで、おおよそ正式な場には

ふさわしくないもののように見える。

しかし、「普通のパンプスは負担」とマサコが言い出し、歩きやすいものに

代わってしまったのだ。

「皇室の常識は庶民の非常識かも」

と誰かがおどけて言ったのでみんな笑った。

もういいから。お仕事が終わったのなら交代して。明日は忙しいのよ」

女官長は手を叩いてみなを散らばらせた。

みながいなくなった部屋に残り、衣装を見ながら女官長はため息をついた。

さっき、誰かが言った「皇室の常識は庶民の非常識」という言葉が

耳について離れなかった。

誰もがそういう目で見る事になったら皇室はどうなってしまうのだろうか。

これからマサコがやろうとしている事は、もしかしたら皇室の権威を

著しく貶める事になるのではないか。

そしてその責任は誰がとるのだろう。

女官長は帰宅するのも忘れてずっと衣装を見つめていた。

ゴージャスなアイボリーのドレスを。

 

 

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右傾化を危惧する天皇と皇后?

2015-04-28 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 我が家の姫ちゃんに言われました。

ママ、お願いだからパソコンの壁紙を佳子様にするの、やめてくれない?

だってね・・・実の娘より佳子様が好きなのかって思うと、複雑な気持ちなの

え?やきもち?だってーー佳子様、可愛いから

白のローブをお召でにっこり笑うドアップなんて最高に美しいから。

だけど、一番大事なのは姫なのよーー 

とはいっても。しょうがない。ウイリアム・フォン様にするか。

 今週の「AERA」に「天皇と皇后のお言葉が際立つ時代」とのタイトルで記事が。

サブタイトルは

存在感増す平和の最後の砦  

         右旋回する政治に歯止めが不十分という危機感」

どうせ朝日新聞系列だからろくでもない記事だろうと思って

立ち読みしたら、案の定、ろくでもない記事でした。

要約すると

 両陛下は一貫して「憲法護持」の姿勢を貫いてきた。

 ここ最近、憲法に踏み込んだ発言をするのは、集団的自衛権で

  右傾化する状況を危惧されての、命を張った抗議ではないか。

というもの。そこには皇太子時代から両陛下の「憲法」に関する発言が

全て列挙されています。

腹が立ったのは八木秀次氏が天皇の憲法発言に「違和感」を示した事に

対し

保守派がそんな風に思う程、両陛下の「平和」への思いは強い」

書かれてあった事

とうとうここまで・・・・と私は暗澹たる気持ちになったのですが。

列挙してある「憲法発言」の中には当然、皇后の「A級戦犯」発言も入ってます。

AERAによると、

保守派は日本国憲法はアメリカから押し付けられたものだと言っていますが

そうではない。それ以前が同じ思想が日本にはあった

当たり前じゃないの。

だから大東亜戦争が起こったのですよ

もし、当時の日本が現在の憲法下であったら、間違いなくどこかの国の

植民地にされていたでしょう。

そうなったらアジア諸国は今もって独立していなかったでしょう。

世界史が変わっていたのです。

陛下は即位の宣命において「日本国憲法を守り」とおっしゃっている。

そこまで「平和」に対する思いが強いのだと解釈されているわけですが。

 

いわゆる「左翼」の方々は全力でもって両陛下の「憲法護持」を使い

その発言を持ち上げる事で保守派を叩こうという寸法らしい。

彼らに言わせれば、パラオ訪問だって、あらゆるところの慰霊の意味があったようだし。

陛下は「ペリリュー島」で「ずいぶん戦争があったけど静かな所ですね」と

おっしゃったそうです。

そうなんですよ。陛下。

戦前の南方は日本人の憧れの地。

冬がないから一年中暖かいし、作物は取れるし、現地の人との恋話の一つや二つ

映画にもなってます。

どうやってそんな「静けさ」を維持したかって?

日本軍がいたからでしょ。どうしてそうとられてくれないのか?

