ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

皇室ウイークリー

2021-02-28 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

2月19日・・・天皇陛下 → 通常業務

              記者会見

2月23日・・・天皇陛下 → 天長祭の儀

              祝賀(内閣総理大臣,衆議院議長,参議院議長,最高裁判所長官,外交団長)

              元皇族(代表),御親族(代表))

     皇后陛下 → 元皇族(代表),御親族(代表))

      両陛下 → 祝賀(長官,次長(職員総代),皇宮警察本部長(職員総代))

元皇族(代表),御親族(代表))

     両陛下・愛子内親王 → 祝賀(侍従長,侍従次長,女官長)

                 お祝御膳

2月24日・・・・天皇陛下 → 通常業務

2月25日・・・天皇陛下 → 離任英国大使夫妻と会う

 

皇嗣家

2月19日・・・殿下 → 赴任イスラエル大使と会う

2月22日・・・殿下 → 山階鳥類研究所会議(オンライン)

2月23日・・・殿下 → 天長祭の儀

      両殿下 → 天皇誕生日祝賀の儀

2月24日・・・妃殿下 → 「セーブ・ザ・チルドレン「栄養の危機」報告書ローンチ&「東京栄養サミット2021」に向けたオンラインイベント」聴講(オンライン)

2月25日・・・両殿下 → 外務省から進講を受ける

      妃殿下 → 第25回世界結核デー記念国際結核セミナー聴講(オンライン)

 今年の天皇誕生日は随分縮小された祝賀でした。

  なんていうか、今の天皇皇后ならそれでいいんだと思います。

 なんせ、誕生日翌日から山火事ですしねえ。

天皇誕生日の記者会見の内容について、特に眞子内親王の件については「両親とよく相談して」「国民から祝福を受けないと」という内容で、週刊誌はどれも「天皇陛下は眞子さまの結婚に「NO」を突き付けたと報じています。

でも私はそうは思っていません。

そもそも眞子内親王の結婚なんて興味がないのだと。ゆえに、11月に出た文書も呼んでいない可能性があります。

眞子様はあの中で「両陛下は見守って下さっている」と書いています。

無論、この文章は嘘ではなく、社交辞令としての文言なので重く受け止める必要はないと思うのですが(マスコミはいつの間にか社交辞令の文言すらわからなくなっているようで何でもかんでも言った言わないに持って行く傾向があります)

仮に読んでいたら「伯父である私は姪をいつも見守っているし幸福を願っています」くらいの文章は付けくわえてもよかったと思うんですね。

それがなかったということは、いかに無関心であるか、眞子内親王の事など天皇にとっては全くの他人事、共感すら出来ない話だと思っている証拠。

自分がいかに周囲の反対を押し切って無理に結婚したかという意識も欠落。

もう本当にどうしようもない天皇だなあと思っています。

しかも、愛子内親王については「オンライン授業を夫婦で一緒に受けている」と嬉々として語っています。「懐かしい」ともね。

大学1年生の娘の授業を一緒に聞く親・・・・この異常さをなぜ誰も指摘しないのでしょうか。

親として出来ることはしてやりたい」という気持ちはわかるけど、それを言葉にしてはいけない立場なのが天皇です。

ましてや「雅子を支えていきたい」は絶対にダメでした。

自分中心で他人に共感出来ない天皇が「妻」を支えたいと本気で思っているかも怪しいけれど、この1文はわざわざ付け加えさせたものじゃないか?と疑ってしまいます。

話は眞子さまに戻り、週刊誌は続々と「結婚確定」と報じ、タワーマンションの物件探しをしているとか、小室が奥野法律事務所に戻れば万事解決ではないかとか、駆け落ち婚しかないとか書き連ねています。

このしつこさ、みんな洗脳されてしまうというか、相変わらず私の同僚も「眞子さま、ついに結婚するんでしょう?タワーマンション。じゃあ、1億円は辞退して貰わなくちゃね」と言います。

この人には何度説明しても無駄だから・・・とはいっても怒りの沸点に近づきそうな感じを抑えるのが大変。

「雅子妃のオランダ静養に比べたらどうよ」と話しを向けておわり。

眞子様の育ってきた環境から、いわゆる「DV妻」になる素質が出てくるとは思えないんですよ。虐待されて来たわけじゃないし。でも常に「不安」を抱えて来たことは確かかもしれません。

思春期あたりから始まった秋篠宮家に対するバッシング。

それをスルーし続けるという事はたまらなくきつかったろうと思うのです。

長々虐めに合うようなもので、誰も助けてくれない環境にいたことは確か。

それゆえに、一つの幸せに固執するのもわかる気が。

これを逃したら自分は一生結婚できないかもしれない。

親のいうなりの人生しか待ってない・・・と思い込んでいるのかもしれませんね。

もう国民にはどうしようもないことですが。

 

イギリスではサセックス公爵夫妻が3月末日を持って、「王族」からしっかり離れることが決まっています。この際、サセックス公爵というタイトルも剥奪される可能性が出て来ました。

王族ではなく貴族ですらなくなるのです。

ただのヘンリー・ウインザーとメーガン・ウインザーになるんですね。

その件とエジンバラ公の容態を心配し、チャールズ皇太子が涙ぐんでいるような写真を撮られてしまったようです。

タイトルも財産も失うヘンリーとメーガンは、第2子懐妊にかこつけて王室にすりよりをしているとか。「曾孫は可愛いでしょう」と女王に訴えているんだとか。

タイトルがなくてもイギリス王室の血が入っているのよ」とメーガンは強気でしたよね。でも、王位継承権を持つ王族なんて他にいっぱいいるし、今は、サセックス公爵の位置にウェセックス伯爵夫妻(エドワード王子夫妻)が入り、品行方正な伯爵夫妻に好感度が上がっているとか。

ウェセックス公爵は1964年生まれ。女王の子供の中で唯一離婚してない夫婦です。

1男一女に恵まれました。男子はプリンスですが、女子はプリンセスを返上しレディです。

なかなか日のあたる場所に出てこなかった夫妻が思わぬところでメジャーになった事はよいことだと思います。

なぜ日本はそうはいかないのか。

「公務を担う皇族が少ない」といいつつ、眞子様や佳子様の行動を制限しているのはほかならぬ宮内庁ではないかと思うのです。

眞子様は現在働いていますが、これはプリンセスの仕事とは別です。

いずれ降嫁するからと役職を与えないのはそれこそ差別ですよね。

眞子様にも佳子様にも「妃」が行っていた公務を分け、それにまい進して貰うことが今の皇室を救う道ではないでしょうか。

 

 

              

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宝塚で古典はダメかしら?

2021-02-27 07:00:00 | 初心者の為の宝塚講座

 久しぶりに真面目に「宝塚」を語ろうかな~~と思っているので、宝塚を見たことのない方やこれからファンになるのでオススメビデオなどを教えて欲しい方、コメント欄よろしく~~

あ、「だいもん」はまず「ドン・ジュアン」を見ずにファンは語れないでしょう。

先日「ダル・レークの恋」を見ながら、菊田一夫作品を今、宝塚で上演するにはかなりのハードルがある事を感じました。

歌舞伎などでは「忠臣蔵」などの古典は毎年のように上演され、ファンも「古いから」とは言いません。むしろ新作については「え~~これが歌舞伎?」とかいう事もありますよね。

宝塚の場合、「ベルばら」が筆頭で「時代遅れ」な作品で、今思えば昭和50年くらいでしたっけ?何であんなにヒットしたんだ?と平成生まれは首をかしげているんじゃないか?とさえ思えます。

いやいや、昭和の「ベルばら」はすごかったのよ。感動したのよ・・・と力説してもそれはあくまで原作を読んでいるという前提付きの感動であった事は確かかも。

「ベルばら」を通して原作に触れる、その逆、結果両方が儲かる方式だったんですよね。ヅカファンとしては白軍服のオスカル様を演じた安奈淳さんがあまりに素敵だったから!フェルゼンの榛名由梨さんがあまりにかっこよかったから!フェルゼンを演じる鳳蘭があまりりにも~~となる。

初演当時から、「セリフ、ちょっとおかしいんとちゃう?は誰もが感じていたことだと思いますが、ファンが植田先生に文句を言うわけにはいかず・・です。

原作ではそれほど「軍服を着た女性」としてオスカルが異様に見えることはなかったのです。だけぢ宝塚では殊更に「女のくせに」「女にだって権利はある」とフェミニストが喜びそうなセリフをつける。

原作者の池田理代子さんは果たしてそこまで「ジェンダー」を意識して作ったかどうかわかりませんけど、とにかく歌劇だとそうなって今に至る。

誰もが古臭い、セリフ回しが独特すぎてついていけない・・もはや原作の片りんもないと嘆く「ベルばら」は今でも伝家の宝刀、なぜか「古典」となって親しまれているのです。

さて、菊田一夫氏ですが、この方について教科書で習うかな・・と考えると、今時の20代は恐らく全員「知らない」って言いそうな雰囲気ですね。

文学史は現代国語の中でも重要な位置を占める筈ですが、明治の文豪ですら削られては昭和の大脚本家なんてあっさり削除ですよ。

私達の年代だって「菊田一夫といえば「君の名は」(新海監督じゃないよ)」程度の知識しかないわけですからね。

でも、戦後の一時期、菊田一夫他、外部の脚本家が座付きに交じって作品を書いていた時代があったのです。なぜ今はないのか不思議ですが、恐らく現代作家と宝塚の間で「現代の思考」と「宝塚的思考」の間の溝が深くなったからではないかと。