 どうして何でもかんでも「日本が悪い」 → 「謝る」 → 「慰霊の旅」になるのか。

もういい加減にして下さいよと申し上げたいです。

 

今や左翼の人達に持ち上げられ、称えられる天皇と皇后ですよ。

だったら私達は全力でそれを否定しなくてはなりません。

  日本国憲法は平和憲法ではなく滅びの憲法である

 天皇・皇后が現政治を批判する事は許されない

 日本人が考えた日本人の為の憲法は「大日本帝国憲法」である

 日本国の「象徴」である天皇が国を滅ぼすような事を言ったりしてはいけない

という事です。

齢80を超えて、なんだってまあ、ここまで意固地になられたか。

昭和天皇のように穏やかで笑顔の晩年を送る事が出来ないのはなぜか。

天皇・皇后の在り方が、国民の生き様に繋がるとしたら

これはかなりゆゆしき問題だと思います。

 

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さよなら柚希礼音・・・宝塚のライオンキング 2

2015-04-27 16:32:14 | 宝塚コラム

 恵まれた新人公演時代

新人公演の主役をやる時、一番困るのは自分と全くキャラが違う

トップの役をやる事。

例えば(古いけど)麻路さき時代、新人公演の主役をやってた音羽椋

気の毒でした。全くタイプが違うのにラッチマンだのネロだの・・・

同様の事は香寿たつき時代の涼紫央にも言える事で。

そういう意味では湖月わたると完璧にキャラが被っていた柚希は

新人公演はやりやすかっただろうなと思います。

 

 停滞気味だった中堅時代

よその組の組子が出たり入ったりと目まぐるしい動きをしている中

柚希礼音はいつでもどこでも「星組」の顔として存在していました。

相変わらず目立つし、ダンスは上手だし・・・・だけど可もなく

不可もなくという印象がぬぐえませんでした。

真飛聖主演「花のいそぎの藤原さんは、真飛を食う程の存在感では

あったものの、地とキャラがあってただけという感じがしたし。

おっとりしてて素直でストレートな性格、それに似あう役柄ばかり

巡って来たのは幸いだったかどうか。

安蘭けい主演「龍星」でもどっちが主役かわからない程の存在感で

それは安蘭の大劇場お披露目「さくら」「シークレットハンター」でも

同様でした。

その「華」というのは他を圧倒する力を持っていて、毎回「すごいなあ」とは

思っていたのですが、やっぱりそこまでで、男役としてそれ程魅力を感じた

わけではありません。

ダンスは上手だけど歌唱力がイマイチというのもあったでしょうか。

 

 出世作「スカーレットピンパーネル」ショーブラン

停滞気味の柚希礼音が殻を破った作品といえば

「スカーレット・ピンパーネル」のショーブラン。

彼女を語るにおいて絶対にはずせない役柄です。

東京でこの作品を見た時、正直、柚希がここまでやるとは

思っていなかったんですよね。

そもそもすくすく伸びるタケノコですから、悪役に向かないというか

むしろ、安蘭の方がひねくれてみえるくらいでしょう?

柚希のショーブランは、ひねくれてはいませんでした

だけど、まっすぐに革命を信じて生きてきた男の不器用さを感じました。

ショーブランは滑稽な役柄です。

悪役なのにドジばかりしてパーシーの本性を見抜けない。好きな女性には

どこまでも拒否される。ラストは騙されて・・・・・

どこか憎めない道化っぽい部分も持っている役柄です。

そんな役をどこまでもまっすぐに演じたのが柚希礼音。

後にも先にも柚希程存在感のあるショーブランを演じた人はいないのでは。

歌唱力が大幅にアップしたのも幸いでした。

「ちえちゃんの声が苦手」という人も見かけますが、個人的には全然平気。

むしろ、そのかすれた声が好きかな・・・・と。

 

 傑作に恵まれたトップ時代

どのトップもそうですけど、その時代に1作、傑作というか、ウケがいいものが

あれば幸いです。

あの大地真央も天海祐希も決してトップ時代に作品に恵まれたとは言い難いですし。

柚希礼音はいわゆる音楽学校時代から期待されてきた人であり

歌劇団も「宝塚をしょって立つ人物」と目していたのでしょう。

お披露目には小池修一郎の「太王四神記Vo2」を持ってきました。

とはいえ、作品的には花組の方が出来がよかったし、タムドクにしても

真飛の包容力には到底及ばない気がしました。

 

次の「ハプスブルクの宝剣」「BOLERO」がひどい作品であったので

柚希も御多分に漏れず、期待のわりには・・・・と思いました。

しかし

天が彼女を見放さなかったのか、彼女自身が運を呼び込んだのか

2010年、梅田と博多で上演された「ロミオとジュリエット」が大ヒットします。

ロミオという役はトートより難しい役ではないでしょうか。

役柄として真っ白であるし、正統派の二枚目でどこまでも美しく演じなくては

なりません。

後に山崎育三郎と古川雄大、フランス版も見ていますが、イメージとしての

「ロミオ」はやっぱり柚希礼音が一番であると思います。

日本人であるのに・・・っていうかアジア人であるのに、ここまで金髪碧眼が

似合う役者というのは早々いないだろうと。

この作品を柚希にあてた小池修一郎の晴眼ぶりがわかります。

多分、この作品で柚希礼音が「フランス人形のようなコテコテのコスチュームが似合う」

という事が証明されたんでしょうね。

やがて「めぐり会いは再び」のドラントにと繋がって行くのです。

その前に「愛と青春の旅立ち」「花の宝塚絵巻」がありましたね。

「愛と青春の・・・・」のザックはイマイチキャラが違っていました。

どちらかと言えば凰稀かなめ向きであったと言えるでしょう。

残念な事に「花の宝塚絵巻」で日本物がまるっきりダメなことも証明してしまったし。

本当に「めぐり会いは再び」がなかったらどうなったかと。

この作品は博多座でも延々と上演され、2012年には続編まで作られました。

小柳奈穂子のごてごてロリータ趣味と、柚希の雰囲気がぴったりマッチして

まさに「夢の世界の宝塚」を大いに盛り上げてくれました。

ラブシーンが上手との評価を受け始めたのも「ロミジュリ」と「めぐり会い」が

始めではないでしょうか。

さらに小池修一郎は「オーシャンズ11」で、柚希に新たな役柄を与えます。

デコレーションケーキの世界から、色恋渦巻く現実的な大人の世界へと

ファンを誘っていったのです。

柚希はデコレーションケーキの世界t路大人の世界を行ったり来たりして

楽しませてくれました。

また、小池修一郎と3作を共にした事で、名声を欲しいままにしました。

小池と共演したいトップは何人もいると思うのですが、リメイクとはいえ

ほぼオリジナル3作で新境地を開いた事は大きな功績になったでしょう。

 

ショーにおいては上達した歌唱力も素晴らしかったけれど、何と言っても

「大地を踏みつけるかのようなダンス」が魅惑的でした。

エトワール・ド・宝塚」のサソリ、「パッショネイト宝塚」のファヴェーラは

柚希の代表的な場面になる事でしょう。

(今でもサソリのダンスを見ると、我が家の姫は「ザネリがサソリになって

焼けたのよ」というんですよ

 

ただ偉大すぎるトップスターを持つと、組子が育たないというか

何もかもトップにおんぶにだっこ状態になるのは致し方ないのか。

特に柚希礼音の圧倒的な「華」の前には、誰も太刀打ちできず

ただの引き立て役になってしまう事が残念であったと思います。

今時の星組は実力派が横に追いやられ、見た目のいい促成栽培ばかりが

真ん中に立つという現状。

柚希のカリスマ性で持って来た星組が今後、どうなってしまうのか

かなり心配ではあります。

 

柚希のお披露目の時、ご挨拶を見て

「大きくなったわね。ちえちゃん」と母のように思った事を覚えています。

たどたどしくご挨拶してみんなの笑いを誘っていたちえちゃんが

舞台の中央に立って、しっかりと言葉につまらずご挨拶出来る程

成長するとは。偉いねえと褒めてあげたくて。

最初から期待されて、その割にはのほほーんとやっていたような下級生時代。

ただただ「素直さ」命で、教えられた通り、きっちりとやるしかない不器用さ。

見た目の派手さは才能、だけどその他は全て「努力」の人です。

あの「ちえちゃん」がスパルタな先輩に変貌していくなんて大昔には

想像できませんでしたから。

 