昭和20年代、30年代は日本でも韓流・華流真っ青のメロドラマが続々映画化されたりドラマ化されたりで、そんなに宝塚だからって特別なことはなかったのです。戦前なら尚更です。宝塚以上に宝塚的な俳優さんが沢山いましたからね。

 

で、菊田一夫氏ですが、先日お昼を食べていた隣の席の20代らしき数人が

菊田先生の作品っていつも互いに意地を張って終わるのばかりよね」って話していて「なるほどなあ」と思ったものです。

確かに森光子さんで有名な「放浪記」だって、決して柔軟性のあるヒロインじゃないものね。

菊田作品の常として、ファンが引く原因はその「言葉遣い」だと思うんですよ。

霧深きエルベのほとり」でも笑っちゃうような古めかしい言葉遣いが並びます。

ダル・レークの恋」だって、「・・でございますね」連発にはびっくりする人が多いのでは。

例えば今この文章を菊田一夫風に書いてみるならば、昭和の言葉遣いというのは戦前戦後で随分と変わっているのでございますよ。

けれど、「ダル・レークの恋」の恋のラッチマンも、あるいはリタも、あの当時からすると、随分と先を行く思想の持ち主で、ですからあの当時としてはとても、ええ、とても「現代風な」脚本であったのですわ。

血筋や家という存在を、皇族の方々ですら否定する時代なんですもの、一般の方々がわからなくても当然ですわね。

好きなら付き合えばいいじゃん」などと申しますが、結婚は女の一生を左右するもの。そこに真実の愛がなければ受け入れてはいけない。なぜなら失敗したらとても手痛い罰が待ち受けているのでございますからね。

・・・ってこんな感じです。

「霧深き・・・」の場合も、ヒロインの母が運転手と駆け落ちをしたという、とても現代風な背景が語られていて、ゆえに家出するのも致し方ないと思わせ、世間知らずのお嬢様ゆえに恋に夢中になって現実にぴしゃりと平手打ちをくらう。

これは今も共感を得られるのです。

しかし「ダル・レークの恋」は共感する所がない。

ラッチマンの「ボタンの掛け違い」で本来、結ばれる筈の二人が価値観の違いに気づき、それでも女性は安易に男が同じ身分だったゆえに、価値観を取り戻すと考えていたのだけど、ラッチマンは一度思想を決めたら揺るがず、彼女の本性を見てしまったことで傷つき、許さず、去っていく・・・という話で、現代でも共有できそうな話ではあるんですよ。

あるんだけど、ぴゃっぱり言葉遣いが難しいのと、「匂わせ」セリフのせいで紗幕がかかったように難しいの。

・カマラの処女を求める・・・私はカマラ姫を愛しています。と申せば私が何がいいたいかおわかりになるでしょう

OR あなたの命を頂きたい。

・カマラの初夜の回想・・・あの日の夜、あなたは私に何をしたのですか

等々。

 

こういうセリフが好きな私もいるわけですけどね。

菊田一夫といえば日本を代表する作家の一人です。

彼が宝塚に作品を残してくれたことは、大きな財産です。

だからこそ、変にセリフを追加したりせず、まんまでやってほしいと思うんですね。

そして時には古い言い回しを楽しむ余裕も欲しい。

だって新派などでは未だに昭和初期の作品をそのままやったりしてるわけですし。

わざわざ現代的な言葉遣いに替えたり付け加えたりはしないですよ。

ただ、「世相を反映した作品」を排出している宝塚。

エリザベート」ですら、今はもう価値観が古いというか、あの時共感していたエリザベートに共感出来ない自分がいたりするわけで。

そういう意味では宝塚は常に新作を上演するのがいいと思います。

 

 

 

 

 

 

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今回の東京五輪は日本人の感覚に合わないと思う

2021-02-26 07:00:00 | つれづれ日記

 橋本会長が聖火リレーに関して

 観覧は出来るけどマスク着用 拍手で応援

 芸能人は一般からは離れたところを走る

 点灯式は無観客

というようなガイドラインを出しました。

しかし、「選手たちにワクチン接種を積極的には求めない」けれども「安全安心な五輪」という矛盾した状態にはいまだ、納得できかねます。

今回の五輪問題で、日本は必死に「世界」に合わせようと努力しています。

世界的な価値観、世界的な常識、世界的な行動・・・でも、無理ばかりして自然ではない。

だからこそ、森前会長のような「ボロ」を出すことがあります

女ってもんは話が長いよな」

「女はわきまえが必要だ」

と言われても、日本の中にいる女性達は実のところそんなに怒り狂ったり「差別」と決めつけたりしないんじゃないかなと思います。

むしろ完璧にスルーして次へいくというようなやり方、それが日本です。

何度も書きますが、女性閣僚が少ない=男女不平等ではないのです。

共産圏では女性閣僚や指導者が多いです。また軍隊などでも女性が沢山いますけど、実のところは陰で非常に酷い目にあっていたりするものです。

それに比べたら日本の「女性差別」なんて可愛いものかなと。

かつて、女性の労働時間は限られていました。

いわゆる「深夜労働」が禁じられていた時代があります。

私、これに関しては悪い制度ではないと思ったんですが、「男女平等」の理念からすれば「女性差別」になってしまい、撤廃されました。

「女性の保護」ではなく「差別」という考え方になったわけですね。

じゃあ、今の年金制度はどうでしょうか?

わりと女性優遇になっているって知っている方はしっています。

夫の扶養に入っている「第3号被保険者」は年金保険料を支払わないけど年金は貰える。フェミニストはこれを「男女不平等、女は甘えるな」といいますけど、出生率がゼロにならないのはこういう制度のおかげかなと思っています。

また、夫と10年以上年下の妻は、夫の年金開始と同時に一定の年金が支払われます。これまた女性優遇と言われるかもしれないけど、「産む性」である女性を保護することは、出生率の向上に役立つんじゃないかと。

こういう事にはあまり誰も何もいわないけど、ちょっと言葉で耳障りの悪いことを言われたからってすぐに「差別」と決めつけるのはどうかと。

しかし、世界はそうではない。

日本人は内心では「騒ぐほどのことなの?」と思っていたけど、街頭インタビューでは「許せないですよね」となるわけです。

 

世界がキャッシュレスに走り、〇〇ペイが普通になり、ビットコインが高騰する世界の中で「IT」に遅れた日本といいます。

日本人の中ではやっぱり「現金」こそが信用できるもの。

これは、外国のように大量の偽札に悩んだり強奪されたりというリスクにさらされていない日本という国情がある。

むしろキャッシュレスの方が知らないうちに情報を抜き取られるのではないかと恐怖を覚える。

中国でQRコードによる決済が普通だからって日本まで同じようにする必要はないと思います。

役所などで盛んにマイナンバーカードをお勧めしていますけど、これは確かに自分で確定申告したりする場合にはいいと思います。

でも個人情報をどこまで開示していいものかという矛盾も生まれ、このマイナンバーのおかげで「紙」書類が増えてしまったという大きな矛盾に直面しています。

 

東京五輪に話しを戻すと、日本人だって春までにコロナ感染者をゼロにする事は難しいと思っているでしょう。

3月7日の緊急事態宣言解除に向けて、より厳しくなってきた「制限」に黙って従うしかありません。毎日、きちんとマスクをつけて不要不急の外出を控え、飲食店は営業を制限している。

こんなに犠牲を払ってもやっぱりゼロにはならない。

元々このウイルスが中国という外国からやって来たことを知っていますから、日本人はより外国に扉を開くことを嫌がります(当然です)

今、都内の感染者が抑えられているのも水際で止めているおかげもあると。

けれど、バッハ会長も橋本会長も「五輪をやる」前提で物事を進めようとしている。日本人だから反対デモもせず、菅総理の「五輪はコロナに打ち勝った象徴」とという言葉も「そんなのありえない」と思いつつも黙っています。

だけど、心の奥底に「今はそっとして欲しい」と思っている国民感情を無視して五輪を開催することに何の意義があるのでしょうか?

誰も責任を取りたくないから五輪を止めると言わない。

だったら世界で同時に「東京は中止」「北京はボイコット」でいいじゃないですか。お金にまみれた五輪は見たくないし踊らされるものまっぴら。

・・・でもわかってくれないだろうな。

 

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聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像4

2021-02-25 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

1958年12月21日 東宮御所でアルバムを見る

 

 1958年1月13日 お妃教育スタート

 まるで「プリンセスロード」が出来上がり、追っかけファンに見守られているような図式に見えます。お妃教育の為にわざわざ歩かせているとしか思えない。

子供も老人も仕込みじゃないの?と疑いたくなりますよね。

 

 朝日新聞 1959年1月14日

美智子さんは何を習うか」

 

 1959年1月14日 納采の儀

 ことごとくカメラから視線を外しまくる富美さん・・・すごすぎ。

 

 1959年1月20日 皇太子とテニス

 1959年 2月 ミッチーブームでデパートのマネキンにも登場

 

 1959年3月16日 告期の儀

 

 1959年 3月 兄弟そろって東宮御所へ

 

正田家の朝食風景

正田本家のある舘林を訪問

聖心女子大学同窓会にて

 女性自身1959年3月27日号

美智子さんの近況 万感をこめて母校聖心に最後のお別れ

婚約中 母と丸善書店に外出する姿やカードで遊ぶ姿

 1959年 旧高松宮邸でドレスの仮縫い

美智子さんのドレスは1957年ディオール死去によりブランドを引き継いだイブ・サンローランがデザイン。
仮縫いのため来日したスタッフのノアールさん談「イブ・サンローランはストールで着物的要素を、下はフランス的なふわっとしたエレガンスを表現。日仏両方の美しさを結び付けようとしました。」
美智子さんからは「遠いところからよくおいで下さいました。本当に感謝しております。」という言葉と銀の宝石箱が贈られた。

 銀の宝石箱を贈る正田美智子嬢。この頃、すでに「皇族」になったつもりなんでしょうか?

  銀の宝石箱で正田家がいかにお金持ちか示すよい機会だったのでしょうか?

旧皇族や旧華族は悔し涙にくれていたでしょうね。でもちょっと考えると、小和田雅子さんの「金箔箪笥」にもひけをとらないような気がします。

 

 TIME1959年3月号の表紙を飾る

 1959年3月24日 お妃教育へ行く道に観光バスが通り窓を開ける乗客

 女優魂を見たような・・・こんなに多くの人にシャッターを向けられても全然怖気づくこともなく、むしろ晴れ晴れしているんですから。

 

 1959年3月30日 自宅からお妃教育へ向かう

宮内庁分室前で花束を手に

 1959年4月 独身最後のパーティを自宅で

自分のお印が「白樺」に決まったので植樹する美智子さん

 

一体、どれだけのマスコミを抱え込んでいたんだろうと思います。

朝日新聞だけでなく毎日新聞、読売新聞・・・記者は皆お友達。

カメラを自宅に引き入れて、ありとあらゆる「場面」を撮影させる事で、既成事実を作っていたような気がします。

親兄弟は決して「祝福」しているような雰囲気がないのが不思議です。

特に父親の正田栄三郎氏は、能面のような顔になっていますし、常に妻の影にかくれている感じ。

「テニス」が花嫁修業の一環、お見合いを掴むためのアイテムなら、妹も同じことをしていたのでしょうか?

姉妹でテニスをしている様子もないし、ダンスもまたしかり。

なんていうか・・・正田家の教育は美智子嬢一人に注がれていたのでしょうかね。

 

お印については、皇后から「野菊」を提案されたけど、断って「白樺」にしたことは有名な話です。

「野菊」・・馬鹿にされたような気がしたんでしょうね。でも野に咲く菊とはいえ、菊は菊。見事な提案だったと私は思います。

一方の白樺は木で、通常、女性のお印には用いられないのです。

あえて「軽井沢の思い出の白樺」を選んだ所に、「私は男と同等」という強い意志を感じます。

野菊はどんな環境でも毎年花を咲かせます。素朴ですが飽きがない。

でも、白樺は皮をむいて火をつけると燃えちゃうんですよね。

(だからなんだって話ですけど)

 

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月組 ダル・レークの恋

2021-02-24 07:00:00 | 宝塚コラム

赤坂ACTシアターまで「ダル・レークの恋」を見に行ってきました。

本来なら2007年版瀬奈じゅん主演の作品と比較して語るべきでしょうけど、見てないし、スカステでも録画していないので、心はやっぱり1998年の星組版まで遡ってしまいます。

 

ダル・レークの恋」は菊田一夫脚本、春日野八千代主演で1959年に初演されました。星組版のパンフレットを見ると、麻路さきと春日野先生の対談が載っていまして。

この作品には春日野先生が制作陣の一人として参加したり、相手役の方が退団だったりと色々な思い出を語られ、「麻路さきなら大丈夫ですよ」とおっしゃっていました。

元は4時間以上あった超大作を、酒井澄夫が切り取ってきりとって2時間半に縮めて星組で上演しました。

ラッチマン・・・麻路さき

カマラ・・・星奈優里

ペペル・・・稔幸

でした。

この時、追加されたのが「まことの愛」でオープニングに燕尾にマント姿で歌っています。燕尾にマントってありそうでなかなかないというか、これを着こなすのは難しいのだと、今回の舞台を見て感じました。

当時の星組を思い出すと、組子みんなの顔面偏差値が高かったんだなあと思いますし、麻路さきと星奈優里のコンビは白城あやかに次ぐゴールデンコンビだと思った記憶があります。

麻路さきは退団を控えて「男役」を極めたまさに「伝説」と化していた存在ですし、星奈優里は雪組から組替えしてお披露目公演。ラッチマンもさることながら、星奈優里のカマラがなかったらこの作品は完成しなかったと思います。

なぜなら、この「ダル・レークの恋」って至る所「18禁」だらけなんです。

いやーー菊田先生、なんだってこんな作品書いたかな。

いや、きっと春日野先生時代の宝塚では当たり前だったのかも。

なんせ「エルベ」でも「俺にひどいことをされたくてここにきたんだろ?」なんてセリフが飛び出してるくらいだし、しかもホテルで一夜を過ごすというシーンまでありましたよね。

「ダル・レークの恋」は、マハラジャの姫でゴヤール王家の女官長に内定しているカマラ姫が、ヴァイシャ(カースト制度で一番下の身分)の騎兵隊員ラッチマンと恋に落ちます。

しかし、世間体を重んじたカマラの祖母たちは、「この恋を終わらせなさい」と迫り、カマラはその通りにしてしまうのです。

しかも、そこに前科12犯のラジエンドラがラッチマンではないかという疑いが浮上し、哀れ彼女に振られ、しかも無実の罪まで負わされたラッチマンは「自分はラジエンドラだ」と告白。

王族スキャンダルを一生黙っていて、しかももう二度とカマラと会わないと誓う代わりに、「カマラの命を頂戴したい」というわけです。

なんてことない。

お姫さまの処女を頂きたい」と言ったわけですね。

ここで、カマラに処女性がないと、「はあ?今更?」って観客は思います。

しかし、星奈優里のカマラはお子ちゃまでしかも儚くて、ラッチマンに触れられるたびにびくびくして。

つらそうですね」はいっ!でも平気っ! からのーーあごくい、腕くいっ「暴力もまた楽しいものだと教えて差し上げましょう」はいっ!妄想が~~~

ということで、かの有名なベッドシーンに至るのでした。

あの「お代官様」シーンで星奈優里が転んだときの、麻路さきの片腕でぐいっと彼女を引き揚げて立たせた腕力もすごかったけど、なんだかんだ言って二人とも愛し合ってるんじゃん。というのが見てとれて。

翌朝、ボートハウスから出て来たラッチマンが襟もとを直す仕草が、ドツボにはまって「きゃーー」状態になってしまいました。

で、今回の月組は新曲も入り、ダンスの振付も変わり、スピード感が増した感じがします。

また、元のセリフに色々付け加えて、なるべくわかりやすいようにしましたーという印象です。でも照明とか、あちこちに谷貴矢のサイケな雰囲気が混じっているような気もしましたね。

がっかりしたのは、カマラがラッチマンに別れを告げるシーン。

ここは湖の前という設定なのか、後ろが大変綺麗な湖の映像なんですね。

だから、昔あった長椅子がない。

長椅子がないと、ラッチマンが振られて傷ついてがっくりきて・・という感情が大にくかったのかなと。

それと1幕最後、ピストルズドーンで本来は客席降りして去っていく・・・で終わるところを、ペペルを見送った挙句、カマラとラッチマンが二人きりで立ち尽くすシーンで幕。

これは一体なんだろう?と。

コロナ禍であること、映像が美しくなって大道具の役割が消え始めている昨今、役者が棒立ちでセリフを言うだけのシーンが多くなりました。

「男役」「娘役」の型を披露する場面が消えてしまったら見せ場がないではありませんか?

何でもいいから、ここは小道具を使う成りなんなりして動きを付けて欲しかったですね。

2幕目はラッチマンの無頼漢時代から始まるのですが、ここで結構余計なセリフがくっついているなと思いました。

ラッチマンは二度ほど「思う所があり」と言いますが、この「思うところ」って一体なんでしょうか?

身分制に拘らず自分らしく自由に生きること?