今後、どういう形でやっていくのかわかりませんけど、

不器用だけど素直な努力家は宝塚にいた頃と同じように

地道にこつこつとやってチャンスをつかんでいくでしょう。

次のステップが楽しみです

でもまあ、英真元組長がおっしゃるように

「柚希のDNAを受け継ぐ存在を生み出す」義務も確かにあります。

ぶっちゃけ女性として幸せになって頂きたいです。

ちえちゃん、本当にご苦労様でした。

研2か3の頃でした。お茶会で私に笑って会釈してくれたこと忘れません。

あの時と同じ「よい子のちえちゃん」のまま、これからますます素敵な

女性になって下さいね。

 

 

 

 

 

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さよなら柚希礼音  宝塚のライオンキング 1

2015-04-26 19:30:00 | 宝塚コラム

 どんな偉大なトップスターであろうとも退団していく。

これが宝塚歌劇団の宿命です。

とはいえ、柚希礼音がいない宝塚を想像すると背筋が寒くなるのも事実で。

 大型すぎる新人時代

私は新人公演を見る事が出来ないので、いわゆる「新人」にはうといです。

本公演で重用されるようになるまで、名前と顔が一致しない。

それは今も同じ。ゆえに大きな事が言えた義理ではないんですけど。

ただ、85期に関しては、下級生の頃、ちょこっと関わった事があり

入り待ちや出待ちを続けていたこともあったので、他の下級生よりは

素顔を見ていた・・・かもしれませんね。

 

柚希礼音の名前を最初に知ったのは石井徹也氏の本の中です。

彼は新人公演も音楽学校文化祭も見ている人でした。

彼がその著書の中で

今年の文化祭は柚希礼音による柚希礼音の為の文化祭のようだった」と

書いていました。

音楽学校の文化祭というのに、マスコミ関係者まで駆けつけて非常に

大がかりであったと。それだけ柚希への期待が大きいのだろうという話でした。

無論、その頃の私は彼女の顔も名前も知りませんでしたから

「ふーん」と思った程度で

85期のお披露目、1999年の雪組「ノバ・ボサ・ノバ」も見ているけど

正直、ロケットには興味なかったし。

ただ、2000年の稔幸主演「Love Insurance」を見た時

2幕目の終わりごろに出てきた柚希礼音の体の大きさと

目の大きさだけは覚えています。

あれが、有名な柚希礼音だ」と友人に聞いた覚えも。

でも、その時は「へえ、ガタイのいい子なんだなあ」くらしか。

 

1999年ー2000年、2001年と宝塚は大きな変革の波に呑まれていました。

 組子の増加による高学年化

 阪神大震災の影響

それを打破する為に「宙組」を発足させ、5組化します。

一人トップスターの枠が増えた事で、今まで埋もれたスター達を発掘できると

思っていたのです。

でも現実は何も変わりませんでした。

実力のあるスターが報われない原因は組子やトップの数ではなく

適材適所に人を生かす事が出来ない「作品」にありました。

90年代に登場した演出家達の力量不足が、多くのスターを埋もれさせ

退団へ導いてしまったのです。

しかし、歌劇団はそれを認めず、さらに「リストラ」政策を打ち出します。

それが1999年の「新専科制度」です

いきなり、2番手3番手のスターを全員「専科」入りさせ、外部出演をさせたり

あっちこっちの公演に出したのですが、そうなると「組内2番手」の地位が

下がる事になり、結果的に専科は邪魔な存在になります。

「新専科制度」は多くのスターとファンを傷つけ、泣かせ、それが今の

宝塚不信につながっているのだと思います。

 

柚希がデビューを飾った雪組公演「再会」「ノバ・ボサ・ノバ」では

当時4番手だった生え抜きの安蘭けいの元に、宙組から朝海ひかると

月組から成瀬こうきがやってきて同期3人の「3兄弟」がしのぎを削る事に。

さらに新専科制度発足で、香寿たつきが星へ異動、星組から絵麻緒ゆう

やってくるという納得のいかない人事がなされ、また雪の生え抜きだった

安蘭けいが星へ異動するという事態に。

私はいつも、この頃の宝塚を思い出すのは嫌だし、苦しいです

あまりにも激しい人の異動で何組を見ているのかわからない気分になる。

それが当時の宝塚でした。

 

2001年。たまたま大劇場へ行き、星組の「花の業平」を見ました。

その時、まさに「柚希礼音の為の和物ロケット」を目にしたのです。

本筋とは全く関係ない「繋ぎ」の舞。ここで柚希はど真ん中で愛らしい

柚希礼音を見ました。

当時、夢輝のあのファンだった私は、「イーハトーブ夢」を3回見て

感動に打ちふるえていたものですが、10も学年が離れている

ねったんジョバンニと柚希ザネリが対等にやっている事に大いに驚きました。

「イーハトーブ夢」はあらゆる意味で宝塚の枠を離れた、意欲作であり

七色の声を使い分けた夢輝の演技力もさることながら、

意地悪なザネリを演じた柚希礼音の素直ないじめっ子な姿が印象的でした。

特に2幕目ラストでザネリが「俺は悪くないんだよ」と泣き伏すシーン、

ジョバンニに手を取られてひっくひっくべそかきながら歌うシーンが

本当に素晴らしく、あの作品の成功は柚希ザネリがいてこそだったんだなあと

思ったものです。

とはいえ、私の中で「柚希礼音」はまだまだ男役として認識されてはいませんでした。

非常に体が大きな、すくすく伸びるタケノコのような・・・ダンスが上手な・・・・・でも

男役とはちょっと違う・・・みたいな感じの人でした。

当時の事で覚えているのは「ベルサイユのばら」を見に大劇場まで行って

友人と劇場付近を散策している時、本屋さんで文化祭のパンフレットを見せられ

「これがちえちゃんの本名」と教えられたこととかーー

色々85期のファンクラブについて聞いた話とか。

冬の頃、柚希が颯爽と劇場に入ったのですが、その時、長いマフラー

(道路までつきそうな)をしていた事とか。その目立つ事と言ったら。

 

香寿たつきさよなら公演「バビロン」のオープニング、陽月華と怪しく

踊る柚希、中詰め近くに見事なダンスを披露する柚希、どれも印象的でした。

この頃は本当に陽月華との相性がぴったりで。

二人ともダンスが上手だし、陽月の演技力は抜群だったし、二人とも目が大きくて

綺麗だったし、将来が楽しみなカップルだと思った記憶があります。

 

だけど、「ちえちゃんのダンスは上手だけど、男役のダンスじゃないのよね」と

言われていたのも事実。

言われてみればそうだと思いました。

足は90度に上がるし、バレリーナみたいにしなやかでかっこいい。

だけど、そのかっこよさは男役というより普通のダンサーとしてのもの。

以後、そういうイメージがついて回った事も事実ですよね。

新人公演の重要な役に抜擢される事も多々あり。

実際に見た「ガラスの風景」とかビデオで見た「王家に捧ぐ歌」とか

見た目の華やかさに実力がついていけてないなというのは感じました。

 

だけど。新人公演主役を張った時の「あいさつ」が面白くて。

すくすく育ちつつあるタケノコは、たどたどしくごあいさつをする。

上級生に突っこまれたりしながら、一生懸命に話す。

それが誠に子供っぽくて「ほら、しっかり」と母のように叱咤激励したくなる。

まさに柚希礼音の新人時代というのはこの一言に尽きます。

 

 

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皇室ウイークリー

2015-04-25 17:48:59 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

4月17日・・・天皇陛下 → 内閣総理大臣より内奏を受ける

                  通常業務

           両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

                   宮内庁新規採用職員に会う

                   園遊会について説明を受ける

4月18日・・・皇后陛下 → 小山実稚恵デビュー30周年記念公演鑑賞

4月20日・・・両陛下 → 退職部課長と夕食

       天皇陛下 → アゼルバイジャン国会議長と会う

                 衆議院参議院役員とお茶

4月21日・・・両陛下 → 園遊会

        天皇陛下 → 通常業務

4月22日・・・両陛下 → 第9回みどりの学術賞受賞者について説明を受ける

                勤労奉仕団に会釈

                日本芸術院関係者とお茶

       天皇陛下 → 認証官任命式

4月23日・・・両陛下 → 離任大使夫妻に会う

                国際賞授賞式・祝宴出席

 