パリの無頼漢が父の説得で、無頼漢をやめる・・・そして「思うところあって」騎兵隊に入る。

だけどマハラジャの息子として入るのではなく百姓の子として入る。

自分が求める愛は身分や財産など表面的なものではなく、「それでもあなたが好き」と言ってくれる人を選ぶ。

そこまで「実家」を嫌うラッチマンの過去に何があったのかなと思いました。

そしていよいよラッチマンが名家の息子であることがわかって、カマラ達は今度は手のひらを返したように応援し始めるのですが、ラッチマンは去っていきます。

この強情さがラッチマンなんですけど・・・ね。

フィナーレはとても華やかでしたし、下級生の子達だけのダンスもあって素晴らしかったですね。

ただ月組に「ダル・レークの恋」は似合いません。

この作品は「男役」「娘役」の古き良き型をきっちり修めていないと出来ない役です。歩き方、客席から見える横顔、座った時のポーズ・・それは単に踊りが上手いとかいうレベルじゃないです。完璧な「型」です。

現代的なものが多い月組にとって、この作品は荷が重かったなと。

 

 出演者について 

 月城かなと・・・申し訳ないけど、ラッチマンじゃなかったです。

          「ピガール狂騒曲」のような動きがあって感情がわかりやすい役なら出来るけど、今回はセリフの意味がわかっていたかどうか。

一番許せなかったのは「自分なりのラッチマン」を演じようという工夫がみられなかったことです。

「まことの愛」を歌い終わった時の表情、プロローグでのカマラとのダンス。

パーティでの登場の仕方、そしてカマラに振られた時のショックの度合い。せっかく音楽で盛り上げてくれているのに全然顔に出てこないのです。

さらに、ラジエンドラの疑いをかけられた時に、笑うでもなく苦しむでもなく、間もなく「私がラジエンドラです」と言ってしまった時、ああーーもうダメと思ってしまいました。

こういう「間」のとり方は古い作品ほど出てくるもので、演出家もきっちりと指導すべきでした。

全てにおいて「間合い」がないのです。

また、インディラおばあ様と対峙して「私は金はいらない」と言ったあと、「私はお姫様を愛しています・・と申せば」のシーン。

これまた、間がない。ちらっとでもいいからカマラを見なさいよと。「カマラ、あなたまで」という失望も絶望も感じられない。

ゆえに。バルコニーのシーンはただの恨み節ですよね。

カマラを愛していたからではなく「仕返し」をしたように見えるんです。

祭に参加するのも報酬・・・のシーンもやっぱり無理やり感があるというか、たった一つの仕草でいいからもう少しカマラに優しく出来ないか?と思ってしまって。

1幕最後のシーンは、余韻も何もないって感じです。これは月城さんの責任ではないとは思う。演出家のせいだと思う。けどやっぱり、そうはいってられない。

2幕目の無頼漢は、座っていればカッコいい。

けれど、サイコロ勝負とか、ペペルにすごむところは迫力が今一つ。

全体的に「昭和の宝塚の名作」の振りや間のとり方や、心境というものが理解出来ていなかったのかなと。

令和の時代、体面や名節に拘る人なんていないと思うけど、あの時代は何より「世間からどう見られるか」が大事。そんな上流階級の出身なのに馴染めなくてはみ出して真実の愛を求める男ってのが、つくづく古いし、意味不明な部分はあるでしょう。頑なな程自分の意志を貫くというか、信念を貫く為には彼女も捨てるみたいなね。

月城かなとの課題は、1にも2にも「表情」です。

セリフの気持ちをちゃんと表情に出してくれないと観客はわかりません。

シャイな性格とは聞いていますが、舞台に立つ以上は大げさでも仕草や表情が大事ですよ。

 

 海乃美月・・・カマラ。本当に美しいカマラでした。衣装も似合っていましたし、演技もダンスも上々。だけど、カマラをやるには数年遅かったかも。星奈優里のカマラと比べると、とても元気で意志が強い。「恋する女」より「王家の姫」の立場が勝っていたような気がします。

それはラッチマンに別れを告げたあと、何度も「去りなさい」というセリフがあるのですが、そこに未練や愛情があまり感じられなかったからです。「未練」を正反対のセリフで表現するのは難しいかもしれませんけど、最初から「女官長になるカマラ」が確立してて、幼さや未熟さがあまりないのです。

だから2幕目になっても「成長」がなかった・・・

それにしても彼女は美しい。月城かなとの相手役は彼女しかいないと思う程です。

 

 暁千星・・・ペペル。最初「ペペル?ノルさんの明るさが出るのか?」と心配しましたけど、いやはや、本当に成長したというかご立派になったというか、心から「男役」になりました。

暁千星のダンスは他の人から浮き上がる程個性的でかっこいい。

そこに歌唱力が加わって、シバ神のダンスもペペルのテーマもぴったり。

街角で女達に「愛してるよ」って囁くシーンも色気があるし、リタを騙すところも、愛嬌があって許せてしまう。表情が豊かで、ラッチマンにラジエンドラと見破られた時のがらっと変わるあたりはまさしく役者だなあと。

私がリタだったら騙されてもいいかなと思う。

だけど、ペペルのいい所は、どこかのKKみたいに嘘がばれてもスルーせず、気持ちいい程正直に自分をさらけ出すところですね。

2幕目のパリ。階段を下りてくるところからすでに悪人というかギャング。

明るいけど目つきは怖い。この勝負、本当はペペルの価値じゃないの?って思う程にすごかった。星組では稔幸がこのシーンを酷評されていましたけどね。

暁のペペルは詐欺師だけど呑気で気楽で、強気なんです。

ラスト「あばよ」だったっけ?このセリフの間がよかったねえ。

「ダル・レークの恋」は暁千星がいなかったら本当につまらない作品になったと思います。(あ、無論梅田では風間柚乃がそれ以上の演技力をみせてくれるでしょうけど)

 

 風間柚乃・・・クリスナ。完璧なクリスナでした。でも私は絵麻緒ゆうの方が好きですけど。風間柚乃のクリスナは領主さま。政治家ですね。元々クリスナってそんなに重要な役ではないです。そこにいるだけで華をみせればいいという役どころなんです。この「華」がない変わり、演技力でカバー。北翔海莉っぽいなと。

多分、ペペルになっても完璧でしょう。

 夏月都・・・アルマ。星組の朋舞花のアルマは上流の奥様で、腹に一物あるようなアルマですが、こちらは非常に正直。だからアルマ・クリスナ・インディラのシーンは中国王宮ドラマのようでした。

 

 千海華蘭・・・シャンドラ・クマール。

  蓮つかさ・・・ハリラム・カプール。

 この二人は共にコメディ部分を引き受けているのですが、千海が非常に面白いマハラジャな感じに対し、蓮つかさは生真面目に役を作ったという感じ。でも蓮は父親役はまだ早いなと思います。

 

 きよら羽龍・・・リタ。明るくておきゃんで強引な感じがとても可愛らしかったです。暁千星との背丈バランスがとてもよかった。カップル役で色々やってくれたらいいなと思います。

 

他には「水の精」の彩音星凪菜々野ありはダンスがとっても上手で、もっと見たいなと思いました。リフトが綺麗でねえ。

インディラの梨花ますみはさすが専科で、非常に立派なおばあ様でした。

 

最後に・・・谷貴矢。完璧に「ガワ」コピーになっちゃいましたね。

かといって、あなたのオリジナル性が出ると作品がワケワカメでめちゃくちゃになるし。あそこらへんで抑えてくれてよかったです。

谷貴矢ワールドを理解する人も多いのでしょうが、やっぱり宝塚的とは思えないのです。地球ゴージャスか劇団新感線あたりでやればいいんじゃないかと。

そうでないなら2・5次元で。

宝塚でやるならわかりやすい脚本じゃないと、全然生徒の為になってません。

生徒ありきの作品を作ってくれないと宝塚の座付き作家としての意義がないのです。

 

 

 

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天皇陛下 61歳に 2

2021-02-23 08:52:11 | 皇室報道

 この一年を振り返って

 

この1年は,新型コロナウイルス感染症が猛威を振るいました。

新年のビデオメッセージでも述べたとおり,私も雅子も,この感染症がなかなか収束しない状況を憂慮しております。

また,この感染症の感染拡大の影響により,特に,多くの可能性を持つ若い人々が苦境に陥っていることや,女性や若者の自殺や家庭内暴力・児童虐待などが増加していることなども危惧しております。

 ここらへんは「進講」で学んだ通りですが「なぜそうなっているのか」については全然頭にないみたいです。

他方,この苦難に直面しての我が国の国民の忍耐力や強じんさに感銘を受けるとともに,この1年でとても多くの「感謝」の気持ちを感じたことも印象に残ったこととして挙げられます。

医療従事者の皆さんが,新型コロナウイルス感染症が流行し始めてからというもの,自らの感染の脅威にさらされながらも,強い使命感を持って,最前線で,昼夜を問わず,患者さんの命を救うために尽力いただいていることに心から感謝いたします。

また,保健所の方々など,患者を適切に医療現場につなぐべく,努力をしている方たちにも心からの感謝の気持ちを伝えたいと思います。

 今度は「感謝」オンパレードです。

何で天皇陛下に感謝されるのか?国民は今一つわからないんじゃないでしょうか。

本来は「感謝」と同時に「これからも国民の為に尽くしてほしい」を付け加えるべきかと思いますが。

 

この1年,新型コロナウイルス感染症の様々な影響に苦しんでいる方々の思いや置かれている状況をより深く理解し,寄り添えればとの気持ちから,様々な分野の専門家や現場で対応に当たられている方々から,雅子と共にお話を伺ってきました。

高齢者や障害者,あるいは生活困窮者や生活困窮世帯の子供たちなどの現状について理解を深めるとともに,たくさんの方が,社会的に弱い立場にいる人々を支え,その命と暮らしを守るために力を尽くしていることを大変有り難く思いました。そのような方々が,自らも感染症による負担や苦労を強いられる中で,なおも大勢の他者のために尽くす姿に大変感心いたしました。

また,教育現場では,多くの学校行事が中止とならざるを得ない中,小学6年生たちが,自らプロジェクトチームを立ち上げ,様々な演出を凝らして思い出に残るイベントを作り上げた話や,地域で子供たちの学びを支えるボランティアが増え,例えばボランティアの皆さんが教室の消毒作業に協力してくれた話などを伺い,新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって様々な制約が課される中,子供たちのたくましさや人々の優しさを今まで以上に感じる話を聞くことができました。

長引く感染症の流行への対策を継続することは努力を要します。自らのできる範囲で感染の拡大防止に努める多くの皆さんに感謝いたします。親族・友人など親しい人との直接的な接触を避け,暮らしの隅々に注意を払う生活にはストレスを感じる方も多いと思います。皆さんお一人お一人が,人知れず続けている努力を多といたします。

英国で,歩行器の補助を必要としながらも,新型コロナウイルス感染症に対応する医療従事者を支援するため,100歳の誕生日までに自宅の庭を歩いて100往復する活動により多額の寄付金を集め「キャプテン・トム」の愛称で知られるようになったトム・ムーアさんの行動とムーアさんへの爵位授与,そして,今月,ムーアさんが新型コロナウイルス感染症で残念ながら亡くなった際に,多くの人がその死を悼み,功績をたたえて拍手を送ったことも深く印象に残りました。尽力する医療従事者を,自分のできる精一杯の努力で支援しようとする人を,更に無数の人々が優しく包むように応援する姿に感銘を受けました。ムーアさんは,生前「明日はきっとい日になる」との言葉を残しています。今は確かに困難な日々を送らざるを得ませんが,一人一人が自分にできる感染防止対策を根気強く続けることで「明日はい日になる」と私も信じ,そうなることを願わずにはいられません。

新型コロナウイルス感染症について,日本国内への影響を中心に述べてきましたが,昨年強い印象を受けたのは,この感染症が全世界的な広がりを持つものになっているということです。

先日,私は雅子と共に国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)」満了5周年のオンライン国際会議に参加しましたが,その場でも感染対策としての水の重要性が話題になりました。感染拡大防止対策として,我が国では,いわゆる三密回避,マスク着用と並んで手洗いが当然のこととして行われていますが,世界には,手洗いに適した衛生的な水が満足に得られない地域もあります。

また,世界では,特に発展途上国を中心に,新型コロナウイルス感染症以外でも,結核,マラリア,HIV/エイズ,エボラ出血熱など,様々な感染症が非常に多くの人命を奪っています。これらの感染症を克服するには,一国のみの努力では不十分であり,国際的な協力が不可欠であることを改めて認識させられています。

昨年は新型コロナウイルス感染症に加え,自然災害もありました。

7月には,豪雨により,熊本県を中心に,多くの尊い命を失われたことが痛ましい記憶として刻み込まれています。気候変動由来と見られる自然災害の巨大化・広域化が懸念されます。

昨年は戦後75年でした。節目の年を迎え,戦争の悲惨さと平和の尊さを今後とも心に刻んでおかなければならないとの思いを新たにいたしました。また,先の大戦で世界で唯一の被爆地となった広島,長崎には永く心を寄せていきたいと思います。

明るい話題としては,昨年12月に,小惑星探査機はやぶさ2が,長期にわたる壮大なミッションの第一部をやり遂げたことにより,人々に夢をもたらしたという快挙がありました。はやぶさ2が持ち帰った成果がどのような発見につながるのか,私のみならず多くの人々が期待していると思います。

東日本大震災からもう10年がとうとしていますが,この震災が2万人を超える死者・行方不明者をもたらし,各地に甚大な被害を及ぼしたことは,今思い出しても胸が痛みます。

震災直後,岩手・宮城・福島各県へのお見舞いや首都圏に避難されてきた方々のお見舞いをさせていただき,その後も,雅子と一緒に被災地を何度か訪問して復興状況を見てまいりましたが,被災地ではまだ様々な問題が残っているように思います。

確かにインフラ面では再建が日々進んでいますが,ご家族など親しい方が亡くなられた方々,避難を余儀なくされ,家族や友達が離散してしまったり,生活環境が一変してしまった方々のことを考えると,震災からの傷がまだ癒えていないというような気がいたします。

つい最近の,今月13日には,マグニチュード7を超える地震が福島県沖においてありました。被災された皆様に心からお見舞いをお伝えいたします。報道では,10年前を思い出したとの声も多く聞かれました。未曽有の災害がもたらした被害の大きさが改めて思い起こされるとともに,東日本大震災については,過去のこととしてではなく,現在も続いていることとして考える必要があることを改めて感じました。

私も雅子も,今後とも被災地の方々の言葉に耳を傾け,被災された方々の力に少しでもなれるよう,被災地に永く心を寄せていきたいと思っています。そしてまた,機会があれば,10年を超す歳月を経た被災地を訪れてみたいと願っております。

 

 再度眞子さまと小室圭の結婚について

この件に関しましては,先ほど申し上げたこと以上のことは,今はお答えは差し控えさせていただきたいと思います。

眞子さま~~天皇陛下は全然温かく見守ってないよ~~

 

 

 愛子内親王の将来について

愛子は先ほども申しましたとおり,大学生活も始まったばかりですので,今後ともいろいろなことを学びながら,自分としての視野を広めていくことになると思います。

私もその過程でいろいろなことを恐らく相談に乗ることと思いますので,結婚のことも含めて,いろいろ将来のことも話し合う機会というものがあるかと思います。

 意味不明な文章・・・しどろもどろですね。

色々な・・・ばっかり。実は何も考えてないんでしょうね。

 

 オンラインが始まるまで時間がかかり、その間、焦りはあったか

 

現在の新型コロナウイルス感染症の感染状況では,三密を避ける,つまり人と人との交流というものが閉ざされてしまって,言ってみれば本当に日常生活が大きく変わったというふうに感じます。

その中で,本当に一人一人が大変なご苦労をされていた現状では,やはり皆さんのことを,私も大変気になったわけですけれども,今は皆さんのところに会いに行くということ,お話をするということをしてはいけないことでありますので,国民の皆さん一人一人への思いを持ちながら,今,自分ができることはいったい何なんだろうかということを常に考えながら,日々を過ごしてきたように思います。

その過程でもって,オンラインというものもいろいろ普及してきましたし,先ほどもお話ししましたように,水の関係の国際会議で実際にオンラインをやってみたところ,人と人とのつながりというものを肌で感じることができましたので,宮内庁ともいろいろ相談をしながらオンラインで,皆さんとつながっていくということを考えるに至ったわけです。

ですから,オンラインはそれなりの課題というものも,先ほどお話ししたようにあると思いますけれども,これからはそういうものを使っていきたいというふうに思っております。

 雅子調の言葉ですね。「というものを」「というふうに」

 記者が問いたかったのは「なぜオンラインまで時間がかかったのか」「その間、国民との距離が開いてしまったとか、そういう気持ちはなかったのか」という事ですよね。

なのに天皇は「水の国際会議」に誘われてオンラインをやってみたら臨場感があったから、こういうものも活用できるのかと思ったということで、それまでの1年は「自分が出来ることは何か」と考えるだけで具体的に行動を起こさなかったし、考えもしなかったということです。

つまり、誰かに興味をそそられることを進められないとやる気にならなかったという事ですね。

 

今上は元々「自分で何かを考えて行動出来ない」人です。

皇后は元々「やりたい事しかやらない」人です。夫婦としては最悪ですよね。

特に「国の象徴」としてはあってはならない夫婦だと思いました。

今年の天皇誕生日の祝賀行事は大幅に縮小されて、皇族は皇嗣両殿下のみの参加。

一般参賀もなく、まさに「空気のような存在」と化している天皇です。

令和になっていらい、まともな行事は「即位の礼」くらい。それすら雨と風でとんでもない事になっていましたけどね。

本来はそこで危機感を持って「時代に即した天皇として国家に貢献するにはどうしたらいいか」と積極的に考える必要があるんでしょうけど、側近も多分時代遅れの人達だし、一家はカプセルに入り込んだみたいになっているし。

どうにもならないのでしょう。

早く令和が終わればいいなと思う限りです。

 

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天皇陛下 61歳に 1

2021-02-23 08:35:00 | 皇室報道

 天皇陛下 61歳に 

記者会見

コロナ禍における皇室の在り方、公務の在り方について

日本の歴史の中では,天変地異や疫病のまん延など困難な時期が幾度もありました。

これまでの歴代天皇のご事せきをたどれば,天変地異等が続く不安定な世を鎮めたいとの思いを込めて奈良の大仏を作られた聖武天皇,疫病の収束を願って般若心経はんにやしんぎようを書写された平安時代の嵯峨天皇に始まり,戦国時代の後奈良天皇,正親町天皇など歴代の天皇はその時代時代にあって,国民に寄り添うべく,思いを受け継ぎ,自らができることを成すよう努めてこられました。← 他人事

その精神は現代にも通じるものがあると思います。

皇室の在り方や活動の基本は,国民の幸せを常に願って,国民と苦楽を共にすることだと思います。

そして,時代の移り変わりや社会の変化に応じて,状況に対応した務めを考え,行動していくことが大切であり,その時代の皇室の役割であると考えております。

 あまりに優等生的な答えにぞぞっとしてしまいます。聖武天皇まで遡らなくても昭和天皇や上皇がどうしてきたかなどを参考に自分の意見を述べるべきではなかったでしょうか。

 聖武天皇などの事績を上げていますが、自分がその子孫であり、率先して祈りを捧げ、国家の安寧を祈らなけれなならないという立場をすっかり忘れているような気がします。

 「皇室の役割」にしても、それは自分が考えることではな宮内庁が自分達に提案すべきだと思っているような。

 