 

皇太子同妃両殿下

4月20日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

4月21日・・・皇太子殿下 → 園遊会

4月23日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

                   外国大使と会う

秋篠宮家

4月17日・・・両殿下 → 赴任オーストラリア大使夫妻に会う

      秋篠宮殿下 → フェドカップ by BNPパリバ2015ワールドグループII・

                 プレーオフ「日本対ベラルーシ」戦抽選式出席

                 三の丸尚蔵館展覧会鑑賞

      紀子妃殿下 → X線発見120周年記念式典について説明を受ける

4月20日・・・秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所会議出席

          両殿下 → 「大アマゾン展」鑑賞

4月21日・・・両殿下 → 園遊会

4月22日・・・両殿下 → 第18回冬季デフリンピック大会結果について報告を受ける

                外務省から進講を受ける

                赴任タンザニア大使夫妻と会う

4月23日・・・両殿下 → 外務省から進講を受ける

      秋篠宮殿下 → 済生会理事長らから26年度活動報告を受ける

     両殿下・佳子内親王・悠仁殿下 → タイ・シリントン王女と夕餐

 もはや開店休業の東宮家はそれでもしっかりゴールデンウイークは静養へ。

   自分でやってておかしいと思わないのが不思議。

  仕事してないのに「静養」なんて、後ろめたい筈ですが・・・・普通は。

 シリントン王女との夕食会には悠仁親王もご出席。

   ご立派に公務をされているのですね。

   両陛下が皇太子夫妻だった頃には未成年皇族でも玄関でのお出迎えとか

   部屋でお話している写真などが撮影されたものですが。

 

 三笠宮彬子女王・瑶子女王 靖国神社例祭へ 

 23日。三笠宮彬子女王と瑶子女王が靖国神社例祭に合わせて参拝。

これぞ皇族ですわ 女王方お二人が並ぶとやはり華やか。

皇族なんだから靖国神社を参拝するのは当たり前の事なんですよね。

今や、それをやっているのが三笠宮家の二人だけというのが悲しいですが。

 

 皇太子殿下、久子妃と雅楽鑑賞 

 24日。皇居東御苑の宮内庁楽部で、春季雅楽演奏会。

 皇太子と久子妃が出席。外国大使らと楽しんだ。

ふうん。こういう手があると考えますか。

将来的に皇太子が天皇になった時、公の場に出たがらない雅子皇后の為に

末端宮家の久子妃が横に座って「皇后代理」をやろうと・・・・・

こういう事をさせる宮内庁のセンスがわからない。

あまりに野心的な久子妃の表情を見て背筋が凍った私でした。

 

 愛子内親王のスキー映像公開 

 宮内庁は23日。先月奥志賀静養時のスキー映像を公開。

 愛子内親王はインストラクターについて難しいコースを滑り、オリンピックコースにも

  チャレンジした。

映像ではオレンジのウエアを着ていたり水色だったり。

撮影日がそれぞれ違うんでしょうか。数日しか滑らないのに2着持ってるの?

滑ってる映像を見ると、ついつい「本当に愛子内親王?」と思ってしまって。

というか、なぜ今頃こんな映像や画像を公開するんでしょうか?

やっぱり佳子様に対抗してる?