国民を思い,国民に寄り添う点で,災害で被災された方々,障害者や高齢者,あるいは社会や人々のために尽くしてこられている方々にも心を寄せ,ねぎらい,励ましていくことはとても大切なことです。← なぜ「励ましたい」と言えないのか。

それは,私と雅子二人の自然な気持ちであるとともに,皇室としての大事な務めであるとも思います。← 心にもないことを

この1年は,コロナに翻弄されてきました。愛する方を失ったご家族やご友人のお悲しみはいかばかりであったことでしょう。

心から哀悼の意を表します。また,コロナの閉塞感からでしょうか,自ら命を絶つ人が増えていることも極めて痛ましいことで,皆で何とか防がなくてはなりません。

その一方で,強い使命感を持って医療に取り組んできた方々や保健所などで現場の対応に当たってきた関係者を始め,高齢者や障害者など,社会的に弱い立場にある人々を支えてきた関係者や,子供食堂のような,困難な状況に置かれた子供たちを支援してきた関係者など,多くの方々からお話を伺う機会を得,皆さんの有り難い尽力に思いをより深く致しました。

このような方々に対し,国民の間で感謝の念を広く共有することができた1年となりました。

 「皆さんの有難い尽力」これが天皇の使うべき言葉なのか?と。

 表面的で、自分として何をして来たかなどの文言が一切ないことが悲しいですよね。あくまで「お勉強した結果、こういうことやってるんだーーふーん」みたいな。

 文章に自主性がないことは重々承知なのですが、心を寄せ励ます・・ことが大事なことです。と、他人事のように言える天皇ですね。

そうかと思えば「心から哀悼の意を表します」とか自殺者を取り上げたり、進講で学んだことを一生懸命言葉に混ぜ込んでみましたという感じで心がこもってません。

 

このところ,新規感染者の数は,幸いにして全国的に減少傾向に転じているようです。また,新型コロナウイルスワクチンの接種も始まりました。

今しばらく,国民の皆さんが痛みを分かち合い,協力し合いながら,コロナを忍耐強く乗り越える先に,明るい将来が開けることを心待ちにしております。

同時に,現在の状況を見ると,新型コロナウイルス感染症の影響により,多くの国民の皆さんと直接触れ合うことが極めて難しくなっていることを,私たち二人も残念に思っております。

このような状況の中で,人々とのつながりを築き,国民の皆さんの力になるために,私たちに何ができるかを考え,宮内庁とも相談して,オンラインでの交流の可能性が検討されました。

 「されました」・・・受け身ですよね。発想がないの。

昨年8月には「新型コロナウイルス感染症大流行下の水防災に関する国際オンライン会議」にお誘いを頂いて,オンラインで聴講し,会議後に,参加者の方々ともオンラインでお話ししてみたところ,臨場感があり,人と人とのつながりを肌で感じることができました。そこで,その後,更に検討を重ね,昨年秋以降,オンラインで日本赤十字社の医療現場,高齢者や障害者の仕事や活動の場,そして,今年に入ってからは,昨年7月の豪雨災害の被災市町村を訪問し,それぞれ,関係者の皆さんとお話をすることができました。

このオンライン訪問には,感染症対策としての利点以外にも,同時に複数の場所にいる人々に会うことや,中山間地域など通常では訪問が難しい場所でも訪問できるという利点があることを実感いたしました。

この1年は公務に様々な制約が生じ,例えば,新年の一般参賀を行うことも難しい状態でしたが,代わりに,ビデオメッセージで国民の皆さんに私たちの気持ちをお話しすることができたことも含め,オンラインによる活動に新たな可能性を見いだせたことは,大きな発見と言えます。    

地方を訪問する際の駅頭や沿道も含めて,現地で多くの方々と同じ体験を共有し,その土地,その土地の雰囲気を肌で感じるなど,実際の訪問でなければ成し得ない部分はあるものの,感染が収束しない現状では,オンラインは有効な手段と考えられます。オンラインには,オンラインなりの課題もあるでしょうが,引き続き,状況に応じた形で活用していきたいと思います。

 全体的に「オンライン」も「勧められたからやってみた」程度の意識しかなくて、ビデオメッセージもやらされた感、半端なく。

しかし・・・あの画面との距離で「臨場感があった」と感想を持つわけですね。

何というか、お歳のせいなのかかなりネットにうといんだなあ・・・って。

秋篠宮家は去年からオンラインで公務をしているのに、天皇がオンラインに至るまで随分時間がかかっています。本当は嫌だったんだろうと思います。それが8月に誘われて参加してみたら楽しかったのでまたやってみることにしましたーーみたいな。

 地方を訪問する際の駅頭や沿道・・天皇夫妻ってこれしかないですよね。

その地方で何が特色でどんな文化が栄えているんだろう、どんな活動をやっているんだろうということより、「お手ふり」で迎えてくれる、あの感覚が懐かしいのですね。

 

 皇后と愛子内親王の近況

雅子は,新型コロナウイルス感染症の感染拡大による活動への制約などから,体調を整えにくくなっている面はありますが,種々の工夫や努力を重ねながら,幸いにして,昨年も諸行事や諸儀式を滞りなく務めることができました。

特に,昨年の5月から6月にかけては初めての養蚕に取り組んだほか,11月には立皇嗣宣明の儀・朝見の儀を無事に終え,また,新年のビデオメッセージでは,一緒に国民の皆さんにご挨拶ができたことを良かったと思っております。

 ちょいまて。公務をやらせれば「体調の波」が来るのに、コロナ禍で行動が制限されたらそれはそれで体調が整えにくくなるのかい?

好きな時に好きな場所で好きなものを食べられないから?

 ビデオメッセージでは天皇が真横でつききりで皇后のセリフを一緒に口を動かしていましたが、そういうのってよかったことなの?

 養蚕もドタキャンしたし、一人では養蚕所へいけなかったし。

ただ,雅子はいまだ快復の途上にあり,体調には波があり,大きな行事の後には,疲れがしばらく残る傾向があります。

これからも,無理をせずにできることを一つ一つ着実に積み重ねていってほしいと思います。

また,雅子は私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに,公私にわたり良き相談相手となってくれております。私も,今後ともできる限り雅子の力になり,支えていきたいと思っています。

国民の皆さんには,これまで雅子に温かく心を寄せていただいていることに,改めて感謝の気持ちをお伝えするとともに,引き続き雅子の快復を温かく見守っていただければ有り難く思います。 

 また同じフレーズ。

 自分が皇后の支えになるということは能動態で話すんだなあ・・・この人。まるっきり国民目線でない。

一体、いつ?何を持って「全面的に快復した」と言えるのでしょうか?

心を病んでいるのか、もともと発達障害で出来る事の範囲が少ないのか、カミングアウトしてしまえばいいのにと思います。

意味もなく祭祀をやらずに、アゲアゲ報道されても国民はもう冷めたもんですよ。

 誰でも大きな行事の後には漬かれば残るものだし、それを乗り越えて生きているんじゃないですか?

 

昨年の4月から大学生になった愛子は,新型コロナウイルス感染症の影響により,オンラインでの授業が続いておりますが,昨年秋に初めて大学に登校した際に「大学では新しい知識を得たときに感じられる喜びを大切にしながら,様々なことに取り組んでいければと思っています」と語っていたように,大学での勉強に意欲的に取り組んでいることを私と雅子もうれしく思い,また,少し頼もしくなったように感じております。

オンラインでの授業では,課題もかなり多く,愛子もその一つ一つに一生懸命に取り組んでおり,大変そうですが,授業を準備される先生方のご苦労も大きいものと思いました。

私たちも,愛子がオンラインで授業を受けているのをそばで見る機会もありましたが,私たち自身も,新たな知見を得ることができたり,何か学生時代に戻ったような気持ちになりました。

今後,どのような状況の大学生活になるかは分かりませんが,愛子には,有意義な学生生活を送ってもらいたいと願っております。

愛子は,普段時間のあるときには,屋外で運動も少ししたりしていますが,家の中で過ごす時間も長いので,私たち家族3人で楽しく団らんする時間を大切にしてくれています。

また,早いもので今年の12月で成人を迎えます。愛子が誕生した時の会見でも申しましたが,孟子の言葉を参考にした「敬宮」「愛子」という名前には,人を敬い,人を愛してほしいという,私たちの願いが込められています。

それは20年つ今でも変わっておりません。今後,成年皇族として公務に当たっていくことになりますが,感謝と思いやりの気持ちを持って,一つ一つの務めを大切に果たしていってもらいたいと思います。

そして,いろいろな方からたくさんのことを学び,自らの考えを深めていき,また,今まで以上に,様々な経験を積み重ねながら視野を広げていってほしいと願っています。その過程で,将来のことも含め,私たちで相談に乗れることは,できる限りしてあげたいと思います。

 「務め」を果たすお稽古もなさっていない事には言及なし?