全然対抗になってないけど

そんなに目立ちたかったらきちんと公務をすればいいのにと誰もが思う事。

 

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秋篠宮両殿下、シリントン王女と夕食

2015-04-24 08:37:15 | 皇室報道

 こういうニュースがテレビで報道される事が珍しいのでは。

 

 23日。タイのシリントン王女と秋篠宮両殿下・佳子内親王が

  夕食を共にされた。

  皇室通の方はとっくにご存じですけど、シリントン王女は大昔から

  秋篠宮殿下と大の仲良し。宮家の結婚式に外国王族は招かない慣例なのに

  シリントン王女だけは出席されたという事例が。

 実はシリントン王女もそのお姉さまも今まで何度も来日されており、その度に

   秋篠宮が接待をしてきました。また、秋篠宮がタイに行けば、必ずシリントン王女が

   お付添いされるという関係。

   ワチュラロンコン王太子とはあまり・・・・ですよね

 タイの王室も日本と同じで、あまりにひどい王太子の存在に国民が怒ってる。

  絶大な人気を誇るシリントン王女。王位継承権もおもちです。が、残念なことに

  結婚していないし子供もいないので、実際に王位につくのは難しいのではと

  言われています。

  だけど、オランダ国王の即位式には王太子と一緒に出席されていますので

  今や「摂政」のような存在なのかもしれませんね。

 今回に限り報道されたのは、佳子様がいたから。

   恐るべし佳子様パワー

 シリントン王女と紀子妃が着ているのはタイシルクかな?

シリントン王女、すっかり秋篠宮家に馴染んじゃって、近所のお姑さんみたいになってます。

顔はおばあさまそっくり(プミポン国王の母)ますます恰幅がよくなって。

この雰囲気こそ本当の「皇室外交」なんですよね。

どこぞの皇太子夫妻のように、タイはタイでも暫定軍事政権の首相夫妻と会う

なんて事はしないの。

皇族なんですから王室と付き合うのがお仕事の筈ですよね。

比較するのもなんだけど・・・・

主役が違うでしょって。何でいつも皇太子妃が目立つ所にいるのか。

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雑談

2015-04-24 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

 皆様、ご心配頂き、本当にありがとうございます。

我が家のヨンジュナは現在、明日のジョー状態になっておりまして

せっかく色白のイケメンに産んでやったというのに

GW前の短縮授業でしかも運動会の練習メインの日程でよかったですわ。

小学生のいざこざはいつ我が子が加害者になるかもわからず、対応に苦慮しますね。

 

でも今時は「よその家に遊びに行くのはしょうがないけど、うちには呼ばないで」という

家ばかりで。接触を避けたいんでしょうね

去年の秋だったか、田舎から送って来たりんごと柿を遊びに来た子達にあげたら

全員から

何でくれるんですか?」と言われて面喰いました。

何で?いやーおすそわけだよーーあ、おすそわけって言葉、知らないか。

「もううちにあるからいらない

食べ飽きたからいらない

という子までいて。でも一度上げたものをつっかえされるのは嫌だったから

持たせたけど、当然お礼の電話なんかありませんって。

10年前なら「ありがとうございます」って素直に持って言ってくれたのになあ。

 

皆さまのおっしゃる通り、小6の子とお母様が家までいらっしゃいました。

もしかして同年代?だからこんなに常識的な事をなさるのかと。

いわゆる「加害」の少年ですが、顔を見た瞬間、怒る気が失せました。

マラソン大会の時、びりっけつを走っていたかなり肥満の子で、6年生にしては

幼い感じがして。

でも一生懸命手を合わせているので怒れないでしょ。

 

宝塚の話。

星条海斗が専科に行くそうで

まあ、それはしょうがない。いつかそうなると思っていたから。

いっそ、組長でもいいよーー

雪バウ「銀二貫」の主役が月城かなと。全然わからないけど

新人公演主役をやっていた子よね?

谷演出で「銀二貫」かあ。

BSプライムでやってた時は欠かさず見てたけどな。

暗くなりすぎずに出来るといいですねーー

週刊誌いわく、今期のドラマは視聴率がほとんどヒトケタだそうです。

視聴率がよさげなのがキムタクの「アイムホーム」くらい。

Dr倫太郎」は予想外の低視聴率で堺雅人に

やっぱり「半沢」続編やっとけばよかったんじゃない?」という

意見もあるとか

確かに、つまんないといえばつまんないかも。

天使と悪魔」は1話で挫折。

心がポキッとね」も2話で挫折。

医師達の恋愛事情」も2話で挫折。

来週楽しみねーーというドラマが・・・・・「マザーゲーム」「ようこそ我が家へ」

アルジャーノンに花束を」くらい。

それも主役じゃなくて、わき役狙いだし。

(檀ちゃんとかえみくらとか窪田正孝とか須藤阿須加とか)

ドラマ制作部が迷走してわけわかんなくなっているのはわかります。

今さらアルジャーノンを出してくるところとか、濡れ場を出せばポンポイントで

視聴率がとれるぞーーとか、ジャニーズとEXILE出せばOKとか。

心がポキッとね」はかなり意欲作であるのは認めるけど、まったりしすぎているのと

山口智子の演技が目について・・・・

何で山口智子がバッシングされるのかってよくわからないけど

「演技が昭和」とか言われているんでしょう?

問題は「見た目」で・・・・あの人、私と同い年なのに全く老けてない。

いますぐ「王様のレストラン」に出られそうだもん。

でもね、やっぱり歳相応に老けるという事は大事なんじゃないかと思う今日この頃。

ヤメゴク」も結構面白いなあと思うけど、大島優子がいけてないという話。

何でも「映画化するから」というオファーで仕事を受けたとか。

え?もう映画化が決まってるわけ?

マザーゲーム」の木村文乃は事務所の力で主役をゲット

とはいっても、見た目平凡で(それがいいんだけど)没個性に見えるよね。

安達祐美が意外といい味出してて。

最近見たドラマでは「その男、意識高い系」が面白かったです。

林遣都もいいけど、大地真央が。この人、やっと普通の女優さんになったなと。

 

 

 

 

 

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2015年春の園遊会

2015-04-22 07:00:00 | 皇室報道

友納女史が文春でぶちあげた「雅子妃園遊会出席の期待」も見事に打ち砕かれ。

これで彼女がどう書こうとも、それが「嘘」である事はバレバレなわけで。

多くの国民の目が覚めるといいですね。

 

さて。

2015年、春の園遊会は4月21日に行われました。

ノーベル賞の3人も招かれて和やかに。

わざとか偶然か。紀子妃の全身が写ったのはこの1枚のみ。

筆頭宮家の妃だよ?

でもわかりますね。秋篠宮夫妻が立つと、皇太子が侍従にしか見えない。

ゆえに・・・・って事ですか?

いや・・・でも・・・・このところの「意地悪な思惑」が私を不信にさせるのです。

それにしても。

着物の事はよくわからない私が言うのもなんですが。

瑶子女王の振袖。20歳の娘さんが着るなら可愛いと思うけど。

さすがにきつい・・・・ような気がします。

信子妃の着物はネットで絶賛されております。変った柄だなあと。

私には「姉さん」にしか見えず(すみません)

紀子妃の着物は柄が浮き上がっているようで、とても上品で可愛らしい。

そして色も美しいですよね。

彬子女王の着物も年齢にあってないような気が・・・・・

皇室では未婚であれば延々と振袖でいいようですけど。

こ・・皇后陛下。すっかり陛下と腕を組んであるいていらっしゃる。

一般人なら微笑ましいかもしれないんですけど。

 動画で見る限り、皇后陛下はあまり会話をなさっていないような気がします。

何だかとても弱弱しくて。

しつこいようですが、足がお悪いなら杖なり車いすなり使って頂きたい。

そこらへんの老々介護してるカップルじゃないんだし。

「無理してでも歩くの」

「這ってでも歩くの」

っていうのはただただ意固地にしか見えません。

国民は皇后陛下が歩かなくたって「さぼっている」ようには見ませんよ。

 

ただ解せないのは。

常に「体裁」に拘って来た両陛下がなぜ、今になってここまで

みっともない(失礼)姿をさらされるのかという事。

車いすや杖の方がよほど「おかわいそう」に見えるし、国民は同情するのでは。

つまづきながら、陛下の腕にすがりながら歩く方がより「犠牲的」に見えるのでしょうか。

誰かお止めするべき。

 

皇后陛下は普通でいえば要支援3くらい?

足の度合いに応じて用具を使うご年齢ですし。

歳相応にされる方が同世代の共感をえる事が出来るのではないかと。

コメント (34)
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