 「感謝と思いやりをもって」公務にあたる・・・って意味がよくわからないんですけど。「公務を下さってありがとう」なのかな。

 

上皇陛下や秋篠宮と直接会う機会が減っていることは残念ですが,上皇陛下や秋篠宮とは適宜連絡を取るようにしております。ただし,詳細については,回答を控えたいと思います。

上皇陛下,上皇后陛下には,新型コロナウイルス感染症の感染拡大にお心を痛められつつ,日々を送っておられることと拝察いたします。

どうかご無理をなさらず,お身体を大切に,末永くお健やかにお過ごしいただきますよう心よりお祈り申し上げます。

 自分の親なのに、突き放したような言い方で、上皇夫妻の健康を把握してないんですね。天皇陛下は。ここで「電話をしている」とか「オンラインで喋っている」とかいうエピがあれば温かいのに。

 

 立皇嗣の礼を終えて また眞子さまと小室圭の結婚について

延期されていた立皇嗣の礼関連の主要な諸行事が滞りなく終了したことに安しています。

その立皇嗣宣明の儀において,秋篠宮は,「皇嗣としての責務に深く思いを致し,務めを果たしてまいりたく存じます」と述べたことを心強く聞きました。

秋篠宮には,皇嗣として,その職務もますます重いものとなっていきますが,秋篠宮妃共々,身体に気を付けながら,務めを果たしていってもらいたいと思います。 

眞子内親王の結婚については,国民の間で様々な意見があることは私も承知しております。このことについては,眞子内親王が,ご両親とよく話し合い,秋篠宮が言ったように,多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております。

 マスコミ曰く「多くの人が納得し喜んでくれる状況」だから、無理なのか、眞子様が強硬して皇籍離脱をはかるのか・・というところに持って行きたいでしょう。

 秋篠宮には皇嗣として・・・という言葉遣いは、天皇が弟に対して「自分の後を継ぐとは思ってない」ことになるんじゃないでしょうか。

天皇の心には「皇太子と皇嗣は立場が違う」とはっきりインプットされていると思いました。自分を補佐する役ではない、「宮家の一つにすぎない」と思っているんですよね。

 

 

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聖女か悪女か 美智子上皇后の肖像3

2021-02-22 07:00:00 | 聖女か悪女か美智子上皇后の肖像

 1958年11月事前に宮内庁に提出された美智子さんの婚約当日の写真

 朝日新聞号外 1958年11月?日

皇太子妃決まる正田美智子さん 皇太子殿下がご懇望初めて民間から愛情に支えられて殻を破った人間皇太子」

 

 週刊明星 1958年11月23日号

内定した!?皇太子妃正田美智子さんその人の素顔」

 

 1958年11月26日 行きつけの美容室で

 

 1958年11月27日

皇太子殿下の婚姻に関する件」について皇室会議で可決した文書

 

 1958年11月27日 婚約が発表される前に母親と散歩に出る美智子さん

 新潟日報 1958年11月27日

皇太子妃今日決まる皇室会議後 正午頃発表」

 

 読売新聞 1958年11月27日

皇室会議全会一致で皇太子妃に正田美智子さん承認

 

 1958年11月27日 ドレスを身に着けた美智子さん

 朝日新聞 1958年11月28日

皇室に新しい歴史「同感だ」と三笠宮さま 27日皇太子殿下の写真を手に持ちながらご婚約を喜ぶバイニング夫人」

 

1958年11月27日 正田邸

 

 婚約発表前の正田美智子嬢

 記者会見

 婚約発表後の正田美智子嬢

 

皇居へ挨拶にいく

宮内庁を退出

 

 1958年11月28日 婚約後、初めて東宮御所へ

 毎日グラフ臨時増刊号の表紙

 毎日新聞の1面を飾った写真。

当時の美智子嬢はクリームと口紅のみでおしろいは使っていないと報道される

 毎日新聞記者が撮ったポートレート

 美智子嬢のドレス姿とピアノを弾く姿

 

 週刊読売 1958年12月7日号

特集・皇太子妃・テニスコートの皇太子殿下・正田美智子嬢

皇太子の恋愛結婚 テニスコートで結ばれたチャブとミッチー
皇太子のご婚約によせて ホッとした三つの気持ち(秋山ちえ子) / 花ひらいた人間宣言(本田顕彰)
だれにも愛され慕われた生い立ち / “武門出”の秀才ぞろい(正田家の家系図) / “皇后学修行”に明け暮れる今後 / ご婚約成立までの経過
インサイドレポート“姫君”追いかけた五年間 おきさき記者の秘話
グラビア特集美しきプリンセス喜びの正田美智子さん
“孤独の人”に春が来た(藤島泰輔)

アサヒグラフ緊急増刊皇太子ご結婚記念画報 1958年12月10日号

 1958年12月6日 婚約後初のテニスをする為に東京ローンテニスクラブを訪れる

 週刊読売 1958年12月14日号

特集プリンスの恋を実らせた人小泉信三」

 

 アサヒグラフ1958年12月14日号

われらのプリンセス

 

 LIFE 1958年12月15日号

日本の将来の皇后ーどのように彼女が選ばれたか」

 

正田邸にて

1959年 正月

 納采の儀後の写真。帯は香淳皇后から贈られたもの

 

正直、こんなに写真を撮られ慣れている素人さんっていないんじゃないか?と思います。

今の時代ならともかく、昭和30年代ですよね?

婚約が取りざたされてから、嫌がらせの電話が鳴りっぱなしだったとか、虐められたとか色々言われていますが、正田家はノリノリだったじゃないですか。

自宅にどんどん新聞記者を呼んで写真を撮らせたり、個人的に手紙のやりとりをして「美智子嬢の心境」を語らせたり。

結婚前なのに、「美智子さまはこういう風に思っていらっしゃる」が筒抜けだった気がします。そういう印象操作に長けているなと。

 

正田家の家族写真。笑顔がなく冨美さんに至っては目を伏せている程。

つまり「正田家は本意ではない。皇太子殿下の為に仕方なく娘をやるのだ」というスタイルを貫こうとしているような。

正田家にとって、美智子妃誕生は「闘い」の始まりだったのかもしれませんね。

 

 

 

 

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皇室ウイークリー

2021-02-21 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

2月12日・・・天皇陛下 → 通常業務

       両陛下 → 国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)満了5周年記念オンライン会合出席

2月16日・・・天皇陛下 → 通常業務

2月17日・・・天皇陛下 → 祈年祭

2月18日・・・天皇陛下 → 通常業務

              認証官任命式

 

皇嗣家

2月16日・・・妃殿下 → 結核予防会理事長、同代表理事他から報告を受ける(オンライン)

2月17日・・・殿下 → 祈年祭

2月18日・・・妃殿下 → 母子手帳国際ウェビナー 第1回聴講(オンライン)

先日の宮城・福島を襲った震度6強の地震の日、それは赤坂御所から皇居へ引っ越しを開始した日だったそうで。

週刊誌のその後の記事は読んでません。恐ろしく「皇后さま上げ」記事だったので。

皇后一人で大地震から「国民を守る」とかありえないから====

8億円新居って・・・皇居のことですよね。耐震もばっちりだそうでよかったね。

ネットでは、美智子皇后がいかに皇室を破壊していったかという事について、熱く語られるようになりました。同じような事が今までにも何度も語られてきたのですが、繰り返されるということは疑問符が多いという事ですね。

 

 昭和天皇時代

吹上御所・・・1358平方メートル

昭和天皇は昭和40年に入るまで「御文庫」と呼ばれる防空壕に住み続けています。

でも皇太子の為には新しい東宮御所を建て、ご自分の吹上御所は後回しにされました。

本来、昭和天皇が崩御すると、香淳皇后はこの吹上御所を出て新たに「大宮御所」に引っ越さなくてはなりませんでした。

しかし、上皇夫妻は「思い出のある吹上御所に住まわせてあげたい」との思いから、そのまま香淳皇后を住まわせ、自分達の為に新御所を建設しました。

 平成の新吹上御所・・・4940平方メートル(17LDK)

私はその時、「あれ?」と思ったんです。

大宮さまと呼ばれる皇太后がそのまま御所に住み続けるなんておかしくない?って。

そしたら、新吹上御所を建設する為に、昭和天皇が愛した森を伐採してなくしてしまったことが発覚。この時から「美智子さまバッシング」が始まります。

要は「思いやりのように見えて、実は香淳皇后が長く住んでいた御所なんか嫌だって話でしょ」ということです。

そこを8億円かけて改修し、今上一家が引っ越していきます。

 上皇夫妻仙洞御所・・・5460平方メートル(22LDK)

これはいわゆる赤坂御所であり、東宮御所であった場所です。

しかも上皇夫妻は他にも高輪仙洞御所にも多額のお金をつぎ込んでいます。

 

2017年1月26日付けの毎日新聞では

 宮内庁は代替わりに伴う新築工事は行わない予定

 皇太子夫妻は皇居に移動

 仙洞御所は秋篠宮邸などがある赤坂御用地のどれかにする

 秋篠宮家は東宮御所に移動

 これで建設費用を抑えることが出来る

と発表。

 

しかし、3月28日、突如「両陛下退位後は赤坂東宮御所に住む」事がNHKにリークされ、そのまま発表されてしまいました。

 

 産経新聞3月28日

皇太子さまと住まい入れ替え」官邸、寝耳に水 宮内庁と溝

25日午後7時。

安倍晋三首相は東京都渋谷区富ケ谷の私邸で、NHKが「天皇陛下は退位後に皇太子さまと住まい入れ替え」などを報じたのを知り驚愕した。
譲位に関する有識者会議でも俎上に載せておらず、まさに寝耳に水

首相はすぐに関係者に問い合わせたが、官邸内で検討した形跡はなかった。
官邸筋は「宮内庁が既成事実化を図り、NHKにリークしたのだろう」と打ち明けた。
菅義偉官房長官も27日の記者会見で不快感を隠さなかった。
 「全く承知していない。どういう根拠で報道されているのか全く分からない。 そうした報道が出ること自体おかしい。報道されたことは全くあり得ない

 

記者「譲位後のお住まいは東宮御所?」
菅官房長官「全く承知してません、それだけです」
記者「東宮御所にお住まいは選択肢の一つ?」
菅官房長官「全く承知してません(略)政府としては全く関与していない」
記者「公的活動から退く?」
菅官房長官「どういう根拠にそういう報道されてるか分からない いずれにしても報道おかしい。まだ政府としてどうするか決定していない 検討中なのにこんな報道はあってはならない」

宮内庁がリークした・・・というより、これは完璧に美智子皇后が示唆しただろうというのは予想がつくこと。

なにせその時、天皇はすでに認知症で「ここに住みたい」なんて希望が言える筈ないのですから。認知症気味になってますます皇后に頼り切りになってましたよね。

でも、とにかく「思い出の多い東宮御所に住みたい」という強い意志はそのまま通ってしまい、秋篠宮一家はそのまま宮邸に住み、公務の時は赤坂東邸を使うことに決定。

それでも「実質的な東宮御所になる」わけですから、そのままというわけにもいかず、新たに33億円の予算を投じざるを得なくなった。

そこから「秋篠宮家バッシング」が加速。

しょうがないから、譲位した上皇夫妻は一旦高輪仙洞御所に移る。

そこの改修費も多額のお金が使われ、でもコロナでなかなか進まないことに業を煮やした上皇后は週刊誌で「コロナ認知症の上皇陛下の為にも懐かしい東宮御所に帰りたい」と切望。

そこから急ピッチに工事が進んでいるという事なのです。

 

中国の古装束劇を見ると、皇帝より偉いのは皇太后、つまり「母」になります。

とはいっても、その母がどんな住居に住むかは皇帝の心次第になるわけですが。

一方「禅譲」した元皇帝は皇帝より立場は下になるので、滅多に顔を合わせなくなります。

常に世界の中心にあるのは「皇帝」であり、父や母はわき役なのです。

 

日本の宮廷においては院政の時代もあり、必ずしも「天皇」がもっとも格上となるかはわかりません。

まして后になると、明治に近づけば近づくほど称号なんてどうでもよくなるし。

でも令和の時代。

今上が最も格上とは言いながら、上皇夫妻の意志の方が尊重されている事は事実です。

現皇后は住むところや衣装や調度品にはあまり興味がないし、むしろ「外出して食べる」事や「静養」に情熱を傾ける気質です。

しかし、上皇后はステイタスに拘る人。

多分、上皇の退位を決めた時点でもっとも大事な「自分の立場を格下げさせない」方法を考え付いたのでしょう。

昭和34年から常に皇室の「主役」を演じて来た女性の執念深さを感じます。

今の上皇后には慈愛も感じないし、老人の柔和さや優しさも感じません。

そもそも、この方、本当に家族を愛していたんだろうか?とすら思ってしまいます。

毎日大鏡に自分を映して「もっとも綺麗な自分」に酔っていたんだろうかと。

 

 

 

 

 

コメント (6)
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出来ないことを出来ると言ってはいけない

2021-02-20 07:00:00 | 政治

これは誰に言いたいか?

勿論、丸山珠代五輪相です。

 

 島根県知事がリレーに参加しないと表明したことについて

新型コロナウイルス)感染症対策に全力を尽くして(リレー実施に向けて)理解してもらう」

先日も自民党の竹下氏が島根県知事に「注意する」と発言したそうです。

「コロナが流行っている地域ではないのに」「一致協力していくべきなのに」という理由。

一方で県知事としては「地方都市として国のコロナ対応には不満がある。世論的にも五輪は中止すべきということで、ゆえに聖火リレーにも参加しない」ということです。

県知事の発言には同情的な意見が多く、「オリパラは中止すべき」という世論が静かに盛り上がっているところです。

現在、2月時点で緊急事態宣言中で、飲食店は午後8時までの時短を余儀なくされ、リモート勤務もやれやれとせかされる。

都内の感染者が500人を切ったし、そろそろ解除していいんじゃないの?

と思っても、国としては3月まではこのままいく方針らしい。

劇場などもそうですが、緊急事態宣言が出た頃より色々厳しくなっているんですね。

宝塚では1階席しか売りませんとか、ファンクラブ員のみですとか・・・何で2000人も出ていた時は通常でやっておいて今頃?って思ってしまいます。

役所も今頃になって検温するシステムが出来たり、その割に確定申告は密になりがちだったり。

検温までやらなかった場所が検温を始める・・・

東京ディズニーランドではキャストの多くがお休み中。

テレビ局でもリモート出演が多くなったり、再放送でしのぐケースも増えてます。

こんな中で、通常の五輪が出来ると本気で思っているんでしょうか?

丸山五輪相のいう「感染対策に万全を期す」ってなあに?

アスリート達以外に負担を強いることなんでしょうか?

娯楽施設やエンターティメントには生きるか死ぬかというくらいの負担をしいておいて、本気で五輪が出来るというんでしょうか?

 

橋下会長は「安心安全なオリンピックを目指す」と言ってますが、この状況下でそれは絶対に無理です。

一体、何か国から人が来ると思っているんでしょうか?

中国は絶対に棄権しないと思う。

そもそも、新型コロナの感染源は、雲南省にある洞窟のコウモリが原因だそうです。

その事を武漢のウイルス研究所は2017年くらいにはわかっていて、調査に入ったそうです。

そこから何人かがコウモリから直接感染し、発病。1人死亡。

でも、とにかくウイルスを持ち帰った・・・ゆえに、武漢でコロナが流行り始めた時、ウイルス研究所の「コウモリ女」と呼ばれる研究員が思わず「うちから流出したんじゃないか」と思ったと語っていたそうです。

大元の雲南省の洞窟は警察が周りを囲み、誰一人入れない様にしているそうです。

WHOは、それぞれが帰国した後に本音を語りだし

新型コロナウイルスが中国発祥ではない理由が見つからない」と言っています。

WHOの動きを見守るマスコミたちにも、中国人の見張りがそこここにいて、それは映像で残っていますが、とても真実を聞いたり話せたりする国ではない。

そういう国から多数の選手団が来る事に、違和感や嫌悪感を持たないと思いますか?

政治とスポーツは別とか、アスリートに罪はないとか、綺麗ごとを言ってる場合じゃない。心の問題です。

彼らだって被害者かもしれない。でも自国の被害者であり私達外国人がどうのこうのいうべきではないでしょう。

中国の旗振って、中国のユニフォーム着て試合をするんですから。

丸山五輪相も橋本会長も、中国という国に嫌悪感を持たず

「同じアスリートなんだから」と思っているなら馬鹿です。

政治に携わっていながら相手の思惑を知らないで騙されて、結果的に日本国民が多大な損害を被るように仕向けるのはそれは「国賊」ではないのでしょうか?

(私は、ここのところのコロナ感染者の減少は、外国人の入国を厳しくしたおかげと思っています)

 

 来日する選手のワクチン接種について

基本的に接種してこなくても安全、安心に大会を成功できるよう、さまざまな措置を取る」

アホか そんな方法があるなら日本ではとっくに終息していますよ。

今、ワクチンを接種するのは

感染するリスクの軽減」&「感染させるリスクの軽減」の為、だから医療従事者が真っ先に行っているんじゃないでしょうか?

それを「ワクチン接種してこなくても大丈夫」というのは、具体的にどのような対策をとるというのでしょうか?

不織布のマスクを配りますか?

選手村を囲いますか?

どうやって選手たちを隔離し、感染しないようにするんでしょうか?

そもそも新型コロナは中国人が日本で広めてしまったことは、ダイヤモンドプリンセスや、観光バスなどでもとっくにわかっている筈ですよね?

韓国なんて確か、浦安あたりのホテルを貸切って自国から水だの食料を運ぶとか言ってませんでしたっけ? 頻繁に出入国する人が増えることになるし、移動も多くなります。

そしてマラソンは北海道ですよ?

ひどい状態が続いた北海道にまたも精神的な苦痛を与えるというのでしょうか?

五輪憲章には「中止」の文字はないそうですが「延期」もない。

その「延期」をやったらなら「中止」もありと思います。

そういうこと、言える大臣なの?丸川珠代って。

 

1964年。橋本会長が生まれた年の東京五輪は華やかな経済成長のたまものでした。

しかし、今は違います。

呪われた東京五輪とさえ言われる。その理由は

「五輪を行うことによって日本人の感染者の急増」

「五輪を中止することによって金銭的な責任の発生」

等々、まさに袋小路の状態になっているからです。

五輪が開催出来ないのは中国のせいなんだって、誰もがわかっていながらそれを中国に言えない世界が間違っており、敗戦国になったおかげで何でもはいはい聞いてくれる日本に全部押し付けようとしている世界の思惑、わかりませんか?

コメント (7)
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